第47話 百年祭


「シーリ様」


 ベッドに眠るシーリの寝顔を愛おし気に見つめるリゼスはそう小さく名前を呼ぶ。すると、聞こえていたのか眠っている彼女の表情が僅かに柔らむ。

 それがどうしようもないほどに愛おしくて、胸がポカポカと温かくなっていく。


 暫く時間も忘れて眺めていると、不意にシーリの瞼が微かに震えてアクアブルーの瞳がきらりと窓から差し込む光を反射する。リゼスはガタリと椅子から立ち上がって、ベッドの傍へと寄る。


「……ここ、は……」

「王国にある宿屋です」

「なぜ、そんな場所に……」


 ぼんやりとした表情でいるシーリにリゼスは「百年祭に参加するためですよ」と答えると、サイドテーブルに置いた水差しを手に取り、コップに水を入れると上体を起こしたシーリへと手渡した。

 コップの水を飲んだシーリはいまだにどこかぼんやりとした様子でリゼスを見る。その顔にまだ、疲労と悲しみの色が浮かんでいることに気付いたリゼスは悲し気に眉尻を下げる。


「百年祭とは?」

「この王国ができて今年で百年目なんだそうです。それを祝うための祭りですよ。いろいろな屋台や催し物があって楽しそうで、ぜひともシーリ様と回ってみたいなと思って、リノ様に私が頼んだんです」


 ちょっと無理矢理なやり方になってしまって申し訳ないと思っていたリゼスが、困ったように言うと、シーリはやっとリノの行動に納得いったのか小さく息を吐く。

 その反応を怒っていると勘違いしたリゼスはシュンと肩を落として「すみません」と零す。ハッとしたシーリは首を振ると、小さく口元を上げた。


「怒ってませんよ。ただ、なかなかに強引だなと」

「すみません」

「謝らないでください。……私のことを心配してくれていたらからなんですよね」


 リゼスはこくりと頷くと、そっとシーリの服の裾を遠慮がちにつかむ。その手がかすかに震えていることに気が付いたシーリは口を引き結ぶ。


「今日だけでも構いません。私と一緒にいてほしいんです。シーリ様がいない間、すごく寂しくて……すみ、まんせ……シーリ様のほうがずっとずっとツラいのに……少し、貴女に会えなかっただけでどうしようもなく不安になってしまうんです」


 ぽたりと涙が零れ落ちる。リゼスは腕で雑に涙をぬぐう。その時、シーリが小さく息をのんだ音が耳に届く。

 ああ最悪だ。彼女を困らせるつもりじゃなかったのに。彼女のほうがツラいのに。泣いてしまう自分が情けない。


「リゼス、まったく貴女という人は」


 ふわりと微笑んだシーリはリゼスを抱きしめる。それはまるで、リゼスが生きていることを確かめるように。首筋に顔をうずめたシーリにリゼスはくすぐったさと恥ずかしさから顔が赤くなる。心臓がどきどきと激しく脈打っている。


「リゼス」

「は、はい……」

「私も貴女と一緒にいたいです」


 噛みしめるように紡がれる甘い言葉にリゼスはこくりと頷いた。






 街に出ると多くの人々が祭りを楽しんでいた。見たこともない屋台の並ぶそれらと、魔法によって作られたであろう空を舞う光り輝く花びらを眺めるリゼスは珍しそうに瞳をキラキラとさせていた。

 ジャグリングを巧みに操る大道芸や、自慢の魔法を美しく披露する魔法使い。猛獣で様々な芸を披露する猛獣使いなど、本当に様々な初めてだらけの光景に胸躍らせたリゼスはシーリの手を引いて駆け出す。


「シーリ様! 見てください! すごいですよ!」

「ええ、そうですね。もしかして、こういったお祭りとかは初めてですか?」

「はい! いつかは小さなものでも見に行きたいなと思っていたので、こんなに大きな祭りに参加できてとても嬉しいです! あ、あれは何でしょう?」

「あれは魔法で服を作ってくれる職人ですね」

「じゃああれはなんですか?」

「あれは……」


 手を引かれるシーリの表情はどこまでも柔らかい。おそらく、リノが見ていれば“見たことないくらい優しい表情ね”と言って笑っていただろう。


「わぁっ、あれは魔法ですよね? すごいなぁ、あんなにきれいな魔法があるんだ」


 雪の結晶を降らせ、羽衣のような衣装を纏ったこれまた美しい女性が踊っている。リゼスは息も忘れてその踊りを眺める。年相応の子どものように楽しむ横顔を愛おし気にシーリは眺めている。

 きらきらと舞い散る結晶。ふわりと衣装をなびかせる女性がちらりとリゼスへと流し目を送る。その魅惑的な視線に思わずリゼスの顔が赤く染まっていく。その次の瞬間、シーリがそっとリゼスの頬へと手を伸ばして顔の向きを変えた。


