第7話 貴女と過ごす夜
任務初日の夜。大体の仕事が終わり、そろそろ休もうかと思った時、リゼスはシーリに呼び出され、彼女のテントへとやって来ていた。
ほかの騎士は二人で一つのテントを使うが、やはりこの任務の隊長ということもあるのか、彼女は一人で一つのテントを使っていた。ちなみに雑用係は三人だが、与えられたテントは一つである。
おそらく疲れ切った二人はもう寝ているだろうなと考えながら、リゼスはシーリのテントの前でうろうろと所在なさげにしていた。
「ぬぅぅぅ……」
呼び出されはしたが、いったいどんな用なのか。おそらく今日の報告をすればいいだけだろうとは思うがなんでか、それだけで終わらないような予感がしていた。その予感のせいで顔に熱が集まってしまう。
「ダメだ……私ってば変に意識しちゃってる」
愚かな考えをぶんぶんと頭を振って吹き飛ばす。でも、脳裏に彼女の笑顔がちらつくたびに愚かな考えが再び湧き上がってしまう。これはもうどうしようもない気がする。
姿勢を正し深呼吸を繰り返し、なんとか心を落ち着かせたリゼスはテントに向かって声をかけた。
「シーリ様、リゼスです」
やや間があった後、「どうぞ」と声がかかったので、リゼスは意を決してテントの中へと足を踏み入れた。
中に入ると、当然と言えば当然だが小さな机と椅子とベッドだけと必要最低限の物しかない。ほかの騎士たちも似たような感じになっているはずなのに、シーリという存在がいるからなのか、その場所がほかのテントよりもどこか豪華に見えた。
机に向って何かを書いていたシーリは立ち上がると、申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「すみません、疲れているのに呼び出してしまって」
「いえ、緊張はしますが騎士団にいるときよりやることは少ないので、そこまで疲れていませんから」
「そうですか。立っているのもなんですから、そこにどうぞ」
頷いたシーリはリゼスを近くの椅子に座るように促す。リゼスはここに椅子が一つしかないことに気付くと両手を振って辞退した。
「それでは、シーリ様の座る場所が無くなってしまいます」
彼女は任務で疲れてているのだから、彼女こそ座るべきだ。そしたら、リゼスは床にでも座るつもりだ。
「真面目ですね。私が座ったらリゼスは床にでも座るつもりですね?」
「もちろんそのつもりです」
そう答えれば、シーリは眉尻を下げた後、ベッドの縁に腰を下ろし、隣をポンポンと叩いた。リゼスは目を瞬かせ、ベッドとシーリを交互に見た。
「私を立たせるか、ここで一緒に座るか好きな方を選んで構いませんよ」
「え、あ、えっと……」
リゼスは困惑した。彼女はこちらが床に座るという選択肢を取らせたくないようだ。だが、そこに座ってしまえば彼女との距離はかなり近いものになるだろう。そうなったら、リゼスは恐れ多くて耐えられないかもしれない。
だが、どちらかを取らなければ話は進まないし、シーリの休む時間が減ってしまう。
「……お隣、失礼します」
おずおずと、ベッドの縁に腰を下ろす。もちろん、最大限に彼女からは距離を取って。と言ってもシングルベッドではそこまでの距離を開けることはできないが。微妙な距離感にシーリは苦笑を一瞬だけ浮かべたが、すぐに真剣な表情へと変えた。
「まだ初日ですがどうでしたか?」
やはり呼び出した理由はソレか。リゼスは少し安心すると、今日の出来事を話した。
「……という感じで、仕事としてはとりあえず三人で何とかなりそうです。騎士様も私たちが困っていると手伝ってくれますし、とても仕事がしやすいです」
「そうですか、それはよかった。何か不便があれば教えてください」
「わかりました」
話がひと段落氏、無言の空気が流れ始める。
これで終わりだろうか。だが、彼女が何も言ってくれないのでリゼスは立ち上がることもできず、居場所を失った子犬のように視線を彷徨わせる。
「リゼス」
「は、はい」
「今日はここに泊まっていきませんか?」
しばしの無言の後、シーリはそんなことを言った。リゼスの心臓にとてつもないほどの衝撃が電流のように走り抜け、目を瞬かせた。
今、彼女は何て言っただろうか? あまりの衝撃にリゼスは言葉の意味を改めて理解するのに時間がかかった。
時間にして一瞬の間の後、言葉の意味を理解した後は驚愕に満ちた顔で彼女を見た。だが当の本人は穏やかな表情である。
