第26話 そこまでの憎しみを持たれているとは
馬車に揺られること一時間。目的地は山の奥のほうにあるため、そこから歩くことまた一時間。ようやくたどり着いたそこはまさしく廃村と呼ぶのにふさわしいほどにボロボロで人気のない寂しい風が流れていた。
鎧に身を包んだ男たちは酒臭い息を吐きながら、廃村を見据える。そこは驚く程の静寂に包まれている。少し後ろから様子を伺っていたリゼスは彼らと廃村を見て眉を顰める。その目にはありありと不信感が浮かんでいる。
「狩りに出てるのか?」
「さぁな。まぁ、いないなら今のうちに金目の物を漁っておくか」
どこぞの盗賊だろうとリゼスは心の中でため息を吐くと同時に、人喰いを相手にする予定だと言うのに随分と調査がおざなりではないかと思う。
リゼスはちょくちょくシーリやリノに騎士のことや、任務などのことについていろいろと教えてもらっていた。その中で、特に人喰い討伐の任務は慎重に行わなければならないということをよく言われていた。
だからこそ、彼らに対して不信感が募っていく。
「おい、なんだその目は」
リゼスを見下ろした一人の男騎士が蔑むように言う。
「いえ、別に」
「ふんっ、雑用上がりが」
まるで、汚らわしい物でも見るような目でそう吐き捨てる男。確かに嫌われていることは自覚していた。ああも毎日一部の人間からそう言った目を向けられていれば嫌でも自覚せざるを得ないのだから。
リゼスは胸の中で“シーリ様、早く来てくれ”と願った。
「おい、何遊んでる。そろそろ村に入るぞ」
ジョニーの言葉に、男はフンとリゼスを一瞥し彼らの輪の中へと入っていく。取り残されたリゼスはムッとした表情で、彼らの後を追った。
村の中はやはり、驚く程に静かだった。どの家屋もボロボロで、外壁は蔦に覆われ細かい罅が刻まれている。中をそっと覗けば雨漏りしているようで、湿った埃のニオイが漂う。が、その中に血のニオイのようなものをリゼスは感じとる。
「なんだ、やっぱり狩りに出てるっぽいな」
「ああ、村の外に向かって足跡があった。見た感じ出たばっかりだったな」
「おっ、ラッキーじゃん。んじゃあ、どんどん漁っちまおうぜ」
次々と家屋を物色し始めた男たち。その楽し気な雰囲気にリゼスはどうしても不快感を感じてしまう。騎士がこうして臨時報酬を得るということが一般的だということはわかっている。わかってはいるが、ああして楽し気にするのはどうかとリゼスは思う。
「おっ、こりゃあ高そうだ。女物に男物、お揃いで買ったんだな」
「こっちには時計か。裏には名前が書いてあるな。ちっ、価値が下がるじゃねぇか」
そこにあるものはかつて誰かの物だったのだ。少なくとも、持ち主の思い出が詰まっている。それをあんな風に乱雑に扱ってしまうのは、騎士ではなく盗賊と同じになってしまうのではないのだろうか。
近くの木に寄り掛かりながら、リゼスが静かに辺りを警戒していると、不意に何かの気配を感じる。スン、と鼻を鳴らして風の匂いを嗅げば――獣のニオイが鼻を突いた。
その次の瞬間、獣の声が響く。
すると、村の入口から狩りから帰ってきたのか、三体の人喰いたちがのそのそとこちらへとやって来ているところであった。リゼスがハッと息を呑むとほぼ同時に、人喰いも彼女の存在に気付き、ぎろりとサファイア色の視線を向ける。
力持たぬ人間からすれば恐ろしい存在であることは変わりないが、騎士にとってサファイアの人喰いはそこまで強くない。それなりに経験を積んだ騎士であれば1対1は全く問題ないだろう。が、それはしっかりと準備をしていればの話である。
「マズい」
リゼスは自分の腰にそっと手を伸ばし、そこに魔法薬がないことに気が付く。サファイアであれば、魔法がなくとも理論上倒すことは可能とされているが、それでもいくら実力があるとはいえリゼスにはかなりきつい状況だ。
ちらりと、ほかの騎士がいる民家を見る。知らせるべきだ。そう思った時、窓からこちらを見るひとりの騎士に彼女は気付くだろう。
人喰いがいると、ジェスチャーで伝える。すると、その騎士はニヤリと笑って部屋の奥へと消えていく。リゼスは訝しみながら人喰いたちがこちらにゆっくりと向かってきているのを確認すると、腰の剣を引き抜き――
「おい」
ジョニーが民家から出てくる。リゼスは安堵の息を吐く。
嫌われてはいたが、やはり任務ということもあり助けてくれるようだ。彼はリゼスをニヤリと見ると、小さな赤色の小瓶を取り出す。
