第39話 隻眼のケモノ
――グォォォォオオオオオオオッ!
騎士団へと足を踏み入れると同時に、轟く叫び声。骨の髄まで響くようなその声に、3人は立ち止まると、互いに顔を見合わせた。
「い、今の声は……?」
「わからない、でも……間違いなく人喰いの声よね」
声のした方を睨みつけるようにしたリゼス。その異変に気付いたシーリが声をかける。
「リゼス?」
「なんだあの声は……」
「リゼス、どうかしましたか?」
「あんなに、悲しい声……聞いたことがない」
グッと奥歯を噛みしめたリゼス。そのグレーの瞳には強い悲憤の色が浮かんでいた。
幾度となく、人喰いの声は聞いてきた。そこに感情を感じたことなんてない。でも、今の声は明らかに悲しみ、怒っていたのだ。それほどまでに、強い感情が篭った声であった。
もう一度、叫ぶようなケモノの咆哮が轟く。それは、リゼスの心臓へ締め上げるような痛みを与える。その痛みにリゼスが顔を歪めれば、シーリが駆け寄ってその背に手を当てる。
「リゼス! 大丈夫ですか。顔が真っ青じゃないですか」
「大丈夫です……ただ……ッ」
――コロシテクレ!
ケモノの叫ぶ声が心臓を叩く。リゼスはゆるゆると、下がりかけていた顔を上げて声のした方を見つめる。そして、シーリとリノの二人を見やる。
「聞こえるんです。あの声は苦しんでいる。殺してくれと言っている。私は、それに応えなきゃいけない気がするんです」
使命感にも似た強い思いが心臓から湧き上がって、体に力を与える。この、現象がどうして起こっているのか全く分からない。でも、それを無視することはできない。というよりも、無視をしようとすると許さないと言わんばかりに心臓に激痛が走り抜けるのだ。
シーリはジッとリゼスの瞳を見つめる。その眼差しにどんな思いが渦巻いているのか、リゼスにはわからない。
「まずは、声の正体を探しましょうか」
「いいんですか」
リゼスは気まずそうに問う。本当であれば、シーリはライズをまず探したいはずだ。だが、それを後回しにしろと言っているようなものだ。その考えをシーリは読み取ったのか、微笑みその手を伸ばし頬に当てる。
その体温にリゼスがピクリと反応する。
「私もあの声の主が気になります。大丈夫です。団長は……父はそう簡単に折れる人ではありませんから」
「シーリ様……ありがとうごうざいます」
二人が見つめ合っていると、リノがため息を吐いた。
「二人とも、仲良くするのはいいんだけどね、ちょーっとこっちに意識戻してくれる?」
そう言われ、二人は頬を赤く染めながらリノの方へと顔を向ける。すると、騎士団の奥から聖騎士団の人間と思われる武器を持った男女数人がこちらに向かって走ってくるところであった。
シーリが鋭く目を細めて、腰の剣を引き抜き構える。リゼスもそれに習って剣を構える。
「シーリ! お前を連れていけば俺は隊長になれるんだ!」
「だから、ここで大人しく捕まってくれやぁぁぁ!」
「リノ! 前からアンタのことはいけ好かないと思ってたの! 私こそがこの国一番の魔法使いなんだから! ここで死んで!」
嬉々とした笑みを浮かべた騎士が襲い掛かる。その笑みに狂気の片鱗を感じとった三人は表情を引き締める。
「国一番の魔法使い。くだらない肩書を望むのね」
リノが冷たく言い放っててに魔力を込めて地面に落とす。そうすれば、魔力は一体の骸骨兵となる。それは、手に持った炎の剣を構えた。
「なによそれ、そんな魔法見たことないわよ! 死ねぇぇ!――ウォーターボール!」
「その程度の水じゃ意味がないわよ。兵士よ、行きなさい」
リノの指示に兵士が動く。上等な鎧を纏ったそれは、重さなんて感じさせない俊敏な動きで炎の剣を振るって、女騎士が放った水の球を炎の熱によって斬り捨てる。シュウという音と共にかき消された水の魔力が水蒸気となって兵士の姿が白む。