「え、あ、その……それは……っ」
「ダメですか?」
「――っ!」
すすっと軽く詰められる距離。リゼスは咄嗟に後ろに距離を取ろうとするが、すでに取れるだけ距離を取っているため、それ以上離れることは叶わなかった。拳一つ分の距離は対して手を伸ばさずとも触れることができるだろう。その距離に体が緊張し強張っていく。
ふわりとシーリから柑橘系のような香りが漂う。それは、とてもいい香りでリゼスはもう少し嗅ぎたいと考えてしまい、それは変態だと自分を叱って鉄の意志で息を止める。
「リゼス、ダメですか?」
「……っ!」
断らなければ。さすがにそれは恐れ多すぎる。でも、断ればきっと目の前の人は悲しむだろう。それが容易に想像できてしまったらもう駄目だ。
「……えっと、その……めい、わくで、なければ……」
やっと絞り出した返答に、シーリの表情がパァっと明るくなる。ソレは普段の真面目そうな彼女からは想像できないぐらいに嬉しそうで、思わずリゼスの胸がドキリと波打つ。
本当にこの人と話すようになってから自分の心臓はいつも早くなる。心臓に負担がかかりそうで怖いが、この程度であれば問題はないだろう。が、それでも恥ずかしいのでどうにかしたいものだが。
「えっと……その……シーリ様……?」
「どうしました?」
結局、シーリのテントに泊まることになったリゼスは目の前の状況に困惑していた。シーリのシャツにスカートいったラフな服装はもちろん、リゼスを誘うように開けられたベッドという光景に、リゼスはまるで氷漬けになったかのように動けなかった。
無理もない。このテントにあるベッドの数は一つ。そして、そっと開けられたスペースから導き出される答えは言うまでもない。
「えっと、その……私もそこに、寝るんですか……?」
困惑した表情で問いかければ、不思議そうにシーリは首をかしげながら「はい」と答える。どうして、そっちが不思議そうにしているのか、こっちがおかしいのだろうか。リゼスは自分に問いかけてみたが混乱した頭は何も答えない。
「ゆ、床で寝ますっ!」
「それでは疲れが取れませんよ」
「ですが、これはさすがに……」
「変ですか? リノが女同士であれば普通にすると聞きましたが」
脳裏に楽しそうに笑っているリノの顔が浮かぶ。きっと彼女はこうなることを予想していたに違いない。なぜそう思ったのか自分でもわからないが、そうとしか考えられなかった。シーリにそんなよくわからない知識を与えるなんて……リゼスは心の中でリノに抗議した。
どうして、どうしてこんなことに……きっと、こちらが従わない限りこの状態は永遠に続きそうだ。諦めたリゼスは意を決してベッドへと寝転がる。
意外と狭いそこではシーリとの距離が近く、彼女の柑橘系の香りが先ほどよりもずっと強く香る。顔も間近にあり、下手に近づけば唇がぶつかってしまいそうだった。
「ふふっ、誰かと一緒に寝るなんて何年ぶりでしょうか」
嬉しそうに表情を綻ばせる。その破壊力はすさまじく、リゼスはドキドキとうるさい心臓を治めるのに必死だった。
「シーリ様、明日も早いのでしょう。そろそろ寝ましょう」
「そうですね……でも、もう少し、おしゃべりしていたいです……」
「――っ!?」
へにゃりと笑う彼女にグッと息を呑む。が、すぐに彼女の目が眠そうなことに気付くと、
「シーリ様、もう寝ましょう」
落ち着いてそう告げればシーリは不服そうにこちらを見つめる。
「嫌です」
「明日も調査があるんですよね? なら、しっかり眠って疲れを取らないと」
「でも寝たら、貴女はいなくなってしまうでしょう?」
不安げに揺れたアクアブルーの瞳がリゼスを射抜く。
正直彼女が寝たらこっそり床に移動しようと思っていた。朝にはベッドから落ちたとか適当な理由をつけて。だが、眠気半分でもお見通しだったようだ。全く敵わない彼女に胸の中で思わず苦笑を浮かべた。
「いなくなりませんよ。ちゃんと隣で寝ますから」
「本当ですか?」
「本当です」
「なら、手を繋いでいてください」
「えっ」
そう言われるが早いか、シーリはリゼスの手を握る。しなやかな触り心地の手が離さないと言わんばかりの強さに動揺していると、シーリは満足したのか際限なく頬を緩める。
「リゼス、おやすみなさい」
「お、おやすみ、なさい」