それに見覚えがあったリゼスは大きく目を見開く。
「まさかそれは……!」
黄色に黒字の札が張られたそれは、以前リノの実験に付き合った時に見せてもらった物によく似ている。確かそれには“危険物”と言う意味が込められているはずだった。
彼の表情を見る限り、それを人喰いに使うとは思えない。そこまで考えたリゼスは顔を引きつらせる。そして、その嫌な予感はどうやら的中するようだ。
「俺たちはまだやることがあるんだ。時間を稼いでおけ」
その言葉と共に彼女の体にぶつけられる小瓶。パリンと彼女の体にぶつかって割れたそれの中身が彼女の体を濡らす。
それは、どこか甘くも生臭い血の香りがしていた。そのニオイが風に乗って人喰い達の元へと運ばれていく。
その次の瞬間、ゆっくりと歩み寄っていた人喰いたちに変化が起こる。それらはギラリと獰猛な色を浮かべ、低く唸り声を上げる。それは先ほどまでの様子を伺うものとは打って変わって――明らかな獲物を目の前にした獣のそれだった。
「じゃ、よろしくな」
ジョニーが笑って民家の中へと消えていく。リゼスは体についた赤色の液体を一瞥すると、イノシシのように猛スピードで迫りくる人喰いたちを見据える。
そう、彼女の体についたそれは、現在開発中であった人喰いを引寄せる特殊な液体であった。
「くっそ、これが……これが私の憧れていたものなんて……っ」
とつてもなく腹が立つ。人々を守り、世界を守る尊き存在がリゼスにとっての騎士。それを泥だらけの足で踏み荒らして汚すようなやつらがいると思うと本当に腹が立つ。
そんな彼女の気持ちを肯定するように、胸に下げたペンダントがギラリと狂暴な光を帯びる。同時に、彼女の心臓もドクリと波打つ。
「覚えてろよ。絶対に、こんなこと許さない」
もう限界だ。ここを生き残り、必ずや穢れた騎士たちはそのままにはしておかない。リゼスは腰の剣引き抜くと、
「相手してやる。かかってこい!」
そう叫び駆けだした。
「はぁっ!」
先頭にいた人喰いが鋭いかぎ爪を唸り声と共に振り上げる。リゼスはそれをくぐるように躱すと、そのまま剣を振り上げ人喰いの脇へと突き刺しそのまま振り抜く。するどい刃はあっさりと人喰いの肉を断ち筋肉をも切り裂く。
正確に関節の間を抜けた剣。人喰いの肩から先が放物線を描いて地面へと落ち、人喰いは驚いたような声を上げる。
だがまだ彼女の攻撃は終わらない。傷口を抑えて距離を取ろうとする人喰いに飛び掛かると、片手で人喰いの下顎を掴み無理矢理天を向かせる。そしてピンと貼った首筋に剣を突き刺すと、そのまま横に切り裂く。
『グォ……ッ』
ビクリと敬礼した後、脱力する人喰い。それを土台に飛び上がったリゼスは遅れてやってきた二体目の人喰いの横なぎに払われたかぎ爪の一撃を躱すと、そのままその人喰いの脳天へと剣を突き刺す。
メキリ、グチャリ。頭蓋骨とその奥に守られている脳みそが潰れる感触が剣越しに伝わってくる。憎き存在ではあるが、コイツも生き物だという事実を知らしめられているようで少しだけ心が軋む音を立てる。
だが、これは人々を守るためだと自分に言い聞かせ一気に引き抜く。真っ赤な鮮血を吹き出しながら倒れる人喰いの体を押しのけたリゼスは最後に突っ込んできた人喰いへと肉薄する。
その牙で引きちぎらんと人喰いは大口を開けて迫る。リゼスは膝を折って体勢を低くし人喰いの懐へと潜り込むと、そのまま柄頭を人喰いの下顎へと突き刺す。
『ゴアァッ!?』
強い衝撃に人喰いの体が浮き上がる。リゼスは大きく晒された人喰いの胸へと剣を突き刺す。背中へと刃が突き抜ければ、人喰いは苦し気にあがく。が、すぐに力尽きる。リゼスは剣を引き抜くと、血を振り払って息をつく。
そっと左胸に手を当てる。心臓はいつもと変わらない鼓動を刻んでいる。そこそこに動いたはずだが、異様なほどにいつも通りだ。リゼスは少しだけ違和感を感じつつも動いているのならば問題ないかと考える。
「サファイアなら何とか戦えるみたいだ」
訪れた静寂。鼻を突くのは体に付着したあまったるい液体と人喰いの飛び散った血液のニオイ。早くどこかで体を洗いたい。そう思ってリゼスがなんとなしに村の入口方面を見る。
「うそ、でしょ」
そこには十体はいるだろうか、サファイア色の瞳を持った人喰い。そして、その群れを率いているであろう一際大きな体を持った人喰いがリゼスを見ている。
