第36話 戦いを挑め、その子を連れ出すならば



 次の日の朝。

 オルガは全員を庭へと呼びだした。深紅の髪が日差しを反射し炎のようにきらめく。腰に剣を下げた彼女は、シーリの姿を見るなりニヤリと笑って口を開いた。


「剣を取れ、シーリ・ヴァレニアス」


 その言葉には人を萎縮させるほどの威厳に満ちている。


「お前は、私たちの大切な妹を戦いへと連れていこうとしてるのだろう? ならば、その覚悟を見せてみろ。お前が、その子の最後まで傍にいられる人間だと証明してみせろ」


 抜き放たれた炎を纏った剣の切っ先が、シーリへと突き付けられる。ある程度の距離が開いているはずなのに、まるで眼前にあるかのような熱気がじりじりと肌を焼いていくような感覚がしている。その熱はまるで、彼女の心情を現すように。

 あまりの気迫にシーリは無意識に下がろうとしてしまう。が、すぐにハッとして気持ちを強く持ってオルガを見つめる。そのアクアブルーの瞳には誰にも負けない強い意志の光を携えて。

 その瞳を見つめるオルガは軽く目を細める。


「シーリ様」


 シーリが腰に下げた剣に手をかけて一歩踏み出したとき、リゼスが不安げに名前を呼ぶ。その隣でリノもいくらかの不安を浮かべているのを見た彼女は薄く笑って頷く。


「大丈夫です」


 そう言われてしまえば、二人は信じることしかできない。リノは経験から、オルガという人間がとんでもない強者だということは分かっていた。そして、リゼスは当然の如く、彼女の強さを痛いほど知っている。


 それでも、きっと……シーリが勝つ。その信頼が揺らぐことはない。


「二人はお前が私に勝つと信じているようだな」


 挑発するようにオルガがそう言うと、シーリはニヤリと獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべる。


「当然です。私が勝つ。それは絶対に揺らがない未来ですから」

「……ほぉ、威勢がいい。そういった奴と戦うのは本当に久々だ」


 二人が静かに剣を構える。


 一秒ほどの静寂。それは、無限にも感じられる。


 先に動いたのはオルガだった。大地を蹴ると同時に炎の魔力でブーストした彼女は、まるで瞬間移動でもしたかのように間合いへと踏み込むと、炎を纏ったその剣を振り下ろす。


「はぁっ!」


 必殺の一撃。直撃すれば全身大やけどは確実。下手をすればその骨をも炎によって燃やし尽くされるだろう。この時、オルガは本気で彼女を殺す気で剣を振るっていた。この程度で死ぬようではこの先、リゼスと共にいることなど到底無理だからである。


 だが、その剣がシーリを切り裂くことはなかった。風の魔力を足に纏ってバックステップで距離を取って躱したのだ。


「本気の一撃、躱したか」


 肩に剣を担ぐように構えたオルガは楽しそうに言うと、その場で剣を振るって炎の斬撃をいくつも飛ばす。


「――!」


 シーリはあえてそこにつっこむと、一撃目を飛び越えるように躱し、それを狙ったようにやってきた二撃目を剣に風を纏わせて切り裂く。そして、最後に着地を狙って飛んできた三撃目はその手に風を纏わせ軽く腕を振って振り払った。

 だが、その程度でオルガの攻撃は止まらない。シーリが斬撃に気を取られている隙に接近すると、死角へと入り込み横なぎの一撃を仕掛ける。


「なっ!?」


 気付いた時にはもう遅い。炎の剣は眼前まで迫っている。このままでは彼女の両眼から上は切り離され、呆気なくその生涯は幕を閉じるだろう。

 だが、でやられるほどシーリ・ヴァレニアスという騎士は甘くない。即座にしゃがむと、地面につけた左腕と両足で大地を蹴り込み、弾丸のようにオルガの懐へと潜り込む。そして、右手に握り締めた剣を彼女の心臓目掛けて突き出した。


「なにっ!?」


 予想外の一撃。オルガは咄嗟に腰に下げた鞘を使って何とか軌道を逸らす。風を纏った剣は彼女の左肩の肉と骨を抉り削り、鮮血が噴き出した。常人であれば痛みに転げまわってもおかしくない大怪我ではあるが、そんなもの気にならないと言いたげにオルガは不敵な笑みを浮かべる。

 そして、お返しだと言わんばかりにその剣に魔力を流し、炎によってその刀身を大剣並みに肥大化させるとそれを振り下ろす。


「お返しだッ!」


 空気を熱気によって歪ませるほどの一撃を、シーリは両手で柄を握り締め剣で受け止める。水の魔力を刀身に流していたに炎がぶつかり合って爆発音とともに水蒸気が吹き荒れる。一気に視界が白く染まる。

