第27話 知ったとしても



「はぁ、はぁ……っ」


 人喰いの群れに襲われいったいどのくらいの時間が経ったのだろうか。ジョニー達はリゼスが戦っている間にどこかへと逃げてしまったらしく、村の中に姿はない。が、何体かのサファイアの人喰いがルビーの人喰いの指示によってどこかに行くのを見たのでおそらく追いかけられてはいるのだろう。

 こちらとしては助ける余裕なんて一遍たりともないので、彼らも騎士なのだから、自分で自分の身は守れるだろうとリゼスは自分を納得させる。


 背後から襲い掛かってきた斬撃を振り向きざまに防ぎ、そのまま流れるように襲ってきたそれの首を刎ねたリゼスは悲鳴を上げ始める心臓に苦悶を浮かべる。


 もうそろそろ、限界だ。もう十体以上は殺したはずだが、ソレの数が減ることはない。むしろ、時間が経つにつれて周囲の奴らが集まってきたのか増えていく一方である。

 いったい、こんな数がどうしてこんな町の近くにいるのか。近隣の騎士団は一体何をしているのかと怒りを覚える。


「くっ!」


 連続して繰り出される無数の攻撃を躱しながら、リゼスはとにかく時間を稼ぎつつ一体でも多くの人喰いを殺す。が、躱しきれない攻撃もいくつかあり、その体には浅くない傷が刻まれ、体の動きも悪くなっていた。

 致命傷を喰らうのが先か、心臓が限界に達し動けなくなるのが先か。とにかくどうあがいても死ぬ未来しか見えない。だが、シーリが来てくれるということをただ信じて、リゼスは剣を振るい続ける。


『ガァッ!』

「――しまった」


 心臓に鋭い痛みが走り抜けた時、ルビー色の瞳を持った人喰いが腕を伸ばす。反応が遅れたリゼスはそれを躱すことはできず、左腕が掴まれる。

 危機に声を上げ、逃げようとする。だが、彼女が逃げるよりも早く――人喰いは彼女の腕をへし折る。


「が、ぁぁぁぁぁああああッ!」


 メキリと音を立てて前腕が真っ二つに折れ、皮膚を突き破って骨と鮮血が飛び出す。心臓の痛みすら忘れるほどの激痛に絶叫したリゼスは渾身の力を振り絞って剣で人喰いの腕を斬りつけるが、魔力の篭っていない一撃はその毛皮を切り裂くことはできず逆に跳ね返されてしまう。

 その間にも、人喰いはへし折った部分をねじり切ってしまう。再び襲い掛かる痛みにリゼスは言葉にならない声を上げる。が、左腕を失った代わりに拘束から逃げ出せた彼女は急いで距離取って――


『グルァ』


 ルビー色の瞳を持った人喰いが一声鳴いた。


 その次の瞬間、リゼスはゾクリと背中に悪寒が走り抜ける。まさかと思って振り向いた時にはもう遅い、背後から迫ってきたサファイアの人喰いが大口を開けて迫っているところであった。

 避けられない。即死は避けようと何とか身をよじってはみたが、結局左わき腹を食いちぎられ、その衝撃に耐えきれず彼女の体は地面を転がる。


「ごはっ」


 脇腹から血と臓物が零れ、地面をおぞましく赤く染めていく。リゼスは呼吸もままならないほどの痛みに飛びそうになる意識をとどめるのに必死だった。流れた血が多すぎる。このままでは死神が迎えに来るのも時間の問題だ。

 だがまぁ、人喰いを前にして失血死なんて生易しい死がやって来るとは到底思えない。リゼスは虚ろな目で人喰い共を睨む。その時、視界の端にきらりとペンダントが煌めくのを見た。


――人の身を捨てよ。


 いつの日にか聞いた声が心臓のほうから聞こえてくる気がする。リゼスはダメだと自分に言い聞かせる。失血で思考が鈍くなっていても、何をしでかすかわからないその力をむやみに使ってはいけないとわかっている。それがたとえ、自分が死にそうだとしても。


