第34話 貴女を取り戻すためならば



 太陽が沈み始めようとする頃、シーリを引きずるようにして部屋から飛び出したリノは、颯爽と馬にまたがって北の森を目指す。騎士団で一番の早馬はまるで疾風のように大地を駆け抜けていく。


「リノ! 本当に抜け出してしまってよかったのですか!? これでは貴女もただでは済まないはずです!」


 リノの腰に掴まりながら、シーリはそう言った。

 自室で悩んでいたらいきなり連れ出されてしまったが、これは明らかな命令違反だ。騎士団で命令違反は最悪、追放もありえる。

 だが、リノはそんなもの知らないと言うように鼻で笑い飛ばす。


「何言ってんのよ! リゼスを連れ戻すためなら、団長のお尻だって蹴飛ばすことだって怖くないわよ!」

「ほ、本当にやらないでくださいよ。私、そんなところ見たくありませんから……」


 慌てたようにそう言ったシーリ。さすがに、自分の父親が親友に蹴飛ばされるところなんて、どんな状況であっても見たくはない。 


「ふふ。調子戻って来たみたいね」


 肩越しに振り向いたリノは二っと笑ってみせる。シーリは目を見開く。


「貴女、団長にリゼスのこと言われてからずっとつらそうな顔をしてた。もしかしてだけど、貴女、“あの子はこのまま戦場から離れた方が幸せだ”とか考えてたんでしょ?」

「な、なぜそれを……っ」


 図星を突かれたシーリに、リノは「何年、貴女の親友をやってると思ってんのよ」と笑って言葉を続けた。


「私はね、あの子の意志を聞きたい。あの子が何をしたいのか、どうしたいのか。それを確認しに行くのよ」

「リノ……」

「あの子が望んで残るなら、寂しいけれど私はその意思を尊重する。でももし、まだ戦う意思があるなら――私は全力であの子を連れ出す」


 その言葉には強い意志が感じられる。


「望みのために行動するからこそ人は生きていると言える。それができなきゃ死んでるも同然よ。だから、この世界へと引き込んでしまった私たちはあの子がどうしたいのか聞かなきゃ」

「リノ……そうですね。リゼスは私と一緒に戦いたいと言ってくれた。それが今も変わらなければ、私は自分の命尽きるまで一緒に戦いたい!」


 シーリの力の篭った言葉に、リノは手綱を握り締め馬の速度を速めるのだった。








「ふぅん。さすがは伝説の魔法使い。ここまですごい結界見たことないわ」


 目的地である森を前にするなり、リノはそう言葉を零して感嘆の息を漏らす。結界とはその術者によって完成度が異なる。ただ高い魔力があってもそこに綿密な術式がなければ発動してもすぐに解けてしまう。逆に綿密な術式があってもそれを構築するだけの魔力がなければ発動すらできない。

 魔力と技術。どちらかが欠けても意味はないし、どちらも持っていてもバランスよく配分しなければ意味をなさない。


 つまりは、結界の完成度を見ればその使い手の実力がわかってしまう。


「魔力の質は最高、術式に至っては私には見えないってことはかなり高度な隠蔽魔法も一緒に組み込まれている。こんなの王国の魔法使いだってできないわよ」

「そんなにすごい物なのですか」

「すごいの一言じゃ済まない。魔力の制御は完璧、綻び一つないから隙を見つけて壊すなんてできなさそう……」


 瞳を鋭くさせ森を睨むリノの隣で、シーリは微妙な表情を浮かべる。彼女は魔法は使えるが、結界などといったものに関しては苦手な分野であった。ゆえに、リノの専門的用語はまるでちんぷんかんぷんであったのだ。

 それでもかろうじてわかるのは、森にかけられた結界が騎士団随一の魔法使いと呼ばれるリノ・グレンですら手を焼く代物だということ。


「どうにかできそうですか?」


 そう問いかけたシーリの目には挑発的な色が浮かんでいる。肩越しに振り向きその色に気付いたリノは、ハッと鼻で笑い飛ばした。


「どうにかできそうですって? 笑わせないでよ」


 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべたリノは何もない空間に手をかざすと、一定の間隔で魔力を込める。すると次の瞬間、まるで薄い膜のように広がった魔力が波打つ。


「こんなものぶっ壊してやるわ」


 ビシリと何もない空間に亀裂が走る。大量の魔力を流し込み、無理やり術式を壊しているのだ。それがどれほどめちゃくちゃな行為か、シーリは分からなかったが、この場に魔法に長けた人間がいればぐるりと踵を返して逃げだすほどのことを彼女はしでかしていた。


「さーて、予想通りがかけられてる」


 その言葉とほぼ同時にシーリは森の奥から何か嫌な予感が迫ってくるのを感じとる。即座に探知魔法を使うが、森にかけられた結界によって弾かれてしまう。

 

