第24話 戦える人に託したい思い
目の前には美しい湖と、生い茂る森が広がっていた。リゼスは数回、目をぱちくりとさせると、辺りを見回す。
見たことのない景色だった。でも無性に懐かしさを感じるそこは、穏やかなそよ風が吹いていた。ずっとここにいたいと思ってしまうほどに穏やかな空気漂うそこに、リゼスは一体何がと戸惑いを感じていると、不意に人の気配を感じる。
ゆっくりと振り返る。
すると、そこには一人の少女が立っていた。リゼスよりも少し年上と思われるその少女は、銀色に輝く鎧を身に纏っている。が、その鎧は傷だらけだった。よく見れば、少女の体からは血が流れ、顔には浅くない傷がいくつも刻まれている。
リゼスはそんな傷だらけの少女を見た瞬間、まるで、心が奪われてしまったかのように彼女から視線を逸らすことができなかった。そして、処女もリゼスから目を逸らすことなく、じっと見つめていた。
「貴女は誰?」
そよ風だけが流れる静かな空間に、リゼスの声が反響する。傷だらけの少女は悲し気に小さく微笑んだだけで応えない。
不審に思ったリゼスが再び口を開こうとしたその時、突風が吹き荒れ、目の前の景色が一気にかき消されていく。リゼスはハッとして手を伸ばすが、それは空を切り、代わりに強い光が差し込んでくると――
「リゼス」
日差しのように暖かい声が聞こえてくる。リゼスはその声に顔を向け、瞳を開いた。
「――はっ」
瞼を上げると、そこは見知った天井。そして、こちらを心配そうにのぞき込むシーリの顔。
ああ、さっきのは夢だったのか。
リゼスは先ほどまで見ていた夢の内容をうまく思い出せないことに納得しながら、こちらを見つめるシーリへと話しかけた。
「ここは?」
「ここは私たちの部屋です。リゼスは、リノとの実験で何が起こったか覚えていますか?」
リゼスは小さく首を振る。
「魔法薬の融合の実験で、融合すべき魔力が反発し、実験用の剣が折れてその破片がリゼスの額にぶつかったんです。そのせいで、リゼスは気絶して治療してからここに運ばれてきたんです」
そう説明したシーリがどこか不機嫌なことに気付いたリゼスは、額をぺたぺたと触り、上体を起こした。
「申し訳ありません。心配をおかけしました」
「……リゼスが謝る必要はありません。実験には危険がつきものですから」
「そう、ですか。……そうだ、リノ様は無事ですか? あの時、私のすぐ近くにいたので……怪我とかしていないでしょうか」
うっすらと蘇る記憶。反発した魔力は突風となって襲い掛かってきたような覚えがある。近くにいたい彼女が何もないとは思えなかった。もし怪我でもしていたらとリゼスの顔がみるみると青ざめていく。
「大丈夫です。割れた瓶の破片が掠ったようですが治療してもらって既に完治していました。貴女に謝りたいとも言っていましたから、明日会いに行ってみるといいでしょう」
「そうですか、よかった。はい、会いに行ってきます」
ホッとするリゼスに、シーリはいまだにどこか不機嫌そうに眉を顰めている。さすがにずっとその表情だと気にするなと言う方が無理であったリゼスはおそるおそる問いかける。
「シーリ様? 何かありましたか?」
「……何もありませんよ。ただ、私も呼んでくれればよかったのにと思って……」
僅かに口元を歪める彼女がなんだか、拗ねた小さな子どものように見えたリゼスは思わず笑みを零す。と、それに気付いたシーリはばつが悪そうに視線を逸らす。
「子どもみたいと思いましたね?」
「すみません、少しだけ思ってしまいました」
「むぅ……お恥ずかしい。もっとしっかりしなければいけないのに、貴女の前だとどうしてもうまくできないようです」
「気にしないでください。私は嬉しいです。そうやって、ほかの人があまり知らないシーリ様の新しい面を見ることができるのが」
そう告げれば、シーリの頬に赤みがさす。そして、所在なさげに視線を泳がせると細く息を吐く。
「まったく、貴女という人は……」
ふわりと微笑んだシーリはそっとリゼスの肩に手を置いて、もう一度寝るように促す。その際にふわりと彼女から花のような香りが漂う。
「治療班の検査では特に異常なしとのことでしたが、怪我をしたところが頭なので、今日はもう休んでください。夕食時になりましたら、食事を持ってきますから」
「そんな、悪いですよ」
「気にしないでください。私が好きでやっているのですから。それとも、リゼスは私のやりたいことをやらせてくれないのですか?」
意地悪な笑みを浮かべるシーリに、リゼスはドキリとしつつ諦める。
