第31話 深紅の瞳に憧れていた
朝、目を覚ます。
騎士団のものよりほんの少し硬いベッド。だが、懐かしく大好きな爽やかな優しい香りがするそれの寝心地は最高。最高のはずなのに……寝覚めは最悪だった。
「しばらく見てなかったのに……」
最悪の理由は簡単、またあの悪夢を見始めたためである。繰り返し再生される映像は変わらず酷い光景を叩き付けてきて、まるで“お前はあの時、みんなと一緒に死ぬべきだったんだ”と言われているような気分に陥れてくる。
ぐしゃりと前髪を掴んだリゼスは窓から外を覗く。木々が穏やかに揺れているというのに、彼女の心はまるで嵐が吹き荒れているかのように嫌な思いがグルグルと回っていた。
そんな時、ノックオンが響く。ハッとして顔を向ければ丁度、ニコリアが部屋に入ってくるところであった。
「リゼス、おはよう」
「……ニコ姉さん、おはよう」
「また、悪夢を見たの?」
心配そうに眉尻を下げたニコリアは、ベッドの縁に腰を下ろしてリゼスの瞳から流れ落ちていた涙をそっと指で拭う。まさか、自分が涙を流していると思っていなかったリゼスは曖昧に笑う。
悪夢を見て涙を流すなんて、久しぶりだった。
「最近はなかったんだけどね」
「そう……」
ニコリアは悲し気に瞳を伏せる。その様子にどこか違和感を感じたリゼスが「なにかあった?」と聞くと、暫し逡巡した様子を見せた後、静かに口を開く。
「この間、貴方の心臓を診たけれど……はっきり言うわ――貴女はもう長くない」
突然たたきつけられた事実にリゼスの思考が止まってしまう。
いま、彼女は何て言ったのか、理解したくはなかったが、頭は勝手にその言葉を理解して心にとてつもないほどの衝撃を与える。ドクリと心臓が波打つ。
最近、心臓の調子が良かったので彼女の言葉に疑問を覚えなくもないが、それでも、長年自分のことを診察してきた彼女の言葉は容易に真実だと突き付けてくる。
「長くないとは言ったけど、それは今の生活を続けていればの話よ。……リゼス、もう騎士団はやめて、この家でまた昔みたいに暮らしましょう。そうすれば、きっと寿命まで生きることができる。私がずっと、貴女の隣にいるから」
ソレは懇願染みた声だった。だが、リゼスは呆然としたまま、ただただ告げられたそれをかみ砕いて飲み込むのに必死だった。
「もし、これ以上今の生活を続けたら、私はあとどれくらい生きられるの? あと何回、人狼の力を使ったら私は死ぬの?」
「……普通の騎士として暮らすなら2年ももたない。人狼って呼んでるそれを使えば……何回って教えてあげたいところなんだけれどね、正直わからない。とにかく、これ以上その力を使えば……」
言いづらそうにするニコリアが言葉を続けようとしたその時、部屋の扉が開き、一人の深紅の長い髪の女性が姿を現す。その姿に見覚えのあったリゼスは目を大きく見開く。
「死にはしないさ。ただ、お前の嫌う、人喰いになっちまうんだよ」
言葉遣いの割には冷静な顔つきの女性の名前はオルガ。それは、かつてリゼスをあの地獄から救い出し、戦うための術を教えてくれた人物であった。だが、リゼスの顔に浮かぶのは嬉しさよりも困惑の色が強い。
なぜならば、リゼスはニコリアから彼女が人喰いとの戦いで命を落としたと聞かされていたからである。その時は本当に悲しくて、必ずや人喰い共をこの世から殲滅してやると決意を改めもした。
「な、んで……師匠……生きて……」
声を震わせ問いかければ、オルガはばつが悪そうに頬をかく。
「すまんな、ニコには死んだと伝えてくれと私が頼んだんだよ。人喰いとの戦いで大怪我を負った私はさすがに死ぬことも覚悟していたから。でも、無事なんとか生きているから一週間前に帰ってきたんだ」
からりと笑ったオルガは「帰ってきたときにリゼスがいなかった時は驚いたよ」と付け足す。リゼスはその答えに釈然としないものの、グッとそれを飲み込み立ち上がる。そして、今にも泣きそうな顔でオルガの胸へと飛び込んだ。
「師匠……オルガ姉さん……生きててくれてよかった……っ!」
「リゼス……ああ、心配かけて悪かったな」
そっとオルガはリゼスの体を抱きしめ、頭を撫でる。ニコリアが壊れ物にでも触るような撫で方に対して、オルガの撫で方は少し雑だ。でも、どこまでも深い彼女の優しさと温かさをひしひしと感じることのできる、思いの詰まったそれがリゼスは大好きだった。
「そうかぁ、騎士になったのか」
