黒猫妖奇譚ー主人と猫の奇妙な契約ー

胡蝶飛鳥

第1話 黒猫と呪いの刀

黒猫と呪いの刀 1

 電源をつけ、パソコンを起動させる。ヘッドフォンとマイクの調子を確認。録画確認。このシリーズもかなり増えてきた。水を一口飲み、息を吸う。週末唯一の楽しみがこれだ。


「皆さんどーも!t@cです。今日も前回の続き、やっていきましょう」


 t@cこと、この男の名は五十鈴裕昌。巷ではそこそこ名の知れたゲーム配信者だ。今までは毎日のように配信、投稿をしていたが、最近は頻度も落ちてきている。

 それも、人に言えない理由があるのだが。

 今起動させたのは、5VS5のチーム対戦バトルだ。RPG要素も組み込まれているため、中々やりがいがある。


「くっそぉ、あの敵どこいったんだ全く……」


 キーボードを叩きながら交戦する。敵の隠れ方がかなり上級者だ。突然出てきた敵に、裕昌は思わず叫んだ。刹那。


「おわああああっ!?……ぶっ!」


 唐突な後方からの衝撃に、裕昌の顔面がキーボードにめり込んだ。画面には「GAMEOVER」の文字が表示されている。


「うるせえな!猫の気持ち考えやがれ、このやろう!」


 きゃんきゃんと甲高い声が耳に突き刺さる。視界の隅に黒い毛玉が動いている。


「お前な……そんな荒々しい言葉使うなって、いつも言ってるだろ。あと蹴飛ばすなよ」


「猫は耳が良いんだから、もうちょっと静かにできねえのかよ」


「だから言っただろ。隣の部屋に居とけって」


「あの部屋胡瓜まみれじゃんか!無理ったら無理!」


 そういえば、隣の部屋は親戚から送られてきた、胡瓜やらトマトやらが山積みにされていたか。

 黒い毛玉、いや黒猫は激しく首を横に振っている。こんな風に猫が会話していると、そのまま二足歩行しそうな気がしないでもない。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 裕昌は数日前の出来事を思い出した。








 裕昌は生粋の動物好き、猫好きである。生まれた時から猫が隣にいつもいたのだ。その愛猫も今は寿命で旅立ってしまい、その後中学、高校、大学、就職と忙しかったため猫を飼う余裕が無かったのだった。

 しかし大学も無事卒業し、雑貨屋の仕事にも慣れ、趣味でゲーム実況動画を投稿し始めてから裕昌は思った。猫と暮らしたい、と。そこで、近くの保護猫カフェに寄ってみることにした。


「いらっしゃいませーおひとり様ですか?そちらの方で消毒お願いします」


 笑顔で明るく接客をしてくれる店員さんにはとても好感が持てた。丁寧な猫カフェだな、と思いつつ中に入るとたくさんの保護猫がいた。

スコティッシュにアビシニアンに三毛猫、ここは天国だ……などと思っていると、ふと、黒い猫に目が留まった。


「もう……くろちゃん、またそんなところに……」


 毛並みのよい黒猫で、一番高い窓のところにいる。その光景を見て、いや、高いところに猫がいるのは普通じゃ……と思っていたのだ。だが、その猫がこちらを見たかと思うと、窓から降り、近づいてきた。その時、裕昌はあっ、と声が出そうになった。その黒猫は、左前脚が無かったのだ。


「この子、病気か何かなんですか?」


「いいえ?保護した時からすでに片前足が無かったんです。それも、足を失くして経ってるみたいで……」


 へえ、と相槌を打ちながらその黒猫をまじまじと見た。じーっと見つめ返してくる。

そして、手に身体を擦り付けてきたのだ。裕昌の心の臓は見事に射抜かれ、ぐはあ、と仰反る。


「あら、珍しい。この子全然人に懐かないんですよ」


 店員が不思議そうに黒猫を見ている。


『何そのツンデレさ…反則だろ…』


 黒猫の可愛さに惹かれた裕昌は、一緒に暮らしたい、と衝動的に思ったのだ。

 そこからは早かった。キャットタワーに猫用の皿、餌、トイレ、などなど、必要なものは実家から、ペット用品店から買い集めた。

 そして、いざ共に暮らし始めると、全くと言って手のかからない猫だった。愛嬌もあり、ダメだと言われたことはしない。聞き分けが良すぎるような気もするが、賢い個体なのだろう。

