第2話 騎士に憧れる少女


 数日後、リゼスはリノに呼び出されていた。

 死ぬ思いで今日の仕事を終わらせ、駆け足で先日掃除した訓練場へと急ぐ。と、もうすでにそこにはリノともう一人、銀髪の少女が立っていた。


「えっ」


 思わず立ち止まってしまう。その表情には色濃く困惑が浮かんでいる。

 なぜ、あんな人物がこんな場所にいるんだ。踵を返して逃げようとも一瞬考えたが、それはあまりにも失礼だと気付き、リゼスは足を引きずりそうなほど重たい足取りで向かう。


「あっ、来た来た。ごめんね、急に呼び出しちゃって」


 訓練場へと足を踏み入れれば、リノが真っ先に気付いて片手をあげる。


「いえ、こちらこそすみません、遅くなってしまって」

「気にしないで。私が急に呼び出したんだから」

「……えっと、私はどうして呼ばれたのでしょう? それに……」


 チラリとリノの隣に立つ少女に目を向ける。

 煌めくような鋼の鎧に片手剣を下げ、目を引くほどの美しい容姿をしたその彼女は、この騎士団でいるものであれば誰でも知っている人物――シーリ・ヴァレニアスだった。

 現騎士団長であるライズ・ヴァレニアスの長女であり次期騎士団長と期待される天才騎士である。無論、リゼスも彼女に憧れている一人だ。


「そうだった。まぁ知っているとは思うけれど、こちら我が騎士団が誇る天才騎士のシーリ・ヴァレニアス。今回は、この前話した魔法薬の改良版ができたからそれの実験のために呼んだの」

「初めまして、シーリ・ヴァレニアスと申します。今日はよろしくお願いします」


 アクアブルーの瞳を細め、凛とまっすぐな声で丁寧にお辞儀をしたシーリに釣られるように、リゼスは急いで頭を下げた。


「リゼスと言います。その、こ、こちらこそよろしくお願いします!」


 たどたどしく紡がれる言葉に、シーリはどこか優し気な眼差しを向けた後、リノへと視線を向ける。その視線が僅かに鋭さを帯びていることに気付いたリノは大げさに両手を上げる。


「リノ、貴女はいっつも突発的なのですから……」

「まぁまぁ、リゼスを驚かせるのは楽しいんだって。シーリもきっとこの楽しさをわかる日が来るって」

「まったく……そんなだから、部下がいつも苦労するのですよ」

「えぇ、そんなに言わなくてもいいのにー」


 あきれ顔で苦笑を浮かべるシーリ。リノはそんな彼女を見ながらカラカラと笑う。すっかり置いてかれてしまったリゼスはどうしたらいいのかわからず視線を泳がせる。

 まさか、次期騎士団長と期待される彼女とこうして挨拶を交わそうなど、今でも信じられない。もしやこれは夢で、目を覚ませばいつもの日常が戻ってくるのではと考えてしまう。


「……リノ、そろそろ始めた方がいいのでは」

「おおっと、そうだったそうだった」


 リノは近くの置いていた小箱に近づくと、そこから数本の小瓶取り出しそれをリゼスへと差し出した。意味が分からず首をかしげる。どうしてこちらに差し出すのだろうか。

 改良版ができたと最初に言っていたのでてっきりシーリが使い、なんの幸運か、その実験を見せてくれるのかと思っていたのだが……


「えっと、どうして私に?」

「ん? だって、これ使うの貴女よ?」

「はい?」


 間抜けな声を漏らせば、リノは不思議そうに首をかしげる。


「だって貴女――短時間であれば剣を使えるでしょ」


 してやったりという表情で言うリノの言葉に、リゼスは大きく目を見開いた。

 どうして、そんなことを知っているのか。確かに、リゼスはどうしても騎士になるのが諦められなくて時折、訓練用の剣を夜中にこっそり、心臓に負担がかからない程度にセーブしつつではあるが振るうことはあった。まさか、それを見られていたというのだろうか。