オルガはしみじみと噛みしめる。彼女はニコリアから大体の事情は聞いていたが、本人からの口からはっきりと聞くまでは認めないつもりであったのだ。
「……ならば、やはりお前はこの家にいるべきだな」
「オルガ姉さんまで……」
腕を組んでうんうんと頷くオルガに、リゼスは落胆の色を浮かべる。彼女であればもしかしたら、騎士となることに賛成してくれると思っていたから。
「ちょーっと、心臓が悪いぐらいならニコの手にかかれば
その言葉がズキリと心臓に突き刺さる。傷ついた表情を浮かべるリゼスにオルガは僅かに顔を顰めるも、そのまま言葉を続ける。
「いいか? 人狼の力は本当に危ないんだ。今は制御……と呼んでいいのかは正直わからないが、いつ人を襲うかわからない。さっきまでは普通だったのに突然豹変して、仲間や家族に襲い掛かるなんてよくある話なんだ」
優しく言い聞かせるような口調。いつもなら、リゼスはここで折れて彼女の言うことに従っていただろう。だが今回ばかりは絶対に譲れなかった。脳裏に浮かぶシーリの顔。そう、心の奥にはあるはただ彼女と共に騎士として人々を守りたいという願い。
「リゼス、悪いことは言わない。ここで暮らそう。私もニコもお前の傍にいると約束する」
その言葉にニコリアは一瞬、批難するような目をオルガへと向けるが、リゼスは気付かない。
「リゼス、オルガもこう言ってるし、もう騎士はやめましょう? 私は見たくないわ、貴女が自分の守りたいものを傷つける姿なんて」
「……」
「リゼス、ニコの言う通りだ。私はお前が暴走してしまったらと思うと怖いんだ」
キュッと口を引き結び、リゼスは膝の上に置いた両こぶしに力を込める。
心配してくれているなんて考えなくともわかる。彼女たちは本当に、心の底からリゼスの身を案じている。そのことにどうしようもなく嬉しいとは思う。嬉しいが、それを塗りつぶすほどの喜びをシーリは与えてくれたのだ。
「……まぁ、今こうして言っても頑固なお前のことだから、首を縦には振らないだろう」
オルガが静かに立ち上がる。
「どっちみち、お前の心臓には少し休息が必要だ。ゆっくりと休みながら、自分がどうしたいのかよく考えるといい。まぁ本音を言うとだな……私はお前の体のことも心配しているが、夢を叶えて欲しいとも思っている。よーく考えて、自分の道を選べ」
「――ちょっ、オルガ!」
そう言い残して部屋を出ていくオルガを、殺気ともいえるほどの色を持ったニコリアは弾かれるように立ち上がって追いかけていく。
ぽつんと残されたリゼスはポスンとベッドに寝転がって天井を見上げる。もうここ最近、いろいろあり過ぎて頭がついていかない。考えれば考えるほど頭がこんがらがってしまう。
「私は……」
したいことは決まっている。決まっているのに、ニコリアの悲しげな表情を思い出すと、どうしてもこのまま以前のように飛び出していくことを躊躇してしまう。
「どうすれば、いいんだろう……」
そう呟いてリゼスは瞼を閉じた。
「オルガ、急に帰ってきたと思ったらあの子を殺したいの!?」
リゼスの部屋から十分離れるなり、ニコリアは噛みつくようにオルガへと檄を飛ばす。振り向いたオルガはからりと笑って壁に寄り掛かる。
「殺したいなんてとんでもない。アイツには元気に生きていて欲しいさ」
「なら、なぜあんなことを言ったのよ! あれじゃあ、あの子はまたここを飛び出していくわよ。そうなったら次に会えるのは死体になった時かもしれない!」
ニコリアはグッと唇を噛みしめ、歯の隙間から吐き出すように言葉を続ける。
「そんなの……そんなの、私は耐えられない……やっと、やっと見つけた私の宝物なのよ……!」
「ニコ……それは、私だって一緒だ。アイツには死んでほしくない。死んでほしくないが……」
オルガは視線を鋭くさせる。
「
「オルガ……まさか、貴女」
弱り切った声に、ニコリアは目を見開く。
「もうかなり、体にガタがきている。もしかしたら、ヤツを見つける前に……」
「そんなことはさせない。貴女のことは死なせない」
ニコリアはオルガの腕を強くつかむ。リゼスが大人になるよりもずっと早く、彼女がいずれいなくなってしまうことは分かっていた。それでも、それでもあまりにも早すぎる。
睨みつけるようなロイヤルパープルの瞳に、オルガは深紅の瞳を悲し気に細める。
「ニコ……すまないな、少し弱気になっていたようだ。もう、大丈夫だよ」
ポンとニコリアの頭に手を置いたオルガは穏やかな微笑を見せる。
「私はヤツを殺すまで絶対に止まらない。絶対に死ねない。それが、あの人との約束だから」