 「黒音」という名前を付けて、さて1日が終わる。

 そう、ここまでは全く問題ない。





 だがその夜。事件は起こった。

 やけに物音がすると思い、ふと目を開ける。

 ああ、いつもの天井だ。

 そう思ったが、何か違う。その手前に何かいる。

 女が、じっとこちらを見つめていた。


 まずい、身体が動かない。


 四肢の末端が冷えていくような感じがした。本能が、これはいけないものだと警鐘を鳴らしている。黒音は何処だ。助けに行かないと。

 その時。


「失せろーーーーー!」


 甲高い声と共に裕昌の目の前を、細い光が通った。

 恐る恐る目を動かすと、透けた女が三又に分かれた棒のようなものに貫かれ、壁に縫い留められていた。これはたしか筆架叉とかいったか。確か下のオカルト資料館にも展示してあった。

 反対側に視線を移動させると、獣耳の生えた少女がそこにいた。黒い髪を左耳の上で一つに結い、右腕の袖がない和服っぽいものを着ている。


 ちょっとまて、誰だ。


「ふん、この家結構出るな」


 少女が見渡すと、辺りには男やイタチや子供が浮かんで集まっている。それが視える。裕昌は硬直していた。


『え?俺って霊感あったっけ?いやいや、今まで見えてなかったし、何なんだこれは!?』


「ここは私の寝床だあああああ!」


 脇差の刃が霊を一掃する。瞬く間に霊が消えていく。少女は脇差を収めると、壁に刺さった筆架叉を抜き取り、腰帯に差した。

 思わずベッドから転げ落ちた裕昌は、まじまじと少女の出で立ちを見る。黒い髪、黒い獣耳、不自然に垂れ下がっている左袖、エメラルドグリーンの瞳から少女が何者であるかを悟った。


