第49話 気高き炎の騎士よ



 そこには無数の死体が転がっていた。頭が潰れた者、四肢をもがれた者、下半身または上半身が消し飛んだ者。様々な死体が転がるそこは常人の心を一気に削り取るほどの死臭と悪意に満ち満ちていた。


 積み上げられた死体の山を見上げたオルガは懐かしい景色だという風にため息を吐く。いつの日にか嗅いだ地獄のニオイ。懐かしくも感じるそのニオイにどうしようもない怒りに塗りつぶされそうになってしまいそうだ。


「クソったれな場所だ。貴様のいるところにはいつも死体の山があるな」


 山の頂上へと鋭い声を飛ばすオルガ。その手にはゴォと燃え盛る炎の剣が握り締められている。熱気が空気を歪めている。


「――ハハハハッ! その声はあの忌々しい炎の騎士か! お前がいるということはあの馬鹿騎士たちもいるのか?」


 山の頂上で寝転がっていた人物が起き上がる。それは、胸がむかつきを覚えるほどの嫌味な声で高らかに笑ってオルガを見下ろす。

 漆黒の髪に、この世界で生まれ落ちた人間では決して現れることのない。雪のように真っ白な瘦躯の青年はニタリと真っ赤な舌で唇をぺろりと舐める。オルガは冷たく見上げながらハッと鼻で笑い飛ばす。


「バカが。ここにいるのは私だけだ。お前は呑気に百年も眠り続けていたんだ」

「ははぁ、そんな長い時間をか。あのクソ王女め! この俺様を封印なんてしやがって。だがまぁ、その引き換えに死んじまったんだからなんとも無駄な人生だったよなぁ?」


 オルガは爆発しそうになる怒りを魔力へと変換させながら、「クソが」と呟く。その感情に応えるように炎が空気を焼く。


「戦いに夢中になった王女様は子もなさずに死んで? それで王家は滅亡ときた。まったく、何のために戦っていたんだぁ?」

「血筋など関係ない。なるべきものがあの国の王となるのだから。そして、あの方は王女として、この国を貴様らクソ共から守るために戦ったのだ! それを愚弄することは許さない。そもそも、私たちはお前の存在自体、許すことはないがな!」


 炎の剣を構えたオルガは叫ぶ。その思いは散っていた仲間達へと届くように。聞こえているか、お前たちのために今日この命を散らす私の叫びは届いてるか。


「今日こそお前を殺す! 覚悟しろ――異世界人!」


 大地を蹴り、一息のもとに男へと接近したオルガは炎の剣を振り下ろす。直撃すれば人間の身体なんて一瞬にして消し炭にできるほどの熱を持ったそれを、男は興味なさそうに見据えながら、ゆらりと立ち上がってそれを躱す。


「ははぁ、挨拶も早々に殺しに来るとは、お前たちは本当に野蛮な一族だな」

「それはお前らも同じだろう! やって来て早々にこの国を混沌へと陥れた悪魔共がッ!」


 目にも止まらぬ速さで剣を振るうオルガは叫ぶ。その姿は一種の獣のように激しく獰猛だ。彼女を知る人物が見れば、その変わりように驚いていただろう。

 だが、彼女の怒りはこんなものではない。百年間、一秒たりともこの怒りを忘れたことはない。その怒りと自分の命を薪にして怒りの炎を滾らせる彼女は止まらない。


「殺す! 必ずやこの炎で一片残らず! お前の灰を誇り高き騎士たちに捧げる! それが、のうのうと生き残った私にできる最後の弔いだから!」


 男は首筋めがけ薙ぎ払われた炎の剣をのけ反って躱す。オルガは剣に過剰に魔力を流し込むとその熱波で男を焼き尽くそうとするが、そうするよりも早く男はバク転しながら彼女の剣を蹴り飛ばして距離を取る。

 だが、完全に炎を防ぐことはできなかったようでその右足は焼け爛れている。男は痛みを感じていないようで軽くプラプラと足を振ってみせる。すると、その傷はすぐに回復し何事もなかったようになってしまう。

 オルガはそれを見て軽く舌を鳴らす。少しでも傷を与えられればと思ったが、やはりそう簡単にはいかないようだ。


「随分と熱が落ちたな。この百年で随分と弱くなったんじゃないか?」

「それは、お前もだな。百年前だったら今の攻撃を避けるんじゃなくてバカみたいな魔法で消していただろう」


 彼女の軽口に男は僅かに顔を顰める。が、すぐに楽しそうに笑いだす。


「確かにな、あの封印にかなり力を削られてしまったみたいだな。とりあえず、俺様を復活させた人間どもを喰らってみても大して回復しなかったな。やはり、魔力が強い人間を喰わねばならないみたいだ」


 ジロリと男はオルガを見る。その視線は食料を見る獣そのものだ。その目をオルガは侮蔑の表情で見返す。


「お前を喰えば少しは力が戻るだろう。その後に、俺たち異世界人を裏切ったあのクソ魔女も喰らってやる」

「ほざけ。貴様に喰わせるものなんてこの世にはない! 大人しく地獄に帰って共食いでもしていろッ!」


 踏み込み懐へと飛び込んだオルガはそのまま突き上げるように剣を振り上げる。それは、男が反応するよりも早く、彼の左肩から先を切り飛ばしその熱波によって燃やし尽くす。男は僅かに顔を歪めると、オルガへと手をかざす。

 ぐにゃりと漆黒の腕が男の背後から飛び出すと、それは鋭いかぎ爪でオルガの鎧を切り裂かんと迫る。が、オルガは咄嗟に全身に炎を纏ってその腕を燃やし尽くすと、そのまま飛び込むようにタックルを仕掛けた。


