黒猫と慕情の雨橋 3
玉水物語。作者不詳。人間の姫に恋した狐が、人間に化けて女房として姫に仕える、という異種間恋愛御伽草子。古典作品にしてはあまりにもサブカルチャー感あふれる設定であったため、裕昌にとっては印象に残った作品の一つだった。
あれを大学受験の試験で出題されたときは、思わず読み入ってしまったものだ。
「確かに似ていますね」
「だろ?」
「玉水、という名は彼女につけて頂きました。もしかすると、この御伽草子を存じていたのかもしれません」
玉水はそう語りながら自分と同じ名前の物語を読み、概略だけだというのに、既に涙目だ。裕昌は慌てて地図の画面に戻す。
「ううっ、なんて美しくて悲しい物語なのでしょう……」
「ほらほら、お前は橋を探すんだろ?」
はい、と涙声で頷く玉水。そして、いくつかの橋を示した。
「こことこことここが目星をつけている場所です。
「よし。今からそこに行ってみよう」
裕昌は狐と刀の付喪神を引きつれて、目的地へと向かった。
一つ目、二つ目の橋は探している景色ではなかったようだ。三つ目の橋に一行は訪れていた。すると、当たりだったようだ。
「ここです……!木造ではありませんが、この大通り、川の端にある柳の木、広く浅い川……。彼女と毎日会っていた橋です」
裕昌と黒龍は顔を見合わせて良かった、一件落着。と安堵した。ここから何かがわかるのだろう。だが。
「…………………………………?」
特に何も起こらない。車が通るだけだ。
「えっと、これからどうするつもりなんでしょう?」
「き、きっと姫が迎えに来て事情を語るとか、なにか時空がゆがむとか……」
しかし何も起こらない。狐は満足げに裕昌と黒龍を振り返った。
「やっとここにたどり着けました。彼女が来ないことはわかっていました。さあ帰りましょう」
二人が音を立てて固まった。そして黒龍が笑顔のまますらりと刀身を抜いた。
「主、意気地なしの化け狐など斬ってしまいましょう」
「黒龍、ストップストップ」
そのまま斬りかかってしまいそうな黒龍を、裕昌が制止する。斬られそうな玉水は涙目で慌てて弁明する。
「あわわわ、ち、違うのです。弄んだとかそういう意図は決してなく、ただ、なんとなく彼女が死んでから時が経ちすぎていることは予感していたので、想像通りだったというかなんというか」
「へえ」
黒龍はもはや殺気が隠せていない。裕昌はどうどう、と黒龍をなだめる。なだめながら、裕昌は玉水の方を向いた。
「もうちょっと待ってみたら?黄昏時はもうすぐだし」
「では主のおっしゃる通り、無駄足にならないようにもう少し待ってみましょう。ね?」
「ハイ……」
黒龍の圧に狐の声が裏返る。裕昌は川の土手に向かって歩き出し、いい感じに草が生えているところに腰を下ろした。黒龍と玉水も一息つく。裕昌は何も考えず、ぼーっと水の流れを眺めた。日が傾き始め、明るかった町は徐々に橙色に染められていく。裕昌の脳裏に、昨日と同じ情景が浮かぶ。昨日よりも少しだけ長く、声が聞こえた。
『長生きだったものね……』
『病院には健康だと言われたんだろう』
『裕昌、泣かないで』
「主」
は、と我に返る。隣で黒龍が心配そうにのぞき込んでいた。
「大丈夫、何でもないよ」
そう答えた声も手も、自分でも驚くほど震えていた。黒龍は一言、失礼します。とだけ言うと裕昌にぴったりくっつき寄り添った。
「大丈夫と言えなくなったら、すぐに私か黒音に言ってくださいね」
「……うん。ありがとう」
裕昌は黒龍の心遣いに感謝する。今は聞かないでいてくれている。自分から話すときまで待ってくれているのだ。
しばらくそうしているうちに、陽は完全に落ちてしまった。
「…………やはり遅すぎたんですね」
それまで黙っていた玉水が口を開く。狐には悲しそうな、寂しそうな表情が浮かんでいた。しゅん、と垂れ下がった耳と尻尾が一層悲しげだ。
裕昌と黒龍はどうしたものかと顔を見合わせる。一行は一時帰宅し、黒猫の帰りを待つことにした。
それから、まさかの一週間近くがたった。黒音はその間一度も五十鈴屋に帰ってこず、よって三人は事態を進展させることが出来ずにいた。
裕昌の心配と不安がそろそろ限界を超えるころ、呑気な声が聞こえた。
「ただいまー」
裕昌は帰ってきた少女に詰め寄った。
「お前一体今までどこに言ってたんだよっ!?めっちゃくちゃ心配したんだからな!?」
うー、と声の大きさに顔をしかめる黒音。
「ちょっと追加で情報収集に出かけてたんだよ。なるべく早くこの件を片付けたいしな」
「え。何かわかったのか?」
黒音はこくりと頷く。それが聞こえてたらしい白い狐と黒龍も飛んでくる。
「あの方についてもですか!?」
「ああ。お前たち、聞いて驚け。あせびが鍵を握ってた」
裕昌と黒龍は、思いがけない人物の名前に目を丸くする。黒音がまずは話が長くなるから、と言い、全員居間で腰を下ろした。
「まず最初に会ったあせび曰く、江戸時代に狐が現れる橋がある、という噂があったらしい。ここからはあせびの過去も含めて語らせてもらう」
あせびは昔人間だった。そこそこ有力な大名の娘として生まれ、不自由なく暮らしていたそうだ。そんな中、とある噂を父と長年知り合いの武士が話した。
「おやおやこれは。一の姫と二の姫。どうかなされましたか?」