「…………………………………黒、音?」


「あ、裕昌?何やってんだその格好?ってか、視えてんのか?」


 見た目とそぐわない口調で首を傾げる。裕昌はと言うと、まだ硬直したままだった。


「あー……私の妖気と同調したか。やっぱり」


「黒音?」


 黒音が困ったように後頭部をかりかりと掻く。


「たまにいるんだよなあ、霊力が妖気と同調して急に視えるようになる奴」


「黒音ええええええええ!」


「ぐえっ」


 裕昌は情けない声を上げて少女、基、黒音をむぎゅうっと抱きしめた。


「ううっ、無事でよかったあ……」


「――――っ!痛い苦しい暑苦しい!離せ!」


 じたばたとあがく黒音だが、大の大人に片腕だけでは歯が立たない。顔を押しのけたり、ローキックをしたりしているのだが、それどころではない裕昌は離す気がない。

 その夜の後の記憶は全くない。








 それが数日前の出来事である。よくよく考えれば、人間の言葉が分かるんじゃないかというほど、聞き分けの良すぎる猫だとは思っていたのだ。妖系の猫ならば納得がいく。

 裕昌は翌朝落ち込んだ。もう二十代後半に差し掛かろうとしている良い大人が、涙を浮かべながら情けない声をあげ、少女に抱き着くという醜態を見せてしまったのだから。


「黒音、結局お前は何なんだ?やっぱあれか、妖怪とか物の怪とかか」


 黒音は不機嫌そうに尾をぴしりと振って答えた。


「私は猫又だ。昔は人も食べてたし、あ、そうそう。私を殺したら七代まで祟るからな」


 牙をキラリと光らせて、にたあ、といかにも悪者の様な笑みを浮かべる。


「えっ、じゃあお前今何歳?」


「レディに年齢聞くなよ…。まあ私は400年は生きてるかな」


 400年。裕昌は学生時代の授業を思い出した。確か四百年前といえば、1600年あたり。関ヶ原の戦いがあったころだ。ということは、江戸時代の妖怪なのか。


「じゃあお前、関ケ原の戦いとか、徳川家とか見たのか!?」


「はあ?見たけどくだらない人間の戦なんて覚えてるもんか」


 後ろ足で首をかりかりと掻くと、黒音は裕昌の方に寄っていった。


「そろそろ昼ご飯だろ。ご飯―。」


「はいはい。じゃあカリカリとささみな」


 裕昌が一回の台所へ降りていくと、雑貨屋の店長であり、資料館の館長である老夫婦が湯呑片手にくつろいでいた。この老夫婦は裕昌の遠い親戚で、居候させてもらっている。


「あら、ひろくん、もう『げいむじっきょう』は終わったのかしら?」


「今日はやり直すよ。昼ご飯にゅう麺でいい?」


「お前のにゅう麺は絶品だからなあ。それがいい」


 この二人もかなりの高齢で、家事と仕事の両立が難しくなってきているのが実は居候を許可した理由だとか。二人とも動物は好きなようで、黒音の事も可愛がっている。

 ピンクの猫皿にカリカリと呼ばれるキャットフードを入れ、ささみをまぶす。

 そして自分たちのにゅう麺を盛り付け、付け合わせの胡瓜とトマトのサラダを運んだ。


「ほら、黒音」


「ん。どうも」


 なお、この黒音の声は老夫婦には全く聞こえていない。


「黒音ちゃんはおしとやかで可愛いねえ」


「目もクリっとして、べっぴんさんだよ」


 にゃーん。


 かわいらしく鳴いているが、これが裕昌には、


「そりゃそうよ。猫又界でもかなりの美人だからな」


 と、聞こえるのである。なんとも複雑な心境だ。

 黙々と昼ご飯を食べていると、玄関の方からチャイムが鳴った。お客さんかしらね、そうつぶやくと媼は、よいしょ、とおもむろに立ち上がり、店の方へ出ていった。

 裕昌はさっさと食べ終えると、行儀よく手を合わせ「ごちそうさまでした」と言うと、シンクに食器を入れ、媼の手伝いに向かう。


「じいちゃん、食器は置いといて」


 そう言って戸を開けると、媼が、刃物を持った男と対面している。


「ちょ、ばあちゃん!」


「ひろくん、手伝いに来てくれたの?ありがとうねえ」


 媼はいつもの調子でにこにこと笑っている。


「はじめまして、君が居候してる子か。驚かせてすまないね。私は上木だ。よろしく」


「彼はこの刀をあの資料館に寄付したいそうよ」


 えっ、と裕昌は絶句した。てっきりあの資料館の展示物は老夫婦の私物かと思っていたが、どうやら違うようだ。というか、強盗じゃなくて本当に良かった。


「げ、なんだその禍々しい刀は」


 黒音がいつの間にか傍らにいた。レジ兼ショーケースの上に飛び乗り、まじまじと刀を見ている。


「黒音ちゃん、危ないわよ」


「上木さん、この刀、どういうものなんですか?」


「ああ、これはうちの実家から出てきたんだけどね、もう古くて錆びてるし、使えないから寄付しようと思ってね」


 黒音は匂いを嗅いだり、近くで見たり、そわそわしている。


「これ、人とか斬ったり、呪いの材料に使わなかったのか?普通にしてりゃこんなに禍々しくはならないだろ」


 何か分からないが、これは禍々しいものらしい。

 裕昌は視えて聞こえるのって、こんな苦労するんだな、などと埒もないことを考えていた。


「じゃあ、こっちで預からせてもらいますねえ」


「よろしくお願いします」


 上木は一礼すると、店を出ていった。黒音は不満そうに刀を見ている。


「裕昌、絶対夜は近づくんじゃねえぞ」


「え、なんで?」


「近づいたらお前の身が危険だ。だから絶対だ」


 黒音はエメラルドグリーンの目をらんらんと光らせ、険しい顔をしていた。猫又のいう事だから多分本当だろう。こんな険しい顔をする黒音は初めて見た。


「じゃあ、お前も早く中入ろうか」


 裕昌はひょいと黒音を持ち上げると、中に入っていった。媼は資料館の方へ行き、入り口付近のテーブルに刀を置くとその場を離れた。資料館入口の戸をしっかり施錠し、中に入っていった。

