第38話 喪失


 三人は帰り道を全力で駆け抜けていた。全員の顔には焦燥の色が浮かんでいる。あの後、リゼスはルーネンにお話という名の拷問を行い、聞き出せたことは、聖騎士団が各地の騎士団を乗っ取ろうとしており、リゼスたちの騎士団も狙っているということだった。


――今頃、ライズ・ヴァレニアスは聖騎士団に掴まって、騎士団を譲渡する契約書にサインさせられているだろうさっ!


 そう言って笑った彼はそのまま舌を噛み切って、自殺してしまい、それ以上の詳しいことを知ることはできなかった。それでも、自分たちの帰る場所に危険が迫っているということは、考えるまでもない。


「まったく、聖騎士団なんて最近はずっと大人しかったくせになんで急に」


 リノがそう吐き捨てる。そう、聖騎士団は確かに昔からいろいろと問題行動を起こしていることは騎士の中では常識であった。だが、大して影響力もなかったために、少し警戒をしておく程度でその存在が重要視されることはなかったのだ。


「もしかしたら、ずっと機会をうかがっていたのかもしれませんね」

「だから、早めに潰してやるべきだったのよ」


 そう零したリノに、シーリは少しだけ申し訳なさそうに瞳を伏せる。知っていた。彼女が誰よりも、聖騎士団の危険性を危惧して、ライズへと聖騎士団を討伐するべきだと進言していたことは。だが、人喰いと盗賊の対処に手がいっぱいで、そこまで人員を回すことができなかったのだ。

 リノもそのことを十分に理解している。理解はしているが、もう我慢の限界だった。あの時、シーリとリゼスが殺されそうになり、そして今回また襲われた。


「私の大切なものを奪うやつを許してはおけない。かならず、ぶっ潰してやる」


 グッと憎しみとも取れる声を漏らすリノ。シーリは小さく頷くと、ずっと無言でいるリゼスへと声をかけた。


「リゼス、大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが」

「え? あ、はい……大丈夫です」


 そう答えたリゼスの顔色は暗かった。シーリは人を傷つけることすら辛い彼女にあんな、拷問をやらせてしまったことを恥じる。本来であれば自分がやらなければいけなかったのに、と。


 だが、実際は違っていた。


――人喰いの力を操る力。それを思う存分使って人喰いどもを皆殺してにしてやりたいと思わないのか。


 リノとシーリには聞こえないようにそう言ったルーネンはニヤリと笑っていた。その時の言葉と顔がずっと、リゼスの脳裏をめぐっていたのだ。それが、彼女の心を酷く痛めつける。

 一瞬だけ、考えてしまった。自分のこの力を人喰いを殺すために振るいたいと。そうすれば、もっと多くの人々を守れるのではないのかと。そう考えてしまった自分に酷く嫌悪感を覚える。心が不安定になっているということなのだろうか。


「リゼス」


 真剣な声で呼ばれ、リゼスはハッと顔を上げる。そこには、まっすぐな眼差しでシーリが彼女を見ていた。アクアブルーの瞳がリゼスの暗い顔を映しだしている。


「リゼス」

「――!」


 その瞬間、頭を埋め尽くしていた嫌な感覚が薄れていくのを感じた。リゼスは意を決して零すように彼女へと願った。


「シーリ様、もう一度、私の名前を呼んでくれますか」

「ええ、何度でも貴女の名前を呼びますよ――リゼス」


 お安い御用だと言うように、愛おし気に目を細めたシーリがその名を呼ぶ。

 その瞬間、彼女の声が鼓膜を震わせすぅと心が軽くなっていく。リゼスは口角を上げると「ありがとうございます」と言った。

 そうだ、自分は騎士でリゼスという名前の人間だ。人喰いは憎いけれど、化け物と堕ちて戦いたいわけではない。人として騎士として人喰いをこの世から葬り去りたいのだ。


 リゼスは前方を見据えると、走る速度を上げた。






 騎士団の近くの村までやって来ると、三人は気付く。いつもの穏やかな空気が鳴りを潜め、殺伐とした殺意が充満していることに。先頭を走っていたシーリが片手で制して、二人を止める。そして、注意深く周囲を伺うと同時に、魔力を巡らせ周囲を探る。

