第32話 必ず見つけ出してみせる



 リゼスがいなくなってから数日が経った。

 シーリとリノは必死に手掛かりを探すも、結果は芳しくなく、リゼスを連れ去った人物がやっとわかったというだけでその住居を見つけるには至らず。しかも、ライズから団長命令として「探すな」とまで言われてしまい、二人は隠れるようにして情報を集めなくてはならず、余計に捜索は難航していた。


「むぅぅぅ……相手はわかっているのに」


 特殊な地図に魔力を流し、リノはリゼスの場所を探す。が、やはりというべきか、見つからない。相手は魔法を究めようとする人間であれば必ずや耳にするほどに有名な伝説の魔法使い。そんな彼女の住居がそう易々と見つかるはずがない。

 噂によればどこかの山奥ではあるらしいが、そこには幾重にも特殊な結界が張られ、しかもそれら全てが超高等魔法のため、どんなに魔法を究めた者でも結界を破ることは愚か、見つけることすらできないとも言われている。探せば探すほどドツボにはまるようにわからなくなっていってしまう。


「あぁぁぁわかんない」


 とうとう限界がやってきたリノはソファーの背もたれに寄り掛かる。おとといの朝から休まずやっていたが、さすがに魔力の限界だった。


「リノは、リゼスを連れ去った魔法使いをどのくらい知っているのですか?」


 リノを手伝うことのできないシーリはやり切れないような顔で、テーブルに魔力の回復を促す効果のあるハーブティーの入ったカップを差し出しながら問いかけた。リノはそれを一口飲むと、「私もよくは知らない」と言葉を続けた。


「ただ、魔法を覚えようと思ったらなんでか必ず聞く名前よ……ニコリア・ノース、別名は治癒の神」

「治癒の神……それはまた随分と」

「でもね、その別名に恥じないほどに、ニコリアという魔法使いはあらゆるケガや病気を治すの。それこそ、死者をも蘇らせられると言われるぐらいにとんでもない魔法使い。あんまり信じてなかったけど、詠唱無しで転移魔法使ったんでしょ?」


 シーリは頷く。


「なら、治癒の神ってのも納得できる。転移魔法を詠唱無しなんて凄腕魔法使いだってできない芸当よ。でも、不思議ね、そんな人とリゼスが知り合いだったなんて」

「なんでも、幼いころに助けてもらったのだと。心臓も診てもらっていると以前に話していました」

「ふぅん。それにしても、本当に腹が立つ。なーんにも見つからない。せっかく、書物庫から魔地図をくすねてきたっていうのに」


 魔力を帯びた地図の端をぺらぺらといじりながらリノは零す。


「確か、この世界を記憶した地図でしたっけ」

「そうよ。この地図が知らない場所はない。魔力を流して地図に知りたい場所を聞くんだけど、教えてくれるのが結構気まぐれだっていうことすっかり忘れてたわ」


 かつて、この世にいた大魔法使いが作った地図。それは、世界に流れる魔力をいくばくか吸収して作られた地図で、地形が変わればその地図の中身も勝手に更新され、使用者の望めば過去の地形も見せてくれる貴重な魔法道具だ。が、長い時を得たことによりかすかながらも自我が形成されてしまったらしく、必ず使用者の望むものを見せるとは限らない代物に変わってしまったのだ。

