黒猫と呪いの刀 6

*        *        *

 目が覚めたとき、暗闇の中にいた。覚醒する前のフワフワとした感覚。自分の居場所が未だ定まっていない。そんな中、小さな声を聞いた。

 ニクイ。ウラヤマシイ。イトシイ。

 誰の声だろう。知らない、いや、知っている。眠っている間に聞いた、幾つもの声の中の一つ。

 

『―――――――その声、応えてやろう』


 畏ろしい声が、そう言った。


*       *       *






「……?どうした?」


 青年の心配そうな声が聞こえる。


―――――――――――――――忘れるな。


 何を。


――――――――――――――心を許すな。


 何故。


―――――――――――復讐するのだろう?


 どくん、とまた一つ脈打った。ただ、嫌な兆しであることはなんとなく察した。

 青年が近づいて来る。

 その時、自分に良心という物があるのなら、それが働いた気がした。


「っ!?裕昌!離れろ!」


 黒音が叫ぶと同時に、裕昌は妖刀に突き飛ばされた。

 裕昌はその衝撃で、尻を強打する。何が起きたのか理解できず、妖刀のほうを見た。

 隣に駆け寄ってきた黒音が、明らかに警戒心を剥き出しにして、臨戦態勢に入っている。


「様子がおかしい。あいつの妖気、どんどん膨れ上がってるぞ」


 今までの妖刀とは異質な妖気がそこら中に広がっている。先ほどの状態よりも、禍々しさが格段に上がっていた。

 妖刀は苦しそうに藻掻いている。


「すごく、苦しそうだけど……」


 裕昌は、その場の妖気に呑まれかけていた。禍々しすぎる。今まで視えたことも感じたこともなかったのに、この空気に本能が警鐘を鳴らしている。全身が粟立つような感覚、血の気が引いていく四肢の末端。言うまでもない、裕昌の体の拒否反応だった。


「これは……妖刀と別の力か……?」


『それに、この妖気……』


 黒音は何処か感じたことのあるような妖気に疑問を覚える。ふと、ピリピリと肌を刺すような感覚が襲ってきた。脇差を握る右手を見る。刃が何故か震えていた。


『ああ、そういうことか』


 脇差を握る手に、力を入れる。その刹那、妖刀の妖力が爆発した。


『―――――――――――!!!!!!』


 声にならない叫びが耳朶を打つ。荒れ狂う風に、裕昌は飛ばされまいと必死に踏ん張っていた。その裕昌の前に、黒音が歩み出る。


「黒音?」


 黒音が纏う雰囲気が普段のものとも、先ほど戦っていたものとも違っていた。血の涙を流しながら凝視する妖刀に、脇差の切っ先を向ける。


「まあ任せろ」


 そう一言いい残すと、黒音は再び妖刀と刃を交わし、交戦し始めた。先ほどの戦いとは桁違いに素早く、そして激しい。裕昌は眼前の光景に息を呑んだ。人間同士では決して起こり得ない一進一退の攻防戦。何より驚いたのは、先ほど押されていた黒音が、妖力が増大した妖刀に押し負けていない、いや、黒音が完全に押している。

 エメラルドグリーンの瞳が激しく煌めいている。刀がぶつかる金属音が激しくなっていく。一回、二回、三回と音が鳴るたびに、徐々に黒音の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

 妖気がぶつかり合い、さらに荒れ狂う風と化す。裕昌は顔の前に腕をかざし、何とか黒音と妖刀の姿をとらえていた。


「なんっ……!?この風、やば……!」


 裕昌が思わず呟く。二人の戦いは激化する一方だ。これでは上木家や周辺の家まで吹き飛びかねない。よくよく目を凝らすと、老父が部屋の中で柱に必死にしがみついている。本来ならば、助けにでも行きたいところだが、一歩足を地から離してしまうと、確実に塀にたたきつけられる。

 黒音が押しているはずの戦いは、しかし妖刀も疲れを見せていない。それどころか消耗すらしていないようだった。

 延々と続く戦いに終止符を打ったのは、ただ一筋の陽光だった。乃ち、朝の訪れである。

 それに気づいた黒音が笑みを消し、妖刀との間合いを取るために妖刀を力任せに押し切った。


「この力は浄化の炎」


 暴風の中で音が遮断されているはずなのに、凛と響く声は確かに裕昌の耳に届いた。黒音の纏う妖気が変質し、揺らめく炎へと形を変えてゆく。その炎は脇差に集中する。


「燃え尽きろ。軻遇突智の焔ーーーー!」


 脇差を一振りする。それと同時に発せられた妖力は紅く燃え上がり、妖刀を吞み込んだ。

 抵抗空しく、妖刀は炎に巻かれる。今まで纏っていた禍々しい気が、炎に剝がされていく。

 全て剥がしきると炎は空へと消え、女の姿も消えただの刀だけが落ちる。力を失った妖刀と、黒音、裕昌、少し離れたところにいる老父がその場に残った。

 黒音が妖刀の戦意喪失を認めると、黒音も力の解放を止める。完全に普段の気量に治まった黒音の体は、ふらりと傾いた。


「―――っ」


「ちょっ、危ない!」


 地面に打ち付けられる寸前で、裕昌が黒音を受け止める。淡い光が黒音を包んだと思うと、腕の中の少女は、渋い表情をした黒猫に変わっていた。


「くそ……力使いすぎた……」


 黒猫の顔に疲労困憊と書いてある。ぐでえ、と裕昌の腕の中で液体のように力を抜いた。まどろみの中、遂に黒音は意識を手放した。置き去りにされた裕昌は、すやすやと寝息を立てる黒猫と、何メートルか先に落ちている刀とを交互に見た。


