第29話 その焦りが心臓に


 数日後。リノは団長室にやって来ていた。


「さて団長、ジョニーの処罰は決まったかしら?」


 組織のリーダーを前にしても、まったく不機嫌さを隠すことなくリノは鋭い目をライズへと向ける。ライズは「むぅ」と低く唸り声を上げる。その様子にリノはあからさまにイラついた様子を見せると、叩き付けるように机にドンと手を置いた。


「今回ばかりは我慢ならないわよ。少し間違えたらリゼスが死ぬところだったんだから! それでも、アイツがクレンの時と同じようにお咎めなしなんて許さないわよ」

「……ああ、わかっているさ」

「わかってる? なら早くアイツを追い出しなさい。また同じことをやられたらたまったもんじゃない。ねぇ団長、貴方が人々を守るために常に最善を尽くしていることは知っている。でもそれのせいで私の大切な人が傷つくなら」

「――ッ!」


 リノはグッと顔を寄せてライズを真正面から睨みつける。その眼差しは猛禽類の如く鋭く心臓を圧迫し締め付けるほどの威圧感がある。歴戦を駆け抜けたライズですら息が苦しくなる。


「貴方を殺す。そして、この騎士団を壊してやるわ」


 彼女は実行するだろう。そう確信させるには十分すぎるほどに強く冷たい言葉で、ライズは思わず気圧されてしまう。

 リノはこの騎士団においてかなりの古株だ。幼いころからここで騎士として働き、多くの功績を残してきた。だからこそ、彼女は団長である彼の苦悩を知っている。今おこなっていることもただ人々を守るために、と苦しみ抜いた末にこの形になっていることも。

 だが今回ばかりは我慢ができなかった。あと少しで、あと少しで大切な友達を失うところであったのだから。


「団長……いえ、ライズ・ヴァレニアス。人々を守ることを考えるなら、アレは必要ないわ」

「……」

「あんなのがいたら、人々を守れない。それとも、人を守るためならばと外道に堕ちる気?」

「……わかっている。もう少し考えさせてくれ」


 ライズは絞り出すようにそう答える。これ以上何かを言っても無駄だろう。彼には考える時間が必要だ。リノは一層視線を鋭くさせ睨むと、「そう」と冷たく息を吐くと、クルリと踵を返して部屋を出ていく。


 バタンと勢い良く扉が閉まると、ライズは深くため息をつく。


「わかっている、わかっているんだ」


 騎士団の現状がかなりひどいことになっていることぐらい、団長である自分が一番よくわかっている。こんな時に、信頼できる隊長たちがいてくれればと思わない日はない。だが、そんな彼らはかつての戦いで全員死んでしまった。

 あの日の戦いを思い浮かべる。もし、人々を守るために命を散らした彼らとともに死ねたらどれほど楽で、どれほど名誉ある死だったか。

 だが、自分は生き残ってしまった。まぁ、仮に自分が死んでいれば、この騎士団は今頃無くなっていたことであろう。


「……」


 頭をよぎる“解散”の二文字。


 騎士団の不穏な風を感じてからずっと考えていたことであった。あらゆる人間が集まる騎士団という組織。それが、考えの違いなどから解散に陥る騎士団は数多くあった。実際に、ライズと同期だった騎士の多くは騎士団を立ち上げたが、そのほとんどが解散している。

 それほどに、人が集まれば組織というものは運営が難しくなっていく。ライズは憧れであり好敵手であったアイツがいてくれればと考える。


「……アイツが、今の俺を見たらきっとがっかりするだろうな」


 そう自嘲した彼は今にも泣きそうな顔で窓の外を眺める。その瞳には静かな絶望が浮かんでいた。








 骨の髄を震わせるほどの声が轟く。リノは今目の前で繰り広げられる、人狼とシーリの戦いを眺めていた。


『グルラァァァッ!』


 槍のように指をそろえて突き出された人狼の一撃。シーリは剣の腹で滑るようにいなす。人狼はもう片方の手で拳を作るとそれをハンマーのように彼女の頭部目掛けて振り下ろす。直撃すれば間違いなく彼女の頭部は粉々に砕け散るだろう。

 シーリは冷静に頭上を確認するとすぐさまサイドステップでその一撃を躱す。獲物を捕らえることのできなかったその拳は訓練場の地面を砕いて砂埃が巻き上がる。彼女はあえてその中へと飛び込むと、そのまま訓練用の剣で地面をたたいた腕を斬りつける。


 ガゴン! 生き物と金属がぶつかったとは到底思えない鈍い音が響く。シーリは毛皮に弾かれた剣を見ながら背後へと飛んで距離を取ると剣を構えなおす。

 砂埃を尻尾で振り払った人狼はギロリとサファイア色の瞳を闘志に煌めかせると、だらりと脱力してシーリを見る。傍から見たら疲労しているように見えるが、シーリの目にはソレがこちらの隙を伺っているのだと写っている。