 ちらりとシーリの方を見れば彼女は事前に聞いていたのか特にこれといった反応を見せることはない。リゼスは余計に意味が分からなかった。

 なぜなら、彼女はただの雑用係だ。確かに騎士団で騎士以外の人間が武具を身に着けることは禁止されているというわけではないが、騎士たちはいい顔をしない。そのため武具は整備や片づけ以外の時には触らないというのが雑用係の中では暗黙の了解となっている。


「……私は雑用係です。武器は握れません」

「そんなルールあったかしら?」

「いえ、ありませんね」

「そうよね。それに今、この魔法薬を使えるのリゼスだけだし」


 間髪入れずに二人は逃げ道を塞ぐ。リゼスはぐぬぬと口を引き結ぶ。

 どうあっても、目の前の二人は自分に剣を持たせて実験する以外の道は認めないらしい。こうなっては仕方がない。心臓が持つだけ頑張るしかない。どっちみち、自分よりもずっと尊い騎士の命令を断るなんてできるはずないのだから。


「……わかりました。私の実力でどこまでできるかわかりませんが」

「ふふ、貴女ならそう言ってくれると信じてたわ。じゃあ、シーリ、相手役よろしく」

「はい」

「え?」


 再び、リゼスは間抜けな声をあげる。すると、彼女が口を開く前にリノが耳元に口を寄せる。


「これはチャンスよ。貴女、騎士になりたいんでしょ」

「――なっ」


 ニヤリとリノはそう言って肩を叩く。

 騎士になりたいという諦められない気持ちを彼女は知っていたのか。リゼスは恥ずかしいやら、彼女にそこまで気を使わせてしまったことに申し訳なく思いつつも、彼女の言う通りこれはチャンスだった。うまくつかみ取れば本当に騎士にしてもらえるかもしれない。


「……シーリ様、よろしくお願いします」


 グッと口を引き結び、リゼスはシーリを見つめる。シーリは「こちらこそ」と答え、小さく微笑んだ。






「では、勝ち負けなし。リゼスの限界まで打ち合うということで。リノ、それで問題ありませんか?」

「ええ、それで大丈夫よ。リゼス、貴女も絶対に無理をしないように。少しでも体が辛くなったらすぐに言うのよ」

「わかりました」


 シーリと向き合ったリゼスは腰に下げた剣の入った鞘に手を当てながら頷く。

 本当に信じられない。まさか、まさかこんなことになろうとは。手が震え、心臓の鼓動がいつもより早い気がする。


 深呼吸をして気持ちを整える。

 こんなチャンスはめったにない。同時にリゼスは興味があった。騎士になるために、育ての親に反対されながら師匠の下で鍛えた剣はシーリにどこまで通用するのか。そして、自分の心臓は今、どの程度の負荷に耐えられるのか。


 渡された小瓶をすぐ使えるように、腰のベルトに取り付ける。このためにわざわざ、リノが作ったベルトはリゼスにピッタリだ。

 グッと息を吸い込み、顔を上げる。目の前に立つシーリはもうすで準備万端のようで、まっすぐな視線がリゼスを射抜く。


「いつでもどうぞ」


 その言葉が合図だった。リゼスの纏う空気ががらりと変わって鋭い戦意を帯びる。それはまるで一本の抜身の剣のようなそれに、シーリは警戒心を持って戦闘態勢をとる。

 鞘から剣を引き抜く。ギラリと輝くそれにリゼスの心臓がドクリと高鳴る。熱い炎のような血液が体をめぐる。


「では――!」


 両手で剣を握り締め、踏み込む。息を吐くとともに距離を詰めたリゼスは上段から斜めに剣を振り下ろす。空気を切り裂く力を持ったそれをシーリは自分の剣で滑らすようにいなす。