「シーリ様?」


 至近距離からシーリに顔を覗き込まれたリゼスは目を瞬かせ声をかけるも、彼女は何も言わない。お互いの吐息が交差する。


 リゼスは先ほどまで近くに感じていた祭りの音が急速に遠のいた気がした。


「シーリ様、どうかしましたか……?」


 しばらく見つめあった後、リゼスはもう一度、彼女の名を呼ぶ。そうすれば、ハッとしたようにシーリは大きく目を見開くと小さく微笑んだ。


「貴女があの踊り子に奪われてしまうのではと少し不安になりました」

「――なっ!?」


 するりと耳に染み込むはシーリの甘い声。熱の篭ったその音はリゼスの心拍数を急速に上げるには十分すぎる。ドクドクと心臓が血液を送り出すと同時に顔が一層熱くなっていく。思わず顔を逸らそうとするも、シーリがわずかに手に力を込めてそれを許さない。


「リゼス」

「は、はいっ」


 いつもと違った雰囲気を感じ取ったリゼスがゴクリと喉を鳴らす。シーリは瞳を細める。踊り子よりもずっと妖艶な眼差しに動けない。


「リゼス、私は貴女のことを――」


 その時、ドォォォン! という響くような音が轟く。驚いて二人が音のしたほうへと顔を向けると、音の正体は花火だったようで青空を突き刺すような美しい光の花がいくつも咲き誇っていた。

 赤、青、黄色。はたまた、エメラルドグリーンやパールホワイトなどの色とりどりの花は群衆の意識を簡単に奪い、人々の歩みを止める。リゼスも初めて見るその美しい花に心奪われていた。


「なんて綺麗なんだ……」

「ふふ、花火を見るのも初めてですか?」

「え? あ、はい」


 先ほどの熱なんて嘘だったようにシーリが問いかける。リゼスはコクコクと頷くと、


「もっと、よく見える場所に行きましょうか」


 そう言ってシーリはリゼスの手を引いて群衆を抜け出した。







 花火の勢いが増している。小さく人気のない丘へと到着するなり、リゼスはわぁと声を上げた。


「すごいです! すっごくよく見えます!」

「喜んでもらえて何よりです。小さいころに家族とここで花火を見たことがあったんです」

「いいんですか? そんな大切な場所に私を連れてきてもらって」


 大切な思い出に自分という異物を混ぜていいのか。そんなリゼスの考えを読んだようにシーリは「いいんですよ」と小さく笑った。


「連れてくるなら貴女しかありえない」

「へ……?」


 ドォォォン! いつの間にか夕焼け空となりつつある空に花火の音が響いて、まばゆいほどの光が降り注ぐ。花火はまだまだ揚がり続けている。シーリはぎゅっとリゼスの手を握り締める。


「シーリ様……」

「リゼス、私は貴女が好きです」


 まっすぐに告げられる言葉。リゼスは一瞬、それを理解することができなかった。が、それを察したようにシーリはもう一度、今度は耳元で囁くように「好きです」と言った。

 ゾクリとした熱が背筋を駆け抜けていく。リゼスは言葉にならない声を漏らしながら、ゆっくりと後ずさる。その反応にシーリは落胆の色をその瞳に浮かべる。


「リゼ、ス……?」

「シーリ様、私は……私も……シーリ様のことが好きです。大好きです……でも、私は貴女の気持ちに応えてはいけないのです」


 ぐっと膝の上でこぶしを握り締め、顔をうつ向かせたリゼスは歯の隙間から吐き出すように苦しげな声で言葉をつづけた。その脳裏に浮かぶは父と居場所全てを失い涙を静かに流すシーリの横顔。


「私はいつ死ぬかもわからぬ身です。そんな私では貴女を幸せにはできない。私はもう、貴女を悲しませたくない。一人ぼっちにはしたくないんです……!」

「リゼス……」

「このまま戦わなければ寿命まで生きることはできるだろうとニコ姉さんには言われています。でも、私はこの命尽きるまで貴女と共にこの世界で戦いたいんです」


 心臓に手を当ててリゼスはシーリをまっすぐに見つめる。意志の強さを表すように煌めくグレーの瞳はどこまでも真剣だ。

 できることならば、リゼスは彼女と共に年を取って生きたい。だが、この世界に人喰いという生物がいる以上それは叶わない願いだ。なぜなら、リゼスに戦う以外の道はないから。