 リノは何度も気に入りそうな波長で魔力を流しはしてみたものの、地図は一向に応えてくれない。


「まったく、ヒントぐらい教えてくれてもいいのに」


 この魔地図であれば、ニコリアの結界すら通り抜けて場所を教えてくれると思ったのに、とリノは地図を人差し指でつつく。


「それは魔力ある者ならば誰でも使えるのですか?」

「ん? 使えるわよ。自分の知りたいことを魔力に乗せて地図に問いかけるの。そうすれば、機嫌がよければ教えてくれるわ」

「なら、私が試してもいいですか?」


 そう言うが早いか、シーリは地図に手を置く。


「ん、別にいいわよ。なんなら、シーリになら答えてくれるかもね。そのまま、手を置いたまま魔力を流して知りたいことを地図に聞きなさい」

「わかりました」


 リノの言う通りにシーリは地図に魔力を流す。そうすれば、地図は淡い光を放ち始める。


「お願いです。リゼスの居場所を教えてください。あの子は私にとって大切な人なんです」


 噛みしめるようにシーリが地図にそう静かに告げる。その次の瞬間、


『北の森……通称、異界の森。そこに、世界の理から外れた者たちがいる』


 老若男女、いくつもの人間の声が混ざったような声で地図は無感情に告げる。シーリとリノは互いに顔を見合わせる。

 リノは怪訝の色を濃く浮かべる。地図がここまではっきりと言葉を発したの初めてだったし、しかも居場所以外のことを言うとは思っていなかったためである。


「世界の理から外れたというのはどういうことですか?」

『そのままの意味。その森にすむ者、もはや人にあらず。その者たちに会いに行くならば信念をもっていくことを勧める。でなければ、リゼスは取り返せない』


 それで話は終わりだと言うように、地図は沈黙してしまう。シーリは開きかけた口を閉じると「ありがとうございます」と言って地図から手を外す。


「リノ」

「……まさか、その地図がそんなにおしゃべりだなんて知らなかったわ」

「それよりも、北の森……地図はここを示していましたね」


 トンと指さしたそこは、騎士団から遠く離れている。馬車で向かったら数日はかかるだろう。


「異界の森なんて聞いたことないわよ」

「私もです。でもそこにリゼスがいるなら私は行くだけです」


 半ば睨むように地図を見下ろすシーリ。リノは地図の言葉に引っかかりを覚えながらも、まずは行ってみなければ何もわからないだろうと考える。


「よしっ、じゃあさっそく団長さんに言いに行かなきゃね。リゼス奪還任務に行きたいって」


 二っと笑うリノにシーリは一瞬笑みを浮かべるも、すぐにその表情を暗くする。


「そう簡単にいけばいいのですが……」







「認められん」


 団長室へ乗り込むなり、リノは噛みつくようにライズへとリゼスを連れ戻したいことを告げれば、ライズは間髪入れずにそれを却下した。

 リノの隣に立っていたシーリはやはりかという目でライズとリノを交互に見る。普通に考えれば、人喰いが出たわけではない、表面上、休暇を取って実家に帰ったことにされている彼女を迎えに行くというだけで騎士団の重要人物を二人も向かわせるなんて到底認められない。


「言ったろ、リゼスは休暇で実家に帰っている。帰ってくるまで待て」

「なにを言っているのよ! あの子は連れ去られたのよ。それに、リゼスは休暇の申請は出していないはずよ」

「確かに本人からは受け取っていない。だが、リゼスの保護者から暫く連れて帰ると言われ、俺が許可を出した」


 淡々と告げるライズにリノはその目に強い怒りを浮かべる。


「ふざけないでよ。なんでそんな許可出すのよ! あの子はせっかく、憧れていた騎士になったのに! これからだった――」

「アイツはもう長くないそうだ」


 その言葉にしんと静まり返る。二人は一瞬言葉の意味が分からず固まってしまう。ライズは苦し気に眉を顰めたまま言葉を続ける。


「お前たちには話してもいいと許可を得ているから聞いた分を伝えるが、リゼスの心臓は今、かなり危険な状態だそうだ」

「え、いや、だって最近は平気だって」

「本人としては平気なのだろう。だが本来であれば、アイツの心臓は定期的に診察をして適切な処置を施す必要があるそうだ。そして、それをアイツはずっとしてこなかった。彼女の保護者こと、治癒の神が言うには、心臓に相当の負担がかかっているそうだ。これ以上無理をすれば、人狼の力も使えばその死期は早まると」


 シーリはリゼスの笑顔を浮かべながら、もしや知らぬところで苦しんでいたのではと考えてしまう。そして、自分は彼女に無理を強いてしまっていたのではないかと。

 そう考えると途端に胸が苦しくなる。そして、もしかしたらとまで考えてしまう。もしかしたら、このまま戦いから離れた方が彼女にとって幸せなのではないのかと。


「シーリ、リノ。お前たちはこれを聞いても、アイツに戦場に立てと言えるか? あいつに人々を守るために死んでくれと言えるか?」


 静かな問いかけは二人の勢いを殺すには十分。リノは言葉が出てこず、顔を俯かせ、シーリも同様に苦し気に顔を顰める。


「俺も後悔している。人々を守りたいがために、アイツを騎士とすることを決めてしまった自分を。アイツの心臓が弱いと知っているのに、その死を早めるようなことをしてしまった自分の愚かさを」