 刀から発せられる気には誰も気付かずに。



朝撮れなかった分の動画を撮影し、編集作業は深夜二時までかかった。やっと布団に潜れる。そう思い伸びをした。ふと、黒音の姿が無いことに気が付いた。


「?黒音?」


夜はあまり起きていたくない。特に霊やら妖やらが多く、視えてしまうからだ。


「黒音は何処かなー」


 隣の部屋や、老夫婦の部屋をそーっと覗くが、どこにもいない。暫くそうして廊下をさまよっていると、階段の方から黒音が上ってきた。


「まだ寝てなかったのかよ。寝不足は体に毒だぞ。早く寝ろ」


「お前、どこ行ってたんだ」


黒音は大きくあくびをすると、面倒くさそうに答えた。


「下だよ、下」


「なんでまた下なんかに」


「気分転換。月の光でも久々に浴びようかなって」


「ふーん……」


 あー眠い。と呟きながら自分の寝床に向かう黒音。裕昌は不思議そうに黒音を見つめていた。どうしてだろう。黒音の周りになにか霧のようなものが付いている。それと黒音がどこか疲れているように見えた。


「月の光なんて、見えないけど」


 裕昌は黒音の後を追って自分も布団に入った。





*       *        *

 




『…………………る、…し………る、こ…し……やる……』




――――――――――殺してやる!




*        *       *




 苦しくて目を覚ますと、エメラルドグリーンの一対の目が間近にあった。目の前の美少女に裕昌は思考を停止させた。


「え、と……これは一体どういう状況で……?」


 少女の眉がピクリと動いたかと思うと、出し抜けに思い切り頬を引っ叩かれた。


「いってえ!?」


 じんじんと赤く腫れた頬を抑えながら、裕昌は飛び起きた。


「何すんだお前!?」


「目つきが別人だった。お前、魅入られたな?」


 魅入られた?誰に?何に?


「夢、どんなの見たんだ?呪いか?怨念か?嫉妬か?なんだ言ってみろ」


「………………………殺してやるって、言ってた」


 黒音は小さく舌打ちした。やっぱりか。


「はあ……面倒臭いもの持ちこんで来てくれたな、あの男」


 猫の姿に戻った黒音は、伸びをすると裕昌を顧みた。


「今日も下には来るなよ」


「お前な、理由を教えてくれよ。忘れて黒音を探しに行くかもしれないだろ」


「……簡単に言うけどな、裕昌。これだけは忠告しておく。命に関わる問題になる可能性が高い件だ。何も知らない方がいい時ってのもあるんだぞ。それでもお前は聞きたいか?」


 黒音の声音にうっと詰まる。やはり黒音は妖なのだと実感する。


「う、ん。じゃあやめとく」


「よろしい。万が一お前が巻き込まれたら、それはちゃんと話すから。巻き込まれなかったらそれで終わる話だ」


 なるべく巻き込まれないようにしようと決心する裕昌であった。





 古くからお土産や、日用品の雑貨などを扱っている「五十鈴屋」は地域から出土した歴史あるものを受け入れ、展示する資料館と併設している。近所では「もののけ資料館」とも呼ばれるくらいには有名だ。何に使われたか分からない割れた能面、どこからともなく出てきた土器や副葬品、時には、蔵から出てきたお札やら壺やらが持ち込まれることもある。

 裕昌は普段から薄気味悪いな、と思っていたのだが、視えるようになってからは全く近づかないことにした。

 あの建物だけ、霊や妖の多さが尋常ではない。一つ目小僧や、イタチの妖怪、侍の浮遊霊。その他にも鞠のような妖怪や、最早靄のような形がわからない妖怪など、種類も数もかなりいる。そして声も聞こえるのだから騒がしいことこの上ない。


