第23話 魔法使いと共に
任務を終えて、リゼスはシーリと共に部屋に戻っていた。
疲れが溜まっていたらしく、鎧を脱ぎ捨てるなり、リゼスはベッドに倒れ込もうとして、間に合わず床に寝転がってしまう。後から部屋に入ったシーリは何事かと目を見開くが、すぐに彼女のもとに向かうとその体を抱き上げた。
「リゼス、大丈夫ですか」
「……すみません、疲れてしまったみたいで」
「気にしないでください。それだけ貴女が頑張ったということでしょう。心臓のほうは大丈夫ですか? どこか辛いところはありませんか?」
「はい、問題ありません」
そう答えて、リゼスは自分の心臓に手を当てる。言われてみれば、あれだけ動けば心臓が一つぐらい悲鳴を上げそうだったのに、うんともすんとも言わず、むしろいつもよりもずっと調子がいいぐらいであった。
もしや、人狼の力によるものなのか。そう考えたリゼスはなんだか少し怖くなった。あの日、自分の体がその力によって変わってしまったのではないのかと。
「リゼス、何か変なこと考えていますね?」
心を読んだようなその言葉に、リゼスはドキリとして顔を上げる。不安に揺れる彼女の瞳にシーリが映る。
「貴女は人間です。誰が何と言おうと誰がどんな目で貴女を見ようと、私の隣にいる限り、貴女は私の大切な人間で、人々を守る騎士です」
スッとアクアブルーの瞳を細めて、頬を撫でるシーリ。壊れ物にでも触れるかの如く優しいその手に、リゼスは安心したように脱力すると同時に「申し訳ありません」と零す。
本当に情けない。何度も何度も、彼女に気遣わせて。マイナスな考えしか浮かばない自分にほとほと嫌気がさしてしまう。こんなにも、彼女は自分を人間だと呼んでくれるのに。ことあるごとに“やはり自分は人間ではないのでは”と考えてしまう。
「リゼス、不安に思ってしまうことは全く悪いことではありません。遠慮せず、不安を感じたらすぐに私に教えてください」
さらりとリゼスの髪を一房、手に取ったシーリは蕩けるような甘い笑みを浮かべる。その表情を真正面から見てしまったリゼスの心臓が大きく跳ねる。
「私が何度でも貴女の名前を呼びましょう。貴女は貴女であると、貴方自身が安心するまで」
「シーリ、さま……っ」
噛みしめるようにそう言って、コツンと額を当てたシーリは吐息がかかるほどの至近距離で、リゼスの瞳を見つめる。
「だから、何かあればすぐに私を頼ってください」
「シーリ様……ありがとうございます」
「いいんですよ。さて、もう休みましょう。しっかり休んで疲れを取ってください」
そうシーリが優しく言うと、リゼスはもうすでに限界だったらしく、ガクリと意識を失うように眠りへと落ちていく。そんな彼女の疲れ切った寝顔を見ろしたシーリはそっと、彼女の体を抱いたまま立ち上がる。
軽すぎるぐらいの重さに、シーリは“ちゃんと食べているのだろうか”と心配に思う。
「リゼス、おやすみなさい。いい夢を」
噛みしめるように名前を呼び、その額に軽く口づけを落としたシーリの表情は実に幸せそうであった。
リノの任務から一か月後。
あれから様々な任務に参加したことによって、リゼスは騎士団内で一部を除いて、多くの騎士から認められるようになっていた。
「おっ、リゼスじゃないか。今日も訓練か? 本当に真面目だなぁ」
「おはようリゼス。聞いたよ、また任務で盗賊のリーダーを倒したって。すごいじゃないか」
訓練場で稽古をしていると、同じように稽古にやってきた騎士たちが声をかけてくる。リゼスは彼らの言葉に「皆さんが助けてくれるからです」と謙遜な態度で返す。そうすれば、彼らはどこか満足そうにしていく。
親し気に声をかけて一定の信頼は得ているものの、その根にあるのは雑用上がりのリゼスを快く思わない感情だ。それにいちいち傷ついても仕方ない。
「もっと、活躍しなきゃな」
訓練用の剣を握り締める。その顔色は浮かない。
任務に参加すると同時に、シーリとライズ監視の下、人狼の力を使いこなす訓練も行っている。最近では、シーリとライズだけという条件下の下で実戦でも使うことも増えてきた。だが、それは思ったように進んではいなかった。自由に人狼と人姿を行き来するのは何とかなったが、シーリの命令なしに動くことはできず、体の支配権も力に奪われたままであった。
なんとか、サファイア程度であれば、人喰いとの戦闘許可は出ているが、それを積極的には使おうとは思えなかった。
剣を振るう。軽い風切り音が訓練場に響く。リゼスは、そのままゆっくりとした動きで剣を振るう。そうすれば、不安はゆっくりと胸の奥に消えていく。
やはり、一番はあの力に頼らないこと。そうなるためにはもっと強くならなければ。その心が現れるかのように彼女の動きが徐々に力強くなっていく。
「おい」
