第48話 かつての王国



 思い通じた二人。だが、なにかが劇的に変わったということはない。ただ、二人の間に甘い空気が時折流れるだけである。


「なによ、二人とも砂糖みたいに甘いんだけど」


 朝、朝食後の紅茶を楽しむ二人のもとにやってくるなり、リノはそう言ってため息を吐いた。リゼスとシーリは互いに顔を見合わせると、よくわからないといった風に首をかしげる。そうすれば、リノはもう一度大きくため息をついた。


「いや、そんな自然に食べさせあって、見つめ合ってるのを真正面から見せられる私の身にもなってみなさいって。コーヒーに砂糖なんていらないって思わよ」

「リノ、なにをおかしなことを言っているのですか。私たちはいつもと変わりませんよ」

「そうですね。いつも通りですよ」


 二人が同時にうんうんと頷くのを見て、リノは開きかけた口を閉じる。

 百年祭を終えてからというものの、リゼスとシーリの距離は以前よりももっと近いものとなっていた。が、それに気付いているのは二人以外の人間。彼女たち自身はいつも通りに振舞っているつもりなのである。

 きっと、何度指摘したところで二人は気付かないだろう。早々にその考えに至ったリノはこれ以上何かを言うことはやめると、コホンと軽く咳払いをしてから話を変えた。


「まぁいいわ。早速だけど、任務が入ったわ」

「突然ですね」

「名指しでわざわざ早馬を使って送られた依頼よ」


 そう言いながらリノは一通の封筒を取り出す。そこに書いてある差出人の名前を目にした瞬間、リゼスは「え」と声を上げた。

 ふわりと封筒から漂うかすかな懐かしい香りと、見間違うはずのない丁寧な文字。


「なんで、ニコ姉さんから……」

「どうやら、行って欲しい場所があるみたいよ」


 リゼスとシーリは頭をくっつけて手紙の内容を確認する。


――王国のはずれにある古城に行きなさい。そこで、すべてを知りなさい。そして、戦うか、逃げるかを決めなさい。


 そんな短い文が書かれている手紙から顔を上げた二人は訝し気に眉を顰める。リノも同様の思いを抱いているのだろう、その表情はあまり芳しくはない。

 王国のはずれにある古城。それは名もなき古城で誰がいつ、どんな目的で建てたのか全く不明のそこは、なぜか不思議と盗賊ですら近寄らない場所であった。


「あそこにいったい、何があるって言うのかね」

「私も存在自体は知っていましたが、あそこに何かあるとは思えませんね」

「まぁ、とにかく行くしかないでしょ。二人ともいい?」

「私は構いませんが。……リゼス?」


 リゼスは手紙を見つめたまま動かない。

 古城なんて存在を知っているだけでほかの人が知っていること以上のことは知らない。知らないはずなのに、なぜか胸の奥がムズムズとしている。それはまるで、行かなければいけないのだと誰かに言われているような気分だ。

 そこまで考えて、ああと納得する。自分の中にいる“彼女”が教えてくれているのだろう。


「リゼス?」


 ハッと意識を戻し顔上げたリゼス。シーリは心配そうに顔を覗き込む。


「平気ですか?」

「……はい。少し考え事をしていました。古城に行きましょう。何かわからないですが、そこにいけば全てわかる気がするんです」


 その瞳に強い光が浮かんでいることに気が付いた二人は頷くと、さっそく準備を開始した。









 古城は古くボロボロではあったが、見る人に自然と畏怖の念を抱かせるほどに堂々とした姿でそこに建っていた。 石造りのそれにはところどころ罅が入っていたり、蔦が伸びていたりするが、雨風をしのぐことは容易だろう。周りに施された装飾はところどころ崩れてはいるが、素人目にもかなりの熟練が施したものだとわかるほどに細やかな作りが施されている。

 馬から降りた三人はそれを見上げ、言葉も失ってすっかりその雰囲気にのまれてしまっていた。ならず者すら寄り付かないという噂が流れるのも納得だった。


「これは……見るの初めてだけど、ここまで恐ろしい場所だったとはね」


 リノが言葉を零す。二人は神妙な面持ちで小さく頷く。


「ここは」


 リゼスの心臓がドク、ドク、と音を立てる。心臓から送り出された血液が“懐かしい、ずっと来たかった”と叫び声をあげている。それは明らかに自分の感情ではない。


「そうか、ここを知っているんだね」


 胸に手を当ててリゼスはそう呟く。その声色はどこまでも優しい。その横顔を見ていたシーリはそんな彼女の横顔が別人に見えたような気がして目を見開く。


「……貴女はいったい、誰ですか」

「シーリ? 何を言って……」


 ふわりと風が吹く。次の瞬間、凛とした炎のような声が聞こえた。


「お前ら、なぜここにいるんだ」


 驚いて全員が顔を向けると、古城の中から一人の女性が出てくる。明るみに出てきたその人――オルガは三人を見るなり思い切り顔を顰めた。それは彼女にとって、リゼスたちがここにいることに対していい感情を抱いていないと感じるには十分だった。