「本当にこの家すごいな……裕昌、お前よく平気でいたな」


「前は霊感も全くなかったから気にしてなかったんだよ」


 ちらりと扉の方を見る。もののけ館と五十鈴屋を隔てている一枚の扉に、何人(匹)か、霊が引っ付いている。


『猫又だよ、猫又』


『へえ、珍しいな』


『裕昌も俺たちの事視えてるみたいだぜ』


『じゃあ、一緒に遊んでくれるかな?』


『一緒に蹴鞠したいな!』


『人間の遊びも教えてほしい!』


 蹴鞠て、いつの時代だよ。と胸中で突っ込む裕昌。


「あいつらは、別に害ないんだよな?」


「ん?別に害はないし、ここの古株みたいなやつらだから仲良くなろうと思えばなれる」


 ちらりと霊や妖怪たちをみると、興味津々な様子で目を輝かせている。

 そんな目で見られても困るのだが。


「そういえばあの刀、どこ置いたんだろ?」


「一番奥のショーケースに仕舞ったって、ばあさんが言ってたぞ」


 あの刀、何故かとても気になる。何気なく、裕昌は資料館の方へ視線を滑らせた。





*         *        *



 金切り声と、怒声と騒ぎ喚く声が聞こえる。

 憎しみ、悲しみ、苦しみ、妬み、怒り、恐怖。

 負の感情全てが混在しているような。



「…してや…!殺してやる……!絶対に……!」


 どうして?

 どうしてどうしてどうしてドウシテどうして――――――


 血飛沫が上がる。障子にも壁にも紅い鮮血が散る。

 そして目の前で怯えている男と女に向けて、刀を振り上げた。


*        *       *



 飛び起きると、冷や汗をぐっしょりと掻いていた。まだあたりは暗い。鼓動が早鐘を打ち、全身に響くほどうるさい。やけに寒く、思わず腕をさすった。


「……っ、夜中まで編集してるのが悪いのか……?」


 夜中まで編集して体調を崩したなんて知られたら、笑われる。しかもたかが夜中の二時くらいまでで。

 のどの渇きを覚え、暗闇の中、階段を慎重に降りる。キッチンに向かうと、冷蔵庫を開け、中から水の入ったペットボトルをだす。生憎、温かい飲み物は無かった。水を飲むと、心なしか心身ともにすっきりとした。黒音の忠告通り、一階にあまり長居してはいけないと思い、階段を上がろうとしたその時。

 きいん、と金属音がした。


「な、何の音だ?」


 ひたり、と冷たい廊下を歩く。どうしてか、何かに吸い寄せられているような感覚を覚えた。

 一歩、また一歩。


 え?