背後から声がかかる。リゼスは最後の一振りを終えると、声のした方へと顔を向け、そこに立っている人物を確認すると、一瞬顔を顰めた。
それは、雑用係の時からいつもリゼスにちょっかいを出してきた騎士の一人だった。彼は、蔑むような笑顔で腕を組む。
「……なにかようですか?」
「最近、随分と調子がいいみたいだな。ええ? 盗賊討伐にでりゃあ戦果を挙げまくり。大層懐も潤っているだろうなぁ」
憎々し気に睨みつける彼に、リゼスは表情を変えることはない。その反応に彼はハッと鼻で笑う。
「騎士になったからって随分と偉そうなもんだ。お前なんて所詮は雑用上がり。本当の騎士になんかなれねぇよ」
「……」
「ちっ、シーリさんだけでなく、リノさんにも気に入られているからって調子に乗るのもたいがいにしておけよ」
今にでも噛みつきそうな勢い。リゼスはまるで野犬でも相手にしているかのような気分に陥る。そして、野犬を相手取った方がまだ楽だとも考える。
きっと、こうやってはっきり言ってくるのが少ないだけで、リゼスを快く思っていない騎士は皆同じようなことを考えているのだろう。やはりそんな彼らを黙らせるにも強くなるしかない。だから、今は堪えるしかないのだと必死に自分に言い聞かせる。
「……訓練がありますので」
「ふんっ、お前なんざいくら訓練を積んだところで強くなんざ――」
「リゼス」
鋭い声が聞こえ、振り向く。
「リノ様」
「リノさん」
二人が同時にそう言うと、リゼスとリノを交互に見た騎士はばつが悪そうに顔を顰め、足早に去って行こうとする。リノはそんな彼に鋭い一瞥を加えると声をかけた。
「貴方、リゼスになんの用かしら?」
「い、いえ……少し世間話をしていただけですよ」
はははと乾いた笑いを零す彼は、先ほどまでリゼスに向けていた侮蔑的な色はない。代わりに、リノの顔を色を必死に伺うようなそれにリゼスは別人でも見るような目を向けた。
「そう、あの子はまだ新人なのだから意地悪しないでね」
リノのそんな言葉に応えず、彼は逃げるようにその場を後にする。リノはその背中が完全に見えなくなるまで睨みつけると、やがて、大きなため息をついてからリゼスへと向き直った。
「何を話していたの?」
そう聞いていながらもきっと、リノにはリ騎士と何を話していたのか、なんとなく予想はついているのだろうとリゼスは感じるだろう。その証拠に視線は鋭く、声色にもいくらかの冷たさが浮かんでいる。
リゼスはキュッとこぶしを握り締めると、僅かに俊仁した後、小さく首を横に振った。
「何でもありません。ただの世間話です」
「……」
無言の圧力がリゼスにのしかかる。嘘だとバレている証拠だ。それでも、正直に言おうとはどうしても思えなかった。もうたくさん迷惑をかけているのに、これ以上彼女を困らせるわけにはいかない。
「大丈夫です。本当に何でもないんです」
「……わかった。そうしておくわ」
しばしの間を置いて、リノはため息とともにそう言って、リゼスの頭に軽く手を置く。その温かさに、リゼスの心がズキリと痛む。
「なにかったらすぐに相談してね」
ポンポンと数回叩いた後、リノは気を取り直したように「そうだそうだ」と言った。
「今ひま?」
「え? 特に用事と言う用事はありませんが……」
「よかった。ならさ、ちょっと付き合ってよ」
リノがにこりと笑ってリゼスの手を取り歩き出す。リゼスは目をぱちくりさせながら、目の前の背中へと声を上げる。
「へ? ちょ、リノ様っ!? ど、どこに行くんですかっ?」
「ん? 大したことじゃないわ」
肩越しに振り向き二っと笑う彼女に、リゼスは釈然としない様子で後を追いかけるのだった。
「ここは、魔法実験室ですか?」
訓練場を後にし、リノに連れられたのは物々しい雰囲気漂う不思議な部屋だった。独特の薬品のニオイに顔を顰め、いくつもの不思議な色をの液体が入った瓶の並んだ棚を恐ろし気に見回しながら、リゼスはリノを見た。
魔法実験室。その名の通り、魔法の開発や改良などをする際に使われる場所で、騎士団に所属する魔法が得意な騎士たちがいつもこの中で怪しげな作業をしている。魔法に縁がなく、魔法を扱える者以外は基本的に入室禁止とされるここは、雑用係の時に入ったことのない場所の一つであった。
「そっ、入るの初めてだった? って、普通に考えればそうか。基本的に魔法が使えない人間は入れないから」
「はい。ここにあるものは一つ一つがとても危険な物なので、雑用係の掃除も不要と言われていましたから」
「まぁ、すぐ汚れるから掃除なんかしたって意味ないし、そもそもこの中はいろんな魔力で満ちてるからね、下手に掃除してバランスを崩すと爆発とかするから」
「えっ」
あっけらかんと言い放たれる衝撃の一言に、リゼスはすぐさまこの部屋から出たかった。が、それは許さないと言うように、リノはその手を放しはしない。