「うれしいんです。凄くうれしい。叶うならば貴女の気持ちに応えたい! でも、できないんです……ッ!」

「リゼス……」


 自分の体を抱きしめ涙を流すリゼス。シーリはいまだに繋いでいる手を一瞥すると、その腕を引いて彼女の体を力いっぱい抱きしめた。


「わっ、シ、シーリ様!?」

「そんなもの関係ないッ!」

「――ッ!」


 叫ぶような声にリゼスが息を呑み、表情を強張らせる。


「貴女はいつから! 生きること諦めてしまったのですか!」

「なっ」


 ズキリと図星を突かれたようにリゼスの胸が痛む。だがおそらく、もっと痛みを感じているのはシーリのほうである。


「どうして、どうして……! 死ぬ未来しか貴女は言ってくれないのですか!? 生き残る未来を話してはくれないのですか!」

「そ、それは……」

「貴女が私を悲しませたくないというのは痛いほどわかる。そんな貴女の優しさが私は愛おしくてたまらない。でも……それでも」

「――叶うならば! 貴女と共に生きたいと思っていますよ!」


 今度はリゼスが叫ぶ。その悲痛な悲鳴染みた声はシーリの胸に深く突き刺さる。


「でも、わかるんですよ! 私は近いうちに戦って死ぬ、と。……でも、私はそれでもいいと思っている。貴女と共に戦って死ねるならば、私は幸せなんです……ッ!」


 まぎれもない本心。いずれ自分は死ぬ。でもそれでも……リゼスに悔いはない。人々を守り愛する人と共に戦って死ねるならばそれで満足なのだから。

 その思いを込めて伝えれば、シーリはその言葉をゆっくりと咀嚼して、やがてゆっくりと味わうように飲み込む。そのアクアブルーの瞳にはもう悲しみの色は浮かんでいなかった。


 次に浮かぶは愛おしさ満たされたアクアブルー色の瞳。そのどこまでも心地よい熱の籠った瞳にリゼスはぐっと口をつぐむ。


「やはり、貴女は愛おしい人だ。結局、私が戦い続ける限り、貴女は私の隣で戦い続けるということなのですね」


 リゼスの頬を撫でてその額に自身の額をつけたシーリは、どこまでも幸せそうに微笑む。そのあまりにも綺麗な笑みはあっさりとリゼスの心を奪って離さない。


「ねぇ、リゼス。ずっと私の傍にいて。それがたとえ、少ししかなくても貴女の命尽きるまで私の傍にいてほしいの」


 そう言った次の瞬間、シーリは顔を近づける。そしてそのまま、リゼスの唇を奪う。


「――んっ!?」


 状況を理解した瞬間、リゼスの顔が沸騰しそうな勢いで赤く染まっていく。咄嗟に腰を引いて逃げようとするも、シーリはそれを許さない。ぐっと腰に手をまわして体を押し付ける。

 きらりとアクアブルーの瞳がグレーの瞳を射抜く。先ほど飲んだレモネードの味がシーリの唇から流れ込んでくる。彼女から香る大好きな匂いも相まってリゼスの脳がクラクラと熱に浮かされたように、正常な思考がそぎ落とされていく。


 時間にして数秒。ゆっくりとリゼスの唇を味わったシーリは顔を離す。


「シーリ様……」

「リゼス、もう一度してもいい?」


 リゼスは呆けた頭でコクンと頷く。シーリは魅惑的に微笑む。


「リゼス、大好き。この世界で一番、大好き」


 甘い言葉と共に再び二人は口づけを交わす。今度は先ほどよりもずっと、甘く柔らかい口づけ。リゼスは無意識にシーリの肩をつかんでその快楽に耐えるしぐさを見せる。そうすれば、シーリは応えるようにその体を強く抱きしめ行為を続けるのだった。





 いつの間にか、花火も勢いが落ちて日も落ちていた。

 うっすらと浮かぶ星々をシーリとリゼスの二人は肩を寄せ合って見上げていた。その手は絶対に離さないといわんばかりに強く繋がれている。


「リゼス」

「はい」

「貴女が死ぬのは寿命か、私に殺されるかのどちらかです。それ以外は許しません」


 リゼスの肩に頭を乗せたシーリの言葉に、リゼスはどこまでも幸せそうに「ええ、もちろんです」と答える。


「絶対です。絶対に死んではいけません。敵に殺されるなんてもってのほかです」

「もちろんです。なんたって、私の命は貴女の物なのですから」


 シーリが小さく笑う。リゼスは胸の奥から溢れでる彼女への愛おしさでどうにかなってしまいそうだった。


「リゼス」

「はい」


 二人は顔を見合わせる。


「リゼス」

「はい」

「リゼス」

「はい」


 何度も、何度も、シーリはリゼスの存在を確認するようにその名を呼び続け、リゼスも彼女を感じとるように何度も返事をする。


「リゼス」


 頬に手を添えシーリは顔を近づけ、そのままリゼスの吐息を奪う。


「リゼス、貴女はもう私のものです。誰にも渡さない。それがたとえ、死神が相手だとしても」


 ギラリとアクアブルーの瞳が煌めく。


「シーリ様」


 リゼスの手がシーリの頬を撫でる。それにすり寄る彼女にどうしようもないほどの感情が沸き上がる。


 どちらともなく二人は顔を近づけると口づけを交わした。

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