 正体は不明。だが、リノの言葉からもなにか危険なものが迫ってきていることは考えるまでもない。シーリは腰の剣を引き抜きその刀身に切れ味を高める水の魔力を流す。


「リノ!」

「シーリ、私は動けないから頼んだわよ」

「任せてください。この私がいる限り、貴女には傷一つ付けない」


 何かがやって来る。


 ソレは無数の武器を持った骸骨兵士たちであった。


 骨同士がぶつかる音が静寂を引き裂いてやって来る。もとは肉体があったであろうそれらはケタケタと笑いながら二人目掛けて迫り襲い掛かる。

 まず、槍を持った骸骨兵が立ちはだかるシーリへとそれを突き出す。なまじ筋肉がない者とは思えないほどに俊敏で鋭い一撃をシーリはサイドステップで躱し、そのまま首を刎ねる。

 放物線を描く頭部。それを見送っていたシーリはそれにまだ殺意があることに気が付くとすぐさま剣を振るって砕く。そしてその行動は彼女の命を救う結果となった。


 背後で立ち上がっていた首なし胴体が槍を構えていたが、頭部が砕けると同時に兵士の体は崩れ去っていく。


「頭を砕かなければいけないか……」


 次々と襲い掛かる骸骨兵。シーリは冷静にその攻撃をかわしながら、頭を砕いていく。まるで、熟練の兵士のように統率の取れた動きで絵湯水のごとく現れる兵士たち。それを一人で裁くのは至難の業だろう。

 だが、背中に守るものがいるシーリは強い。たとえ、死角から兵士が武器を振るっても、彼女の類稀なる才能と経験がすべて防いで逆に兵士の頭を砕く。


 その戦いは踊るように。


 人はそれを妖精の演舞の様だと言うだろう。それほどまでに鮮やかでいて幻想的に、そして圧倒的な強さが振るわれていた。





 いったい、どれだけの兵士を倒しただろうか。軽く百は越えたあたりだろうか。人間であるシーリの体力と魔力は徐々にではあるが限界へと近づいている。それでも、リノという守る対象がいる限り、シーリに燃料切れで動けなくなるという事態は起こらない。


「リノ、あとどれくらいかかりますか!」

「もう少し! あと少しで壊せるからもう少し頑張って!」


 骸骨兵が構えた大楯を掴んで飛び越しその持ち主の頭を砕き、その後ろで弓を構えていた骸骨兵の頭を砕く。そうすれば、やっと骸骨兵は自分たちがシーリに敵わないとわかったのか、攻撃の手をやめて様子を伺うようなしぐさをみせた。

 呼吸を整えシーリは警戒したまま骸骨兵たちを見回す。ケタケタと笑うさまは夢に出てきそうなほど不気味だ。そんな彼らはお互いに顔を見合わせると、集まり始める。


「なにをする気だ……?」


 嫌な予感がする。早めにあれをどうにかしなければと考えるが、集まった骸骨兵たちを守るように不可視の魔力の気配を感じたシーリはそれらが集まって姿を変えていくのを見守ることしかできない。


 ケタケタ、がしゃがしゃという音が響き、集まった骸骨兵たちの体が粉々に砕けて混ざり合っていく。真っ白な塊となったそれはまるで見えない手によって圧縮されていくよう。

 

 しばらくすると、真っ白な塊だったそれは人ほどの大きさの卵となった。


 一抹の静寂が訪れる。


 シーリの背筋に鋭い悪寒が走り抜ける。目の前の卵は危険だ。早く壊さなければ。そう考えるが早いか、彼女が剣を握り締め駆け出そうとしたその時だった。


――メキリ、パキリ。


 卵にヒビが入り、そんな音が響く。思わずシーリの足が止まる。


『ォォォォ……』


 うめき声が卵の隙間から聞こえ、ぎろりと濁った赤色の瞳がシーリを射抜く。その視線に彼女の警戒心が一気に引き上げられる。

 確実なる強敵が出てくる。出てくる前に叩かなければとわかっているのに、シーリの中の獰猛な心が戦ってみたいと囁く。


 とうとう、殻が砕けて、中身が姿を現す。


 それは骸骨兵ではあったが、人だけではなく獣と思われる骨が入り混じっていた。


『グォ……』


 オオカミを思わせる骨の頭部に、形は人であるがそれよりもずっと強靭な体。いうならば、人狼が骨となったらあんな感じだろうかと言った風のそれの手には巨大な片手剣とこれまた大きな盾が構えられていた。