どうして、こんな場所に呼ばれたのだろうか。リゼスは魔法が得意ではないし、そもそも魔力が少ないほとんどの魔法を使うことができない。故にこういった場所とは無縁のはずだった。不用意に置いてあるものに触ってしまわないように神経をとがらせる。
「そんなにビクビクしなくたって、ちょっとやそっとじゃ爆発したりしないわよ。まぁ、そこにある瓶とかを倒すと有毒ガスは出るけれど」
ひゅっと喉の奥から悲鳴が出る。リノはまるで、子犬のようにびくつくリゼスを見て笑みを零す。その様子にリゼスは怯えを浮かべたままキュッと眉を寄せる。
「わ、わざと怖がらせていませんか……?」
「んー、それはちょっとあるかも。だって、リゼスの反応が面白いんだもん」
「……帰らせてください」
きゅっと些細な抵抗をして、リノの手を引いてみる。だが、彼女はにこにこと笑っているだけで一向に手を放すことはしないし、帰らせてくれるということもしない。
「別に怖がらせるために連れてきたわけじゃないの。リゼスには少し、実験に付き合ってもらいたくてね」
「実験ですか?」
「そっ。魔法薬を混ぜて別の属性を作るってやつ。あれの試作品ができたから試そうと思って」
そう言われ、リゼスは首をかしげる。
「その実験に私が必要なのですか?」
「ええそうよ。とりあえず、私が使えば魔力は融合された。でも、これが別の人間が使った場合、ちゃんと作用するかを確認したいの。貴女に頼む前に、ここにいる子に頼んだんだけどうまくいかなくてね。そもそも使うことすらできないし……そこでもしかしたら、リゼスなら使えるかなって思って」
リノは苦虫を噛み潰したように口元を歪める。
リゼスは、ああと納得する。彼女の魔法薬は現状、リゼスしか使えない。それがどういった理由なのか、いまいち解明できていないらしく、誰でも使えるようになるにはまだまだかかりそうとのことだった。
「早く、誰でも使えるようにして、戦いだけじゃなく、日常でも使えるようにしたいんだけどねぇ……本当にこればっかりは難しくて」
「私は魔法のことは分かりませんが、リノ様であればきっとすぐにその問題を解決できますよ」
「そうだといいんだけどね」
そう答えた彼女の顔色には曇り空が浮かんでいる。リゼスは、力になれない自分に少し申し訳なく思う。そして、自分を育ててくれた魔法使いであれば、何かいい案を思いついてくれるかもしれないとも考え、すぐにその考えを振り払う。
ほぼケンカ同然で飛び出した手前、彼女に助けを求めるのはなんだか気まずい。それに、気難しい彼女が手を貸してくれるとはあまり思えなかった。それに、魔法を使う者は自分の魔法に誇りを持っており、ほかの魔法使いにどうこう言われるのを嫌うということをその人が言っていたことも思い出し、余計に無理だなと胸の中で苦笑を浮かべた。
「じゃあ、とりあえずそこに座って」
「はい。……座ってやるのですね。てっきり、訓練場でやるのかと思いました」
棚の瓶をいくつか手に取るリノの背中にリゼスはそう言った。すると、リノは振り向かないまま答えた。
「そりゃあ、ちゃんとたくさん使っても大丈夫と確認が取れれば実戦形式で使うけど、まだまだ未知数のものに関しては、この部屋で少しの量を実験に使ってしっかり効果を確認するのよ。いきなり本番だと何が起こるかわからないから」
「そうなんですね」
「全く、どうしてリゼス以外の人間には使えないのかしら」
ため息と同時にいくつかの小瓶を置いたリノは椅子に腰を下ろす。緑、赤、青、黄色。様々な色のそれをリゼスはしげしげと興味深そうに見つめる。
「じゃあ始めましょうか」
「私は何をすればいいのでしょうか」
「ここに、剣のミニチュアがあるから、そこに魔法薬を一滴垂らしてくれる? それで、魔力が充填されたら違う種類のを一滴垂らしてちゃんと融合するか確認するの。組み合わせはなんでもいいわ」
そう言いながらリノは10センチほどの小さな剣を取り出した。それは、騎士団で使っている物に酷似しており、おそらく材料なども同じものを使っていることが伺える。
実験道具のそれにリゼスは「すごい」と声を漏らすと、手近にあった緑色の小瓶を手に取り、いつも通りの手順で一滴垂らす。そうすれば、魔力は剣に巻き付き、そよ風がそれを起点に吹き始める。
「やっぱり貴女だと問題なく使えるのねぇ。じゃあ、次は別のを一滴垂らしてみて」
「わかりました」
青色の小瓶を取り、リゼスは恐る恐る一滴垂らす。
赤い雫が風纏う剣に落ちた次の瞬間――銀色の何かがリゼスの額に直撃。その衝撃に彼女は気を失った。
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