 意に反して体は何処かへ向かって歩く。店内に通じる扉に手をかける。開けようとした瞬間。


『スト―――――――ップ!!!!!!!!』


「わあああああああああああっ!?」


 目の前に昼間の妖たちがぎゅうぎゅう詰めに迫っていた。


「なっ、何だお前ら……」


『ここからは立ち入り禁止!裕昌は絶対に入っちゃダメ!』


『命が無くなるかもしれませぬ。お引き取りを』


『絶対に入れるなって、あの黒毛玉が言ってたもん!』


「おいこら小妖怪ども、だれが黒毛玉だ」


 ひゃあ、と声を上ずらせた妖たちの肩が跳ねた。どすの利いた声の方を見ると、人身を取った黒音が仁王立ちしていた。


「裕昌、一階には来るなって言ったよな」


「喉渇いたんだから仕方ないだろ。また悪夢見たし……」


 黒音は一つ嘆息した。どうもこの男は霊やらなんやらに好かれる体質なようだ。今まで視えていなかったことが不思議で仕方ない。


「ところでさ」


「ん?」


「さっきから鳴ってるこの音、何?」


「何の音だ。何も聞こえないだろ」


「この、きいん、っていう音」


「だから何の音……」


 ふと、黒音が押し黙った。猫耳が外側に向き、所謂イカ耳になっている。

 しばらくすると、きいん、という音が大きくなるにつれ、何かが震えだす音が鳴りだした。


 きいん…… きいん……


 小妖怪たちも不思議そうに、しかしどこか警戒している。すると、唐突に静寂が訪れた。刹那。


「全員伏せろ!」


 黒音が叫んだすぐ後に資料館の窓と扉のガラスが全て粉々に吹き飛んだ。何かに斬られたような形をしたガラスの破片が次々と飛んでくる。

 黒音と裕昌は袖で顔を覆い隠し、自分の身を守る。 

 資料館の方から、長細い影が飛び出ていくのが見えた。

 静寂が戻ったことを確認して、裕昌は恐る恐る顔をあげた。辺りにはガラスの破片が散乱しており、人が歩ける状態ではない。


「げ……ガラスの修理代が……」


 裕昌は修理代の総額を想像してさあ、と青くなった。一枚あたり一万五千円と考えると、今割れているのは七枚。つまり十万円とちょっとはかかるという事だった。

 さすがに理由が理由なだけあって、店の利益から修理費を出すわけにはいかないので、自分のお小遣いから出そうと決めた裕昌であった。


「くそっ。あの刀、どこ行きやがった」


 黒音が渋い顔をする。

 あれを野放しにするわけにはいかない。あれは妖刀だ。人に害を与える前に取り押さえなければ。

 黒音は突っ伏している小妖怪たちを見ると、何かを思いついたらしく、にやりと笑った。


「おい小妖怪ども」


『はいいいっ!?』


「お前達、この猫又様の役に立たないか?」




 翌朝、裕昌は老夫婦に土下座して謝った。俺に関係してこうなりました。理由は聞かないでください。と床に頭をこすりつけて謝罪した。

 散らばった破片は裕昌が責任をもって片付けていた。どうしてか黒音や小妖怪たちは留守にしており、裕昌一人だった。


「前はこんなに静かだったんだもんなあ……」


 そう呟くと、ふと寂しさが込み上げてきた。


「そうだったよ。俺は昔からぼっちだった。青春とは程遠い学生生活を送ってたんだよ。ちくしょう。リア充が憎い」


 ぶつぶつと独り言を言っていると、店の入り口に誰かが立つ気配があった。視線を投じると、そこには上木と見知らぬ女性がいた。


「上木さん?どうしたんですか?」


「裕昌君。いや、あの刀はどうなったかと思って、ね」


 歯切れの悪い上木に違和感を覚える。その隣の俯いている女性を見る。真っ黒な長い髪を下ろしており、雪のように白い肌だ。それが映える黒いワンピース。生憎、顔までは髪に隠れて見えなかった。


「大丈夫ですか?」


「……実は、これが……」


 上木が差し出した細長いもの。裕昌の背筋を悪寒がはしる。見たことがあるフォルム。一昨日辺りに、同じように持ってこなかったか。


「こ、れ……」


「朝、目が覚めたら祖父の枕元に刺さっていたんだよ。刀身が剥き出しで」


 刀身が剥き出し。その言葉に裕昌は息をのむ。明らかに殺そうとしていたという事か。


『……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………してやる』


 ふと、脳内に響く声があった。男か女か分からない、ぼやけた声音。


『絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に、―――――――――――――――――――――ーーー殺してやる』


 怨嗟の声が、響いて響いて、鳴りやまない。声がはっきりとしてくる。やけに近くから。


「ひとまず、これを受け取ってくれないかな」


 頭痛を覚え、こめかみを抑えている裕昌を、何とも思っていないような上木の声が聞こえる。これが早く終わるなら、と受け取った。



 流れ込んできた。

 これは黒い霧か、靄か。その奥にうっすらと浮かび上がる情景。

 人間二人。恐れ慄く姿。


 ―――殺してやる。

 ―――どうして。


 ―――……た……からに……い―――――


 

 二人分の声が重なる。片方は消えそうなほど朧げなことだけは分かった。

 走馬灯のような、瞬きほどの出来事だった。

 裕昌の意識が深淵に沈む。その視界の隅で、血の涙を流しながら、女が嗤っていた。

 裕昌が刀を持ったまま倒れると、糸が切れたように上木もその場にくずおれた。







 一方、小妖怪たちを引き連れ、とある邸を調査している黒音。人には視えない人身の姿で枕の隣に何かを突き刺したような跡を調べていた。畳の匂いの中に鉄が錆びた匂いと、もう一つ。