『隊長!』


 その言葉と共にリゼスが駆け出してオルガの前にひざまずく。勿論、そんな突然の奇行にシーリとリノは驚くが、オルガの表情は変わらない。だが、その深紅の瞳は今にも泣きだしそうに揺れていた。


「リゼ――」

『今だけは、リゼスではありません。彼女に体を貸してもらったのです』


 そう答えて顔を上げたリゼスはリゼスであって彼女ではなかった。顔つきが全く違う。その目つきは鋭く、誰よりも多くの死線を潜り抜けたと思われる戦士の表情をしている。間違っても、リゼスが見せることのない気高き獣を連想させる気迫があった。


 本当に今、目の前にいるのはリゼスではないのだ。そう、周りを納得させるには十分だった。


 二人が納得したと思ったその少女は申し訳なさそうに小さく笑みを浮かべるが、それも一瞬のことですぐに懐かしさをにじませてオルガを見た。


『隊長、お久しぶりです。あの時はご迷惑おかけしました』

、久しぶりだな。いや、私こそ謝るべきだろう。お前ももう休みたかっただろうに、

『いえ、これは私自身の決断です。ずっと眠っているつもりだったのに気付けば目覚めていた』


 シグネと呼ばれた少女はからりと笑う。オルガは「ずっと、リゼスを守ってくれたのだな」と言って苦しそうに笑う。そして、労わるようにその肩に手を置く。


 まるで旧友同士のようなやり取りをする二人。しばらく見守っていたが、やがてしびれを切らしたリノが口を開く。


「ねぇ、貴女たちはいったい、誰なの?」


 その声にしんと辺りが静まる。シグネはオルガに頷くと、


『私はシグネ。この城に仕えていた騎士です』


 と切り出してから話し始めた。


『百年以上も前です、私とオルガ隊長はかつてこの国を治めていた王の下で騎士をしていました。といってもまぁ、かつては人喰いという生物はおらず、それに酷似した狼牙という種族と共に手を取り合って平和に暮らしていました。それはもう、騎士という役職などいらないのではと考えてしまうほどに、平和な時代でした』


 嚙みしめるように彼女は言葉を紡ぐ。二人はその話を聞きながら、そんな時代が本当にあったのかと半信半疑であった。


「だがある日――恐ろしい敵が現れた」


 オルガの冷たい声が響く。憎しみと悲しみと怒りが複雑に入り混じったそれに二人は息を呑む。


「それは、ここより外の世界。別の世界からやってきた住人。私たちは異世界人と呼んでいる。そいつらはある日突然、何の前触れもなくこの世界へと降り立ち、まるでこちらが人間とでも思っていないかのように殺戮を始めたんだ」


 静かに告げられる言葉。表情こそ冷静ではある。だがやはり、その声一つ一つに強い後悔と憎悪の色が浮かんでいる。


『私たちは狼牙たちと共に戦った。だが、異世界人はこちらの世界では考えられないような魔法や能力を持っていて、私たちは苦戦を強いられていた。多くの者が死んでいき、狼牙一族に至っては全滅寸前だった。そうして全ての人が絶望したその時……』


 シグネ言い淀む。その顔は憎しみとも悲しみともとれる表情をしている。オルガはチラリとシグネを一瞥すると、変わって言った。


「女王はとある技術を私たちに授けた。それは、人間の体に狼牙の心臓を埋め込み、人ならざるもの――人狼へと姿を変える力だった」

「人狼になる力……まって、もしかしてまさか、この世にいる人喰いって……」


 そこまで言って言葉を紡ぐシーリに、オルガはそうだと言うように頷く。


「そうだ、この世界で人喰いと呼ばれているものたちは、皆がかつてこの国を守るために戦った騎士たちだ」


 二人の間に戦慄が走り抜ける。人喰いの正体がかつて人であった。それはつまり、今まで彼女たちが憎しみ殺してきたものたちは……という考えに至ってしまうのは必然だろう。そして、オルガの言い方からして、彼らは彼女たちにとって大切な人たちに違いない。

 暗くなっていく二人に、オルガは小さく首を横に振って「私たちがお前たちを恨むことはない」と言って言葉をつづける。


「アイツらが心安らかに休むには殺すしかない。殺して囚われた魂を開放するしかないんだ。だから、お前たちがしていることは間違いではない。むしろ、私は感謝している。アイツらがこれ以上罪を重ねてしまう前に殺してくれることに」