「これはなんとも……」


 獣の骸骨兵が低く唸り声を上げて武器を構える。それを見た瞬間、シーリは目の前の存在はやはり強者であると確信する。思わずニヤリと彼女は口角を上げる。


「……」

『……』


 無言で見つめ合って数秒、先に動いたのは獣の骸骨兵だった。轟くような怒号を上げ、大地を蹴ったそれが軽く飛び上がってシーリへと剣を振り下ろす。

 普通の人間が持てば大剣ともいえる大きさのそれの一撃を、シーリは剣に水の魔力を込めて滑らせるようにいなす。だが、獣の骸骨兵の攻撃は終わりではない。


『オォォォッ!』


 次に振り下ろすは大楯。直撃すれば人間の体など容易く押しつぶすだけの重量を持ったそれが襲いくる。


「くっ!」


 ゴウッ! と、音を手て迫る大楯をバックステップで躱す。そして、お返しと言わんばかりに軽く剣を振るって水の魔力を斬撃として飛ばす。

 先ほどの骸骨兵ならば体が砕け散るほどの威力を持った一撃だったが、獣の骸骨兵は軽く腕を振るってそれを弾き飛ばす。

 カキンという軽い音と共に水の斬撃が背後の地面を抉る。


 獣の骸骨兵が咢を開いて、その首をかみちぎらんと迫る。シーリはあえて突っ込んでその口へと剣を突っ込む。その際に兵士の牙が彼女の鎧と腕の皮膚を切り裂く。


「シーリ!」

「平気です! リノは結界に集中してください――もう終わらせますから」


 その言葉と共に兵士の口に突き刺した剣が淡い緑色の光を帯びる。


「エアスラッシュ」


 静かにその言葉を紡いだ次の瞬間、剣から勢いよく風が吹き荒れる。刃のように鋭いその風は兵士の牙を砕き、その顎すら粉々に切り裂く。



『――グォッ!?』


 痛みは感じないが、その衝撃に兵士の体が大きくのけ反る。シーリは大地を強く蹴り込み、兵士の鎖骨に剣を突き刺す。


「ハァァァァァッ!」


 そこに一気に風の魔力を流し込む。その次の瞬間、獣の骸骨兵の体が魔力に耐えきれずはじけ飛ぶ。


 バラバラになった骨が地面に落ちると同時に、粒子となって消えていく。それを警戒した様子で見守っていたシーリは、周囲に漂っていた殺意が完全に消えたのを感じ、ふぅと小さく息を吐いた。

 ジクリと右腕が痛む。かなり深く切れたらしく、ダクダクと血が流れている。シーリは手をかざし回復魔法でその傷口を塞ぐ。そして、治癒能力を高める魔法が込められた包帯を巻く。

 これで、しばらくすれば傷は完全に治るだろう。シーリは先ほどまで獣の骸骨兵がいた場所を見つめる。


「いったい、あれは……」


 あんな生物見たことがない。それに、骸骨兵が纏っていた鎧。どこか、古めかしいデザインのそれには見たこともない紋章が描かれていた。

 剣にオオカミを模した紋章。シーリの知る限り、あの紋章の騎士団はない。少し、王国の騎士団の物に似ていたような気はするが、王国のは剣と王冠が描かれている。

 考えていたところで応えは見つからないだろう。シーリは軽く首を振って考えを脳の奥に追いやると、リノの方へと顔を向けた。


「リノ、どうですか?」

「ん、もう終わる。あとは、この術式に無理やり魔力を流し込んで……よしっ」


 リノが手を降ろしてから数秒、バリン! という音が響く。そして、辺りを包んでいた圧迫感のようなものが薄れていく。そして、鬱蒼と茂っていた木々たちがズリズリと動き、一本道を作り上げる。


 それはまるで、森が主の場所を教えるかのように。


「さすがに気づかれたか」

「気付かれたというのは?」

「言葉のまんまよ。伝説の魔法使いにバレたみたい。まぁ、無理やりぶっ壊したからバレるとは思ってたけどね」


 はぁと疲労感を見せたリノを、シーリは労わる。


「平気ですか?」

「大丈夫よ。力づくなんてやったことないから少し疲れただけ。さぁ、進みましょ」


 リノが歩き出す。そして歩きながら懐から魔力回復増進の効果があるポーションを一気に飲み干す。


「多分ね。もっととんでもないものが出てくるわよ」

「え?」


 その時、森の奥から先ほどの骸骨兵たちの物よりもずっと濃密な殺気が流れ込んでくる。


 ズシリ、ズシリ。

 そんな重たい足音が聞こえてくる。シーリは剣を握り締め、リノを庇うように躍り出る。


 ソレが姿を現す。ソレを目にした時、二人は驚愕の声を上げる。


 真っ黒な毛並みに、オオカミのような獰猛な顔つき。ゆらりと尻尾を揺らす二足歩行のソレはギラリと赤と緑が混じったような瞳で二人を睨む。そこに感情という感情は読み取れない。


「人喰い……ッ!?」


 どちらからともなく、そんな声を漏らしとき、その獣はグルルと小さく喉を鳴らす。


「リノ」

「わかってる。本気で行くわよ」


 二人が戦闘態勢を取る。獣はその咢を開くと――空気を震わせるほどの咆哮を放った。

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