「まさかそれはちょっと……」
ギラリとルビー色の鋭い瞳が呆然と立ち尽くすリゼスを射抜く。そこに友好の色はない。ただ、自分の縄張りへと不用意にも足を踏み入れた愚か者を見るような冷たい色が浮かんでいた。
死がやって来る。そう確信するには十分すぎる。
「ああ、くそっ」
目の前の光景に絶句し吐き捨てる。
まだ心臓は悲鳴を上げていない。ならば、あがくしかない。それに、ジョニーの言葉を信じればいずれここにシーリがやって来るはずだ。そうなればきっとどうにかなるはずだ。
グッと剣を握り締めたリゼスは、目の前の絶望へと飛び込むのだった。
「リゼスと任務に行ったんじゃ?」
リノの言葉にシーリは眉を顰め、訝し気に彼女を見つめる。
「リノ、なにを言っているのですか。今日は貴女と魔法薬の実験と聞いていましたが」
「あれ? おかしいわね。ジョニーからシーリとリゼスと一緒に任務に行くからすまないって謝られたわよ」
「任務なんて聞いていませんが」
その声に鋭さが浮かぶ。そこでリノも現状に不信感を抱いたようだ。すると、黙っていたライズが「ううむ」と声を漏らす。が、それだけで何か言うことはない。
「ジョニーって、確かリゼスのことを嫌ってなかった?」
リノが不信感をあらわにして問う。シーリはそれにぎこちなくうなずく。
シーリもリゼスが一部の騎士とうまくいっていないことは知っていた。そして、ジョニーはよく周りにそうしたことを話していたことも。シーリ自身、彼から「リゼスは騎士に向いていない」とも言われていた。
「ねぇ、ものすごく考えたくはないんだけどさ……リゼス、誘拐されたんじゃないの?」
リノの言葉にシーリは大きく目を見開く。その顔にぞっとするほどに冷たい色が浮かぶ。リノはその横顔を見てしまい思わず戦慄する。
軽い気持ちで考えを口にしたがどうやらシーリの地雷を踏んだようだ。そして、忘れていたが彼女には冷たい一面もあったことを思い出す。
「シーリ、今のは考えってだけで別に……」
「そういった可能性もなくはありません」
硬い声にリノは助けを求めるようにライズを見る。これ以上何か言っても、彼女の地雷を踏み抜いてしまいそうだ。
「ジョニー達はここからは遠くない廃村に行った。確認に行くならば早馬を使え。そう時間はかからんだろう」
「ちょ、団長? まだそうと決まったわけでは……」
「仲間が誘拐なんて馬鹿なことは信じたくないが、現状リゼスがいる可能性が高いのはジョニーのところだ。本来であれば調べてからだろうが、アイツはじっとしていられないようだ」
「え?」
ライズが顎をしゃくる。リノが視線を向ければすでにそこにシーリの姿はない。
「ウソでしょ!? 本当もう、シーリはリゼスのことになると何も考えないんだからっ!」
リノがそう言って盛大なため息を吐く。と、ライズはどこか困ったような微笑みを浮かべる。
「リノ」
「なんですか」
「あいつら二人のこと、頼んだ」
懇願するような声色。リノは一瞬、訝し気に彼を見た後、小さくため息をつく。
「何言っているんですか。頼まれなくてもあの二人の味方ですよ、私は」
「そう言ってくれると助かる。何があっても、あいつらの傍にいてくれ」
その言葉に疑問を感じつつも、リノは「失礼します」と言ってシーリの後を追うため部屋を後にする。
「……嫌な風が流れているな」
窓の隙間からヒュオゥという風の音が聞こえる。ライズは静かに瞳を閉じた。
リノが馬小屋に急いで向かうと、すでにシーリは馬に乗って出発する直前であった。いつの間に着替えたのか、その身には鎧を纏い腰には愛用している剣が下げられていた。
「シーリ!」
「リノ、早く馬に乗ってください。行きますよ」
「ちょちょ、わかった、わかったからちょっと時間を頂戴」
早く早くというような視線を向けるシーリにリノはため息吐きつつ、急いで馬を見繕い乗る。魔法を使者の利点は武器を使うものと違って大して準備の時間を要さないことだ。ゆえに自分の魔力が十分あると確認できればいつでも出動できる。
「では出発しますよ」
「はいはい」
二人は馬を走らせる。
リノは冷静さを欠いた様子でいるシーリに危うさを感じつつも、ここまで彼女にとってリゼスが大切な存在となっているということに少しだけ嬉しく思ってしまうのだった。
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