「オルガ……本当にもう、無理しないで……きっと、言っても無駄でしょうけど。私にとって、貴女もとても大切な存在なの。家族なのよ」
「そこまで思って貰えてるとは思わなかった。……だけど、すまないな」
あれから数日が経ち、リゼスはニコリアとオルガと共にかつての日常を再び過ごしていた。
ニコリアが作ってくれた食事を楽しみ、オルガから心臓に負担をかけ過ぎない程度に稽古をつけてもらう。二人に少しだけ気まずさを感じながらも、リゼスは穏やか過ぎる日々を楽しんでいた。
人喰いなんかとは無縁とも思えるほどのおだやかなそれはまるで、人が来ない湖の水面のように静かで不変だった。
庭に置かれたベンチに座りながら、リゼスは森がゆっくりとそよぎ奏でる歌を聴き、チラチラと差し込む木漏れ日の温かさに身を委ねていた。そんな彼女の隣にオルガがやって来て腰を下ろす。
「体の調子は?」
「いいよ。でも、悪夢が酷くてあんまり寝られてないかも」
「そうか……あの日か」
「うん」
さらさらと風が芝生を揺らす。
「私がもっと早く、あの時来ていれば、リゼスの運命はもっと変わっていたものになっていたかもしれないのに……すまなかったな」
「……別に。これはこれで、幸せなんだ。確かに嫌な思いをたくさんしてきたけど、かけがえのない大切な人にも出会えたから」
そう答えたリゼスの横顔はどこまでも穏やかだ。
たくさんのことが起こった。大好きな家族を失ってはしまったけれど、家族同然のニコリアとオルガに出会えた。そして、シーリとリノという大切な存在も見つけることができた。それは、あの日にあのまま平穏に村で過ごしていたら絶対に手に入れることのできなかったもの。
だが、村に住んでいたら住んでいたらできっとたくさんの大切なものを手に入れていただろう。だから、どちらがよかったのかなんて、リゼスにはわからなかった。わからないからこそ、今の運命でよかったのだと思う。
オルガはリゼスの横顔をしばし見つめた後、「それならよかった」と息を吐く。
「リゼス、この前も言ったが、私はお前には長生きしてほしいと思うと同時に、お前の望むことをやって欲しいとも思っている。後悔のない人生を送って欲しいと思っているんだ」
「オルガ姉さん……」
「私はな、たくさん選択を間違えてきた。あの時、ああしていれば、あの時、素直に気持ちを伝えていれば少しは違った運命にたどり着いていたかもしれない。あの時、我慢してなければ守れたかもしれない。……そんな後悔がたくさんあるんだ」
そう言ったオルガの深紅の瞳はどこまでも暗い。それはありありと彼女の心情を現している。
「私には大切な人がいた。その人は私と共にこの世から逃げるか、世界を守るために戦うか選べと言った。そして、私たちは戦うことを選んだ」
それはリゼスが初めて見る、弱り切った彼女の姿だった。リゼスにとってオルガという人間はいつも強くて、まっすぐでまるで炎ような人だった。いつもめらめらと燃えるその姿が今はまるで灯だ。それも消えかかってしまいそうな。
「その人と私はな愛し合っていたんだ。けど同時に世界を愛していた。だから、最後の最後でお互いに世界を選んでしまった」
「それを、後悔しているの?」
「いーや、それは全く後悔していない。だって、そんなことをしてしまったら、世界を愛しお互いを愛したことをすべて否定することになってしまうからな」
からりと笑ったその横顔に嘘はない。リゼスは彼女の話を聞けば聞くほど、分からなくなってしまう。自分がどんな道を歩けばいいのか。
「私、どうすればいいかわからない。死ぬのは怖くない。あの人と一緒に人々を守るのはどこまでも心地よくて幸せだから。それで、化け物となって死んでもきっと後悔はないと思う。でも、ニコ姉さんやオルガ姉さんが悲しむと思うとどうしようもなく胸が痛くなるんだ」
ずっと考えていた。ずっと、ずっと考えていたけれどやはり、答えは出ない。リゼスの苦し気な言葉に、オルガは噛みしめるように耳を傾けていた。
「うぅむ、難しいな。でもな、これだけは忘れないでくれ」
オルガは顔をリゼスへと向けると、まっすぐに見つめる。
「どんな選択をしても、私とニコはずっと、お前の味方でいる。これは絶対に変わらない。だから、お前はお前の心のままに自分の道を歩いて行けばいいんだ」
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