ぎこちなく答えれば、シーリは目を閉じてすぐに寝息を立てる。
やっぱり疲れていたのだろう。リゼスはしっかり握られた手を見てこっそりため息を吐く。これでは完全に逃げられない。離そうとしてもガッチリ握られたそれは外せそうにない。
仕方なく諦めて目の前で眠る彼女の寝顔を見る。同い年だが寝顔はどこか幼く見える。いつもは強く、可愛いというよりは美しいという表現が似合う彼女の違った一面にリゼスは何とも言えない気持ちになる。
しばらく彼女の寝顔を見ていると、次第に眠気がやってくる。なんだかんだ言って疲れていたのかもしれないと、リゼスは小さく欠伸を噛み殺し、そのままそっと眠りに落ちていった。
次の日。テントの隙間から差し込む朝日によって目を覚ましたリゼスが目を開くと――
「リゼス、おはようございます」
眩い笑顔と共に鼓膜を撫でる美しい声。そこで、寝ぼけていた頭は一気に覚醒し、リゼスは自分が昨日シーリのテントに泊まって同じベッドに入っていたことを思い出す。
「お、おはようございます」
そう言いながらしっかりと握られた手へと視線を移すと、シーリもそこに移す。
「ずっと握ったままでしたね」
そう言いながらにぎにぎと力を込める。てっきり離してくれると思っていたリゼスはどうしたらいいかわからずされるがままとなる。この短い期間で彼女には何も言えないということを理解したからだ。
「ふふ」
何が楽しいのだろうか。小さく笑いながらシーリはしばらくすると、満足したのか手を放し、起き上がる。離れていく温もりに一抹の寂しさを感じたが、すぐに振り払って習うように上体を起こしてベッドから降りる。
「今日も一日頑張りましょうね」
「はい」
そのやり取りを最後にリゼスは彼女のテントを後にした。
「おはよう、昨日はお楽しみだったみたいね」
テントを出てすぐに、リゼスは朝の警備であろうリノと遭遇した。リノはテントから出てくるところを見ていたのだろう、ニヤニヤと面白いものを見つけたというような表情である。
「おはようございます。……シーリ様に変なことを教えないでください。とんでもない目に逢いましたよ」
「そう言う割には嬉しそうじゃない」
「……」
プイと視線を逸らす。と、リノはカラカラと笑った。嫌ではなかった。むしろ、憧れの存在といられて嬉しくないわけがない。嬉しくないわけではないが、それでもあれは本当に心臓がショックを起こしてしまいそうな出来事であった。
「ぷぷ、二人が仲良くなって嬉しい限りだわ」
「……シーリ様は、どうして私なんかに良くしてくれるのでしょうか」
「それはもちろん、貴女がいい子だからよ。真面目で努力家で、騎士になることを諦めずに頑張っている強い心の持ち主」
リノの言葉にリゼスは視線を逸らしつつ、「諦められない無様な人間です」と答える。と、彼女は眉尻を下げて小さく苦笑いを浮かべた。
「まぁ、それに一目ぼれに理由なんてないでしょ」
あっけらかんとそう言う彼女にリゼスはじとりと目線を向ける。
冗談好きの彼女の言葉をいちいち真に受けていると心臓が持たなくなってしまう。適当なところで聞き流した方がいいと学んだリゼス。と、態度から何となく感じ取ったのかリノは口を尖らせて肩を組む。
「信じてないわね?」
「リノ様は冗談がお好きみたいなので、真に受けるのはやめました」
「はぁ、お姉さん悲しいなぁ。かわいい妹分がいつのまにかつれなくなって」
「いつ妹分になったんですか」
何とか腕の中から逃げ出したリゼスはそっと距離を取る。
「では、仕事がありますので」
足早に去って行くリゼスの背中を見送ったリノは、青空を仰ぐ。その頬は緩み切っている。
「いやぁ、楽しいなぁ。私の好きな子たちが仲良くなっていくのを見るのは。……このまま恋人にでもなったらもっと面白そうなんだけどなぁ」
まぁ、その前にリノが一番望むことは誰よりも騎士らしい彼女が騎士になることである。彼女が騎士になれば、どこかおかしくなったこの騎士団を立ち直らせることができるかもしれない。
皆が一致団結して人々を守るための盾となっていたあの頃に。そうすればきっと今よりもっと多くの人喰いを葬ることができるだろう。
「シーリ、頼むわよ。あの子が騎士となれるようにどうか……」
呟くように彼女は空に願った。
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