「……ずるい言い方です」
「ふふ。また、戻ってきます。ゆっくり休んでください」
さらりとリゼスの頭を一撫でして、シーリは部屋を出ていく。
「はぁ……私だって、貴女を前にすると自分じゃないみたいなんですよ」
静寂が訪れた部屋の中で、リゼスはそう呟くと、寂しさを抑え込むように首掛けたペンダントを握り締める。そうすると、眠気がやってくる。リゼスはその誘いに乗ると、そのまま意識を手放した。
次の日、すっかり元気になったリゼスは固まっていた。
無理もない、目の前には深く頭を下げるリノの姿があったのだから。彼女には心配をかけてしまったことを謝ろうと会いに行き、会って数秒で今の状況へと陥ってしまう。
「リゼス、ごめんなさい」
「あ、えっと……と、とにかく頭を上げてください」
「本当にごめんなさいっ」
困惑した面持ちで、リノが自分に向かって頭を下げているという状況をどうにかしたリゼスは彼女の肩を掴んで視線を上げさせようとするが、まるで岩のように彼女は動かない。
リゼスは困り果ててしまう。謝りたいのはこちらのほうなのに。自分が失敗したせいで心配をかけ、加えてせっかく彼女が作った魔法薬まで無駄にしてしまったのだから。そう思い、伝えてみても、彼女が顔を上げることはない。
「本当に、本当に大丈夫ですから。それよりも、謝るべきは私のほうです。リノ様のお役に立てず、むしろ迷惑をかけてしまったのですから」
「いいえ、リゼスが謝る必要はないわ。私がちゃんと注意していなかったから、貴女に怪我をさせてしまった」
「でも、ほんのかすり傷ですから。ほら、もう元通り治ってますし」
そう言いながら額を見せる。リノはチラリと視線を上げると、再び沈痛な面持ちで瞳を伏せてしまう。いつもの明るさなんて全く感じさせない。見ているこちらの方が不憫に思えてくるほどに落ち込んだ彼女に、リゼスはふと思ったことを口にした。
「……もしかして、シーリ様に何か言われたのですか?」
リノの肩が大きく跳ねる。その反応が答えだった。ゆるゆるとやっと顔を上げた彼女は、見ているこちらがかわいそうに思えるほどに青ざめていた。
「そうよ。リゼスを部屋に運んだあと、シーリに呼び出されて……お説教よ……しかも3時間みっちり」
「うっ……それは……」
真面目で厳しい面のシーリを思い出したリゼスはなんとなく、彼女がリノに説教をしている場面が想像できた。それを思い出しているであろうリノは「ほんとうもう……怖かったんだから」と暗い声で漏らす。
その様子からリゼスは余計に申し訳なくなってしまう。元を正せば、自分が怪我をしたことが一番の原因だ。それがなければ、きっと彼女が怒られることもなかっただろう。
「リゼス、自分が怪我をしたからとか考えてるでしょ」
「――! なぜわかったのですか」
「顔に書いてあった。……はぁ、これじゃあお互いに謝り続けそうね」
ガクリと肩を落としていたリノはため息を吐くと、何かを思いついたようだ。
「あっそうだ。こうやってお互いに謝っても話が終わらないし、今度、美味しいケーキ屋さんに連れていってあげるから、それでちゃらって言うことでどうかしら?」
「えっ、それならば私も何か――」
「リゼスはまた、私の実験に付き合ってくれればいいわ。今度はちゃんと、貴女が怪我をしないように気を付けるから」
にこりと笑う彼女に、リゼスは渋々頷く。あまり納得は言っていないが、このままでは永遠にこのやり取りが続いていしまいそうだった。
「リノ様がそれでいいと言うならば」
「よしっ。じゃあ、これでこの話はおしまい! 今度予定を合わせていきましょう」
「はい。……あ、リノ様。ケーキ屋さんなんですが……シーリ様もお誘いしていいですか? シーリ様の分は私が出しますから」
二人で実験をしたというだけで寂し気にしていたのだ。きっと、誘わなかったら今回の比ではないぐらいに落ち込んでしまうに違いない。それに、美味しいものはみんなで食べた方が美味しいに決まっている。
リノはニヤリと笑うと「いいわ」と軽く返す。
「でも、シーリの分も私が出すわ。あの子にはいつもいろいろとお世話になってるからねっ」
リノと別れ、リゼスが部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、見知った顔が彼女の元へと駆け寄ってくる。リゼスはその人物が誰なのか気付くと、パッと表情を明るくさせた。
「リゼス!」
「ルキウ!」