「いきます」

『グラァァァアアアアアッ!』


 同時に駆け出す。


 まず先に仕掛けたのは人狼だった。


 大きく振り上げた量でをクロスするようにシーリめがけて振り下ろす。その斬撃をまともに受け止めれば訓練用の剣なんて紙同然に切り裂かれ、彼女の体ももれなくこま切れとなってしまうだろう。

 シーリは僅かに眉を顰めると地面を蹴って人狼の頭上を飛び越えて躱す。人狼の背後へと着地した彼女はぐるりと振り向くと、一気に踏み込み人狼の背中を蹴飛ばした。


『――グォッ!?』


 人間の脚力から放たれた一撃とは到底思えないほどの衝撃に、人狼は顔面から地面へと倒れる。その次の瞬間、人狼の体から煙が噴き出しその姿がかき消える。


 人の姿へと戻ったリゼスは疲労困憊の状態であった。体はなまりのように重たく、立ち上がるのも億劫な気分であった。


「はぁ……はぁ……っ」


 汗を垂らしながら、リゼスは胸を抑えながら呼吸を整える。シーリは彼女のもとに寄ると心配そうに背中に手を置く。


「リゼス、平気ですか?」

「だい、じょうぶ、です……」


 心臓に痛みはない。ただ、強い疲労感が彼女の体を包んでいた。人狼の力を使うといつも強い疲労感に襲われる。体の体力を一気に持って行かれたかの如く。こればかりは、どんなに訓練を重ねようと慣れることはない。


 リゼスは大きく深呼吸をすると、ペンダントを握り締めながらリゼスを仰ぐ。


「シーリ様、もう一度力を使わせてください」


 いつもであれば、人狼の力を一度使ったらそこで訓練は終了していた。それはリゼスの疲れ具合を見ればそう何度も使えるものではないと誰もが考えるからである。ゆえに、シーリも訓練の際は彼女の体のことを考え、一度だけでそれ以上を試すことはしてこなかった。


「……いつも言っていますが許可できません」


 いつも通りの返答。リゼスはここ数日、訓練の度にそう言いだすことがあった。シーリはいつも通り首を横に振りながら、どこか不満気にするリゼスに僅かに目を細める。


「……どうしても、ダメですか?」

「ダメです。人狼の力はまだまだ未知が多い。無理に使うのはよくありません」

「ですが、自分の限界を知ることも必要なことだと思うんです!」


 それでも、リゼスは食い下がる。シーリが僅かに眉を顰めると、ふらりとリノが二人の元へとやって来るなり口を開いた。


「確かに、限界は知っておいた方がいいかもね。人狼の力が何度使えるのか、連続して使った場合、どういったことが起こるのか。いつかは確認することだったんでしょう? なら、今確認してもいいんじゃないの? 本人がやる気満々みたいだし」

「リノ……そうは言っても」


 シーリがチラリとリゼスを見る。その瞳にはありありと不安の色が浮かんでいる。


「お願いします。私、もっと強くなって役に立ちたいんです!」


 グッとペンダントを強く握りしめたリゼス。その瞳はどこまでもまっすぐで力強い。だが、シーリは彼女の瞳に強い焦りの色が浮かんでいることに気付いたシーリは僅かな危機感を覚えた。


「私は強くなって人々を守りたい。そのために、人狼の力は必要だとこの前の任務で痛感しました……だから、もっと早く使いこなしたいんです。そしたら、もっと貴女の役に立てる……たくさんの人を守れる」

「リゼス」

「お願いします。もう一度、力を使わせてください」


 深く頭を下げるリゼスを見下ろしながら、シーリは鋭い目を向ける。が、すぐに諦めたようにため息をつく。


「……ダメそうならすぐに終わらせますからね」


 リゼスの表情がパッと明るくなっていく。シーリは僅かに顔を顰めた。そんな二人の様子を見て、リノは仲良さげな二人に嬉しく思うと同時に、


「なんだか、嫌な予感がする……」


 どこからともなく流れてくる不穏の影を感じとっていた。








 訓練後の昼食を終えて、リゼスはシーリと共に騎士団にある庭園へとやって来ていた。

 食料となる野菜や、薬の原料となる薬草。ほかにも美しい花たちが咲き誇るそこは、用がない限り人が来ることはないため、そよ風と静寂だけが流れていた。


「リゼス、本当に体は平気ですか?」


 ベンチに座ったシーリは隣に座るリゼスへと、そう心配そうに声をかけた。リゼスは苦し気に顔を歪めながら、「大丈夫です」と静かに答える。

 リゼスの顔色は真っ青で、呼吸は荒い。首筋からはとめどなく汗が流れ、膝の上で握り締められた両こぶしは震えており、とてもではないがシーリは彼女の返答を信用することができなかった。