「なんで、水属性が負けて……!?」
「魔力の差よ。その程度もわからないなんて、魔法を使う者としてどうかと思うけど」
「貴様……!」
女騎士は憎悪をその目に浮かべると、両手を突き出してそこへ魔力を込める。
「千切りにしてやるわ! ウォータースライサー!」
「魔法を使うときに両手をさらけ出すなんて……バカね」
そうリノが呆れたように呟く。女騎士がニヤリと笑って魔法を発動した次の瞬間――女騎士の両肘から先が宙を舞った。
「……え?」
炎で焼き切られた傷口から血が流れることはない。数秒遅れて、ゴトリと斬り落とされた両腕が落ちて転がる。女騎士はそれが自分のだと気付くのに数秒時間を要する。そして、脳がそれを理解するなり絶叫を上げて床を転げまわった。
「ギィィヤァァァァアアアアアアアッ!?」
その叫び声はシーリたちへ今まさに斬りかからんとしていた男たちを止めるには十分。凍り付く空気の中でひたすら、女騎士は叫び声を上げ続ける。リノはそんな女騎士を冷たく見下ろして片手を上げる。
「貴女、本当に魔法を志す者なの? 地獄へのお土産で教えてあげるけれどね、魔法使いが手を掲げる時はね……とどめの時よ」
静かに腕を振り下ろす。その次の瞬間、女騎士の首へと兵士が炎の剣を振り下ろす。
「か、あ……っ」
苦悶の表情を浮かべた女騎士の頭部が転がる。兵士はそれを一瞥すると、ぐるりと体の向きを変えて男たちを見据える。今にもケタケタと笑いだしそうな恐ろしい形相に、男たちが僅かに後ずさりを始める。それに気付いたリノはニヤリと笑うと、
「1人死んだぐらいで逃げるの? それはちょっと、やる気がないんじゃない?」
パチンと指を鳴らす。そんな彼女の背後には各々武器を持った骸骨兵士が5人立っていた。
あれから、骸骨兵士たちがあっという間に騎士たちを打ち倒し、三人はケモノの声がした方へとかけていた。辺りを警戒しながら、シーリはずっと抱いていた疑問をリノへと投げかける。
「リノ、先ほどのあれは? 森で戦ったものと同じに感じたのですが」
「ん? ああ、あれね」
ふふんと得意げに鼻を鳴らしたリノは言葉を続ける。
「伝説の魔法使いさんに教えてもらったの」
「え、ニコ姉さんが!?」
彼女の言葉に真っ先に驚いたのはリゼスであった。
理由は簡単。リゼスが知る限り、ニコリアという人物は自分の魔法に強い誇りを持っている。そして、その技術がとても危険なものだとも強く理解している。だからこそ、軽々しく出会って間もない他人にその技術を授けたりしないはずだった。
「まさか、ニコ姉さんが……それを教えるなんて、それにいつの間に」
骸骨兵。それは、ニコリアが創った魔法の一つ。意志を持った兵士として、ニコリアの命令には絶対の忠実なる兵士。リノが使ったものに兵士の意志は宿っていなさそうだったが、その強さは遜色ないようにリゼスは思った。
「まぁね、あの夜貴女たちが仲良くしているときにね」
「なっ」
ニヤリと悪戯を企む子どものような目を向けるリノに、二人の頬に赤みがさす。そして、さっと互いに顔を背ける。そんな二人の反応にクスリと笑みを零す。
――リゼスを守って欲しい。
脳裏に浮かぶはニコリアの悲し気な笑顔。
「……頼まれたからね。その代わりにと、彼女にはいろいろと教えてもらったの」
話を終えると丁度、三人は声の主がいると思われる部屋へと到着する。そこは、人狼の訓練を行っていた泉の庭へと続く場所であった。その扉を前にしてシーリの表情が強張る。言葉に出さないものの、全員がライズもこの先にいるだろうと考えていた。
「……行きましょう」
