第25話 消えた誇り



 ある日、リゼスが訓練場で剣を振るって訓練をしていた。本当であれば、リノの手伝いをする予定であったが、ほかの騎士より急な任務が入ってしまったために中止と伝えられたのだ。やることもなくとりあえず訓練をするそんな彼女のもとに一人の騎士がやって来る。


「リゼス、任務に連れていってやるからついてこい」


 剣を振るう手を止めて、リゼスはそう声をかけてきた彼を見る。

 誰に対しても高圧的な態度を取る白髪交じりの壮年の男性騎士は、リゼスを見下ろしふんっとこれまた偉そうに鼻を鳴らす。リゼスは“変な奴にまた絡まれた”とうんざりしながら、持っていた剣を鞘へとしまう。


「私の一存では決められません。シーリ様に確認を取らせてください」

「確認を取る必要はない。シーリ隊長に許可は得ている。少し遅れては来るが、シーリ隊長も任務には参加予定だ」


 毅然とした態度で返すリゼスに男は一瞬不快そうにするも、すぐに安心しろと言うように笑みを浮かべる。リゼスは僅かに眉を顰めると「それでも」と言って首を振った。


「念のため確認させてください」

「俺が確認していると言ったんだ。わざわざもう一度確認する必要はないし時間もない」

「ですが――っ!?」


 そう言いかけた時、騎士はリゼスの頭を思い切り殴りつけた。不意打ちのそれを躱すことはできず、彼女の体はたまらず地面に崩れ落ちる。脳震盪を起こして意識を失わなかったのは幸運と言えるだろう。

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、リゼスは騎士を睨みつけた。そんな彼女を見下ろしながら、彼はハッと鼻で笑い飛ばす。


「お前、俺の言っている言葉が分からないのか? 確認は不要だ。何度も言わせるな。いいか? ベテランである俺がお前みたいな新人ゴミクズを任務に参加させてやると言っているんだ。それを断れると思っているのか? なぁ!」


 騎士は怒鳴るとリゼスの腹部へと蹴りを入れる。かなりの衝撃が体を走り抜け、地面を転がった彼女は口から透明な液体を吐きだし激しく咳き込む。


「げほっ、ごほ……っ」

「ふんっ、俺は哀れなお前のために任務に連れていっていやると言っているんだ。これ以上、舐めた態度を取るならば、今ここでお前の首を刎ねるぞ」


 騎士はそう言うと、腰の剣を引き抜きリゼスの首筋へと突き付ける。

 彼は本気だ。そう感じさせるには十分すぎるほどの殺気が、剣先からまるで血がしたたり落ちるようにリゼスの首筋を伝って全身へと流れてくる。その冷たさに思わず体が震えそうになる。シーリ以外の人間に殺されるのは彼女にとってこれ以上ないほどの苦痛であるためだ。


「……っ」

「その顔は理解したようだな。立て、すぐに出発する」

「げほっ……なら、準備をする、時間をください」

「不要だ。準備はもう済ませてある。武器も防具も全部準備している。とにかくお前は俺についてこい。それ以外の選択肢はない。わかったらとっとと立て」


 有無を言わさぬ態度でそう言った彼は訓練場を出ていく。


「いったい、なんなんだ……」


 まだズキズキと痛む腹を押さえながら、リゼスは立ち上がる。

 蹴られたことに腹は立つが、それよりも大きな戸惑いが彼女の心を埋め尽くしていた。なぜ、任務に誘われたのか。それがどうしてもわからなかった。

 彼の態度からリゼスを嫌っていることは明白だ。だからこそ分からない。


「疑うのはよくないってわかってるけど、シーリ様は本当に許可を出したのかな」


 やはり、任務に出る前に彼女に会うべきだろう。だがきっと、それを彼は絶対に許さないだろう。リゼスは深いため息を吐く。腐っても同じ騎士団で働く者同士だ。変なことはしてこないだろうとリゼスは無理やり自分を納得させる。


「遅れてくるっていう言葉を信じよう」


 リゼスは不安を抱えながら、彼の背中を追いかけた。






 リゼスが訓練場にいる頃。シーリは団長室にて、ライズに近況報告をしていた。


「リゼスの様子はどうだ」


 机の上で両手を組んだライズは問いかける。彼の正面に立っているシーリは「そうですね」と言葉を続けた。


「もともと高い戦闘力を持っていますから、任務では率先して戦ってくれます。ですが、まだ人を殺すということに対して抵抗を感じているようで、盗賊との戦闘の際に何度か躊躇する場面がありました」

「そうか、すぐに慣れろというのは難しいだろう。こればかりは経験を積んでもらうほかにないな。ほかにはどうだ?」

「魔法薬を使った訓練を行っており、そのおかげかかなり使いこなせるようになってきているようです」


 まだ、魔法薬を混ぜるということはできないようだが、普通に使う分に関してはリゼスは訓練によって、使いどころなどを掴めてきたらしく、それによってめきめきと戦果を挙げている。そう報告すれば、ライズは僅かに頬を緩める。