 

 2回目の人狼はとてもではないが戦えるような状態ではなかった。形作る煙が晴れず、大きさも小さく殆ど人間サイズのままであった。そして、当然そんな状態では満足に動くこともできず、すぐに返信は解除され元の姿に戻ってしまった。

 

 結果、人狼の力は確かに強大ではあるが、やはりそう便利なものではない。というのが、訓練を重ねてきた結果導き出された答えであった。


「リゼス、部屋に戻って休んだ方がいいですよ」

「いえ、室内より外にいたいんです……」


 リゼスはグルグルと胃の中が回るような不快感に襲われていた。2回目の変身が解除されてからずっとこの不快感を感じ、昼食を食べた後もその不快感はずっと続いており治まることもない。

 そして、徐々にではあるが心臓がギリギリと締め付けられているような感覚もあった。痛みはないがただただ息苦しさを感じさせる。だから、リゼスは余計苦しくなりそうな室内よりも外にいたかった。


「すみ、ませんでした。わがままを言った挙句、力を使いこなすどころかあんな無様な姿を見せてしまって……」

「なにを言っているのですか。貴女のわがままを聞いたのは私です。それに、リノが言った通り、いつかは確認しなければいけなかったことでした」


 そっと、リゼスの右手に手を置いたシーリは言葉を続ける。


「でも本当は、怖かったんです。貴女に無理をさせることが。貴女が苦しんでいるところを私は見たくないんです」


 苦しげに吐き出された言葉にリゼスは眉尻を下げる。


「シーリ様……どうして、どうしてそうやっていつも私のことばかり……」

「貴女が私にとって、とても大切な存在だからです」


 甘さを乗せた笑みにリゼスの心臓が大きく跳ねる。するりと、シーリの手が驚く彼女の頬に触れる。


「……っ」

「リゼス」


 シーリの顔がゆっくりと近づく。リゼスは突然のことに驚き、咄嗟に顔を背けたその時だった。


 リゼスはその先に人影を見る。その人物はローブを着た女性であった。そして、その見た目に見覚えのあったリゼスは驚愕の声を漏らす。その声に気付き、シーリが視線を動かす。


「えっ……なんで、ここに」


 気品を感じさせるロイヤルパープルの瞳に、アイスグリーンの長い髪を後ろで三つ編みにしたその女性はにこりともせず、冷たくシーリを一瞥した後、リゼスへと目を向ける。


「久しぶりね、リゼス」

「まさか、ニコ姉さん……なんで、ここに」


 ニコ姉さんと呼ばれた女性はスッと目を細め、気まずそうにしているリゼスを見つめる。シーリはそんな二人を交互に見ながら、リゼスの耳に口を寄せ「あの方は?」と聞いた。すると、リゼスが答えるよりも早く、女性が答えた。


「私はニコリア。そこにいるの育ての親よ」


 その声には鋭さがある。シーリはその目が自分にも向けられていることに気が付くと、そっとリゼスを守るようにリゼスの手を握る。ニコリアはその様子を見ると眉を顰める。


「貴女は……ああ、ライズの娘ね。リゼスが世話になっているみたいね」


 その声に親しみの色はまったくない。むしろ敵意すら感じさせる声色にシーリは警戒の色を浮かべる。そんな彼女の隣のリゼスは疲労とは別の意味で顔を真っ青にしたまま瞳を伏せ黙りこくっていた。

 リゼスはかつて自分が彼女の反対を押し切って家を飛び出し騎士団にやってきたときのことを思い浮かべ、きっと連れ戻しに来たんだという考えに思い至る。目を合わせたら最後、“帰るわよ”という言葉を投げられる気がして、彼女は顔を上げることができない。


「リゼス、体の調子は」

「わ、悪くない……」

「そう」


 びくびくと怯えた様子のリゼスに、シーリはニコリアを鋭く見ながら口を開いた。


「ここは騎士団の人間以外は立ち入り禁止です」

「ふん、だから? 私はリゼスに用があって来たのよ。貴女に用はないわ」


 骨髄をも凍り付かせそうなほどの声と瞳に、シーリは彼女がただの人間ではないと気付くだろう。そして、リゼスが“育ての親は魔法使い”だと言っていたことを思い出す。ゆらりと魔力が見えそうなほど濃密な気配。

 ニコリアは不機嫌そうにしたまま、小さくため息をつくと、ツカツカとリゼスの元へと歩み寄り、彼女の手を掴みとると――


「帰るわよ」


 リゼスが一番聞きたくない言葉をニコリアは告げた。



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