 シーリの両腕がみしりと嫌な音を響かせ、鋭い痛みが走り抜け彼女の表情が歪む。オルガはその手ごたえを感じているのか、力をより一層込める。

 このままでは力負けする。そう確信したシーリはフッと息を吐くと共に、その剣を手放し背後へと飛ぶ。


「ぬぅっ!?」


 突然、抵抗を失いバランスを崩したオルガの剣はそのまま大地を砕き焼き尽くす。その衝撃波が熱波となってシーリへと襲い掛かるが、彼女は軽く大地を蹴って飛び越えると、着地と同時にオルガへと迫る。


「はっ、素手でやるってのか?」


 驚きの表情を浮かべたオルガだったが、すぐに楽しそうに獰猛な笑みを浮かべて剣を構える。素手と剣でどちらが勝つなどと考えるまでもない。だがそれでも、シーリの目には強い投資の光が浮かんでいる。


「あまりやったことはありませんが」


 そう小さく呟くとその手に風の魔力を集める。それは瞬く間に剣の形となって彼女の手に収まる。それを目にしたオルガは大きく目を見開く。

 武器創造と呼ばれるそれは、高度な魔力制御とそれを実体化させるほどの強い魔力が必要となる高等技術。かつて、オルガもその技術を会得するために血のにじむような努力をしたものだ。


「まさか、それを使えるやつが今の時代にいたとは」


 風の剣を握り締めたシーリの反撃が始まる。

 両腕に魔力を流してその筋力を引き上げ、それを振り上げる。オルガは咄嗟にそれを剣で受け止めるが、少女からは想像できないほどの爆発的なその威力に思わず剣が弾き飛ばされてしまう。咄嗟にバックステップで勢いを殺すも、シーリがそれを追撃する。

 激しく回転した剣の切っ先がオルガの喉元目掛けて迫る。それが直撃すれば彼女の皮膚や肉、骨をもグチャグチャに引き裂き容易く命を奪うだろう。


「くっ」


 咄嗟に上体を逸らしてその一撃を躱す。そして、そのままバク転しながらシーリの剣を持った手首を蹴り飛ばす。痛みに顔を歪めた彼女の手から風の剣が離れ、そのまま形を保てず霧散していく。

 シーリは手首をさすりながら即座に下がって、先ほど自分で手放した銀の剣を拾い、水の魔力を流して構える。だがその息はかなり上がっているのか、肩で呼吸をしている。


「こんなに強い奴が今の時代にいるなんてな……」


 懐かしそうにそう呟いてオルガは、炎の剣を構える。


「さて、これで決着といこうか。」

「ええ、そうですね」



 お互いが手に持った相棒にありったけの魔力を込める。炎の剣は身の丈を超えるほどの大きさとなり、それに対抗するように水の魔力を纏った剣も巨大化していく。


 二人が鏡合わせのように動き出す。もうその頃にはすでに、人の身でどうやって支えているのか不思議なほどに、お互いの剣は巨大化していた。


 二人はほぼ同時に息を吸う。一時の静寂が訪れ、炎が空気を焦がす音と、水が大気を取り込み空気の弾ける音だけが響く。


 二人が同時に駆け出す。そして、ほぼ同時に二人は剣を振り上げる。


「ハァァァァァァアアアアアッ!」

「ハァァァァァァアアアアアッ!」


 二人の声がユニゾンしたその時、炎を纏った剣と水を纏った剣が衝突し――爆発音と激しい爆風が吹き荒れる。


 その直後、防護結界を張って無言を貫いていたニコリアが立ち上がる。


「――アンタら、この森を吹き飛ばす気かぁぁぁぁぁあああああッ!」


 そう叫んだニコリアは二人の頭に、魔力で作った不可視の拳骨を落とした。









 あれから、ニコリアの拳骨によって意識を失った二人は目覚めるなり、鬼の形相をしたニコリアによってほぼ無理矢理、床に座らせられていた。ちなみに、リゼスとリノは現在、二人が壊しまくったものを直している。


「まったく、アンタたちは何をしてんの!? この森全部吹き飛ばす気!? ねぇ、バカなの!?」


 ニコリアは二人を睨みつけ、そう檄を飛ばす。二人は顔を見合わせると、気まずそうに顔を下げる。そうすれば、額に青筋を浮かべたニコリアは魔法で風を起こして二人の顔を無理やり上げさせる。


