第8話 曇り空の下


 シーリたちと騎士たちが調査へと出て数時間後、ある程度の仕事を終えたリゼスはリノと共に近くの川で昼食をとっていた。

 川のせせらぎが聞こえ森のそよぐ音が心地よい。リゼスはサンドイッチを齧りながらどうしてこうなったのかぼんやりと考えていた。普通に考えればただの、雑用係が騎士と一緒に昼食とるなんて考えられないことのはずなのに。


「やっぱり、貴女たちの作るご飯は美味しいわね」

「ありがとうございます。本当はもう少ししっかりしたものを作りたかったのですんけどね」


 そう言って苦笑を浮かべる。

 いかんせん材料が足りなかった。まぁ、これは任務なのだから食材も自然と長期保存のきくものばかりとなってしまう。今日のサンドイッチは持ってきていた野菜などがダメになってしまいそうだったから速めに使ってしまいたいがために作ったに過ぎず、ゆえに騎士団で食べるものと比べるとどうしても質素になってしまう。


「まぁ、ここは外だからね。限られたものでこれだけ美味しいものが食べられるのだから十分すぎるぐらいよ。いつもならもっとひどい食事だもん」

「私たちがいないと誰が料理するんですか?」

「まぁ、多少料理に覚えがある騎士が作るわね。でも、料理なんて呼べるものじゃないわ。ほとんどが近くで狩った獣の丸焼きとかよ? 正直そんなじゃ気分上がんないわよ」


 はぁ、とため息をつくリノの横顔には悲壮が浮かんでいる。予想していたよりも任務というのは、拠点での活動も過酷らしい。


「だから今回、貴女たちが任務に来るって聞いて、騎士たちのほとんどは大喜びしてたの。やっと、まずいごはんから解放されるって」


 最後の一口を食べたリノはリゼスへと微笑みかける。そのあまりにもきれいな笑みにリゼスは息も忘れて見入ってしまう。吸い込まれるように穏やかな眼差しがリゼスを映す。


「だから、ありがとうね」


 まっすぐな感謝を向けられるのに慣れていないリゼスは、思わず持っていたサンドイッチを落としそうになった。本当に最近おかしなことばかり続く。


「……当然のことです。私は騎士様をサポートをするのが役目ですから」


 やっと出た言葉は微かに震えていた。リノはフッと目を細めると、そっとリゼスの頭を抱き寄せ自分の肩へと置いた。






 その日の夕方、調査から帰ってきた騎士たちの表情は険しかった。

 

「北側はなにかあったか?」

「いや、ダメだ。そっちもダメだった感じか?」

「ああ、なんの痕跡もないってなると、見間違いだったんじゃないかって思うよ。……はぁ、なんだか今回はしんどいな」

「ああ俺もだ。特に何かしたわけじゃないのに体が重い感じがする」


 騎士たちに夕食を配りながら、リゼスは騎士たちの話を聞いていた。

 どうやら思ったような成果が得られていないらしい。それが、よくあることなのか稀なのかは分からないが、彼女は早く見つけられますようにと願うほかない。


「それにしても、任務でもこんなにうまい飯が食えると気分が違うな」

「確かにな。最初はちょっと心配だったがこれならどんどん連れてきて欲しいぐらいだ」


 騎士たちの言葉に思わず笑みが浮かびそうになる。なんとかそれを堪えていると、チラリと視線を感じ顔を向ける。すると、そこには頬杖をついてこちらを見つめるリノの姿があった。

 バチリと視線が絡めば“嬉しそうね”と言いたげに微笑まれたので、リゼスは気付かなかったふりをして視線を逸らし、シーリの席へと夕食を運ぶ。


「シーリ様、どうぞ」

「……リゼス。ありがとうございます」


 難しい表情を浮かべていたシーリはリゼスに気付くと、微笑を浮かべる。が、すぐに眉を顰めてしまう。これは早々に立ち去った方がよさそうだ。邪魔にならないように軽く会釈し立ち去ろうとすると、


「リゼス、後で私のテントに来てくれますか」


 背中に声をかけられる。肩越しに振り向いたリゼスは「はい」と返すとその場を後にした。







 明日の準備も終えてテントへとやってくると、どこか疲れたような笑みを浮かべてシーリはリゼスを迎えた。


「すみません、また呼び出してしまって」

「いえ、私は大丈夫ですけど……その、大丈夫ですか?」


 薄く微笑んで昨日と同じようにベッドの縁に座っているシーリは隣を叩く。リゼスが大人しく諦めて隣に座ると、彼女は頷き口を開く。


「夕食のときに聞こえたかもしれませんが、今回の調査任務であまり良い結果が出ていません」

「でも、まだ二日目ですよね? 明日になればもしかしたら見つかるかも」


 その言葉にシーリは曖昧に微笑む。


「そうですね。ですが、通常調査任務では二日以内に痕跡が見つかることがほとんどです。それまでに何も見つからなければ何日かけても見つからないでしょう」

「なんか、意外でした。痕跡を見つけるのはもっとかかるものだと思っていたので」

「通常の野生動物であればそうかもしれません。ですが、人喰いは総じて魔力を持っているので、足跡以外に魔力の痕跡が必ず残っているものなんです。ですが、それが全くない」