――主を悲しませるのか。


 その言葉にリゼスは心臓に剣でも突き刺さったかのような衝撃を受ける。


――お前が死ねば、主は悲しむだろう。


 心が大きく揺れる。脳裏に浮かぶは悲し気に顔を歪めるシーリの顔。どうすればいいとリゼスは自分に問いかける。

 その間にも人喰いはゆっくりと獲物を喰らわんと近づく。もう残された時間は少ない。今ここでどうするか決断しなければ、リゼスの人生はここで幕を閉じるだろう。


「くっそ、私の中には、人喰い以外にも、悪魔が住み着いてるのか」


 そう悪態を吐いたリゼスは剣を捨ててペンダントを握り締める。そして、人喰いを鋭く睨む。その顔は死にゆく人間のそれではなく、獣のように鋭く獰猛だ。


「いいさ、やってやる!」


 グッと握り締めたペンダントをリゼスは、力いっぱい心臓へと突き立てた。


 その次の瞬間、爆発的な魔力が彼女の体から噴き出した。









「……まさか」


 馬を飛ばし、廃村へと向かっているところで、シーリはゾクリとした嫌な感覚を抱く。それは、漠然とはしていたが、彼女の不安を煽るには十分すぎるものであった。


――リゼスが人狼の力を使った。


 意識を集中させれば彼女と繋がっている隷印セルシオンが伝えてくるのだ、力を使ったぞと。それと同時に、繋がった魔力がまるで糸のように彼女の目には可視化される。


「……最初からこうしていればよかった」


 この魔法に相手の位置が分かるなんて効果があるなんて知らなかったが、それでもシーリはイラついてしまう。こんなに怒りを覚えたことはいつ以来だろうか。

 騎士とあるため、常に冷静であろうとしてきたのに……これも全てリゼスが絡んでからだ。だが、不思議と不快感はなく、むしろ彼女を思うごとに胸がどうしようもなく歓喜を感じてしまう。


「リノ」

「どうしたの?」


 そこで言い淀んでしまう。勝手に言ってしまっていいのだろうか。リゼスの許可も得ず。それに、シーリ自身、今感じとっているそれが本当のことなのか確証はない。もし、到着した時にリゼスが力を使っていなければただ悪戯にばらしただけになってしまう。

 言い出せず一人葛藤していると、リノはなにかを察したのだろう。眉尻下げて正面を向く。


「シーリ、言いづらいなら言わなくていい」

「リノ……」

「どうせ、なにが起ころうと、貴女二人が、私に言い出せないものがあろうと……」


 一呼吸おいて、リノはシーリへと笑みを向ける。その笑みは思わず息を忘れて見入ってしまうほどに純粋な優しさに満たされていた。


「なにがあっても、私は貴女たち二人の味方だから」


 その言葉は何よりも力強い。きっと、世界のすべてが敵に回っても、彼女だけは自分たちの味方にいてくれるとそう確信させるほどにまっすぐなそれに、シーリは言い出せないことに強く罪悪感を感じてしまう。

 リゼスも同じ苦しみを抱いているのだろうか。言い出せずにいる彼女を思い浮かべながら、シーリはキュッと口を引き結ぶ。


「リノ……本当にごめんなさい。私だけでは」

「いいのよ。伝えようか迷っているってだけ知れただけで十分だから」


 特に気にした風も見せないリノに、シーリは感謝した。彼女のそう言った心遣いにいつも救われている。


「……ねぇ、あれってジョニーじゃない?」


 そう言ってリノが指さす先には、5体のサファイアの人喰いに追われているジョニーの姿があった。


「た、助けてくれぇぇぇぇぇ!」


 鎧はボロボロで全身血まみれ、武器は落としたのかその手には何もなく、よたよたと走る彼に人喰いたちが迫る。掴まれ殺されるまであと数秒もないだろう。

 リノが助けようとその手に魔力を集め、魔法と発動した時、流星のごとく速度でシーリが人喰いたちへと剣片手に飛び込んだ。突然の行動にリノは目を大きく見開く。


「シーリ!?」


 シーリはジョニーの目の前で一度着地すると、とんと彼を飛び越え振り上げた剣に魔力を流し込む。風の魔力を纏ったそれは刀身を倍ほどに巨大化させる。彼女はそれを思い切り握り締めるとそれを横なぎに払った。

 風切り音が響いた次の瞬間、5体いた人喰いが同時に地面に倒れる。そのどれにも、首から上はなかった。一拍遅れて、5個の人喰いの頭部が地面に落ちる。


 ドスンと重たい音が響いた後、静寂がやって来る。


「あ、あ、た、助かった……」


 地面に転んでいたジョニーが顔を上げ、安堵の色を浮かべる。が、それも次の瞬間には凍り付くことになるだろう。


「リゼスはどこですか」


 底冷えするほどに冷たい声と共に、シーリは彼の胸ぐらを掴む。その目には仲間に向けるような普段の温かさを含んだ色はなく、ただただ敵を見るような色に、ジョニーは戦慄する。そして、すぐに取り繕うような笑みを浮かべた。


「あ、ああよかった。シーリ隊長。任務に来たのですが、人喰いの群れに襲われてしまい――」

「そんなことどうでもいい。リゼスはどこにいると聞いているんです」

「なっ」


 ピシャリと言葉を遮るは普段の彼女からは想像できない言葉。真っ先に仲間の安否を心配する彼女が傷だらけの自分をどうでもいいと言ったことに強い衝撃を感じる。そして、そんな風に彼女を変えた原因のリゼスを思いうかべると、その顔に強い憎しみを浮かべた。


