黒猫と慕情の雨橋 4

 緑色の髪、緑色の瞳、緑色の着物。真白な肌に紅い唇。その横あるほくろが一層妖艶さを引き立てている。人間ではない。舞子はそう直感した。

 女はそっと袖で舞子の頬を包んだ。


「ああ、こんなにも泥々になって。一体どうしたの?」


 舞子は息を整えるのに精一杯で、しかし伝えたそうに口をパクパクさせる。

 

「いたぞ!」


 男の声に舞子が身を固くする。女は舞子を後ろに隠した。


「どけ女!」


「こんな幼い子供に何用ですか?」


 女はたおやかで穏やかそうな風貌だが、強かだった。賊にも怯えず、まっすぐ見つめている。


「女ごとやってもかまわんだろ」


「それはそうだな」


 そう言って、一人は刀を抜き、一人は弓を引く。徐々に賊は集まっていき、十人ほどの集団になった。


「怖いと思うから、目を瞑っててね」


 女は舞子と目線を合わせると、そっと舞子の目を閉じる。舞子はぎゅっと目を閉じて女にしがみついた。目の前がだれでもいい。あの追っ手から助けてほしい。そんな一心で。

 男たちが女に斬りかかる。矢を放つ。そんな荒々しい戦場を透明な声が一掃した。


「毒華乱舞」


 





 舞子はぎゅっと目を閉じたまま女に抱えられ、移動していた。何が起きたのかは分からない。すると、ある場所でそっと下ろされた。


「はい。もう大丈夫」


 恐る恐る目を開けると、女が優しく微笑んでいた。よしよし、と撫でる手つきは母親そのものだ。実母でもないのに、その温かさに安堵して舞子はわんわん泣き出した。

 

「よしよし、怖かったわね。よく頑張ったわね」


 女は優しく舞子を抱きしめる。舞子はようやく泣き止み、礼を言った。


「助けていただいて、ありがとうございました」


 深々とお辞儀をする。女は優しく微笑んだ。


「いいのよ。……守れてよかった」


「?」


「何でもない。こっちの話」


 家に帰れる?家族が心配しているわ。と女が促すが、舞子は首を横に振った。


「戻れない。多分、父上も母上も、姉上も……」


 ぎゅっと裾を握る少女を見て、女は少し寂しそうな顔をした。そして、舞子の小さな両手をそっと握った。


「あなた、お名前は?」


「舞子」


「ねえ舞子?私もここにはいられないのだけれど、あなたが良ければ、私と一緒に来ない?」


 その眼差しはとても温かい。舞子は一つ頷くと、女の両手を握り返した。


「一緒に行かせてください。え、っと……」


 何と呼べばいいか迷った。名前で呼べばいいのだろうか。それを見透かしたように、女は再び舞子を抱きしめた。


「私の名前はそうび。母、って呼んでくれると嬉しいわ」






 そこから舞子は鴆の妖怪、そうびの娘になった。そうびは薬を作っているらしく、薬草を探してあの山にいたのだと言う。鈴鳴町に戻ってこれたのは偶然で、その山の中で懸命に薬について学んでいた。しばらくたってあの晩、男たちはどうなったのかと問うと、


「秘密」


 と言われた。そうびは心の中で、ちょっと毒であられもない姿にしてしまったとは言えないわね、と思うのだった。

 そして、十六歳の冬。そうびは亡くなった。元々寿命で、自身の毒に耐えられなくなっていたらしい。あの時のそうびの姿は忘れない。死に際だというのに、とても美しかったのだ。触れてしまえば消えてしまうような儚さがあった。