 リゼスは軽く目を見開くと、両腕に力を込め横なぎに払う。シーリは咄嗟に背後へと飛んでその一撃を躱す。音もなく着地したシーリは感嘆の声を漏らす。


「剣はどこで習いました?」

「幼いころに私を助けてくれた騎士に」

「その方は」

「2年前に死にました」


 それ以上は聞くなと言うように、リゼスは軽く飛び上がってシーリへと剣を振り下ろす。捻りも加えた一撃を受け止めたシーリの顔が僅かに歪む。


「すみません、嫌なことを聞きました」

「いえ」


 シーリが軽く腕を動かし剣を弾く。リゼスは中空で体勢を整えて着地すると、剣を構えなおす。

 たったこの打ち合いで、リゼスは彼女がとんでもない強者だということをその身をもって理解する。正直言って勝てる気がしない。そう思わせるほどに彼女の動きには全く隙が無かった。


「早速使うか」


 ベルトに装着した小瓶を手に取る。淡い緑色のそれを軽く振れば瓶の中で軽く風が渦巻いたように見える。リゼスはその小瓶を剣の刀身へと叩き付ける。

 パリン、と軽い音を立てて中身の液体はまるで布にでも液体を零したかのように剣に吸い込まれていく。すると淡い緑色に発光した剣を取り巻くようにそよ風が渦巻く。


「……3秒」


 剣に魔力が充填されるまでの時間を計っていたリノはメモを取ると、静かに頷く。リゼスは小さく頷き返すと、再びシーリをまっすぐに見つめた。


「では、行きます。正直、魔法剣は使ったことが無いのでどうなるかわかりませんが」

「ええ、全力で振るって構いませんよ」


 その言葉に頷くと同時に、リゼスはその場で剣を振るう。もちろん、剣では到底届かない間合いのまま。だがしかし次の瞬間、剣に満たされた風の魔力が見えぬ刃となってシーリへと襲い掛かる。それは、人の体をバラバラにするなんて容易なほどに鋭い。

 シーリはあえてその風の刃へと突っ込むと、目にも止まらぬ速さで剣を振るう。そうすれば、風の刃は切り裂かれたようで、彼女を避けるように地面だけを切り裂く。


「魔法って斬れるんですね」

「剣に魔力を流せばできないことではありませんよ。ただ、かなり鍛錬が必要になりますが」

「リゼス、シーリの言葉鵜呑みにしちゃだめよ。魔法なんてそう訓練したぐらいでは斬れないから」


 リノが口を挟んでいる間も、リゼスは刀身に宿る魔力が尽きるまで風の刃を飛ばし続ける。基本は致命傷となる部位、撹乱するためにフェイントなど甘い攻撃も加えてみたが、シーリはすべて防ぐ。

 その剣技は見事の一言であった。無駄のない動きはまるで川の流れのようだ。リゼスは彼女の素晴らしい動きに舌を巻く。


「……ならば」


 赤い液体の入った小瓶を取り出し、風の魔力が尽きると同時に剣へと叩き付ける。そのまま、一歩踏み込みシーリへと接近すると、レイピアのように切っ先を突き出す。


「――っ!」


 剣先が赤みを帯びる。シーリは受け止めようとして咄嗟に横へと飛んで距離を取る。そして、その判断は正解だったと空気を歪ますほどの熱気を纏った剣を持ってこちらを見るリゼスを見てシーリは強く思った。


 ゴゥと真っ赤な炎が剣を包み、空気を歪ます。その熱量は持ち主であるリゼスに容赦なく襲い掛かる。


「これは、かなり……魔力が強いですね。持ち手にまで熱が伝わってきます」


 熱いはずなのにどこか心地よくも感じるそれに気分を良くしながら、リゼスはリノを見る。リノは真剣な表情で剣が纏う魔力を観察しながら少し楽しげに答えた。

 

