第35話 私には貴女が必要
ずっと聞きたかった声に振り向けば、そこにはずっと会いたかった人が立っていた。
「リゼス」
蕩けるような笑みを浮かべたシーリ。だが、リゼスは彼女の姿がボロボロなことに気が付くと、喜びの表情を一変させる。そして、遅れるように姿を見せたリノも見たことがないぐらいにボロボロなことに気づく。
「シーリ様! それに、リノさんも。……どうしてここに」
「貴女に会いに決まっているではないですか」
「そうよ。いきなりいなくなった貴女を心配してきたんだから」
間髪入れずに答える二人に、リゼスは泣きそうになるのを堪える。
こんな自分のために、ボロボロになってまでここまで来てくれた。そのことに嬉しさを感じないわけがない。胸を熱くするリゼスの横で、ニコリアは冷めきった眼差しを二人へと向ける。
「へぇ、私が用意した門番たちを倒したのね」
「あの程度、障害にもなりませんね」
「そうね、あの程度の決壊で私たちをごまかせると思ったら大間違いよ」
そう軽口を飛ばすシーリと不敵に笑うリノ。
だが、リゼスは彼女たちが相当無理をしていると感じるだろう。体の所々に包帯を巻いて、美しかった鎧がボロボロなのだから。リノだって平気そうに立っているが、シーリ程ではなくともボロボロで、纏っている魔力だっていつもより希薄なものである。
森にはニコリアが入念に入念を重ねた結界が張られている。リゼスはそれを知っているからこそ、それを突破してきた二人がどれほどの困難を相手取ったかなんとなく想像できていた。
だからこそ、そんな思いをしてまで自分に会いに来てくれたことを申し訳ないと思ってしまうと同時に、どうしようもない度に嬉しいとも思ってしまう。
「まったくいつの時代も、この世界の人間は時に予想もしなかったことしでかしてくるわね」
呆れ声でそう言って額に手を当てたニコリアは、二人からリゼスを隠すように立ち塞がる。そのロイヤルパープルの瞳は敵意に満ちている。
「団長さんからリゼスのことを聞いたうえでここに来たのかしら?」
「ええ、そうです。聞いたうえで……私たちはリゼスの思いを聞きに来た」
「……聞きに来た、ねぇ……じゃあもし、この子が戦いを望んだら、連れて帰るのね?」
ニコリアの冷え切った言葉に攻撃性が増す。静かではあるが、それは相手を萎縮させるには十分すぎる。だが、それを前にしても、二人が表情を崩すなんてことはない。むしろ受けて立つというような表情だ。
「そうです」
「そうよ」
同時に応える二人。ニコリアはスッと目を細めると手のひらを二人へと向ける。
「そう――なら死ね」
その言葉とほぼ同時に放たれるのはいくつもの火球。一つ一つが人間を焼き殺すなんて造作もない熱量を秘めたソレを、シーリはすぐさま剣を振り抜いて切り裂く。
「ニコ姉!」
突然の行動にリゼスはニコリアのローブを掴み、驚愕の声を上げる。だが、ニコリアはそんな声など聞こえないかのように手に魔力を込めて次々と火球を打ち出し続ける。
「ニコ姉! 何をしてるのさ、やめてよ!」
リゼスの必死の静止は意味をなさない。
無数の火の玉を切り裂きながら、その背後でリノが魔法の準備をしている。リゼスはそれをチラリと確認するとまずいと思った。
このままでは本格的に戦闘が始まってしまう。そんなものは見たくなかった。大切な人同士の戦いを見るなんてこれ以上ないほどの苦痛だ。
ニコリアが自分を心の底から大切に思っていてくれていることはよくわかっている。だがそれでも優しい彼女が、自分の大切な人たちにあそこまで敵意と殺意を剥き出しにするところを見たくはない。
「あそこで、兵士たちに殺されていればよかったと後悔させてあげるわ」
「はっ、アンタがたとえ伝説の魔法使いだろうと、私たちを簡単に殺せると思わないことね」
リノの周りにいくつもの術式が浮かび上がる。水、風、炎。いくつものそれらは同調するように輝く。魔法に疎いリゼスでもリノが発動しようとしている物が、かなりの魔法だと気付く。そして、それに対抗してニコリアも自身の周りにいくつもの巨大な魔力の球を浮かべる。
シーリもニコリアの魔法の展開に気付き、阻止しようと駆け出す。が、ニコリアが静かに「止まりなさい」と告げた瞬間、魔力で作られた鎖がシーリの体へと巻き付き、地面へと縛り付ける。
「く……っ!」
「そこで大人しくしてなさい。お友達ごと、消してやるから」
濃密な魔力が空気を圧迫していく。息をするのも苦しくなるほどの空間。リゼスは必死にニコリアを止めようとするが、彼女は止まらない。
二人の魔法が発動されぶつかるまで、あと数秒。リゼスはこれから起こる衝撃に備えようとしたときだった――
「ばぁか、何してんだ」
スパンとニコリアの頭をオルガが叩いた。