「ねえ、舞子……、これから先、あなた一人で生きていける?」


「心配しないでください。私は大丈夫です。お母さま」


 舞子は自分の事よりも何も、母が心配だった。私も鴆だったら、母の仕事を継げるのに。


「お母さま。一つだけ。わがままを言ってもいいですか?」


「なあに?」


「お母さまと同じものが欲しいです。力も、髪も、瞳も、優しさも全部」


それに、そうびは目を丸くする。しかし、とてもうれしそうに顔を綻ばせた。


「そう。とてもうれしいわ。私は、良い母親で在れたかしら……」


そっとそうびは目を伏せる。そして、いつになく真剣に舞子を見つめた。


「舞子。貴女は、妖になる覚悟がある?」


「え?」


「私の力を、あなたに託すことができます。ですが、それは成功するか分からない。成功すれば鴆として生き、失敗すればあなたも死んでしまうかもしれない。それでも、私の力を望みますか?」


突拍子もない言葉に、舞子は思わず唖然とする。だが、心は決まっていた。


「私は鴆になります。お母さまのようになりたいです」


 おかしな話だが、死んでも別にかまわなかった。家族はもういない。今目の前の母親も旅立とうとしている。なら、鴆の力を受け継いで生きるか、母と共に死ぬか、どちらでも構わないと思っていたのだ。今のあせびからすれば、なんて酷い考えだと思ったのだそうだが。


「では、貴女に鴆の力を。名はそうね……『あせび』なんてどうかしら」


「あせび……」


 髪飾りを手渡され、受け取り、母からもらった新たな名前を噛み締める。すると、そうびの体が燐光に包まれていく。


「……!お母さま!」


「あら、もうお別れなのね……。じゃあね、ありがとう。私の可愛い可愛い、あせび……」


 あせびは咄嗟にそうびに抱き着く。その頭を、そうびは初めて会った時のように優しくなでた。やはり、別れは辛いものだ。あせびは涙を流して最後の最後まで、その温もりを噛み締める。顔を上げて、消えそうな燐光を視線で追う。その先の鏡に映った自分の姿にはっとする。母と同じ、緑色の髪、緑色の瞳、鴆の力。

