第37話 37話 帰る場所はない



 あれから、別れの言葉を交わす間もなく追い出されるように森の外に出された三人。リゼスは時折、森のほうを振り返りながら、僅かながらの寂しさを顔に滲ませてシーリの馬に乗せてもらい、騎士団へと帰っていた。


 そして、そんな三人を追い出したニコリアは外へと通じる道を見ながら、静かに涙を流していた。おそらくもう、リゼスと会うことはできないだろう。そんな確信めいたものを感じていれば、悲しまずにはいられない。

 オルガがそっと隣に立ってニコリアの肩を抱く。その焚火のようなオルガの温かさにニコリアはグッと口を引き結ぶ。


「まったく、別れの言葉ぐらい言えばいいのに」

「うるさい。喋ってる間に心変わりしちゃいそうだったの!」


 小さく鼻をすすったニコリア。その様はまるで幼子のようだ。オルガはそんな彼女を見ながら、出会ったばかりの時のこと思い出す。その時も、こんな風に泣いていたな、と。


「アイツならきっと大丈夫さ。なんたって、私とニコの二人で育てた妹分だ。どんな困難にだって立ち向かって乗り越えていけるに決まってる」

「……わかってるわよ。でも、私が悲しいのはリゼスがいなくなってしまうことだけじゃない――オルガ、貴女がいなくなることに対してもよ」


 そう言って見上げた彼女の涙に、オルガはばつが悪そうに顔を顰める。


「どうせ、もう少ししたらまたいなくなるのでしょう。そして、もう帰ってこないつもりなんでしょ……」

「……昔から、勘の良さは変わらないな。……ああ、少ししたら、ここを出る。もうすぐ、ヤツが復活しそうなんだ……忌々しい、聖騎士団とやらのせいでな」


 そう零したオルガは憎しみの篭った眼差しで正面を睨む。その瞳はメラメラと燃えていた。


「人喰いは私がすべて葬る。そして、ヤツは今度こそ完全に殺す。それが、残された私の使命であの方との約束なんだ」

「貴女も変わらないわね」

「変われないさ。それが、私の生きる意味で死ねない理由なんだから」


 グッと握り拳を作ったオルガは疲れたような笑みを見せる。だが、自分の身体だからこそ彼女は自分の力がどこまでも弱り切っていることに気が付いていた。もうこれ以上は戦えないと体が警鐘を鳴らしている。心臓の動きも悪くなってきている。

 だが、まだ死ねない。この世にいる人喰いたちを、復活するであろうヤツを殺さなければならない。そう自身を奮い立たせれば活力が緩やかに戻ってくる。


「ごめんな」

「ごめんと思うなら、私の気持ちに応えてよ」


 ぶっきらぼうにそう言ったニコリアは顔を伏せる。オルガは意外そうに目を見開く。


「お前、まさか……」

「ええそうよ、貴女のことが好きなの。悪い?」

「ニコ……」


 オルガは言葉を失い、頭が真っ白になってしまう。長年ずっと一緒にいたが、そう思わせるような素振りが一切なかったため、一瞬信じられなかった。だが、ニコリアの目が本気だとわかると、ゆるゆると彼女の頬に手を伸ばしかけ、力なく下げた彼女は苦し気に表情を歪める。


「すまない。私が思うのはあの方だけなんだ」

「……知ってる」

「でも、とても嬉しく思うよ、ありがとう」


 にこりと幸せそうに微笑んだオルガは、そっとニコリアの体を抱きしめる。ニコリアはその体温に包まれながら静かに嗚咽を漏らした。


――苦しむ貴女にただ笑って欲しかっただけなの。










「シーリ様、体の方はもう大丈夫なのですか」


 遠慮がちにシーリの腰に掴まりながら、リゼスが問う。あれだけの接戦を繰り広げ、ほとんど休む間もなくこうして帰り道を急いでいる。馬の手綱を変わった方がいいだろうかと思いを込めてその背中を伺えば、肩越しに振り向いた彼女は安心させるように笑みを浮かべる。