「うぐっ、い、いや、まさか……ああも熱くなってしまうとは……はっはっは」

「は?」

「ごめんなさい。反省してます」


 底冷えするほどの冷たい声と目に、オルガは恐怖を浮かべて素直にその言葉を口にする。そうすればニコリアはフンと鼻を鳴らしてから、シーリへと視線を移す。

 その眼差しにシーリは一瞬、ぎくりとしたが、ニコリアの瞳に温かさが浮かんでいることに気が付くと、きょとんとしてしまう。


「……はぁ、貴女の実力はよーくわかったわ」


 はぁ、と大息を吐いたニコリア。そこに最初のような殺意や敵意と言った色は全くない。まるでそれが嘘だったかのように何もなかったことに、シーリはどんな顔をしたらよいかわからなかった。


「シーリ・ヴァレニアス」

「は、はいっ」


 真剣な瞳でニコリアが名を呼ぶ。シーリはピンと背筋を伸ばすと、これから何を言われるのかと膝の上に置いたこぶしを握り締める。


 ニコリアがチラリとオルガを見る。オルガは静かに微笑んで頷く。


「貴女にリゼスを託します。あの子と共にいることを許します」

「え……? そ、それは……」


 シーリが目を瞬かせる。ニコリアは少しだけ、ばつが悪そうに視線を一瞬逸らすと言葉を続ける。


「ただし、条件がある。シーリ、貴女にはリゼスの最後まで見守る義務がある。あの子が力尽きるその日まで、貴女はリゼスの隣にいなければいけない。あの子を絶対に一人にはしないと。それを約束して頂戴」


 それは条件ではない。ニコリアの心からの願いだった。


「あの子は一度、独りぼっちになった。その悲しみをもう二度と味わってほしくないの」

「私はリゼスと共にいます。私は……」


 グッと拳を強く握りしめたシーリはニコリアをまっすぐに見つめ、


「私はリゼスのことを愛していますから。この身が裂けようと、私は彼女と共にありたい」


 と答えた。







 一方その頃、オルガたちが壊した庭の片づけをしている二人。


「あー、なによこれ。人喰いの大軍でも来たのってぐらいグチャグチャじゃないのよ」


 水の魔力で作られた数人の兵士にがれきを運ばせながら、リノはそう愚痴をこぼす。無理もない、庭は見る影もないほどにボロボロであったのだ。地面のほとんどが抉れ、周りの木々のほとんどがなぎ倒され庭の広さが変わっている。


「庭にはニコ姉さんの結界が張ってあるので、ちょっと暴れたぐらいでは傷一つつかないんですけどね。私だって、ここまで壊したことはありませんよ」


 水の魔兵士に手伝ってもらいながらがれきを退かしたリゼスは苦笑を浮かべる。あのニコリアの結界を破るなんてオルガ以外にいないと思っていたのに……だが、すぐに心配そうに家へと視線を向ける。


「私はとにかく二人が心配です。ニコ姉さんは怒るとものすごく怖いんですよ。オルガ姉さんですら、頭が上がらないんです」


 そう言ったリゼスは、かつてニコリアが作った魔法薬を庭にぶちまけ、庭を半分吹き飛ばした時の彼女の形相と言ったら……思い出した今でも震えるほどに恐ろしかった。

 リノも家へと視線を向け、一向に帰ってこないシーリのことを思って軽く肩すくめると、話しを変えるように軽く咳払いをした。


「ねぇ、リゼスはさシーリのこと、どう思ってるの?」

「……突然なにを聞くんですか」


 リゼスは怪訝な表情を浮かべる。が、すぐに「私の理想の騎士で……」と答えてから言葉を続けた。


「この世で一番愛しいお方です」


 そう言ったリゼスの表情はどこまでも幸せそうだ。リノは目を瞬かせると、からりと笑った。


「そっか。それはよかった。ちなみに、気持ちを伝える気は?」

「ありません。私はシーリ様の隣にいられるだけで十分なんです。それ以上を望むなんて……」


 自分のような人間が、尊敬するその人と共に戦える。それだけで十分だと自分に言い聞かせなければ、感情が抑えられなくなってしまうほどに、彼女に対して強い思いを抱いているのだ。


「苦しそうな顔してよく言うわね。シーリなら、貴女のことを拒むことはないと思うけど?」

「……もし、万が一にそうだとわかっていても。いつ死ぬかわからぬ私ではシーリ様を困らせてしまうだけですから」

「……そう」


 二人の間に気まずい空気が流れる。リノとしては、明らかに両想いであろう二人にくっついてほしい。二人で二人の幸せを紡いでほしいと思っているのだ。だが、リゼスにそう言われてしまえば、背中を無理やり押すことはできない。


「……難しいわね」


 誰にも聞こえない音量でそう零したその時、家の扉が開かれシーリたちが出てくる。


「リゼス、帰りましょう」


 シーリのその言葉にリゼスは持っていたがれきを落とした。

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