第30話 なによりも大切な貴女
リゼスの腕を掴むニコリアの腕を掴んだシーリは、強い敵意を持って彼女を見ていた。極寒の川のように温度の下がったアクアブルーの瞳が不快感をあらわにする彼女を映す。
「放しなさい」
「それは、こちらのセリフです。リゼスから手を放してください」
「……二度は言わない。離しなさい」
まるで槍のような言葉。これがほかの人間であればその威圧感に押されて彼女の言うことに従っていただろう。だが、シーリは逆に手に力を込めて睨む。その視線は敵意から殺意へと移り変わろうとしているようにも見えるだろう。
「その人は我が騎士団の騎士です。勝手に連れて帰ることは許さない」
「シーリ様……」
不安げな瞳でリゼスはシーリを見る。そんな彼女へと微笑みかけたシーリは再度告げる。
「二度は言いません。リゼスを放してください」
「嫌だと言えば?」
ニコリアの言葉にシーリはその手に魔力を込める。
「相応の対処をするまでです」
「……はっ。小娘が魔法使いにそんな粗末な魔法で戦おうっての?」
ピシリと音を立てて辺りの空気が凍っていく。まるで季節が変わったかのように、急激に下がっていく温度がニコリアの体がから放たれる魔力によるものだと気付いたシーリは相手がリノよりもずっと高位の魔法を使うものだと考え、その顔色を変える。
「ちょ、ちょっと待って! シーリ様も、少し待ってください!」
一触即発の空気。二人に掴まれながらもその中へと斬りこんだリゼスは、二人を交互に見ながら、必死に声を上げる。
こんなのところで戦われてはたまったものではない。シーリの強さはよく知っている。そして、ニコリアの強さもよく知っていた。そこいらの魔法使いなんてまったく話にならないレベルの魔法を使いこなす彼女と衝突すれば、この庭園は一瞬で更地へと変わってしまう。
「と、とにかく話し合いを……」
そう懇願すれば、もともとやり合う気なんて毛頭なかったニコリアはスッと魔力を収めてからシーリを見据える。シーリも手に集めていた魔力を霧散させると、敵意の篭った眼で彼女を見る。
険悪な二人にリゼスはどうにかしなければと考えながら、言葉を続けた。
「ニコ姉さん……と、とにかく説明してよ、連れて帰るって急にそんなこと言われても」
まず冷静にという思いを乗せて言えば、ニコリアはリゼスを見る。その瞳にはシーリに向けていたものとは打って変わって、どこまでも深い優しさが浮かんでいる。
「貴女、かなり無理をしたでしょう」
その言葉にドキリとする。その反応にニコリアはこれでもかとため息をつく。
「もう、これ以上ここには置いておけない。だから連れて帰るの」
その言葉を聞いた瞬間、リゼスは突然の眠気に襲われる。それは抗うことすら許さず、一瞬にして彼女の意識を奪う。
ガクリと項垂れるリゼスを抱きしめるように抱いたニコリア。すぐさまシーリが反応して口を開く。
「リゼス!」
握った手に力を込めてリゼスをニコリアから引き離そうとするが、そうするよりも早くニコリアは手に魔力を込めるとそれでシーリを弾き飛ばす。
「ぐっ!」
空気の壁をぶち当てられたかのような衝撃に、シーリは地面を転がる。すぐさま立ち上がると、顔を上げ睨みつける。
だがそこに二人の姿はなかった。
まるで、最初から誰もいなかったかのような静寂が、辺りを包む。
「な……っ」
シーリは唖然と先ほどまで、彼女たちが立っていた場所を見つめる。が、すぐに、気を取り直したようにその表情に強い怒りの色を浮かべる。
「リゼス……」
リゼスから何度か、育ての親の話は聞いていた。それが凄まじい魔法使いだと。おそらく、なんの痕跡もなしに消えたのは転移魔法を使ったからだろう。それがやすやすと使えないものだとは知っている。だが、大気を凍らせるほどの濃密な魔力を目にしたからこそ、リゼスはあの魔法使いならばやってみせるだろうと確信する。
「リゼス……必ずあなたのことは取り返す」
シーリはこぶしを握り締め、空を見上げる。どこに連れていかれたのか、まずはそれを突き止めるのが先決だろう。
「リノに相談してみるか」
そう呟くと、シーリは踵を返してリノの元へと急いだ。
懐かしい夢を見ていた。
それは、まだ自分がニコリアと共に暮らしていた時の夢であった。森の奥ということもあり、そこはいつも穏やかで静かな空気が満ちていた。