 一匹の鴆が消えたと同時に、新たな鴆が生まれたのだ。





「とまあ、あせびの過去はこんな感じだ」


 黒音が語り終えて一同を見ると、涙ぐんでいた。


「うっ、なんて哀しく、温かな物語でしょう……!涙が止まりません……」


「あせびにそんな過去があったんだな……」


「刀である私も感動しました……」


 黒音の目が据わる。違う、重要なのはそこじゃねえ。


「あせびの話に出てきた狐、あせびの姉と親しくしていた狐。これ、お前じゃないのか」


 びし、と黒音が玉水を指差す。玉水は涙を器用に前足で拭いながら、こくりと頷いた。


「おそらく私でしょう……あの方は陸奥の国へ行かなければならないと確かにおっしゃっていました」


 ずびー、と鼻をすする。


「そして、帰ってきたらあの橋に行くから。そこで駆け落ちしようともおっしゃっていました」


「か、駆け落ちまでする予定だったのか……」


 裕昌が思わず唖然とする。そこまでは予想していなかった。


「で、だ。あたしはその話について町中の妖に聞きまくった。狐を見たことはないかと。なにか橋の噂とかも無かったのかと。それで、もう一つ重要な噂を手に入れた」


「噂?」


「ああ。あの橋は亡者が現れるんだそうだ」


 曰く、このような歌があるらしい。

 深く霧がかかる時、亡者は現れる。誰かに会うためにやってくる。

 それは憎しみか、悲しみか、憐れみか、未練か、優しさか。

 夢か現か、一つ間違えると生者もあの世行き。


「物騒な歌だな」


 裕昌が思わずツッコむ。一歩間違えればあの世行きとは、どんなリスキーな橋なのだ。


「ということだ。今日の夜、厳密には夜明け前、あの橋に行くぞ。だがその前に」


 あせびー、と黒音が呼ぶ。呼ばれた本人はひょこっと扉から顔をのぞかせた。その顔はほんのり赤くなっている。


「自分の昔話で泣かれるとすっごく恥ずかしいんですけれど……」


「いや、大分助かった。これで一歩解決に進める。ところで、お前が知っている狐はこんなのだったか?」


 あせびは玉水をまじまじと見る。玉水もあせびをまじまじと見る。


「あ、そうですね。こんな感じの狐だったと思います。白かったし」


「私は緑色の髪の方など存じ上げないのですが……やはり舞子殿なのですか?」


 あせびは不満げに目を据わらせる。


「失礼な。今となっては妖ですが、麻子の妹の舞子です。そうですよね、姉上には似てませんでしたものね」


 ぶー、とふくれっ面になるあせび。まあまあ、と裕昌と黒音がなだめる。


「橋にはあせびも同行してもらうことにした。……万が一、人違いだったとかないようにな」


「そこまで私、頼りないでしょうか……」


 うん。大分頼りないかな。とか思う裕昌と黒龍と黒音とあせび。しゅんと肩を落とす狐を見て、黒音はこめかみを掻いた。


「ま、あたしだって人間と妖の恋には思う所があるし、心配なだけだ」


 裕昌はふと、その言葉に引っかかった。まるで、自分も一度体験したかのような言い方だった。その言葉には、懐かしみ、では片づけられない感情が込められているが、それが何かはわからない。


「霧がかかるのは大体日が昇る前。三時か四時に行くぞ」


「わかった」


 頷く裕昌。一方で、黒音はこっそり黒龍を呼んだ。


「お前に頼みごとがある」





 翌日、午前三時。一行は例の橋までやってきた。そこは、一度裕昌と黒龍、玉水が訪れた橋だった。


「この前は何もなかったのに……」


 その橋は、深く霧がかっていた。対岸が見えないほど深い。玉水が橋に一歩踏み出す。

 刹那、霧がさらに深くなっていき、欄干と思しき場所に点々と炎が浮かぶ。


「わあ……」


「繋がったみたいだな」


 対岸の方から、誰かが歩いて来る。足音からして女物の草履をはいた人物だろう。

 一行の近くまで足音が近づくと、ぴたりと止んだ。代わりに衣擦れの音だけが聞こえる。


「そちらにいらっしゃるのは、麻子様ですか?」


「…………、玉水様?」


 返答があった。あせびがその声を聞いてはっとする。その様子を見ていた黒音は当たりか、と安堵したのだった。

 不思議なことに、裕昌たちの周りの霧が晴れていく。霧のベールに隠されていた顔と姿は、徐々にあらわになっていく。そこには齢十五、六の少女が立っていた。その面立ちはそっくりとまではいかないものの、あせびと同じ面影を残している。

 

「麻子様……!」


 白い狐は少女、麻子の元へ駆け寄る。麻子も駆け寄ってきた白い狐を抱きしめた。


「玉水様……!とても探したのですよ……!会いたかった……」


「ええ。私もとても探しました。そしてようやく会えた……」


 裕昌は、ん?と引っかかった。

 麻子も探していたとはどういうことだろう?

 だが、裕昌は口にはしなかった。


「さあ、玉水様。ともに参りましょう。今度こそ、私は離れません」


「…………ああ、そういうことでしたか」


 白い狐の反応が妙に薄くなる。裕昌は例の「一歩間違えればあの世行き」の言葉を思い出す。

 狐を呼び止めようとしたとき、黒音に引き留められた。


「まて裕昌。あのままでいい」


「?どういうこと?」


 白い狐は裕昌たちを振り返る。その顔には寂しげに、しかしどこか嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「皆さま。短い間でしたが、お世話になりました。私は麻子様と共に還ろうと思います」


「え……?」


 あせびと裕昌が目を丸くする。狐の姿がたちまち半透明になっていくのだ。黒音は黒龍に目配せをする。それに、黒龍が一つ頷いた。


「私は、もう死んでいたようです」


 玉水が、そう寂しげに答えた。

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