「お、終わっ……た?」


 こうして妖刀事件は幕を閉じた。




 裕昌は黒音と妖刀を回収し、上木家の老人に謝罪を済ませた。操られてたとはいえ、老父からしたら裕昌は「命を狙っていた怖い人」のままである。


 「本当にすみませんでした!」


 裕昌が深々と頭を下げる。老父は少し驚いた様に目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。先日訪れた際に怯えていたあの老人と同一人物とは思えないほど、穏やかな顔だった。


「構わんよ。こちらこそ私情に巻き込んでしまってすまなかった」


 老父の視線が、まもなく昇ってくる日の光に向けられる。目を細めた理由は眩しさだけだろうか。


「……今思い出しても、実に優しく綺麗な人だった。それ故、惜しいことをしたものよ……」


 静かに呟く老人のひとりごとを、裕昌は黙って耳を傾けていた。老父の表情は詳しくはわからない。あの女性はきっと成仏したのだろう。これで地縛霊などという悲しい存在にはならないはずだ。

 小さな出来事から始まった恋。恋慕は時を重ねるごとに深くなり、少しのすれ違いで生まれた小さな負の情。

 それがこの妖刀の事件につながった。あの妖刀も、この老父も、あの女性も誰も悪くない。


「もうすぐ五時だ。君ももう帰りなさい」


「はい。では失礼します」


 もう一度深々と一礼すると、裕昌は上木家を後にした。体が限界だ。徹夜は学生時代によくしていたのだが、ここ最近は規則正しい生活を送りすぎている。

 歩きながら睡魔が時々襲ってくる。裕昌の中で、朝食を作った後二度寝をすることが決定した。

 よたよたと一匹の黒猫と一振りの刀を抱え、五十鈴屋への道を歩いていくのだった。





 翌日。


「誰も悪くない?んなわけあるか」


 不機嫌そうな声が裕昌の斜め後ろのほうから聞こえる。椅子に座っている裕昌は後ろのほうを振り向かずに疑問を口にした。


「誰も悪くないだろ?」


「お前、大分脳内補正されているらしいから言うけどな。まずあの二人、なんで連絡先交換してなかったんだよ。それがあれば今回の件はなかったんだぞ」


「そんなこと言っても過去のことだし……」


 まあ確かに。と言わざるを得ない事実なのは変わりないのだが。黒音がさらに続ける。


「それに。……あの妖刀、詳しく話を聞けば付喪神になった経緯がまた別にあるらしい」


「……え?」


 黒音の声がふと変わった。何か思案しているような、警戒しているような声音をしている。裕昌は椅子をくるりと回転させ、黒音のほうを向く。


「それって、あの女性以外に付喪神になった原因があるってこと?」


「ま、大雑把に言えばそうなる。それが妖刀自身の意思かどうかはともかく、な」


 やけに含みのある言い方をする黒音に首をかしげる。これもまた時が来たら教える、と言われるのだろうか。すると、先ほどからの剣呑な雰囲気から一転して黒音は首元をかりかりと掻く。


「ま、気にするな。そういうこともある」


「いや、お前の言い方からしてめっちゃ気になるんだが」


「この件は気にしたら負けだぞー」


『今はまだ。様子見の段階だからな』


 黒音が呑気に答える。裕昌はむう、と納得のいかない顔をしたが、自分の作業のほうに戻った。パソコンのキーボードをたたく音が響く。

 裕昌が五十鈴屋に戻ったのは朝の五時を過ぎていた。3キロほどの重さがある猫の姿をした黒音と、1キロの打ち刀を抱えながら帰るのは、引きこもっている裕昌からすればかなりの重労働だった。特に黒音に関しては眠ってしまっているため、心なしか普段より重かったのだ。

 そこから2時間ほど睡眠をとり、7時ごろに朝食を作り終えるともう一度睡眠をとったのだ。 ちなみに黒音はあれから朝の10時になるまで起きてこなかった。


「あの妖刀はどうなったんだ?」


「ああ、あの時炎で妖力を削るだけ削ったから、暫くは戦うこともできないだろうさ」


 ふーんと、裕昌が返す。黒音は裕昌が何をやっているのか気になりだし、そわそわし始めた。ひょいと、裕昌の膝の上に乗り、机の上をのぞき込む。


「で、お前は何やってるんだ?」


「ああこれ?じいちゃんとばあちゃんと話してたんだけど、アルバイトでも雇おうかなって。その求人ポスター制作中」


 パソコンの画面を見ると、和風なフォントに黒猫の絵が描いてある。うまいとは言えないが、猫の特徴は一応掴めているイラストだった。


「おい、これ誰だよ」


「なんか味気ないかな~って思って、黒音のイラスト自分で描いて載せた。フリー素材でも良かったんだけど、著作権とか引っかかるの面倒臭いから自分で描いたんだけど、どう?」


「もうちょっと美人に描けよ」


「十分可愛いだろって」


「なにおう!?五十鈴屋の看板娘だぞ!目はきゅるんっと!髭はきりっと!」


「はいはい。看板猫ね」


 そうして裕昌は黒音の要望に応えるべく、イラストの猫の目を可愛くし、髭を付けるのに約半日かけて修正していた。




『俺らも混ざろうぜ』


『裕昌の力になれるかな……?』


『楽しそうですね。行きましょう』


 五十鈴屋に住む妖たちが裕昌と黒音に混じる。和気あいあいと裕昌のパソコンの画面を見て談笑している一方で、扉のあたりから部屋をのぞく影が一つ。白いワンピースを身に着け、黒い髪がはらりと落ちる。

 ひっそりと、刀の付喪神がどこか羨ましそうに覗いていた。



第一話 完

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