 そういったオルガは胸に手を当てて「本当にありがとう」といった。その真剣な態度が嘘ではなく、本当に心から感謝していることは考えるまでもない。だからこそ、二人は表情を強張らせながらもそれ以上暗くなることはできなかった。


「話を戻そう。人狼となった騎士たちは異世界人と戦い、どうにかして最後の一人を残してこの世界にやってきたやつらを殺すことには成功した。そこまではよかったんだ……だが、人狼の副作用が……アイツらを人喰いへと変貌させてしまった。それを眠らせるのが隊長である私の役目だった。私は自分の魔力を使って不死の呪いをかけて戦い続けていた」

『ですが、それどころではなくなってしまった。先ほど言いましたね、異世界人は殺したと』

「……まさか、その一人がどこかにいるっていうの? 異世界人って言っても人間でしょ? まさか、貴女のように不死状態っていうんじゃ……」


 顔を引きつらせるリノにオルガは何とも言えないといった風な表情を見せる。


「異世界人にこちらの常識は当てはまらない。無論、寿命においても同様でな。だが、そいつの場合はまた少し違って今は封印状態にあるんだ」

「封印、ですか?」

「ああ、女王がその命と引き換えに異世界人を封印した。何もなければ、奴は眠ったような状態となり起きることはない。だが、忌々しいことに正騎士団とかいうふざけたやつが封印を解いたんだ……ッ!」


 その声には憤怒の色が濃く浮かんでいる。シグネはオルガの気持ちが痛いほどにわかるようで、そっと背中に手を当てて、今にも泣きそうなほどに苦しそうな表情を浮かべる。


「私は最後の力をすべて使って奴を殺す。だがおそらくは……無理だろう」

『隊長……』

「シグネ、お前は本当に頑張ってくれた。今まで、リゼスが人喰いとなり果てなかったのもきっとお前のおかげだ」


 オルガはポンと彼女の頭に手を置く。その瞳はどこまでも優しさに満ちており、家族に向けるものと同様の色を見せている。


「最後にお前に会えたこと、心から嬉しく思う」


 オルガは空を仰ぐ。


「……さてと、私はもう行かなければならない。後のことを、頼んでもいいか?」

『はい、もちろんです』


 シグネは小さく息を吸って、


『ご武運を』

「ああ、必ずやヤツを殺してみせる」


 そう言うが早いか、オルガの姿がかき消えていく。それが魔法の一種であり、リノは力の痕跡を全く見つけられなかったことに眉を顰める。




『……さてと、どこから話しましょうか。でもまぁまずは、貴女たちにお願いをしたいんです』

「お願い、ですか?」


 シーリが首をかしげる。シグネはにこりとする。その笑い方はどこかリゼスに似ている。


『はい。お願いはただ一つ――最後の異世界人を殺してほしいのです。申し訳ないが、隊長の言っていた通り、隊長ではおそらくヤツには勝てない。そしていずれ、異世界人はここにやって来るでしょう。その時に、この国を守るために戦ってほしい』


 そう言った彼女は見ているこちらが苦しくなるほどに辛そうだ。無理もない、彼女は信じたいのに知っているのだ。心より敬愛する隊長の命はもう残り少なく、その力は全盛期の十分の一にも満たないほどに弱体化してしまっていることを。

 だから、彼女は頭を下げる。この国を守ると百年前のあの日に誓ったから。何よりも大切な約束だから。


『お願いします。我らが女王と隊長が愛したこの世界を守って欲しい』


 シーリとリノは顔を見わせる。そして、すぐにシグネへと顔を戻す。その表情を見た瞬間、シグネは安堵したように目を細める。そして、静かにその瞳から涙を流す。


「当然です、私たちもこの国が大好きです。どんな脅威が来ようと守ってみせます」

「そうね。私だってこの世界を気に入ってるからね、面白いものはたくさんあるし、まだまだ探したいものもあるし」


 二っと笑って見せるリノに、シグネは頷く。


『やはり、貴女たちは私が見込んだ通り、気高き騎士だ。これならば、私の技術を教えられる』


 腰の剣を引き抜き、シグネは構える。シーリはすぐにその構えがリゼスと全く異なる構えだと気付くだろう。そして、目の前の彼女が自分たちよりも……いや、王国騎士団長なども足下に及ばないと思うほどの強者だということにも気付く。


『異世界人がここに来るまでにできるだけ、私の技術を授けます。なので、精一杯――ついて来てくださいね』


 その言葉と同時にシグネはシーリへと剣を振り下ろした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る