黒猫と呪いの刀 2

 光が眩しくて、顔をしかめながら目を開ける。昨日の体の重さや苦しさが嘘のように消えていた。


「……黒音が治してくれたのか」


 隣で無防備に寝ている黒い猫を見る。この寝方だけ見ればただの可愛い猫だ。

 ひっくり返っている姿はとても愛らしい。裕昌はそっとお腹を撫でた。


「ありがとな、黒音……」







「だーかーらー!今日はじっとしてろ!


「え、いやでも店の手伝いあるし……」


「今日ぐらいはあの二人に頼め!お前は病人なんだぞ!?」


 朝からこんなはずではなかったのに。裕昌はそっと嘆息した。目覚めた黒音と朝の挨拶をかわし、店の手伝いに向かおうとした時だった。黒音の制止の声が響いたのだ。

 そこから今の騒ぎに発展している。周りには騒ぎを聞きつけた妖たちが見守っている。


「いいか裕昌!昨日あったことを終始全部話してみろ!」


「ええと、店番してたら上木さんがやってきて、あの刀を持ったら意識失って、凄く苦しかったけど黒音が助けてくれた」


 ん?何か抜けている。裕昌はそう思ったが、何かまでは思い出せない。


「そうだろ!?苦しかったんだろ!?しかもあたしに助けを求めるくらい!」


「う、うん……」


 まくしたてる黒音の圧に裕昌は押される。黒音の勢いは止まらない。


「あたしがいなかったらお前は完全に死んでたんだからな!そんな重症だったのに店番!? 笑止!」


「ぐ……」


「分かったらとっとと寝てろーーーーー!!」


 完全敗北。裕昌の負けだ。黒音は憤慨してふんぞり返っている。裕昌はその迫力に押されて大人しく布団に戻った。


「じゃ、あたしはあの刀の事調べるから、大人しくしてろよ」


「うん」


 黒音は周りにいた妖達を一睨みする。


「お前ら!裕昌見張っとけ!」


『は、はいぃ!』


 そう一言放つと、黒音は部屋を出た。

 実際のところ、裕昌の状態は本当に危なかった。後何分か遅れていたらあの世に行っていたかもしれない。裕昌に流れる黒音の妖気が同調して、黒音に危険信号が伝わったのが幸いだった。

 例の刀はというと、一応大人しくしているが、いつまた暴走するかわからない。

 黒音は刀の様子を見るため、階段を降りていった。昨日、一昨日と近辺を騒がせたあの妖刀は、何事もなかったかのように鎮まりかえっている。


「さて。一応あたしの妖力で抑え込んでおくか。……こういう時に陰陽師とか頼るべきなんだろうな」


 しかし、大抵の場合陰陽師から見て妖怪は滅すべき敵である。黒音が結界などの防御術に特化していればそんな必要はないのだが、生憎、攻撃型の妖であるため封印などは難しい。

 たしか、近所に陰陽師を生業としている家系が一つだけあったか。


「これでよし、と。……上木家の事、調べに行くか……」


 上木家とこの刀の使用者の間に何らかの諍いがあったことは確かだ。裕昌の夢や、証言から、使用者が女であることは確実だろう。

 黒音は、人には視えない人身を取ると、上木家へ向かう。


「あの周辺には昔からいる妖怪たちもいたっぽいしな」


 黒音は屋根と屋根を飛ぶように渡りながら、五十鈴屋から遠ざかっていく。





 裕昌は黒音が出て行ったあと、暫く首を傾げ、唸っていた。


『どうなさったのですか?裕昌様』


『相談に乗ってやってもいいぞ』


『ぼ、僕たちも力になりたいよ……?住処、荒らされちゃったし』


 侍の霊、鼬の妖怪、一つ目小僧の順で口を開いた。


「いや、なーんか忘れてる気がするんだけど……」


 昨日上木が再び訪ねてきて、何故か飛び出していったはずの刀がその手にあって、どこか様子が変だと思ったら自分も頭痛を覚えて、思わず刀を手に取って意識を失った。

 何もおかしいところはない。だが、何か忘れている気がして引っかかる。

 裕昌はそっと嘆息した。黒音と出会うわ、五十鈴屋の妖怪たちに何故か興味を持たれるわ、妖刀に取り憑かれるわ、ここ最近、妖類の事しか関わってない気がする。


「なあ、俺って霊とか寄せるオーラとか、発したりしてる?」


 そう疑問を口にすると、一つ目小僧がびくびくしながら答える。


『え、と……、多分、裕昌は優しくて、感受性が強いから、とくに、悪霊とか、地縛霊とかは、共感してくれる人の方に寄っていく習性が、あるから、裕昌のところに寄っていくんだと思うよ……?』