「そうか、それはよかった。リノの魔法薬は現状、リゼスしか使えないみたいだからな。戦いの幅が広がるのは喜ばしいことだ」

「そうですね、基本的に一人の騎士が操れる魔法は1属性ですから。複数の属性を使えるというだけで強みになります」


 そう話すシーリはまるで自分のことのように誇らし気なことに気付いたライズは優しい表情で彼女を見つめる。


「リゼスとうまくやれているようでよかったよ」


 そう言ったライズの顔つきは父親そのものだ。それに気付いたシーリはフッと肩の力を抜いて頷く。


「少し心配していた。お前はいつも俺の娘であり次期騎士団長の候補としてずっと頑張ってくれていたから、あまり友達と呼べる人が作れなかったのではと」


 シーリは曖昧に笑ってみせる。

 確かに、彼女にとって心開ける存在は少ない。パッと思いつくのはリノぐらいだろう。彼女自身、特に気にはしていなかったが、ライズはずっと心配していたのだろう。いらぬ心配をかけてしまったことに少しだけ申し訳なく思ってしまう。


「騎士団長の娘という立場はいろいろと難しいところがあるのはわかっている。でもその中でも、仲間とは別に自分の心を見せることができる人をお前には作って欲しい」

「……」


 シーリの脳裏にリゼスの笑みが浮かぶ。まだ出会って間もないが、シーリは彼女にであれば自分のすべてをさらけ出せるような気がした。


「……どうやら、リゼスはもうお前にとって大きな存在になっているようだな」

「そうですね、なくてはならない存在と言えるぐらいに、私にはとってリゼスは大切な人です」


 本心から告げれば、ライズは安堵の色をその瞳に浮かべた。だがすぐに、真剣な表情を浮かべ、ゴホンと一つ咳払いをすると「話は変わるが」と前を置きをして言葉を続けた。


「シーリ、実を言うとお前にはこの騎士団を出て、もっと広い世界を見て欲しいと思っている」

「えっ」


 思ってもみなかった言葉にシーリは目を見張る。


「お前は強い。このまま騎士としていれば必ずや俺を超える。それぐらいにお前は才能に溢れている。だからこそ、お前にはたくさんの物を見て欲しいんだ」

「お父様」

「だが、見るだけじゃなく、様々な人と交流を図ってほしい。この狭い世界じゃなく、広い世界で様々な考えを持つ人間と出会い学んで欲しいんだ」


 そう話す彼の表情はどこまでも優しさに満ちている。

 確かに、シーリがいるこの騎士団は王国からかなり離れているということもあり、ここに来る人間も大半が近隣の村や町からやってきた者たちばかり。王都の情報などがここにたどり着くのはかなりの時を要する。

 シーリとしては、機会があれば王都などでたくさんのことを学びたいと考えたことはあった。だが、今の騎士団を思えば、それが到底無理な話であるということを彼女はよくわかっていた。


「それは難しいと思います」


 素直に告げる。人手のたりない騎士団。自惚れているわけではないが、シーリがここからいなくなったらどうなるかなんて考えるまでもない。それに、個人的な感情を吐き出せば、リゼスとリノと離れることはできればしたくない。


「まぁ……お前ならそう言うと思っていた。だから、まだ未定ではあるが、情報交換もかねて、この騎士団に馴染みの王国騎士を数日間呼ぼうと思っている。そして、我が騎士団から何人かを王国の騎士団で学んできてもらおうと思っているんだ」

「王国騎士の方を、ですか?」

「ああ、ソイツは王国の支部で騎士団長をしていてな。この前手紙でそのことを話したら是非ともとのことだったんだ」


 楽しそうに口角を上げるライズの表情から、その王国騎士とかなり仲がいいことが伺える。そんな人物と交流があったのを全く知らなかった。今までそういった話を聞いたことがなかったので少し意外だった。

 シーリの表情から考えを読みとったライズは「昔王都にいたことがあってな」と言った。


「そこで会ったんだ。剣がめっぽう強くてな、いつもアイツに挑んではボコボコにされてたんだ」

「お父様がそう言うのであれば、とても強い人なんですね」

「ああ、強いなんてもんじゃないぞ。なんたって、エメラルドの人喰いを単独で退けたぐらいなんだからな」


 エメラルドの瞳を持った人喰いは災厄とも呼ばれる存在だ。それを一人で相手にし、撃退してしまうとは……シーリは言葉を失ってしまう。そんな彼女を、ライズはまるで自分のことのように得意げな笑顔を向けた。





