黒猫と慕情の雨橋 2

 しんしんと。しんしんと。

 今日もまた雨が降る。


*       *       *


 翌朝。今日もまた生憎の雨。黒音は傘をさして、ぶつぶつと文句を言いながら山道を歩いていた。


「こんな雨の日に呼び出しやがって……」


 足元がぬかるんで進み辛くて仕方がない。せっかく裕昌に借りた雨靴もすっかり泥まみれだ。しばらく進むと見知った小屋が見えてきた。水仙堂だ。

 黒音は扉の前で傘を畳むと、ノック無しにがらりと戸を開けた。


「邪魔するぞー」


「邪魔するなら帰れ」


「はいよー。……じゃなくてだな」


 関西の方で有名なコントを行う黒音と水仙。水仙は何やら作業中だ。


「今日はどういう用件だ?」


 黒音は靴を脱いで段差に腰かける。水仙は作業の手を止め、黒音の方へ向き直す。


「ちょっと腕を見せてみろ」


 黒音は左腕を隠す袖を捲り上げた。すると、水仙はメジャーを取り出した。


「え。なにしてんの」


「ふむ。傷は当時のままか。確かにこれだと、腕を取り返して元通り、ということもあるかもしれんのう」


 水仙は一通り何かを測っては書き、傷の様子を見ると、もう良いぞ、と言った。


「痛みはどうだ」


「別に、あんたの薬のおかげでどうってことはない」


 それなら良い、と水仙が頷く。黒音が袖を直しながら、五十鈴屋にいる狐のことを思い出した。


「そうだ。なあ、鈴鳴町にある木造の橋って知らないか?」


「は?」


 突然の質問に水仙は頓狂な声をあげた。


「今家に白い妖狐が住み着いているんだが、橋を探しているそうだ。なんでも待ち人のところに行かなきゃならないんだと」


 水仙は何かを思案するそぶりを見せる。黒音はその様子に当たりか、と期待を寄せた。


「わしはここ最近、六百年くらいは水仙堂から離れておらんからな。はっきり言うがわからん」


 黒音はむすっと不貞腐れた。


「なんだよ。思わせぶりな雰囲気出しやがって。期待して損した」


「人の話は最後まで聞け、このせっかち者め」


 ぴしゃりと水仙が黒音のクレームをはねのける。


「わしはわからんが、あせびなら知っておるかもしれん。よく外にも出かけておるし、なによりあの子はこの町の出身じゃ」


 へえ、それは初耳だ。


「あせびはどこだ?」


「ああ、今なら着物を取りに実家に帰っておるよ」




 時を遡る事、黒音が山道を歩き始めた頃前。あせびは水仙堂よりも更に山奥の、大きな木の前にたどり着いていた。

 大木には大きな洞が空いている。その中には唐櫃や鏡台といった、似つかわしくない調度品が置かれている。

 あせびは大木の幹の脇にある、小さな石が積まれた場所に向かって手を合わせ、一礼した。


「お母さま。あせび、只今戻りました」


 そう一言告げると、あせびは久々の実家を堪能する。

 定期的に帰って掃除をしているため中は綺麗な状態だが、外は太い蔦が這い、様々な植物が増えている。自然豊かになって一層心地が良い。苔むした室内はひんやりとしている。

 唐櫃を開け、着物を数枚取り出す。薄紫の桜模様、黄緑の唐草模様など、あせびは一枚一枚確認していく。全て持っていきたいところではあるのだが、水仙堂にそんな大容量の箪笥はない。あっても薬棚として使われてしまう。

 基本的に虫食いはない。虫食いがあるやつは大体あせび自信が昔から持っていたものだけだ。それは既に小さくなって着れないから良い。後で回収して小物に作り替えるつもりだった。今選んでいるのは鴆の母から受け継いだものだ。鴆毒が染み込んでいるから虫も食べない。遺言で、これらはあせびが好きに使えばいいと言ってくれた。

 あせびは薄紫の着物を羽織って着心地を確かめる。そして、鏡台の古ぼけた鏡で全身を確認した。


「うん。良い感じ」


 ふと、あせびは自分の顔をまじまじと見た。母と同じ髪色、瞳の色。しっかりと確かめて、照れ臭そうに微笑んだ。


「お母さまと一緒……私、なってるかしら」


 あせびは箪笥と鏡台を掃除する。その時に、昔よく耳にしていた言葉を見つけた。文箱に入っていたのはニ百年も前のもの。奇跡的に原形を保っているそれは、誰かに宛てられた手紙だった。