「平気です。ケガもしていませんし。魔法を使わなければ時期に魔力も戻りますから」

「そうですか」


 不甲斐ない想いと、迎えに来てくれた二人に対しての感謝で複雑な思いのリゼスはその顔に一層の影を落とす。馬に乗り並走していたリノがそんな彼女の表情に気付く。


「いーつまで申し訳なさそうな顔してんのよ」

「リノ様、すみません……」

「もう、そう言うときは“ありがとう”って言ってくれればいいの。ねっ、シーリもそう思うでしょ?」

「はい。私たちは貴女と一緒にいたいから迎えに来たんです。それなのに、そんな顔をされてはこちらも悲しくなってしまいます」


 そう優しく言う二人に、リゼスは泣きそうになりながら小さく「ありがとうございます」と零す。そんな彼女に二人は満足げに「どういたしまして」と答えた。






 しばらく道なりに進んでいくと、シーリが片手をあげて馬を止め、リノも少し後ろに馬を止める。リゼスは掴まった彼女の背中から前方を伺う。だが、何の変哲もない道が続いているだけで、彼女がどうして止まったのかは分からなかった。

 リノも気付いているようで、一人わからないリゼスが声をかけようとしたその時、シーリが鋭い声を飛ばした。


「そこにいるのは誰ですか」

「そんなやっすい潜伏魔法で私たちの目を欺けると思ったら大間違いよ」


 次の瞬間、何もなかった空間が揺らめき、三人の武器を持った男たちが姿を現す。鎧を纏った彼らは山賊と呼ぶには少し装備が整い過ぎていた。だが、騎士と呼ぶには少し貧相な彼らはリゼスを見るなにりニヤリと下卑た視線を向けた。

 シーリがリゼスを守るように腰の剣に手をかける。リノも両腕を組んでいるものの、いつでも魔法を発動できるように準備をする。


「いやいや、どこに行っていたんだ? 結構探してたんだぜ」

「そうそう、まったくがこんな場所にうろついてんなよ」


 男たちの言葉にリゼスは限界まで目を見開き、シーリは射殺すほどの眼光で彼らを見回しながら「なぜそれを」と零す。そうすれば、男たちは鼻で笑う。


「バカが、あの時、人喰いになって山賊共を殺したじゃねぇか」

「ああそうだな」


 男たちの背後から聞き覚えのある男の声が聞こえる。男たちが道を開けると、そこにはあの日、山賊たちを引き連れたあの男が立っていた。その男を目にした瞬間、リゼスはその顔に強い怒りを浮かべる。


「お前は……!」

「覚えていたか。君のおかげで、シーリを殺し損ねて団長を失望させてしまったよ」


 はははと笑う男。だが、その目にありありと憎しみの色を見たリゼスたちはいつでも攻撃できるように意識を研ぎ澄ます。


「お前は、お前はなんなんだ」


 数拍置いた後、リゼスが重々しく問いかけた。すると、男はニヤリと笑って胸に手を当てて答えた。


「ああ、そう言えば名前を言っていなかったな。あの時はすぐ殺すつもりだったんだ――ルーネン・カットル。誇り高き聖騎士団では隊長をしている」

「聖騎士団……お前が……お前らが、シーリ様を殺そうとした……ッ」


 リゼスはそれを詳しくは知らない。昨日の夜に、シーリから簡単に聞いただけで、知っていることと言えば、“人喰いを殺すために守るべき人々をも殺すことを厭わない連中”だということと、あの時の山賊を引き連れた男が聖騎士団の差し金であった可能性が高い。ということであった。

 まさか、話して数時間もせずにそれに遭遇すると思わなかったリゼスは思わず笑いそうになってしまった。だが、幸運だ。リゼスはずっと、ヤツを殺してやりたいと思っていたから。


「ふっ、まさかあの、雑用係が今ではこうして騎士をやっているとは思わなかったよ。まったく、お前のせいで全部の計画が台無しだよ」


 大息を吐いてルーネンは手を額に当てて大げさに「ああ、本当に最悪だ」と言って言葉を続けた。


「せっかくもう少しでヴァレニアス騎士団を手にできたというのに……なにもかも、お前がすべて狂わしてくれたおかげだリゼス! 俺はお前をずっと探していた、人間に化けた人喰いめ、ここで殺してやる!」


 そうルーネンが言った次の瞬間、男たちが一斉に武器を抜いて襲い掛かる。リゼスとシーリはすぐさま武器を抜いてそれを迎え撃つ。

 槍を持った男がまず、リゼスへと武器を突き出す。それを、半身となって躱すとそのまま男の顔面を思い切り殴りつけ地面へと倒す。

 倒れた男を飛び越えるようにして斧を持った男がシーリへと襲い掛かる。コンパクトに軽く剣を振るって弾く。その次の瞬間、背後に立っていたリノが水の弾丸を放って男の額に風穴を開ける。