「感受性、か……。確かに感動系とかには弱いけど……」


 ぼんやりと感動系のアニメで号泣した昔のことを思い出す。そういえばアニメやゲームに没頭していたからか、学生時代はよく肩こりに悩まされてたっけ。


『ああその肩こり、多分俺達』


「原因お前らかよ!?」


 思わぬ原因発覚に、突っ込む裕昌。一方の妖達は、けろっとしたものだ。

 じゃあ、あの不調の原因はこいつらだったのか。


『まあ、あまり妖に同情や共感などはなさらない方が良いでしょう。大抵のものが人間には手に負えないものでございますから』


 侍の霊が真剣な顔をして裕昌に忠告する。


『そーそ。俺達だって人間と同じように、優しくされたら嬉しいんだぜ』


 鼬の妖がうんうんと頷きながら言う。裕昌は彼らの言葉を聞いて、ひとつ思った。

 お前らも、妖だよな。

 今こうやって仲良くしているのは問題ないのか、と。


『簡単に言えば、適度な距離で付き合いましょう、ってことだ』


『あ、我々は裕昌様を使って復讐を果たしてやろうとか思いませんから、ご心配なく』


 仲良くしてください。と侍の笑みが語っている。万が一そんなことがあれば、黒音が問答無用で斬りに来るだろう。

 

 今度は、絶対―――――――――。


 刀に身体を蝕まれ、苦しんでいる間に聞こえた黒音の声がふと蘇った。今度は、とはどういうことだろうか。知らない間に出会っていたりするのだろうか。

 いや、そんなことは無い。あのように綺麗な黒猫を見かけていたら、記憶に残っているはずだ。それとも、妖の姿の時に出くわしたのか。それに、何故、自分の霊力とやらは黒音の妖気に同調したのか。いずれにせよ、裕昌の胸中によぎる思いがあった。

―――こんな自分のどこがいいのだろう。

 そんなことを考えて、裕昌はぶんぶんと頭を横に振った。マイナス思考になると良くない。陰の気とやらが溜まって不吉なことが起こる。と漫画やライトノベルでよく描かれているではないか。


「……いい加減、この厨二病思考もどうにかしないとな……」


 現実に目を向けたいところなのだが、いかんせん、非現実的なことが目の前で起こっているのだから仕方ない。


 裕昌は時計を見た。昨日のこともあって、起きたのはいつもより遅い。もう昼時になろうとしている。今日の昼ご飯はどうしようかと悩む。先日の素麺がまだ残っているのだ。 

 裕昌の祖父母の実家は奈良にあるため、毎年木箱で素麺が届く。「三輪そうめん」と呼ばれる有名な物なのだが、特に葛入りのものがもちもちしていて絶品なのである。ここの老夫婦はどうやら三輪そうめんがお気に召したらしく、週一の頻度で食している。いや、このくらいのペースで食べないと五十鈴家では消費できないのだ。

 しかし、正直なところ、普通の素麺では食べ飽きてしまう。故に、素麺を使ったレシピを考えるのがこれまた大変なのだ。


「じゃあ、ちょっと昼ご飯作ってくるよ」






とは言ったものの。


『『『じ――――――――――――――』』』


こう凝視されるとやりにくくて仕方ない。


「お、お前らなあ……」


 思わず白菜を切るリズムが乱れる。それがほかの食材でも続き、具材を切るだけで時間がかかってしまった。因みに、今日のメニューはあんかけ皿うどんならぬ、あんかけ皿そうめんだ。


「ひろくん?あなた、休んでていいのよ?」


「昨日倒れたんだから。ゆっくりしてなさい」


 一仕事終えた二人が入ってくる。そういえば二人は、裕昌が刀に乗っ取られそうになっていたことなどは微塵も知らないのである。


「大丈夫だよ。貧血で倒れただけだから」


 そう誤魔化したものの、裕昌は自分の言った内容に少し苦しいものを感じていた。実際に乗っ取られる感覚を味わった裕昌としては、明らかに貧血とは言えないものだったと知っているからだ。貧血は貧血で危険なものなのだが。


「あら?そういえば黒音ちゃんは?」


「あ、えーと、俺の部屋で寝てる」


 飼い猫は外に出してはならない、という世の中でさすがに外に出かけてる、とは言えない。今度首輪でも買うか、と思う裕昌だった。黒音は嫌がるかもしれないが。


「黒音、ご飯いらないのか……?」


 お昼時になっても帰ってこない黒音を案じながら、裕昌は猫用のフードを保管している棚を開けて、気付いた。未開封だったはずのおやつが開いている。週に一本、と約束しておいたはずの液状のおやつ。昨日の一本で一ストック分は消費した。一週間後に開けるはずだったもう一ストックの袋が、開いている。しかも二本ほど足りない。


「……っ、あんのっ……」


 裕昌の肩が小刻みに震えている。すう、と大きく息を吸った。


「黒音えええええっっっっ!!!!!!!!」





 ちゅー、と液状のおやつを吸い、口に咥えながら、片手でぱらぱらと書物を捲る黒音。猫用にしては、なかなか美味しいおやつである。

 ゆえに、黒音は最近これにはまっていた。お気に入りはやっぱりマグロだ。だが、人の姿でそのおやつを食べているのは、違和感がある。


「やっぱり、最近の事は記録してないか……」


 ぽい、と積み重なった書物の山の上にまた一冊重ねる。上木家の倉庫に籠ってはや三時間。これといった収穫はない。刀の所持者や上木家との関係について。様々な資料を読み漁っているが、どれも江戸~大正前期の物ばかりだ。