扉を開けて、三人は訓練場へと足を踏み入れる。ゾワリと背筋を撫でるような殺気が彼女たちを包み込み、全員の表情が強張っていく。濃密な魔力がそよ風のように肌を撫でる。
――オォォォオオオオオオ。
フルートを奏でるような声が響く。リゼスはそれが聞こえた瞬間、その中央で音を奏でるケモノを見た。
漆黒の毛皮に覆われた5メートルほどの大きさ。鋼鉄をも引き裂くほどのかぎ爪を両手に持ち、肉食獣のような精悍な横顔にエメラルド色の瞳が部屋の薄明かりを反射して煌めく。ギラリと乳白色の牙が並んだソレがゆっくりと三人へと顔を向ける。
「――!」
そのケモノは隻眼であった。右目はまるで最初から“目”という部位が創られなかったかのように空白であった。
「なぜ、人喰いが……しかも、災厄級が……!」
「それは、俺が答えてやろうか」
シーリが絶句したその時、そのケモノの背後から一人の男が姿を現した。その男は、上等な鎧を纏っており、ほかの聖騎士団たちの上位に位置する者だとわかるだろう。
その男は、シーリ、リノと順番に見ると、最後にリゼスをじっくりと舐めまわすように見つめた後、目を細めて薄く笑った。その笑みにゾクリとした悪寒を感じたリゼスは眉を顰める。
「まったく、どこに行ってたんだ? 結構探したんだぜ? おまけに、仲間の何人かはお前らを殺そうとしてるって聞いてたもんだから、心配もしていたんだ」
わざとらしくしおらしくする男に、三人は反応は示さず冷たく見つめる。すると、その視線に男は額に手を当てて大げさにため息を吐いた。
「あなたは誰なのですか」
「俺か? 俺は聖騎士団で隊長の一人を務めているヤゴンだ。あ、言っておくけど、ルーネンと一緒にするなよ? 俺はあんな奴よりもずっと優秀だからな」
そう言いながら、ヤゴンは隣に立つケモノの体をバシバシと強く叩いた。ケモノは意志を感じさせない様子でジッと佇んでいる。
「強そうだろ? まぁ、エメラルドだから強いんだがな。今から、お前らにはこれのテスト付き合ってもらおうと思うんだよ」
「テスト……だと?」
「そうさ、リゼス。これはな、
その言葉に三人に衝撃が走り抜ける。
「リゼスと、同じ、存在……ですって」
「ああそうだ。まぁ、ちょーっと不手際があったから、人に戻ることはできないんだがな。でも、コイツはリゼスよりもずーっと強いぜ?」
ニヤリと彼が笑った時、彼が人狼と呼んだケモノはギロリとエメラルド色の片目をリゼスへと向ける。そこに感情が宿っているかわからない。わからないはずなのに、
――コロセ、コロシテクレ。
そんな、思いを見たような気がしたリゼスはグッと唇をかみしめる。そして、腰の剣を引き抜き構えた。
「シーリ様、早くアレを楽にしてあげましょう。アレは苦しんでいます……」
苦しげに零すリゼスにシーリは頷く。
「リゼス、わかりました。リノ、いいですか」
「ええ、いつでも準備万端よ!」
三人が戦闘態勢を取る。ヤゴンは一歩下がると左手を掲げる。
「さぁ行け! その力を存分に振るってみせろ!」
『――ォォォオオオオオオオオオオッ!』
ケモノが駆け出す。それとほぼ同時にリゼスは駆け出すと、ケモノが振り下ろしたかぎ爪を剣で弾き飛ばす。その後に続いて駆けだしていたシーリが軽く飛び上がってケモノの右肩口から左わき腹を切り裂く。
ケモノが声を上げながら後退する。一番背後で魔力を貯めていたリノは背後に氷の槍をいくつも展開すると、それを一気に放つ。それは、凄まじい速度でケモノの体を貫き、そのまま訓練場の壁へと叩き付けた。
『グルァァァァッ!』
息をもつかせない連携攻撃。ルビー程度の人喰いであれば、今の攻撃で決着がついていただろう。それほどまでに、完璧な攻撃ではあったが……