 いつもなら手に取るように周囲の生物が分かるはずなのに、まるで靄がかかったかのように。だが何か巨大な何かが迫ってきているのは分かる。


「二人とも、戦う準備をしてください。何か来ます」


 その言葉に二人は頷き、リゼスは剣を構え、リノは手に魔力を込めた。


 ザワリと嫌な冷たい空気が肌を突き刺す。まるで、人喰いでも出てきそうな気配。


 だがそれは、現実となる。シーリが武器を構えて前方を鋭く睨んで戦闘態勢を取る。それとほぼ同時に、民家の影から4体のサファイア色の瞳を持った人喰いが飛び出す。それらは、三人の姿を見るなり、いっせいに三人目掛けて襲い掛かる。


「なんでこんなところに人喰いが!?」

「わかりません! とにかく倒さなければ! リゼス、私に合わせて下さい」

「はい!」


 シーリとリゼスが同時に駆け出す。駆け出しながらシーリは剣に水の魔力を流し、リノはリゼスの剣へと風の魔力を流し込んだ。

 青と緑の光を纏った剣を握り締めた二人。まず、シーリが鮮やかな動きで4体の人喰いの胴体を斬りつける。それに続いて、リゼスがシーリが刻んだそれに重ねるように斬りつける。

 パキリと人喰いの体に刻まれたシーリの水属性とリゼスの風属性がまじりあい、それは氷となって人喰いたちを一気に凍り付かせる。


「他人の魔力融合なんて普通はできないんだけどね」


 自分の魔力を融合させるのに一苦労なのに、他人の魔力。それも、戦闘中にやってのける二人の絆と魔力操作の技術にリノは脱帽の息を吐きながら、炎の矢を凍り付いた人喰いへと放ち、その身を砕く。

 ガラスの砕けるような音と共に、パラパラと雪のように結晶が舞う。三人にかかれば、サファイアの人喰いがいくらやって来ても相手にはならないだろう。


 民家の影から次々と人喰いが姿を現す。その全てはサファイア色の瞳を持っていたが、その数はあっという間に20を超えてもなお増え続けていた。

 舌を鳴らしたリノはすぐさま魔法を展開し、


「いくら来たって相手じゃないけど……それでも、限度ってもんがあるでしょ」


 と悪態をついた。






「よぉ、ライズ・ヴァレニアス。随分と無様な姿だなぁおい」


 暗い、地下室。そこの中央に鎖で繋がれたライズは目の前に立った男を鋭く睨みつけた。ライズの体はボロボロであった。いくつもの切り傷や殴られたような跡。左目に至っては抉り取られたように潰されていた。

 ライズの前に立つ男はその顔を見て、愉快そうに笑う。


「聖騎士団め。随分と大胆だな。今迄のように日陰で文句を垂れていればいいものを」

「はっ、さすがは騎士団長様だな。こんだけボコボコにされてんのによくもまぁ、心が折れないもんだ」

「ほざけ。この程度で俺の心が折れると思うな。俺の心は何があろうと折れることはない!」


 獰猛な肉食獣のような眼光。男は忌々しそうにすると、ライズの頭部を思い切り殴りつけた。脳を揺さぶるほどのそれにライズはグッと奥歯を噛みしめて意識が飛ばないように耐える。


「ふんっ、まぁいい。もうすぐ、俺の仲間がシーリを連れてくるはずだ。そしたら、お前の前で存分に楽しんでから殺してやる」

「下衆が! そんなことをしてみろ、刺し違えてでも貴様を地獄に連れていってやるからな!」


 男へと向かってそう吠えるライズ。彼を縛り付ける鎖がジャラリと音を鳴らす。


「本当に忌々しい奴だな。たいして強くもねぇクセに、シーリと言いリノと言い、どうしてお前の周りは才能あるやつばかり集まるんだ? それによぉ、一番はあれだ――人喰いになれる人間。俺たちが欲してやまないそれをなんでお前が持っているんだッ!」


 男は憎悪を剥き出しにしてそう叫ぶ。ライズはある程度の冷静さを取り戻すと、男を観察する。まるでかんしゃくを起こす子供のようだ。だが、そんな彼の言葉に引っかかりを覚える。


「お前たちはリゼスの状態を知っているのか」

「知ってるさ。あれは人狼と言って、人喰い共を凌駕するほどの力を持ったそれこそ、この世から人喰いを絶滅させる兵器だよ! まったく、どうやってあれを

「創った、だと……?」


 意味の分からないそれにライズは不快そうな声を漏らす。男はにやにやと笑って懐から拳大のエメラルドを取り出す。それを目にした瞬間、ライズは彼が持っているそれが人喰いの瞳だとわかるだろう。