騎士を夢見る彼女にいつもいい顔はしないニコリア。だが、それでも戦いの技術を師匠に習うことだけは許された。結局、どんなに技術を身に着けても騎士として働くことは許されなかったが。
ニコリアは優しい人だ。
確かに、何も知らない人から見れば冷たい雰囲気に気圧されてしまうが、帰るところを無くしてしまったリゼスを優しく抱きしめて、“ここにいていい”と言って、ここまで育ててくれた彼女はどこまでも優しい人だとリゼスは確信している。
ある日の夜の光景が目の前に映る。それは、すべてを失ってから間もないころ、寂しさから眠れず泣いていた日だ。隠れて泣いていたつもりだったのに、ニコリアにはあっさりとバレてしまったのだ。
――泣きたいなら、泣いていい。隠さなくていいわ。
そう言って抱きしめてくれた彼女の温かさ。あれは普段冷たい雰囲気が漂う彼女からは全く想像できないほどに温かい日差しのような温かさと優しい香りだった。
あの人がいなければきっと、今の自分はないだろう。
ハッと目を覚ますと、そこは久々の見慣れたニコリアの家の天井だった。
ぼんやりとした頭で、窓から見える懐かしい代り映えのない風そよぐ木々の姿と音色に、リゼスは、ああそういえばと思い出す。
突然訪れた眠気。それは彼女の魔法によるものだ。そして、転移魔法でここに連れてこられたに違いない。
「そうか、帰ってきちゃったんだ……」
そう零したとき、部屋の扉が開かれ不機嫌そうな表情を下げたニコリアが入ってくる。リゼスは気まずさから咄嗟に目を逸らせば、彼女ははぁとため息を吐いてベッドの縁へと腰を下ろす。
「久しぶりね」
「う、ん」
「元気にしてた?」
騎士団で出会ったときは全く異なる温かみのある声。それが本来の彼女の声色であることを知っているリゼスは懐かしさに口角を上げるも、すぐに表情を暗くさせ頷く。
「騎士団では何をしていたの?」
「雑用係として働いてた……」
騎士になれた。と、どうしてもそう報告できなかった。してしまえば、なんとなくではあるが彼女が怒ることが予想できたからである。だが、リゼスの左胸に手を当てるニコリアにはすべてお見通しだったようだ。
「騎士になったのね」
「――っ! な、なんで知って……」
驚いて顔を向ける。と、ニコリアはフッと小さく微笑みを浮かべる。その懐かしい笑みにグッと息を呑む。
「こう見えて、私は魔法使いよ。その気になれば貴女が何をしてたか全部わかるわ。そう、全部わかるわ」
その声には確かな圧が乗り、静かな怒りが浮かんでいた。リゼスはその声にドキリとすると、ギギギと油の差さっていないブリキのおもちゃのような動きでニコリアを見る。
彼女は知っているのだ。リゼスの中にいる人狼の力を。咄嗟にリゼスが思ったのは“化け物め”と言われるかもしれないということだった。が、彼女の思いに反してニコリアはどこか悲し気に眉を寄せ、そっとリゼスの頭を撫でる。その行為に思わず目を見開く。
「バカね。その程度で、貴方のことを嫌いになるわけないでしょ」
「ニコ姉さん……なんで、なんでそんな優しくしてくれるの……? 私、私……」
今にも泣きそうな顔で言葉を零すリゼス。ニコリアはそんな彼女の頭を優しく撫でながら、言い聞かせるような音色で答えた。
「あのねぇ、今まで言わなかったけど、私は貴女のこと気に入ってるの。それはもう、目に入れても痛くないぐらい」
考えるまでもなく本心だとわかる声。リゼスはその言葉に泣きそうになると、それを隠すようにニコリアの胸元へ飛び込む。
「ごめんなさい。いうこと聞かない悪い子で……でも、でも、私強くなったんだよ。私のことを認めてくれる人ができたんだ」
「うん」
「いろんなこと教えてもらったんだ。いろんな人から」
「うん」
震える声で、リゼスは騎士団で過ごした日々を紡ぐ。ニコリアはそんな彼女の話をただ黙って聞き続けるのだった。
「……まぁ、リゼスが元気にやっていたみたいで安心したわ」
一通り話し終えると、ニコリアは穏やかにそう安堵の息を漏らす。リゼスはへへへと照れ笑いを零す。
「本当に、ずっと心配していたのよ? 気まずいからって手紙の一つも寄こさないんだから」
「うぐ……ご、ごめんなさい……」
叱られた子どものようにシュンとするリゼス。