 言い聞かせるようにライズはそう言って息を吐く。その苦しみが痛いほど伝わってきた二人はもう言葉を紡ぐことはできなかった。


「話は以上だ。もうアイツのことはそっとしておいてやるんだ。アイツも大切な家族に囲まれて平和に暮らした方が幸せだろう」










 団長室を後にした二人。リノは消沈した様子で「ごめん」と残して去って行く。残されたシーリは廊下の窓から外を眺める。

 軽く瞼を閉じれば浮かび上がるはリゼスの笑顔。キラキラとした太陽のようなそれはいつも、シーリの胸を温めていた。その笑顔をずっと向けて欲しくて、自分のものにしたくて、彼女は必死に彼女の手を掴んでいたのに……それが結果として、彼女のことを苦しめる結果となってしまった。


「私は……どうするべきなのか」


 こんな心が揺れたままではリゼスを迎えに行くことなんて到底できない。


「私は……ッ!」


 ゴツンと壁を殴る。罅の入ったそこからパラパラと破片が落ちる。シーリは湧き上がる誰に向かているかもわからない怒りに奥歯を噛みしめ息を吐く。


「リゼス」


 傍にいて欲しい。だけどただ隣居てくれるだけでは満足できなかった。彼女と共に戦いたいのだ。共に戦って人々を守りたい。


 だがそれは願ってはいけない禁忌の願い。それは、己の手でリゼスを殺すことに等しい行為だから。


「私は……」


 人々のために死ねと言える決心がどうしてもつかない。リゼスにとっての幸せは一体何なのだろうか。彼女は一体どうしたいのか。


「わからない」


 シーリはふらりと歩き出す。その瞳にはなにも浮かんでいなかった。










 団長室。机の上で両手を組んだライズは目の前に置いた紙に書かれていた内容を読むなり、深いため息をつく。


――聖騎士団がリゼスのことを探しているようだ。可能であれば王国で保護したいと考えている。至急連絡をくれ。


 それは、王国にいる親友である王国騎士団長からの手紙だった。彼には今迄のことをすべて話してある。もし、何かあった時に、彼にリゼスを守ってもらうためであった。彼の権力さえあれば、万が一王国に行っても騎士として働けるだろうから。


「聖騎士団がとうとう動いてきたか」


 聖騎士団。それは、ライズやほかの騎士団と信念を違えた者たちが独自に作り上げた騎士団である。何度か襲撃も受けたことがあったライズは眉間に浮かんだ皺を解すようにもんだ。

 彼らは人々を守りたいという信念こそ同じではあるが、そこに手段を選ぶことはない。なんでも最近では、人喰いを操って人々を守ろうと考えているらしい。リゼスが人狼の力を使ったあの日の任務で襲撃してきたのもその聖騎士団の人間だろう。

 だが、彼らは手段を択ばないがゆえに守らなければいけない、人々を実験に使っているという話も流れてくれる。それにもっと不穏な噂として……人を人喰いへと変える技術なんてものを開発しようとしている物もある。

 人々を守ると言っているくせにいったいどうなったらそんなことができるのか、ライズには全く理解不能ではあったが、確実にわかるのはヤツラにリゼスを渡してはいけないということ。もし渡してしまえば、なにが起こるのか考えたくもない。


「こうなりそうだったから、ニコリア・ノースはアイツを迎えに来たのか。ともかくも、どこからか人狼の力を使ったことを嗅ぎつけたに違いない……」


 治癒の神と呼ばれる伝説の魔法使い。まさか、リゼスの育ての親だとは思っていなかったが、人狼の力などを持っていることから考えれば納得はできる。あの時の彼女は人狼の力を前提に話をしていたから。

 だがよく考えればこのタイミングで連れ戻されたのはある意味幸運だったのかもしれない。伝説の魔法使いと一緒ならば、ここにいるよりもずっと安全だ。


「それに、アイツは戦いなんてない場所で暮らした方がいい」


 二人に告げたことは本心だった。あのまま、自分の死を早めるよりも、穏やかに家族に囲まれていた方が幸せに決まっている。それで、想い合っていると傍から見ればわかる二人を引き裂いてでも。


「……シーリすまないな。お前の初恋をこんな形で終わらせちまうなんて……アイツが知ったら怒りそうだ」


 思い浮かぶは今は亡き妻の姿。シーリによく似た彼女は誰よりも自分の娘の幸せを願って死んでいった。


――あの子が大切な人を見つけたら私が一番にお祝いするの!


 そう楽しそうに言っていた彼女を思い出しながら、ライズは泣きそうに顔をくしゃりと歪めて外を眺める。そして、隠れるように馬車の準備をするリノの姿を見て苦笑を浮かべた。

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