彼は駆け寄ってくるなり、リゼスの両手を掴んだ。力強く握られたその手は豆だらけのようで、ごつごつとした感触が伝わってくる。
「リゼス、ありがとう! リゼスのおかげで、今度鍛冶師の試験を受けられることになったんだ!」
そう言った彼の眼はキラキラと輝く。リゼスは一瞬、呆気に取られた後、フッと目を細め「よかった」と、心から安堵の言葉を漏らした。
彼はずっと鍛冶師を夢見ていた。が、雑用係として働いているために、一時はその夢をあきらめかけていた。リゼスはそんな彼のことを団長に話したのだ。鍛冶師の見習いとして頑張っているということは聞いていたが、喜ぶ彼にリゼスも自然と嬉しい気持ちになる。
「この前さ、剣を作ってそれが親方に認めて貰えて。それで試験に参加してみるかって話になってさ」
「よかったじゃん」
「うん! これも全部、リゼスが団長に言ってくれたおかげだよ! 本当にありがとう」
そう言った彼は本当に嬉しそうだ。リゼスはそんな彼を見て、自分を疎む騎士たちの扱いにすさんだ心が一気に無くなっていくような気分であった。それが表情に出ていたのか、ルキウは微笑む。
「よかった。リゼスも元気みたいで」
「え?」
「騎士になったって聞いてさ。でも、言っちゃ悪いけどほとんどの騎士が君のことをよく思ってなかった。だから、雑用係の時と同じように嫌がらせとか受けてないか心配だったんだ。……変だよね、何もできない僕が心配なんて」
シュンとする彼に、リゼスはううんと首を振って彼をまっすぐに見つめる。
「ルキウ……そんなことないよ、そうやって私のことを考えてくれただけで十分だよ」
「もちろんだよ! リゼスにはたくさん助けてもらったんだから! ほかの子たちだって、リゼスのこと心配してたよ。慣れない環境で大変な思いしてないかってさ」
騎士になってから、雑用係の子たちと話すことも少なくなり、リゼスは少し寂しく感じていたのだ。けれど、彼らが少しでも自分のことを気にかけてくれていたのであればそれだけで心が救われる。それを知れたリゼスの視界が潤む。
「そっか、みんな……私もうすっかり忘れられてるって思ってたから。すごく嬉しい」
「何言ってるのさ。リゼスを忘れるわけない。僕たちはそんな薄情な奴らじゃないさ」
二っと笑ってルキウはリゼスの脇腹を小突く。その気安い態度が、今の彼女にとってはどこまでも心地よかった。確かに、シーリやリノと共にいるのは楽しい。でも、その胸の内はいつも緊張していた。それが少しずつ心に疲労という形で蓄積していたのだろう。
「リゼス、今度みんなで集まろうよ。忙しいからそんな暇ないかもしれないけどさ、もし時間ができたら騎士ってどんなことをしているのか教えてよ」
「もちろん。必ず時間作る!」
食い気味に返事をするリゼスに、ルキウは安心したように笑顔を浮かべる。
「よかった。じゃあさ、もう一つあるんだけどいい?」
笑顔を浮かべていたルキウは表所を一転させ、真剣な目を彼女へと向ける。その変わりようにリゼスは表情を正すと、静かに頷いた。
「もし、今回の試験に受かって、正式に鍛冶師と認められたら……リゼスのために剣を作りたいんだ」
「剣……?」
「うん。僕が初めて一人前として認められて初めて作った剣を君に贈りたい」
その瞳はまっすぐにリゼスの瞳を射抜く。
そう言ったことに素人なリゼスではあるが、それがかなり重要なことではあるとわかる。そんな大役に選ばれていいものなのだろうか……
「鍛冶師が初めて打った剣は本来、戦う人には贈らないんだ。それが壊れると鍛冶師にとって縁起が悪いからね」
「ならなんで、そんな大切なものを……」
「僕も人喰いを倒したいから」
強い言葉にグッとリゼスは息を呑む。
「僕に戦う力はない。でも、戦うための武器や防具を作れる。僕が作った物で敵が倒されれば、ソレはある意味で僕も戦った証になる。死んでしまった家族に胸を張ることができるんだ」
「ルキウ……」
「それに、ちょっとやそっとじゃ絶対に壊れない最高の武器を作る。君と共に強くなる最高の剣を作ってみせる。……だから、戦場に僕たち戦えない者たちの思いを連れていってほしいんだ」
力強くまっすぐに見つめるその瞳には、確かに強い闘志が浮かんでいる。リゼスは数拍置いた後、ゆっくりと頷く。
「ルキウ……わかった。最高の剣、待ってるから」
リゼスはそう微笑めば、ルキウは「任せて」と自信たっぷりに自分の右腕を叩いてみせた。
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