何度か、手紙を出した方がよいだろうかと考えたことはあった。だが、机に向かってペンを取っても一文字たりとも、思いを紡ぐことができなかった。そのことを正直に伝えれば、ニコリアはそんな彼女を見つめる。その眼差しはまるで手のかかる妹を見るような色を浮かべていることに気付いたリゼスは居心地悪そうに目伏せる。
「……とにかくまぁ、こうやって元気な顔が見れたからとりあえず許すとするわ……けど――」
ニコリアはトンっとリゼスをベッドに押し倒すと、馬乗りになって見下ろす。
「私の教えを無視して心臓に負担に駆けたことは許さない」
一種の甘さと熱さえ感じさせる声。妖艶に細められたロイヤルパープルの瞳がギラリと煌めく。それは獲物を狙う猛禽類かのごとく鋭く、心臓をわしづかみするような威圧感を与える。リゼスはそれを見た瞬間、彼女がかなり怒っていることに気が付くだろう。
まずいと思った時にはもう遅い。彼女はそっとリゼスの左胸に軽く手を置くと、青筋を額に浮かべて微笑む。
「さて、診察を始めましょうか。言っておくけど、かなり痛いわよ? いつもみたいに優しくしてもらえると思ったら大間違いだから」
「え、あ、うそ、でしょ……?」
顔を引きつらせるリゼスは、診察という名の拷問に悲鳴を上げるのだった。
「は? リゼスが連れ去られたってどういことよ!?」
リノを自室へと連れ込むなり、シーリは重々しく彼女へと事情を告げる。そうすれば、リノはこれでもかと不快感をその顔に浮かべると、今にも掴みかからんとする勢いで迫ろうとしたが、冷静さを取り戻したのか、壁に寄り掛かり言葉を続けた。
「それで、その魔法使いさんとやらは? 転移魔法を使ったって?」
「おそらくは。リノ、魔法の痕跡を探すことは可能ですか?」
「……わからない。でも正直に言うと、難しいと思うわ。転移魔法ってのはかなり魔力を使うくせに、その場に魔力がほとんど残らない。一説によると使用した魔力が対象者を運ぶからってらしいから」
申し訳なさそうに眉尻を下げるリノに、シーリは落胆の色を目に浮かべる。
彼女であれば何とかなると思っていた。だが、返ってきたことは希望とは違うもの。どうすればいいのか。急いで次の案を考えなければ……
「転移魔法と仮定するなら、魔力の痕跡を探すのはとっとと諦めた方がいいでしょうね。でも、ほかにリゼスを探す方法はあるわ」
「……え?」
シーリが目を瞬かせる。そうすると、リノは得意げな色を見せる。
「貴女、リゼスと魔力でつながってるんでしょ? なんだっけ、ほらあれ――
「っ! た、確かにリゼスには私の魔力を流していますが……それでも、場所を把握することはできません……わかるのは人狼の力を使った時だけです」
だが、以前の任務の際にその効力を知ってからすぐに、シーリがあえてそれを発動しないように魔法に細工をしたのだ。なので、彼女の居場所を知るには彼女が人狼の力を使ってくれなければならない。
「ふぅん。ならやりようはあるかも。本当に魔力は繋がっているのね?」
リノは念を押して問いかける。
「……はい。繋がりが切れれば……それは、彼女の死を意味しますから」
「副作用ってこと?」
シーリは静かに頷く。セルシオンにはとんでもない副作用がある。それは、繋がった魔力……いや、
正しく言うならば、それでリゼスが死ぬことはない。死ぬことはないが死にたくなるほどの苦痛が彼女を襲うのは確実であり、死ぬという表現はある意味では間違っていない。
「魔力のラインが途切れた時、セルシオンはリゼスが不要な存在と判断し、それを改め再び従順なモノとなるように苦痛を与えるんです」
そう自分で説明した時、シーリは自分がどれだけ酷いことをしているか改めて認識する。その瞬間、一つの不安が浮かぶ。
――私は彼女を迎えに行っていいのだろうか。
戦うことを強要する魔法をかけて、自分から離れることすら許さない。それはある意味で、彼女の首に棘のついた首輪をつけて、彼女から自由を奪ったようなものである。
暗くなっていくシーリを見たリノは、なんとなくではあるが彼女の考えが読めたのだろう。フッと息を吐いてポンと肩を叩き、
「……なら、早く探してあげないとね。あの子が何を願うのか、聞きに行かなきゃ」
と言った。
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