「はっ、アイツならもうとっくに死んでるだろうさ!」

「なんですって?」

「アイツは爆弾持ちの足手まといのくせにいっちょ前に騎士になったつもりでいやがる。それに、雑魚のくせにシーリ隊長に近づくもんだから、身の程を教えてやったのさ! だがまぁ、あんな大量の群れが出てくるとは思わなかったけどな。おかげでほかの奴らは全員食い殺されちまった」


 ハッと吐き捨てるように言う彼を、シーリは見下ろす。その目に感情は宿っていない。あまりにも無機質なそれに、ジョニーはそれ以上言葉を続けることができなかった。


「……くだらない。本当にくだらない」


 パッと手を放したシーリはリノを見る。


「リノ、行きますよ」

「あ、うん。こいつはどうする?」


 リノが見た限り、出血はかなりあるもののあそこまで元気ならば死ぬ危険は暫くないだろう。シーリも同じ考えなのか興味なさそうに「放っておきなさい」と言い残し歩き出す。


「おい待てよ! 次期騎士団長候補のアンタが、そんな態度を仲間にとっていいのか!」


 シーリの背中にジョニーは叫ぶ。すると、彼女は立ち止まり振り向くと、


「仲間? 貴方がですか? 違うでしょう」


 そう言い残し今度こそ、彼女は去って行く。


「なんだよそれ、くそっ」

「まぁ、当然よね。あの子のお気に入りに手を出したんだから」


 項垂れるジョニーはその言葉にキッとリノを睨む。


「あんな爆弾持ちのどこがいいんだよ」

「ふっ、バカね。あの子には誰にもない輝きがある。シーリや私はその輝きに心惹かれたのよ」

「くだらないな。そんなもの、アイツにあるわけがない」

「まぁ、貴方のくすんだ目じゃ何も見えないわね」


 ひらひらと手を振ったリノは彼の近くに回復薬の入った瓶を落とすと、シーリの後を追った。






――グォォォオオオオオオンッ!


 廃村が見えてくると、そこから凄まじい声と物が壊れるような激しい戦闘音が轟いてくる。リノは異様な雰囲気を感じとり、その顔に緊張が浮かべた。


「リノ、急ぎましょう」

 

 シーリの横顔に強い緊張が浮かび、一筋の汗が顎を伝って地面へと落下する。リノはなんとなく、これから起こりうることを彼女は知っているのではと考える。そして、その考えを読んだようにシーリは告げる。


「リノ、なにを見ても怖がらないでください」


 廃村の入口が近づく。


「なに、あれ」


 リノは目の前の光景に絶句する。それは、あまりにも酷い光景だ。無数の人喰いが見るも無残な姿で地面に転がり、民家や柵などの建造物は激しく損壊し、破片がそこら中に転がっている。

 何も知らない人間が見れば、そこで戦争でも起きたのかと思うほどに。リノはこんな騎士団から近い場所にこんなに多くの人喰いがいたことも驚きだったが、それをああも無残な姿に変えてしまう存在がいることに強い衝撃を覚える。


 そして、その正体はすぐにやって来る。


『グォォォオオオオオオンッ!』


 耳をつんざくような声が聞こえてくる。ハッと村の奥へと二人が顔を向ければ、そこにはルビー色の瞳を持った人喰いが姿を現していた。咄嗟に戦闘態勢を取る二人だったが、その人喰いがボロボロなことに気付くと顔を見合わせた。


『グラァァァアアアアアッ!』


 一歩遅れてまだかろうじて残っていた民家の屋根に、一体の人喰いが姿を現す。ギラリとサファイア色の瞳をきらめかせると、ソレはルビーの人喰いへと飛び掛かり地面に押し倒す。

 ルビーの人喰いは激しく抵抗するが、もう一体の人喰いには全く効果ない。至近距離でお互いに威嚇するように吐き出された怒号がただ大気を揺らす。


 それはまさしく、圧巻の一言。その場にいる誰もが息を忘れて見入るほどに、目の前で行われる戦いは激しく、あまりにも一方的であった。


『グラァァァアアアアアッ!』


 サファイアの人喰いが叫び、ルビーの人喰いの首を両手で掴み、一気に捻る。


『ゴ、ア……ッ』


 ルビーの人喰いは短いうめき声を上げると、まるでねじが回り切ったブリキのおもちゃのように、ばたりと脱力したそれが二度と動くことはない。

 見事勝利した人喰いは天へと喉を向け、高々に咆哮を上げる。その姿はまさしく王者と言うのにふさわしいほどに威厳に満ちている。


「な、に、あれ……」


 だがそこで、冷静さを取り戻したリノは困惑の言葉を漏らす。


「シーリ、あれは……」


 そう言いながら隣へと顔を向けた時、リノは信じられない光景を目にするだろう。


「リゼス!」


 人喰いに向かってそう呼びかけるシーリの姿を。



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