 なんとなく、彼女の言わんとしていることが分かったような気がした。


「もしかして、本当に見間違いだったかもしれない、ということですか?」

「その可能性が高いですね。もしかしたら、クマと見間違えたのかもしれません」

「では、もう撤収を?」


 その問いかけにシーリは頷く。


「そうですね。明日もう一度調査をして、何も見つからなければ明後日には撤収をしようと思います。今回は試験的な意味もありますから、サポート班の負担がこれ以上増えるのはあまりよくありませんし、騎士たちも初めてのことで疲弊しているようですから」

「そうですか……」

「すみません。せっかく、任務に来たのになんの成果も出せずに」


 その言葉にリゼスは慌てたように両手を顔の前で降った。


「そんなことは……っ! 騎士様たちがこうして来てくれるだけで、村の人間は安心でしょう。たとえ、人喰いが見つからなくても、やはり騎士様が来てくれた。それだけで十分だと思います」

「……そう言ってもらえると心が救われます」


 ふわりと笑みを浮かべるシーリのそれが、なんだかとても辛そうに見えたリゼスは、


「シーリ様」

「――っ!」


 そっと彼女の手を握る。しなやかだけど力強さを感じさせる手の感触。その手を見つめながら、リゼスは自分と同じぐらいのこの手が数多の人喰いを殺して人々を守っているのだと考え、感謝の眼差しを向ける。


「シーリ様、私たちはいつも感謝しています。だから、これからも私たちの希望として、貴女方のサポートをさせてください」

「リゼス……っ」


 ギュッと手を強く握る。そうすれば、シーリは大きく目を見開くと同時にその頬が紅潮していく。その様子が少し可愛く見えて、リゼスは小さく笑みを零す。


「シーリ様、もし叶うならば、私は……」


 そこまで言いかけて、リゼスは今自分が何を言おうとしたのかを理解する。


「リゼス?」


 不思議そうに首をかしげる彼女の手をパッと放したリゼスは、弾かれるように立ち上がる。


「す、すみません! 急用を思い出したので失礼します!」


 シーリが呼び止めるよりも早く、リゼスはテントから飛び出していってしまう。一人取り残されたシーリはしばらくぽかんとしていたが、暫くするとまだ彼女の温もりが残る手をそっと胸元へと持って行く。


「……リゼス、ありがとう」


 噛みしめるようにそう言ったシーリの表情は幸せそうだった。





 テントを後にしたリゼスは顔に集まった熱を冷ますため、まっすぐに自分のテントには戻らず、手ごろな岩に腰を下ろして空を見上げていた。

 空には無数の星々と少し欠けた月が世界を照らしている。明日ぐらいには満月になるだろう。包み込むような優しい月明かりに照らされていると次第に心が落ち着いてくる。


 思い出すは先ほど自分が言いかけた言葉。


――もし叶うならば、私はシーリ様の傍にいたい。


「まるで告白だ」


 片手で顔を覆うとそう吐き出す。意味としては彼女の傍で働きたいという意味だが、よくよく考えれば告白の方で受け取られる確率が高そうだ。そう考えるとまた顔に熱が集まってくる。


「……明日も早いし、戻ろう」


 軽く伸びをしてから立ち上がったその時、リゼスの耳が小さな物音を捉えた。


「……? 今、何か聞こえたような」


 耳を澄まさなければ聞こえないような小さな音。普段であれば特に気にも留めないものだが、ここは騎士団の外だ。たとえ、結界が張られているとしても何かあったのかもしれない。

 迷い込んだ獣だろうか。もしそうであれば、倒して明日の食材にしてしまおう。リゼスにかかれば獣程度、素手で十分である。音を立てないように音のする方へと近づく。


「……では……でいいんだな?」

「ああ……ない」

「……にしても、まさか……こうも……来るとは思わなかったな」


 テントの影に隠れながらのぞき込むと、そこには二人の男と思われる影が立っていた。耳が痛くなりそうなほどの静寂の中でも、二人は声を潜めているため部分的にしか会話は聞こえない。騎士団の人間だろうか。