「あいたっ!?」
叩かれた後頭部を抑えながら、ニコリアは眉を顰め振り返る。オルガはそんな彼女をふんと鼻を鳴らして見下ろす。
「オルガ……なにすんのよ」
「そりゃ、こっちのセリフだ。お前、二人を殺す気か」
「そうよ」
「リゼスの前でか?」
オルガの低い声に、ニコリアはばつが悪そうに顔を顰めると、展開していた魔法をあっさりと解除する。鎖から解除されたシーリが立ち上がってリノの肩に手を置く。
「リノ」
「ん」
リノも魔法を解く。リノとニコリアを交互に見やったオルガは口角を上げると、全員を見回しながら、
「落ち着いたな? とりあえず、メシの準備ができたから全員、手を洗ってこい」
そう言った。
全員がそろった食卓。リゼスの大好きなステーキ。でも、あたりに漂う緊迫した空気にリゼスは味が分からなかった。
黙々と食べるオルガ、不機嫌を隠そうともしないニコリア。警戒心は解いていないが美味しそうに食事をするリノ、沈痛な面持ちで食を進めるシーリ。リゼスはここまで食事の時間が苦痛に感じたのは久々であった。
「自己紹介がまだだったな。私はオルガ。リゼスの師匠だ」
オルガの言葉にシーリが目を見開き、リゼスを見る。視線に気付いたリゼスは苦笑を浮かべた。
「確か、リゼスの師匠は……」
「はい。私もそう訊いていたんですが……無事、生きていたみたいで」
「はっはっは! ちょーっとばかし死にかけてはいたが、ぴんぴん生きているさ」
豪快に笑ったオルガ。シーリはその豪快さに少しだけ父の影を見たような気がした。
「それで? なんとなく予想はしているが、君たちはこんな森の奥まで何をしに来たんだ? ニコの結界を突破したんだ、相当のやり手みたいだしな」
にこりと笑みを浮かべるが、シーリとリノの二人はオルガの目が全く笑っていないことに気付く。そして、彼女もニコリアと同様に、リゼスを守ろうとしているのだと理解するだろう。
「……私は聞きにきました」
「なにをだ?」
シーリの言葉にオルガの声に剣呑な色が混じる。その気迫はライズよりもずっと重たく鋭い。
「私はリゼスの思いを聞きに来ました」
すっとシーリのアクアブルーの瞳がリゼスに向けられる。その眼差しがどこまでも優しいことに、リゼスはグッと息を呑む。
彼女は何を言っても受け入れるつもりなのだ。言わずともそれが通じたリゼスの心臓がジクリと熱を持つ。彼女と共に生きたいという思いが強くなっていく。だが同時に、大切な家族を悲しませたくないとも考えてしまう。
「リゼスの気持ちを聞いてどうするの?」
頬杖を突きながら、ニコリアが冷たい声を投げる。シーリは小さく息を吸う。
「もし、リゼスが騎士にと望むならば、私はリゼスを連れていきます」
それを邪魔する者は容赦しない。たとえ、伝説の魔法使いだろうと、リゼスの師匠だろうと関係ない。シーリは二人を倒してリゼスを連れて帰るつもりだ。その思いを込めてオルガとニコリアを半ば睨むように見つめる。
オルガとニコリアはそんなシーリをじっと見つめ返す。そんな彼女たちの目にはどんな色も浮かんでいない。何を考え何を思っているのか、それを伺い知ることは長年二人と過ごしたリゼスですらわからなかった。
「貴女は……貴女は、その子が望むから戦わせるというの?」
ずしりと響くような低い声でそう言ったニコリアは、一呼吸おいて言葉をつづける。
「アンタたちがやっていることは殺人よ。アンタたちはその子の体を知ったうえで戦いに連れていくのだから。それでも、その子に聞くというの?」
静かな激情。それだけで、ニコリアという存在がリゼスのことをこれ以上ないほどに大切に思っているということをシーリとリノの二人は思いしるだろう。
「ええ、聞いています。聞いたうえで、私はリゼスが望むならばいっしょに戦いたいと思っています」
「――アンタは! この子に化け物になってまで戦えというのか!」
ダンッ! とニコリアが机を叩く。丈夫な木製のそれにヒビが走る。
「それは違います。リゼスは化け物なんかではない――誰よりも高潔な騎士だ。そこに姿かたちは関係ない!」
「そんな道理が通じるとでも!? リゼスの力は不可逆的なのよ。人狼の力が炎とするならば、リゼスと言う存在を薪としているの。薪が無くなればリゼスと言う存在は消えて、残るのは化け物の身体。それでも、アンタはリゼスを戦わせると? 人の身を捨ててまで戦えというの!?」
ぎろりとロイヤルパープルの瞳がシーリを射抜く。シーリはまっすぐにそれを見つめ返しながら、静かに答える。
「それでも、私はリゼスと共にいたい。ですが、彼女を化け物になんかしません。たとえ、彼女が最終的に人の身を捨てることになっても、私は永遠に彼女の隣にいると誓います」