 ゾワリとするような魔力を纏ったそれに、強い怒りを感じたような気がしたライズは小さく生唾を呑んだ。


「お前、やったんだろ? 人喰いの目をリゼスに埋め込んだんだろ?」


 その言葉にライズは大きく目を見開く。


「なにを、言っているんだ……貴様は……」

「あ? 違うのか? じゃあ、どうやってアレを創ったんだよ。人狼ってのは生きている人間に人喰いの目玉をぶち込まなきゃ生まれねぇ。てっきり、お前がやったんだと思ったんだが……その顔を見る限り、違うみたいだな」

「人喰いの目を生きている……人間に……だと……」


 あまりのおぞましさにライズの顔から色が消える。そして、リゼスのことを思い浮かべる。


――育ての魔法使いが私の心臓を診てくれているんです。普通の生活に支障はありません。


 雑用係として雇うとき、ライズへとリゼスはそう言って悔しそうに笑っていたことを思い出す。そして、彼の脳裏に嫌な仮説が浮かび上がってしまう。

 それは、リゼスの育ての親がリゼスを人狼へと変えたという仮説。その瞬間、ライズの背筋に冷たい悪寒が走り抜けていく。すると、男がライズの顔を覗き込む。


「俺たちは数えきれないほどの実験を繰り返した。だがどれも、失敗して死んじまった。生きているやつはアイツだけ。人狼化を成功させた奴を知っているな? 教えろ。もしくは、リゼスを渡せ」

「……教えるわけないだろう。アイツも絶対に渡さん」

「なぜだ。お前も人喰いを憎む者だろう? 人喰いの絶滅を望んでいるだろう? ならば、人喰いを殺せる人狼という兵器が人間には必要だろう? 俺たちならば、うまく使ってみせる」


 激昂していた時とは打って変わって、男は喉の奥から絞り出すように零す。そんな彼の表情は苦し気で、心の底から人喰いをこの世から消し去りたいと願う者の顔だった。ライズはグッと唇をかみしめる。

 聖騎士団は人喰いの絶滅を願い、そのためにならば犠牲も道徳を捨てることも厭わないということ。だが彼は知っている。それは人々の平和を願うからだということを。


 だがそれを知っていても、ライズは男の言葉に首を縦に振ることはない。


「お前らは、リゼスを兵器と呼んだな? あいつは人間だ! 物なんかじゃない! アイツは誰よりも高潔な騎士だ! アイツを兵器呼ばわりする貴様らにリゼスを渡すものか!」


 喉から血が出そうなほどにそう叫んだライズを、男はスッと目を細める。その瞳は氷のように冷え切っていた。


「……残念だ。ならば、お前には死んでもらう」

「ふっ、俺が死んだところでお前らが破滅する未来は変わらんよ」

「そうはならん。なんせ、お前はただ死ぬわけではないのだから」


 ニヤリと笑ったその男は、手に持ったエメラルドとライズのぽっかりとあいた左目を見やった。その視線に、ライズの頭を嫌な予感がよぎる。


「丈夫な体と心を持つ騎士ならば、成功するかもしれないな」

「なにを、お前は……!」

「なーに、少し痛い思いをするかもしれないが、すぐに全部なくなるさ」


 男の持ったエメラルドがライズの左眼窩に埋め込まれる。次の瞬間、想像を絶するほどの凄まじい痛みが走り抜け、ライズはたまらず絶叫を上げた。


「――ぐぁぁぁぁあああああああああああああっ!?」


 左眼窩を中心に神経を焼かれるような痛みが全身を包む。それは、瞬く間に彼の体を蝕み破壊すると、人ならざるものへと変貌させていく。皮膚が裂け血が噴き出す。すると、その血はまるで生き物のようにうごめいて彼の体を包む。


「がぁ、あぁぁぁああああああ……!」


 エメラルドからもたらされた人喰いの魔力が彼の神経をずたずたに引き裂く。想像を絶するほどの激痛に晒されながらも彼は意識を失うこともできず、自分の体が無理やり作り替えられていく現実を受け入れることしかできない。


 ライズは自分の心が無くなるのを感じながら、リゼスはいつもこんな感じだったのかと思い浮かべる。


――コロセ、コロセ、コロシタイ。ゼンブクライツクシテヤリタイ。


『スマ……ナイ……』


 黒きケモノとなったソレの瞳から一筋の涙が流れる。


『グォォォォオオオオオオオッ!』


 そのケモノは喉を天へと向けると、高らかに世界を憎悪する産声を上げた。


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