「そう言えば、任務の時間は大丈夫か?」


 あれから暫く、取り留めもない日常の話をしていた二人。ふと、窓の外を一瞥したライズはそんなことを聞く。シーリは彼の問いかけの意味が分からず首をかしげる。


「任務ですか? 特に予定は入っていませんが」

「ん、そうだったか? 昨日、ジョニーがお前とリゼスも連れて任務に行くと申請書を出していたが」

「全く聞いていません」


 シーリの眉間に皺が刻まれる。

 そんな話、全く身に覚えがない。最近、リゼスの力を認め始めた騎士たちが彼女を任務に誘うことは増えてきてはいる。だが、ジョニーと言えば、リゼスのことを快く思っていない騎士の一人である。そんな彼がリゼスを任務に誘うとは到底思えなかった。


「ちなみにどういった任務か聞いても?」

「ああ、ここから南に行った廃村に人喰いが住み着いているようだから、それの討伐だな。人喰いの数は3体。いずれもサファイアだ。参加人数はお前とリゼスを含めて12人で行く予定と書いてあるな」


 ファイリングされた申請書の内容を確認しながらライズは「人数もいるしお前が参加するならばたいした難易度ではないと思っていたが……」と零す。


「ふぅむ。なんだか、嫌な予感がするな。シーリ、リゼスは今どこにいる?」

「訓練場……いえ、今日はリノと魔法薬の実験をすると言っていたのでおそらく彼女のところに――」


 そこまで言ったとき、コンコンとノックの音が響く。そして、一拍置いて「リノ・グレンです」と扉の向こうから声がかかる。


「入れ」


 ライズの言葉がかけられてすぐに扉が開かれる。リノはするりと部屋の中へと入り、シーリの姿を確認するや否や、


「あれ? リゼスと任務に行ったんじゃ?」


 首をかしげてそう言った。









 騎士団を出て馬車を走らせること1時間ほど。

 リゼスを連れ出したジョニーは上機嫌に鼻歌を歌っていた。そんな彼の隣にはいつもつるんでいる数人の騎士たちが、楽しそうにしている彼と共に持ち込んだ酒を飲んでいた。


「それにしても、よく爆弾持ちを連れ出せたな」


 酒瓶を持った男が窓から軽く身を乗り出し、馬車に連結させた小さな荷台に放り込まれたリゼスは今頃、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた武具に押し潰されそうになっているだろう。そんなことを想像した男は“ざまぁない”と笑みを深める。


「ああ、面倒なことにシーリ隊長に確認させろとか言ってきやがったよ。まぁ、黙らせたけどな」


 ガッハッハッハと大口を開けて笑ったジョニーは酒を豪快に飲み干していき、空になった瓶を窓から外へと投げ捨てる。その行為に男たちはわっと笑い声をあげた。

 馬車の中は酒のニオイでいっぱいになり、何も知らない人間が見ればただの酔っぱらいの集団と彼らをみなすだろう。とてもではないが任務に行く騎士とは思えないほどに馬車の中は酷いありさまだ。


「それにしても、アイツも馬鹿だよな。大人しく雑用係でいれば長生きできたのに、騎士になんかなっちまうなんてな」

「ほんとだよな。あんな足手まとい、戦いじゃ邪魔以外の何物でもないってのによ」

「ふんっ、どうやって騎士になったんだかな」


 吐き捨てるように言った男の一人が瓶を窓から外へと投げ捨てる。


「さぁな、色目でも使ったんじゃないか?」

「ぶははははっ! あの小娘が? シーリ隊長がなびくとは思えねぇけどな」

「いやいや、わからんぞ? アイツ、顔だけは結構いいからな」

「まぁ確かに、でも、爆弾持ちじゃ、夜は長く持ちそうにねぇけどな」


 下品な笑い声が馬車の中に響く。これを女性陣が聞いたら確実に嫌悪するであろう。


「ふんっ、だがそれも今日までさ」


 グッと酒の入った瓶を握り締めたジョニーは忌々し気に吐き捨てる。その様子に、ほかの男たちは小さく息を呑む。それほどまでに、彼の顔にはありありと強い憎しみの色が浮かんでいた。

 ジョニーにとって、シーリとは崇拝とも取れるほどに強い思いを抱く人物である。そんな彼女と共に戦うのが喜びであり、あわよくば彼女にお近づきになりたいとも思って戦ってきていた。

 なのに、彼女は雑用係であり爆弾持ちであるあんなクズにご執心ときた。これがほかの人間でであれば、悔しさを滲ませていただけで済んだだろう。だが、あんなゴミクズが彼女に近づくのはどうにも我慢ならなかった。


「アイツは隊長に近づきすぎた。その愚かさを身をもって味合わせてやる」


 憎しみの篭った声でそう言った彼に。ほかの面々は彼に同意するように小さく頷いた。

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