その言葉は何よりもまっすぐで、聞いていたリゼスの目に涙が浮かんで頬が紅潮していく。
「口でなら何とでも言えるわね。本当にその時が来た時、アンタは――」
「私のリゼスを想う気持ちをバカにしないで欲しい!」
「――!」
そう声を荒げたシーリは鋭くニコリアを睨みつける。
確かに感情を表に出すことはあるが、あそこまで怒りを滲ませた彼女を見るのを初めてだったリノが目を瞬かせると同時に、シーリにとってのリゼスの大きさに嬉しく思う。
「私にとってリゼスは何よりも大切な存在だ! 誰にも渡したくない! 私はリゼスの強く美しい魂に惹かれているんだ! 姿一つ違うだけで揺らぐほど私の気持ちは軽くない!」
虫が音楽会を開く午後12時。リゼスはシーリと自室で過ごしていた。
あれから、シーリとニコリアの口論はヒートアップしていき、最終的にオルガが「もう遅いから」という一言で一時休戦となったのだ。
「リゼス、体は平気でしたか?」
「え、あ、はい……心臓のほうはニコ姉が診てくれてましたから」
ぎこちなく答えたリゼスの顔は赤い。頭に浮かぶのは、シーリがニコリアへと放ったいくつもの言葉。あんなもの、誰がどう聞いたって告白のようなものだ。
リゼスは必死に心の中で頭を振って不埒な思いを抱くそれを振り払おうと試みる。だが、うまくいかない。勝手に想像した心は勝手に体温を上昇させていく。
「リゼス」
シーリの手がそっと伸ばされリゼスの頬に触れる。驚くリゼスはグッと口をつぐむ。
「リゼス、ずっと会いたかった。こうして、貴女に触れたかった」
「シーリ様……私も、貴女に会いたかったです」
ふわりと笑みを浮かべるリゼスの言葉が予想外だったようにシーリの顔が赤く染まっていく。そのやりとりはまるで、恋人同士のように甘ったるい。が、すぐにその空気を消したシーリは一転して悲し気にリゼスの頬を撫でた。
「私は最低な人間です。貴女に辛い道を歩かせようとしている」
「そんなこと……私は、自分からこの道を選んだんです。そして、シーリ様は、そんな私の道を一緒に歩いてくれている。感謝こそすれど、恨むなんてとんでもない」
「リゼス……本当に、本当にいいのですか?」
キュッと寄せられた眉。いつも輝くような美しさを放つアクアブルーの瞳は不安に揺らいで影がかかっている。リゼスはその瞳に、“自分のせいだ”と罪悪感を感じると同時に、憧れのその人にそこまで思って貰えるということにどうしようもなく心が喜んでしまう。
それが、不敬なことだわかっている。わかってはいても感情に嘘はつけない。
「シーリ様、幼いころの私の夢は人喰いを殺して殺されたみんなの仇を取りたいというものでした。でも、今は少し変わっていて――人々を守り私のように大切な人を理不尽な理由で失う人を無くしたいのです」
一呼吸おいて、リゼスは「どうしてそんな風に変わったと思いますか?」と、言ってから言葉を続けた。
「貴女がきっかけなんですよ」
「私が……ですか?」
「はい。私がまだ騎士団に来たばかりの時です。シーリ様が、人喰いに襲われ帰るところを失った村人を連れて帰ってきたときがありましたよね」
そう言われ、シーリは遠い記憶を呼び戻し、そう言えばそんなことをしたなと頷く。
「その時に、村人の一人が“人喰いが憎い殺してやる”と言った時に悲しげな顔をして言いましたよね」
――ごめんなさい。貴女にそんな思いをさせてしまって。
「そう言って頭を下げていた。私はその姿に心を打たれたのです」
力のこもった声にシーリは目を見開く。
「私もただただ人喰いを憎んでいた。そのために戦う術を学んだ。でも、シーリ様の言葉で戦う理由が変わった。私のような憎しみを抱く人を一人でもなくしたいと思えるようになった」
がらりと自分の考えが変わったあの時を忘れることは一生ない。シーリにとっては何でもない日常の一つだったのかもしれないが、その言葉が自分自身にも突き刺さったような気がしたリゼスはそれから、人喰いを憎むことだけを考えるということをやめた。
「前に私の理想の騎士はシーリ様と言ったことがありましたね。その時がきっかけの一つだったんですよ。貴女の言葉や行動は、私が幼いころに読んだ物語に出てくる強くてかっこいい騎士そのものだ。だから、私は貴女のようになりたいと努力した」
ギュッとシーリの手を両手で握り締めたリゼスはグレーの瞳を輝かせ、憧憬の念を向ける。
「そんな貴女と戦えることはこれ以上ない喜びなのです。だから、お願いです……私を貴女と共に戦わせてください」
そのまっすぐな言葉にシーリは頷き、彼女の手を強く握り返した。
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