「くっそ……ここでシーリ・ヴァレニアスも殺すんだ! そして、リノ・グレン! 騎士団の支えとも言われるお前も殺せば全部丸く収まるんだ! だからここで死んでくれ!」


 ルーネンも懐から一本の杖を取り出すとそれを軽く振るう。そうすれば、彼の頭上にいくつもの拳大の火球が浮かび上がり、それらが一斉に放たれる。一つでも直撃すればただではすまない。だが、それを前にしてもリゼスとシーリが怯むことはない。


 なぜなら、背後に頼れる仲間がいるから。


「その程度の魔法甘いっての!」


 リノが軽く腕を振るう。そうすれば、ルーネンが放った火球は一瞬にしてかき消されていく。あまりにもあっさりと消えていく自身の魔法にルーネンの表情が僅かに強張る。だがすぐに先ほどの倍以上の質量で火球を展開して放つ。

 だがそんなもの、リノにかかれば蝋燭の火と変わらない。フッと軽く息を吹きかけるように彼女が息を吐けば、火球はかき消される。ルーネンは奥歯を噛みしめ「クソが」と叫ぶ。

 その間に、リノを狙って攻撃を仕掛けた男たちをリゼスとシーリの二人で撃退する。


「おらぁ!」


 槍を持った男が飛び上がりながら武器を突き刺す。リゼスはその穂先を剣で斬り落とすと、拳を突き出す。見事男の下顎に命中したそれの衝撃はすさまじく、脳震盪を起こした男はそのまま崩れ落ちる。


「ったく、情けないな!」

「全くだ」


 斧を持った男とハンマーを持った男が同時に殴りこむ。そこに立ちふさがるようにして躍り出たシーリは、駆け出しすれ違いざまに一閃。男たちがシーリを通り過ぎるとほぼ同時にその場に崩れ落ちる。そんな彼らの首から上はなくなっており、数秒遅れて二つの頭が地面に落ちる。勿論、ソレは彼らの頭である。

 鉄のニオイ、頭部を失った男たちの傷口から大量の血液が流れ、地面を赤く染める。剣に付着した血液を振り払ったシーリは静かにルーネンを見据える。


「はっ、嘘だろう。数は全然少なくても隊長クラスの人間を連れてきたんだぞ……それがこうもあっさりと行くはずが、そんなはずが……クソが!」

「この程度の人間で私たちを仕留められると思ったら大間違いね。私たち殺したきゃ、もっと強い人間をよこしなさい」


 リノがそう冷たく言い放てば、ルーネンは歯を剥き出しにして悔しさをにじませると――


「覚えておけ」

「なっ」


 ルーネンはポケットから小さな球を取り出し地面へと叩き付ける。それが割れると、中から大量の白い煙が噴き出し彼の姿を覆い隠す。毒霧を警戒してシーリとリノが鼻を腕で覆う。

 騎士としては普通の反応である。それで敵が逃げたとしても危険は冒さない。


 だがただ一人、それが無害なものだと、誰よりも早く気付いた人間がいた。


「にがさねぇぇぇぇぞ! ルーネン!」


 煙の中へと飛び込んだリゼスは、逃げようとしていたルーネンの腕を掴んで地面へと押し倒す。そして、逃げられないように彼の両足の健を剣で斬る。


「ぎゃぁぁぁぁあああああああ!?」


 ルーネンが絶叫を上げ、苦し紛れに近距離からリゼス目掛けて魔法を放つ。火球は彼女の顔面を直撃し、その顔右半分をその炎によって焼かれてしまうが、まるで、痛みなんて感じていないかのように彼女は激しい怒りを全身に纏ったまま、彼の首を掴んでそのまま握力だけで頚椎を握り潰す。

 首から下の感覚が一気に遮断された彼は、痛みというよりも、体の感覚を失ったその恐怖から声にならない声を上げる。

 

「お前はシーリ様を傷つけ、仲間を殺した。このまま逃がしてもらえると思うなよ」


 ルーネンの耳元に口を寄せたリゼスは殺意と憎悪にまみれた吐息と共に告げる。彼はどうにかして逃げようと試みたかったが、そもそも体が動かないので何もできないためにガタガタと恐怖に歯を鳴らすことしかできない。


「なぜ、シーリ様を殺そうとしたんだ」

「う、あ……」

「声は出るだろ。喉を潰した覚えはないぞ」


 頭部を鷲掴みにして顔を近づけたリゼスは呆れたように息を吐く。


「わかっていた。お前が簡単に話すとは思わないと。どこの世界にいってもそういった人間は簡単に口を割らないことぐらい」


 だから、と言って彼女は言葉を続ける。


「話をしようか」


 にこりともせずにそう言った彼女に、ルーネンはすさまじく嫌な予感がした。


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