黒猫と慕情の雨橋 6
「つむぎ……!」
裕昌は霧の中から現れた、かつての飼い猫に駆け寄る。そしてしっかりと抱きしめた。
思わぬ出来事に黒音と黒龍、あせびは呆気に取られている。しばらくすると、もう一つ声が聞こえた。
「あせび」
あせびはその声が聞こえると、笑顔で駆け寄った。その人影はあせびを優しく包み込んだ。
「お母さま!!」
死者がやってくる。死者が会いにやってくる。黒龍ははるか向こうのほうに、かつての主を見つけ、微笑んだ。呪いの刀事件で一悶着合った彼女だが、どうやら無事渡れていたらしい。
「お母さま、あせびは今一人前の鴆に、一人前の薬師になろうと頑張っています!」
「もう、この子ったら。たまには息抜きしなきゃダメよ?」
「わかっております」
あせびは幼子のように無邪気に笑顔を浮かべる。あせびはずっと、鴆になれたことを母に報告したかったのだ。そうびは愛おしそうに自分と同じ色の娘の髪を撫でる。
一方、裕昌はこらえようとは思っていたが、涙が溢れだす。
それが、辛くて優しい思い出の所為なのか、再会できたことへの喜びのものなのかはよくわからない。
あれからたくさん思い悩んだ結果、たった一つの後悔があった。
「あのとき、ちゃんと言えなかったから。会えてよかった」
最早雨か涙か分からないが、雫を拭い、鼻を赤らめて裕昌は微笑んだ。
「今までずっとありがとう。俺の家に来てくれて、ありがとう」
ずっと、別れの時にそう言えなかったことを後悔していた。
つむぎがいなくなって、知ったのは寂しさだった。今までは彼女がいるだけで、こんなにも満たされていたのだと気付かされた。
つむぎは、気にするな、とでもいうように、裕昌の目から零れた涙を舐めた。三毛猫の瞳はとても穏やかだった。
徐々に霧が薄くなっていく。つむぎは裕昌の手から離れると、なおん、と一鳴きした。
裕昌は手を振る。ふと、東の方が明るくなっていることに気が付いた。空が白んできた。
そうびも、あせびと別れの言葉を交わし、霧の中に消えていく。つむぎは最後に黒音の方を向いて、尻尾を揺らした。
「……弟を任せたってか」
そして、三毛猫の姿も消え、あれほど深かった霧はあっという間に晴れた。優しく振っていた雨は止み、代わりに陽光が町を照らす。
「帰ろうか」
裕昌は残った涙を拭い、黒龍と黒音、あせびに笑いかける。その顔は何処か吹っ切れたように清々しかった。
「主、よい顔です」
黒龍は満面の笑みで主人を褒める。あせびも満足げに歩き出した裕昌と黒龍の後を追う。
ふと、黒音がついて来ていないことに気が付く。
「黒音?」
黒音は、霧が微かに残る橋を見つめている。裕昌たちには後ろ姿しか見えないため、表情はわからない。
『……やっぱり、会えないんだな…………』
やっと振り向いた黒音は、裕昌たちに追いつく。
「さ、帰るぞ。お腹すいた」
「雨で濡れたし、暖かいお茶漬けでもいい?」
「マグロのせで頼んだ」
「そんなのあるわけないだろ」
裕昌は言葉を交わしながら、気になった。
少しだけ先を歩く黒音の背が、やけに寂しそうだったことに。
裕昌たちが去って誰もいなくなった橋。土手に生えている大きな柳が青々とした葉をつけて揺れている、その下。
二つの人影が一部始終を覗いていた。
「まったく。これじゃあ俺の仕事が減るのも頷けるな」
「ああ、そういえば蠱毒のときもいつの間にか解決してたんだっけ」
くつくつと喉の奥で笑う。笑われた人物はむっと不貞腐れる。確かに自分の知らないところで勝手に解決していた。依頼主は金だけ渡してもう大丈夫だから、と追い返した。
「でも、あいつがまさか妖怪を引き連れているとは意外だな」
「なんだ。知り合いなのか?」
「まあな。……五十鈴裕昌か……」
それだけ呟くと、二つの影はまだ人気のない道を歩いて行った。
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