「舞子」


 あせびが懐かしむように目を細める。鴆の母がくれた温もりとはまた別の温かさを思い出す。

 これは、あせびがだった時の名前なのだ。





「そういえば、あいつ元人間だったな」


 黒音とあせびは二百年前出会った。水仙のところに傷薬をもらいに行ったら、ある日突然、顔見知りの鴆が人間を連れて水仙堂へやって来た。それがあせびとの初邂逅である。


「しかし、今思っても人間から鴆になった事例は聞いたことがないけどな」


「わしもあせび以外聞いたことがない。人間から妖怪、ならわんさかいるんじゃがな」


 人間が妖怪になる、というケースはよくある。人間というのは感受性豊かな生き物で、善にも悪にも染まりやすい生き物だ。大抵は死んでから幽霊や髑髏系の妖になるが、たまに鬼や清姫など、稀なケースだがいるにはいる。だが、それらは全て人間の情念が関係しているのであって、種族の異なる系統の妖怪になることはほとんどない。ましてや、実際にいたのではないかと疑われる鴆に人間がなることなど不可能に近い。奇跡の類だ。

 実際、どうして鴆になれたかはわからない。しかし、『よくわからない』という事実が、妖怪を妖怪たらしめるのだ。


「ふん、この世界って都合がいいよな」


「そうじゃな」


 すると、外の方から足音が聞こえた。音からして草履が土を踏む音だ。あせびが帰ってきたのだろう。


「ただいま戻りましたー、って黒音?来ていらしたの?」


「うん。邪魔してる」


 あせびは背負っていた風呂敷をよいしょ、と下ろす。そして、自分も黒音の横に腰を下ろした。


「帰ってきたところ悪いんだが、ここらへんで木造の橋ってあるか?」


「木造?江戸から大正ちょっとまでは沢山ありましたけど、それ以降は全部石造りとか鉄筋でできていると思うんですけどね……」


 やはり昔の時代なのか、と唸る黒音。これではますます場所がわからない。


「どうして橋を探してるのですか?」


「実は……」


 黒音が白い狐と橋を探している理由を話す。あせびは目を丸くして驚くことを言った。


「そういえば昔、狐がいる橋の噂を聞いたことがあります」


「……………………はい?」


 黒音はしばらく思考を停止させた後、勢いよくあせびの肩を掴み前後に揺らす。


「どこだそれ!早くあいつを連れて行かなくちゃならないんだ!」


「くくく、くろねー、あんまり揺らさないでくださーい」


「早くしないと裕昌の膝があいつの場所になるんだ―っっっ!」


 本音を叫んですっきりしたのか、黒音は我に返った。咳払いをして仕切りなおす。


「あたしの個人事情は置いておいて、その橋どこにあったかわかるか?」


「私も実父の仕事で途中で移住したので、確かかどうかは保証できませんが……それと……」


 黒音はその続きを聞いて剣呑な表情を浮かべた。




 一方その頃、五十鈴屋では画面上の地図とにらめっこをしている裕昌と玉水がいた。ノートパソコンを机の上に広げている。そこに、お茶とペット用の皿に入れた水、御茶請けの菓子を持った黒龍が合流した。

 

「少し離れている間に随分変わりましたね……」


「どのくらい離れてたんだ?」


「100年ほどでしょうか……、行方知れずになってしまった待ち人を探して少し遠くの方まで出歩いておりましたので」


 玉水はそう言いながら地図をまじまじと見る。裕昌が知っている限りでは、ここら辺は一回区画整理があったはずだ。昔と同じ道もあれば、道がなくなっている場所もある。残念ながら、重要な歴史資料の古地図は無かったので玉水の記憶だけが頼りだ。だが、二百年前のことを鮮明に覚えているはずもなく。


「うーん、ここらへんにあのお屋敷があって……、あ、でもこっちにあった気がする……」


「主、だめですこの狐」


「だめだこりゃ」


 黒龍と裕昌が一抹の不安を覚える。これは黒音の情報収集結果に頼るしかなさそうだ。何とか思い出してもらおうと、裕昌は違う角度から質問を投げかけた。


「じゃあ、その待ち人っていうのはどんな人だったんだ?」


 すると、待ち人のことを思い浮かべているのか玉水は幸せそうに微笑む。


「はい。あの方はとてもお優しくて、髪が美しいのです」


 絶世の美女、とは言えないが、醜女ではない。大名家の一の姫でとても活発な少女だった。世にも奇妙な白い狐を優しく迎え入れてくれたのは、彼女だけだった。

 そう語る玉水。そこまで聞いて裕昌はあっ、と声を上げた。


「主?」


「どうされましたか?」


 黒龍と玉水が首をひねる。


「思い出した!玉水って名前をどこで聞いたか」


 裕昌は目にも止まらぬタイピング速度で何かを検索する。


「これだ。確か一度大学入試か何かで見たんだよ」


 画面上に映し出されたのは『玉水物語』のあらすじだった。

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