「うまく制御できているみたいでよかった、それには少し多めに魔力を入れておいたの」


 ずっと握り締めていると火傷しそうなほどのそれにリゼスはフッと息を吐く。まぁ、火傷をする前に魔力が尽きる方が早いだろう。


――ズキン。


「……っ」


 駆け出そうとした一瞬、心臓にピリッとした痛みが走り抜ける。リゼスは“もうなのか”と、胸の内で舌打ちする。だが、あと少しだけ、あと少しだけでいいからこの楽しいひと時に浸らせてほしいと自分の心臓に願う。

 柄を力いっぱい握り締め、シーリを見据える。ゆったりと脱力したように構える彼女に、隙らしい隙を見つけることはできない。おそらく、どんな攻撃方法を取っても彼女は防いでみせるだろう。

 本当に強敵だ。それがどうしようもなく心を高鳴らせる。こんなこと初めてだった。剣を握ってこんなに楽しいと思ったことなんて。


「シーリ様、私はこの一撃にすべてを込めます。なのでどうか、受け止めてくれませんか」


 まっすぐな瞳にシーリは目を見開く。そして、スッと目を細めると来いと言うように剣の切っ先を軽く動かす。


「では、行きます」


 大地を踏み抜く勢いで駆け出す。


「ハァァァァアアアアアアアッ!」


 縦真っ二つに切り裂かんとリゼスは剣を振り下ろす。炎を纏ったそれは受け止めようと躱そうと何かしらのダメージを与えることができるだろう。


 だが、やはりと言うべきか相手はそう甘くなかった。


「はぁっ!」


 カツンという軽い音が響く。


 あっさりと弾き飛ばされた剣が、リゼスの手を離れて地面へと落ちる。

 いったい、何が起こったのか……リゼスはわからなかった。剣を振り下ろしたはずだった。なのに、それは叶わず、剣は淡い炎を纏ったまま地面に転がり、まるで燃え尽きるようにその光を弱めていく。

 リゼスは剣を振りかぶった威勢のまま、しばらく動くことができなった。少し考えれば、彼女の剣に弾かれたという答えは導き出せたが、リゼスは彼女が剣を振るったところすら見えなかった。脳裏をかすめる“完全なる敗北”という言葉。


 剣を鞘へと納めたシーリはフッと小さく微笑む。

 その次の瞬間、リゼスの心臓が大きく跳ねる。顔に熱が集まって彼女の顔を見ていることができなくなってしまう。


「素晴らしい剣技でした」

「え、あ、ありがとう……ございます」


 心の底からシーリはリゼスを称賛する。

 彼女の剣はそれほど素晴らしかったのだ。今の騎士団に彼女と同等の剣技を見せられるものを、彼女は数人しか知らない。

 だからこそシーリは悔しく思う。ここまで素晴らしい剣を持っているのに心臓という枷によって騎士として人々を守ることを許されない彼女のことを。


「リゼス」

「は、はい」

「また、私と剣を交えてくれますか?」


 穏やかな表情でシーリが問いかける。リゼスはそんな彼女の表情があまりにも美しくて、一瞬見惚れてしまった。が、すぐに意識を引っ張り戻すと、ぎこちなく頷く。


「こんな私でよければ」

「約束ですよ」


 噛みしめるようにそう呟くシーリは本当に嬉しそうで、リゼスは嫌でも彼女の言葉が本気だということを理解してしまう。

 剣を認めてもらえた。それがあまりにも嬉しくて、リゼスも釣られるように笑みを浮かべる。そして、今度はシーリが彼女に見惚れる番であった。


「――っ!」


 ずっと緊張していたのだろう。硬かった表情が一瞬にして綻ぶその様子はまるで日差しにあたった氷が解けていくかのよう。穏やかな色を帯びていくグレー色の瞳に思わずシーリの視線は奪われてしまう。

 

 言葉を失い見つめ合う二人。

 そんな彼女たちを無視して、リノは地面に転がった剣を拾い上げ、小さく唸りながら呟いた。


「やっぱり、もう少し早く武器に浸透できるようにするべきか……」


 小さな声だったが意外と響いたのか、ハッとリゼスとシーリの二人はおかしな空気から逃げ出すように、リノの元へと向かった。


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