「
「舞子も聞きとうございます」
きらきらと目を輝かせてせがんでくる姫たちに、ははは、これは困ったなあ。と苦笑する忠則。そこに、父がやってきた。
「町人、商人と仲が良いのだろう?聞かせてやってはくれないか」
「
この時、惟之一の姫、
目が合うと逃げてしまう。そう思った舞子はさっと近くの木に隠れたのだ。しかし、姉の麻子はじっと白い狐を見つめていた。
帰宅してからそのあと、麻子は度々庭先で誰かと話していた。舞子は幼かったこともあり、誰と話しているのか気になって姉に聞いてみた。
「姉上。誰とお話しされているのですか?」
「あら、舞子。あのね、白い狐様とお話ししているのよ」
庭先の茂みにいたのは、橋で見た狐だった。舞子は目を丸くしてまじまじと狐を見る。
「姉上。狐様は喋ることができないのではないですか?」
「いいえ、この方は話すことができる、世にも奇妙な狐なのです」
「初めまして。妹君。私は妖狐なのでしゃべることが出来るのです」
突然人語を話し始めた狐に、舞子は目をさらに丸くする。麻子は悪戯っぽく口元に人差し指を当てる。
「ねえ舞子、このことは父上と母上には内緒ね?」
「はい」
このころから、麻子と狐の密会が始まった。最初は物珍しさから気に入っているのだろうと思っていた舞子だったが、二人の間に興味以上の想いが芽生えていることに気が付いた。
麻子は密会を終えると、舞子に楽し気に語っていた。
「あの方と好きなお花の話をしたの。いろんなお花を知っていて、すごく会話が弾んだわ」
「今日はあの方が着物を褒めてくださったの」
「あの方は少し涙もろいみたい。私が知っている物語をお聞かせしたら、もう洪水のように涙が……」
狐と出会ってから、彼女はとても幸せそうだった。
「私、あの方が好きみたい」
そう言っていた姉の表情がそれはそれは幸せそうで、舞子は少し羨ましかった。
だが、平穏な日常はそう続かなかった。
「突然、陸奥のほうに赴任しなければいけないことになった。家族を連れて行かねばならない」
そう父から告げられた時、麻子の顔はたちまち暗くなった。
「一度下見に行くのだが、二人も一緒に来なさい。お前たちの家への意見も聞きたい」
下見は一週間後決行。二日間行って、再びこの町に戻ってくる手はずだった。
「……舞子、あの方に会ってくる」
そう言って麻子は外に出た。その日、どんなことを話したのか舞子には分からない。
一週間後、陸奥への旅が始まった。舞子は見知らぬ街の物に興味津々で、休憩の度に様々な店を母と見て回る。その際も、麻子は何処か浮かない表情をしていたのだ。
それは陸奥に着いてからも変わらず、彼女の表情が明るくなり始めたのは、陸奥からの帰り道だ。
「もうすぐ帰れる……」
遠い想い人へ思いを馳せるように呟く。彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
その夜。途中父の知り合いの大名の屋敷へ泊り、一晩過ごすことになった。寝床で横になっていた舞子はふと目を覚まし、ばさりと起きた。
「……眠れない」
長旅で疲れているとはいえ、まだここは見知らぬ土地。緊張感が解けないのだろう。そーっと襖を開ける。
「ちょっとだけお散歩くらい……」
そう言って、寝間着のまま庭へ出る。この屋敷のすぐ裏は山であるため、庭にも様々な草木が生えているのだ。少しばかり茂みの方までずんずんと入っていく。ふと、綺麗な花が咲いていることに気が付いた。
「わあ……」
月下美人だった。一晩しか咲かないという珍しい花。宝物を見つけた気分になり、舞子は上機嫌に自室へ戻ろうとした。
その時だった。さっと茂みに身を隠す。
「…………!……!」
遠くのほう、正面門の方から男の人の怒号が聞こえてくる。松明がいくつも灯されたと思うと、たちまち屋敷は修羅場と化した。剣戟の音が聞こえる。女子供の悲鳴が聞こえる。その中には家族の声も混ざっていた。
「いや!やめて!」
「お願い、殺さないで!」
いくつも懇願の声と、断末魔が響き渡る。
舞子は叫びそうになるのを必死でこらえ、茂みに隠れ身を固くした。
このままここに居れば自分も殺されるかもしれない。逃げなきゃ。
ふと、自分が隠れている茂みの少し先に、裏門が見えた。そこに人の気配はなく、舞子一人でも開くことが出来そうな大きさだった。
舞子はなるべく音を立てないよう素早く移動する。そっと門を開け外に出た。先は森だ。
閉じようとしたとき、侵入者の一人が裏門の存在を発見した。
「おい、門が開いているぞ!」
舞子は森の中へ走り出した。小さな体は茂みの中に隠れやすい。山道を外れ、大人が通れないようなところまで進んでいく。だが、侵入者である賊たちは不自然に動く茂みを見逃さなかった。
「あそこだ!あそこに誰かいるぞ!」
舞子は恐怖で泣きだしそうになるのを必死にこらえながら、走る。後ろの追っ手を気にして確認した。
「わぶっ!」
どん、と誰かにぶつかった。こんな山奥に人なんていないはずなのに、誰かとぶつかったのだ。
「大丈夫?」
恐る恐る顔を上げると、そこには綺麗な女の人が立っていた。
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