 だが、二人の雰囲気から何となく嫌な気配を感じ取ったリゼスはできるだけ会話を拾おうと耳を澄ます。


「……は集まっているのか」

「ああ、十分に」

「……っとか、これで俺たち……だろう」


 もっと近づかなければやはり会話は聞こえそうにない。が、これ以上近づけば気付かれてしまうだろう。相手の正体がわからない以上それは避けなければいけない。

 そうしている間に二人は会話を終えようとしているようだ。


「では」

「ああ」


 二つの影は――


「我ら……に栄光あれ」

「我ら……に栄光あれ」


 そこで話は終わったようだ、二人が動き出す。と、リゼスは彼らの気配が完全に消えるのを確認すると、そっと息を吐いた。


「明日何かやるのか……?」


 シーリとの会話を思い出す。が、特に何かやるということは言っていなかった。人喰いの痕跡が発見できなければ調査を終了するということぐらいだ。二人の会話からするにそれではないだろう。

 顎に手を当てて逡巡する。と言っても、すぐに行き詰ってしまう。なんせ、自分はただの雑用係で、騎士たちのやることなんてほとんど知らない。


 だから気にしなくてもいいんじゃないか。と、考えても胸には嫌な予感が燻っている。それはじわじわと心に不安を蓄積させていく。これをどうしたものか。

 シーリに今のことを報告する? それが一番のような気はしていたが、思ったような成果を得られず疲れたような彼女の負担を増やすのは申し訳ない。かといって、報告しないのはいかがなものなのだろうか。


「……リノ様に相談してみようか」


 彼女であれば話しやすいし、もし杞憂であればそう言ってくれるだろう。


 そう決めればリゼスは、うんうんと頷いて自分のテントへと戻るのだった。





 次の日、リゼスはリノと共に川の水くみへとやってくると、昨晩の出来事を話した。


「それが誰かわからなかったのよね?」

「はい。腰に剣を下げていたので騎士様だとは思うのですが、薄暗かったので」

「ふーん、その時間まで武装してるってことは夜間の見回りの人間かしら……」


 腕を組み斜め上に視線を動かしたリノ。


「まぁでも、ちょっと気になるわね。今日、何か起こるのだとしたらなんにせよ、少し注意しておくわ。ありがとうね、教えてくれて」

「いえ、本当はシーリ様に報告すべきことなの鴨とも思ったのですが……」


 疲労の色を浮かべるシーリの顔が脳裏によぎり、リゼスは顔を俯かせる。それで、察したリノはリゼスの頭に手を置いた。


「そうね、ちょっと迷っちゃうわよね。でも、私に教えてくれた。シーリが帰ってきたら、私から少し話しておくわ。私も少し話したいことがあったから」

「ありがとうございます」


 頭を下げると、リノは「そう言えば」と何かを思い出したように言葉を続けた。


「そんな時間まで何してたの? 仕事、終わってたでしょ?」

「えっ」


 リゼスは咄嗟に視線を逸らす。

 普通にシーリに呼び出されて彼女のテントに行っていた。そう答えればいいのに、なぜか答えたらろくなことにならないような気がしたのだ。

 怪しいと言って顔をのぞき込むリノから逃げるように、ぷいと顔を逸らす。と、その行動がよくなかったようだ。


「ははーん、当ててあげようか。シーリと一緒にいたんでしょ?」

「――っ!」


 サッとリゼスの顔が赤く染まる。それを見たリノはニヤリとして、横に動いてリゼスの顔を再び覗き込んだ。


「へぇー? 昨日もあの子と一緒にいたんだー」


 明らかに面白がっている。そう彼女の表情が物語っている。リゼスは気を取り直すと、何でもないように「仕事の話をしていただけです」と答える。が、リノの楽しそうな色は変わらない。


「本当にそれだけ?」

「そ、それだけです」

「なによぉ、教えてくれてもいいのに。いやぁ、シーリに浮ついた話がなかったから心配していたけど、リゼスなら安心できるわ」

「な、なにを言っているんですかっ。そもそもどうしてそういった発想になるんですか!」


 半ば叫ぶように反論したリゼスの顔は真っ赤である。それを見てリノがからからと笑ったその時だった。


 遠くの方で遠吠えのようなものが聞こえてくる。


「い、今のは……?」


 リゼスが困惑の声を漏らすとほぼ同時に、リノがサッと顔を色を変えて声の響いた方へと顔を向ける。そして、森の奥を見据えた。


「……緊急の信号弾」


 リゼスがその言葉に顔を向けると、森の奥から一筋の赤色の光が上がっていた。


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