「血、か……」


「黒猫~!ここの付喪神たちに聞いたぜ~」


 奥からやってきたのはイタチの妖怪だ。


「なにかあったか?」


「どうやら数十年前に修羅場があったみてえだ」


 でた。女の情念は恐ろしいとか言うパターン。黒音は渋い顔をする。


「やっぱりか。んじゃあ、あの刀は人斬ったんだな」


「多分そう」


 ふう、と嘆息して招集をかける。


「五十鈴屋の奴ら、帰るぞー」


 ふと、身体が激しく脈打った。まずいと、本能が警鐘を鳴らしている。


「裕昌……!?」














 体が鉛のように重い。瞼を開けるのも一苦労だった。吐く息がいやに熱を帯びている。


『…………!…………!』


遠くの方で誰かが呼んでいる。複数の声が聞こえる。


「………さ!」


 複数の声より、はっきりと聞こえる声が一つ。自分しか聞こえない声。

 そんなに耳元で叫ばなくても聞こえてる。いつもは大きい声を出すなと言っているくせに。

 霞んだ視界に黒いものが映る。頬を押しているやわらかい感触が伝わる。


「……ね…」


 伸ばす手の動きは緩慢だ。息苦しさが相まって思考もままならない。

 苦しい。じわじわと己の内が侵食されていくような感覚が蠢く。その不快感と徐々に四肢の感覚が失われていく。

 死ぬ?いや、生きたまま傀儡になる?

 よくわからない。今は、考える力もない。


「…たす……て……」


 どうしてか、自分が自分でなくなっていくような恐怖に駆られていた。











「裕昌!」


 黒音が猫の姿で叫ぶ。頬をむにむにと肉球で押してみるが、目覚める気配がない。後ろでは、黒音の声が聞こえない老夫婦と上木という男が話している。


「二人とも入り口で倒れてたのよ。上木さんが起きてくれて本当に助かったわ」


「すまんなあ、目覚めたばかりだというのに、ひろを運んでくれて」


「いえいえ、私も自分がなぜ意識を失っていたか……それも、五十鈴屋の前で……。裕昌くん、早く良くなるといいですね……」


 そのまま老夫婦は上木を見送るつもりだろう。


「黒音ちゃん、ひろくんのこと、よろしくねえ」


 黒音はにゃんと一鳴きし、裕昌の方を向いた。


「くそっ。あの刀、よりによって裕昌の身体を乗っ取るつもりか……!」


「……ね…」


 裕昌がかすれた声で黒音を呼ぶ。名前を呼ばれ、黒音が顔を近づける。


「裕昌!大丈夫か!?」


 虚な目が黒音を見る。裕昌の手が黒音の頭に触れる。


「…たす……て……」


 助けて。その言葉に黒音が頷く。


「絶対助けてやるから」


 裕昌は、どこか安堵したような目をすると、また瞼を落とした。


「今度は、絶対に……離れないから……!」


 黒音の手に力がこもる。裕昌の息が浅い。

 だが、まだ間に合う。彼と結んだ縁は、黒音の妖力とも繋がっている。

 出ていけ。裕昌はあたしのものだ。あたし以外の妖になんて、くれてやるものか。

 裕昌の中に流れる縁を頼りに、自らの妖力で妖刀の力を押し出す。もちろん妖刀も無抵抗ではない。力が拮抗してくる。なかなか厄介な相手だ。

 だが、黒音には譲れない理由がある。

 遠い昔に、今度は絶対に助けると、自分に誓ったのだ。

 黒音の妖力が、妖刀を弾き出した。





*        *        *


 殺してやりたいと思うほど、憎んでいた。

 殺してやりたいと思うほど、恨んでいた。

 殺してやりたいと思うほど、妬んでいた。

 殺してやりたいと思うほど、羨んでいた。

 裏切られて、心も身もずたずたに切り裂かれて、泣きはらして。

 どれほど負の言葉が出たか分からない。


 それで


 この刀で、終わらせようと思った。

 


*        *        *



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