 黒音が前回上木家に訪れた時、刀が刺さったような跡のある部屋があった。そこには上木家の当主らしき老父がいたのだ。彼は見たところ75か、それ以上だろう。つまり、昭和以降に生まれた人だ。そして、女がらみの問題で、相手がこれほど恨んでいるようなものを抱えているとすれば、少なくとも18歳以降、ざっくり見積もれば15歳以降だろう。これらはあくまで妖である黒音の推測だが。


「流石に前世の話まで持ち込んでこられるとなあ……、所持者はよっぽどの執念深い人物か、それとも」


 自分と同じ妖か。

 妖怪と人間の生きる時間はあまりにも違いすぎる。妖怪にとっては、人間の一生など花が咲いて枯れるようなものだ。交わるときは一瞬で、普通は忘れ去ってしまうような関係である。稀に、共に過ごす時間が長いものもいるが。

 黒音は、そこまで考えて息をついた。


「……所持者は人間っぽいな」


 あれほどの呪いにも似た恨みを見たことは無い。情が深く、強く、そして心が脆い。人間とはそういう生き物だ。

 黒音は昭和期の資料を探そうと棚に手を伸ばした。その時、パサリと手帳の様なものが落ちた。


「? なんだこれ」


 拾い上げ、積もっていた埃を払ってみると、綺麗とは言い難い字で「■記」と書いてあった。字がかすれて読めない部分もある。


「日……記、か?誰の……」


 一ページ目を捲って、黒音は黙った。そこに書かれていたのは、1960という数字。ここに来て重要な情報が得られそうだ。黒音は黙々と内容を読み始めた。もう一本のおやつを傍らに置きながら。









 夕日が差し込む五十鈴屋、裕昌の部屋。そこで黒音は、正座していた。目の前には腕を組み、仁王立ちしている裕昌がいる。


「毎週一本。の約束だったよな?」


「ううううう…………」


「約束を破ったらどうなるか分かってるよな?ということで、二週間『にゃーる』禁止!」


「やだあっ!」


「やだあ、じゃないっ!太るぞ!」


 『にゃーる』というこの万能おやつ。世間では手軽な猫のおやつとして親しまれているが、いかんせん、食いつきが良すぎて管理が大変なのである。食べ過ぎれば、俗にいう「でぶ猫」になってしまう。

 それはそれで可愛いのだが、黒音には健康体でいてほしい。

 むすう、とふくれっ面になっている黒音。

 可愛い。

 しかしその可愛さに惑わされまいと、ぐっと耐える。


「悪いことしたら?」


「…………ごめんなさい」


「よし」


 こくりと頷いて、黒音の頭を撫でる。相変わらず黒音の頬は膨れたままだ。


「ところで話を変えるが、裕昌。あの刀の事が少しわかった」


 今までの穏やかな雰囲気から、真剣な物へと空気が変わる。黒音の声音も、少し低くなる。裕昌も腰を下ろし、話を聞く体勢を整える。

 黒音は古びた手帳を差し出した。


「ここに少しだけ書いてあった」


「なっ……!お前、どっから持ってきたんだよ!?」


「明日返す」


 しれっと手帳が盗品であるという事を告白する黒音。しかし、まじめな表情を崩さず続ける。

「1960年、5月。駅で、彼女と出会った」





 1960年、5月5日。駅で、彼女と出会った。美しい■だった。きっかけは、彼女の落としたハ■カチを■けたことだった。


 5月11日。再■彼女に出会った。名を聞けば、■山 桜■というらしい。


 5月■6日。桜■と待ち合わせをした。■をするうちに、私■は親密になっていた感じがする。■■も、彼女と約■している。


 5月■■日。彼女の■顔が頭か■離れない。これは■った。


 6■■日。傘を■していたにもかか■らず、彼■は濡れていた。何故■■ているのかと聞くと、貴■が来る■が遅いから、と■われてしまった。


 6月13日。今日は彼女、来なかった。


 6月2■日。今日も■なかった。


 7月7日。今日も■■■■■。


 ■月■■。私は、■われたのだろうか。


















 1969年、3月21日。結■した。妻の立花は■やかな人だ。


 4月9日。あの■と同じ駅に、桜■がいた。ひどく■せていた。


 4月■■日。夢見がひどい。


 4月2■日。ま■同じ夢を■り返し見■いる。


 ■■■■。■■■■、家■■■■■■。刀■■■■た。何■、■■■■■■■■■。









 すまない。











 ぱたんと、黒音は手帳を閉じた。裕昌が眉を寄せてううん?と首を傾げる。


「ちょっと待て。多分、夢の通りだと刀の持ち主……日記から多分、女の人だと思うんだが、どうして女の人はこの持ち主を襲ったんだ?見た感じ、そんな深刻そうには思えないけど」


「それは当事者しかわからん。だが、女性の名前に山と桜が入っていた。だいぶ絞れるんじゃないか?」


「それは……明日、本人突撃取材とか言わないだろうな……」


 恐る恐る聞く裕昌に、黒音はにっこりと笑みを浮かべていた。


「よくわかってるじゃないか。察しの良い主人でよろしい」


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