「やっぱり、あの程度じゃダメか」
リノがそう吐き捨てると同時に、ケモノが立ち上がる。その体には傷一つない。ルビーとは比べ物にならないほどの強さを誇るとされるエメラルド色の瞳を持った個体。それとほぼ同等の強さを持っていると思わせるには十分なそのケモノは濃密な魔力を体に纏い、その場を圧迫する。
「まずい、全員耳を塞いでください!」
シーリがそう叫ぶと同時にケモノは大きく口を開き轟くような咆哮を上げた。
『ォォォォオオオオオオオオオオッ!』
骨の髄を揺らすほどの大音量。全員は両手で耳を塞ぎながらリノは全員へと咆哮を中和する魔法をかけるがそれでも完全には防ぎきれず、ケモノの咆哮が収まるころには三人の耳からタラリと血が流れ出ていた。
「くぅっ、こんなにすごい咆哮を喰らったのは久々ね」
全員の耳に治癒魔法をかけたリノはそう吐き捨てる。エメラルドの人喰いと戦ったことはあった。その時はまだ未熟で鼓膜が破れてしばらく動けなかった時をリノは思い出す。
「二人とも、動けるわね?」
リノの問いに二人は頷く。リノは頷き返すと、その手に魔力を込める。辺りに彼女の魔力が満ちていく。二人はどこまでも優しいその魔力に気を持ち直すと武器を構えて駆け出した。
「はぁぁぁぁっ!」
「はぁぁぁぁっ!」
リノの魔力が充填された銀色の剣を二人は同時に振るう。その剣閃は一寸の狂いもなく正確で、ケモノは躱すことができずに咄嗟に両腕をクロスさせてガードする。が、濃密な魔力を纏った刃は強靭な毛皮を切り裂き筋肉をも切り裂く。
ケモノの体が大きく後退する。が、すぐに反撃が始まる。ケモノは両腕に魔力を込めて切り裂かれたその傷を再生すると、リゼスへと拳を振り下ろす。
「っ!」
リゼスは即座に剣を立てのように構えて防ごうとするが、大岩でも激突したような衝撃に耐えきれず彼女の体は後方へと吹っ飛ばされてしまう。彼女は剣を地面へと突き刺し、がりがりと地面を削って何とか耐えると、腰に下げていた赤い小瓶を取り出しそれを剣へと叩き付ける。
「シーリ様! おねがいします!」
そう叫ぶと同時にリゼスはその場で炎を纏った剣を振り下ろし、炎の魔力を斬撃として飛ばす。その射線上に立っていたシーリは背中越しにそれを確認すると、剣に風の魔力を流してから軽く飛び上がる。
そして、斬撃を飛び越えた彼女はそれに合わせるように風の魔力を斬撃として飛ばす。
風の斬撃によって後押しされた炎の斬撃はその速度を速め、勢いよく燃え上がる。それは、ケモノへと直撃後に爆発。爆風が吹き荒れ、着地したシーリは警戒したまま砂埃が晴れるのを待った。
『グォ……』
砂埃が晴れるとケモノは両腕と左足を失い胸部から大量の血を流し、左足を失った影響か片膝をついていた。あそこまでの傷では回復にも時間がかかるだろう。シーリはここでとどめを刺さなければと剣を握り締めたその時――ずっと眺めていたヤゴンが口を開く
「やっぱり、出来立てほやほやじゃあダメか」
本来、エメラルドの人喰いはあんな小娘三人程度で倒せる相手ではない。災厄とも呼ばれるのだから。あの人狼も本来の力を使えばあの程度でやられそうになるはずがないのだ。むしろ、あの三人を瞬殺してみせるはずなのだ。
まだ、素材同士がうまくどうかしていないのだろう。それに加えて、ベースとなっている人間の意思が働いているせいか、殺意が低いというのも原因の一つだろう。ヤゴンはふむと顎を軽く撫でる。
「まだ、壊されてほしくないな」
そう零した彼は今まさに駆けださんとしていたシーリをニヤリと見て、
「おい、それ殺していいのか?
そんな一言を放った。
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