「燃えろ!」

「おっと」


 バックステップですぐさま距離を取ろうとする男をオルガは無理やり踏み込んで追いかける。炎の球とも呼べるほどの豪炎を纏った彼女は左手を伸ばして男の首を掴んで地面へと押し倒す。凄まじい熱が彼の喉を焼き尽くし、彼は苦しげに呻く。


「はっ、いい景色だ。このまま灰にしてやる!」

「そうはいかないな――暗黒槍」


 男が静かにそう呪文を唱えた次の瞬間、オルガの背中にいくつもの漆黒の槍が突き刺さる。そのうちの数本は彼女の体を貫通したようで、痛みに呻きながらその口から大量の血が吐き出される。

 首を掴む手の力が緩んだ一瞬の隙に男はオルガの拘束から抜け出すと、焼け爛れた首をさすって軽く咳き込んだ。


「けほっ、まったくとんでもない奴だな。危うく本当に燃やされるところだった。まったく、命の炎は厄介だな。と言っても、お前の方はダメそうだな」


 そう言った男の言葉に、オルガは答えることができない。

 生命を魔力へと変換する。文字通り――命を燃やす魔法。それは人間の限界を超えた絶大な力を与える代わりに体に多大なる負荷をかける。内臓がほとんど燃えてしまったのか、傷口から流れるのは灰色の液体。想像を絶するほどの激痛が絶えず全身を駆け巡り、オルガは立っているのもやっとの状態であった。


「はぁ、はぁ……ッ。まだ、だ……おまえ、を……殺すまで……私は……死ねない……!」


 まだ、魔力は残っている。握り締めた剣の炎がユラユラと揺れる。だがもう、本当に命が尽き始めているようだ。後一撃、大技を使えばこの体は燃え尽き灰となるだろう。

 命が終わりを迎えようとすると、人の頭には様々な過去が巡り巡り再生されるというが、オルガは今、それを体験していた。

 騎士として勤め始めた時に、姫の目に留まって護衛騎士となり、戦いなんてない平和な日々を謳歌していた。そしてそんな平和な日常にはいつも、最愛と呼べる姫が笑っていた。やがて、女王となっても彼女は変わらず笑っていた。その笑顔をずっと隣で見ていたかった……それが、それがオルガという人間が望んだものだった。


「お前らさえ、いなければ……あの人はもっと長く笑っていられたんだ……っ」


 オルガの全身から炎が噴き出す。残った内臓をすべて燃やして魔力へと変える。今までとは比べ物にならないほどの凄まじい痛みが体を走り抜けているような気がするが、痛みなんて慣れっこだ。死んでいったみんなはもっと痛かったはずだ。

 そうだ、これはのうのうと生き残ってしまった自分への罰なのだ。そう考えれば、痛みはむしろ喜びと変わっていく。


 ははと乾いた笑いを零すオルガを、男は信じられないと言った目を向ける。


「……お前はキチガイだ。どうして笑っていられる」

「どうしてだと? 決まっている、この国のために命を使えることほど、嬉しいことはないからだ!」

「お前といい、化け物になったやつらといい……本当に頭がおかしい」

「はっ、最上の誉め言葉だな」


 両手で剣を握り締め掲げたオルガは笑う。その顔はいまから死にゆく人間とは思えないほどに生き生きとしていた。


 空間を燃やすほどの炎が剣の刀身を何倍にも膨れ上がらせる。男はさすがにその炎が自分を殺しうるものだと気付き、防ごうとその手に魔力を込める。


「受けよ、我が一撃。この炎はかつてこの国を守るために散っていた仲間たちの怒りだァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 その叫びと共にオルガは炎の剣を思い切り振り下ろす。触れたもの全てを燃やし尽くしながら、命の炎が男へと迫る。


「これは……」


 男は逃げの一手を取らなかった過去の自分を殴り飛ばしたい気持ちだった。以前ほどの力がないのに受け止めようとしてしまった傲慢な自分自身を。

 男はありったけの魔力をその手に込めていくつもの障壁を作り出す。だが、炎はまるで紙くずを燃やすように障壁を呆気なく灰へと変えていく。これではいくつ、障壁を用意したところで何の意味もないだろう。


「ったく、本当に面倒だ」


 その体に魔力を纏うと、男は炎をその身で受け止めた。触れた傍から肉体は灰へと変わっていく。男は大きく顔を歪めながら、満足げに笑うオルガを睨みつける。


「この程度で! 俺様が死ぬと思うなよぉぉぉぉぉぉぉ!」







 辺りにチラチラと火が燻る。その火は今にも消えそうではあるが、たとえ、大雨が降ろうとその日が消えることはないだろう。

 灰の山で膝をつく男は胸を抑えながら両肩を大きく上下させながら呼吸を繰り返す。再生の力を持っているにもかかわらず、胸に刻まれた傷が治ることはない。ドクドクとひたすら命と魔力という名の血を流し続けている。このままでは、そう遠くないうちに男は死を迎えるだろう。


「く、そ……あのキチガイ騎士め……血が、とまらねぇ……じゃねぇか……」


 ゆっくりと立ち上がった男は、地面に倒れているオルガへと近づく。


「はっ、本当に命全部燃やしやがったな」


 オルガはもうすでに息絶えていた。体のほとんどが灰となり、今もなおその体は灰へと変わっている。いずれ、全身が灰となり崩れて消え去るだろう。男はそれを憎々し気に見下ろしながら手を伸ばしかけてやめる。


「魔力も残っていない。死体と言えどこんなものを喰ったらそれこそ死にそうだ」


 このキチガイはきっと死んでもこちらを殺すことを諦めない。不用意に手を出せば本当に殺されるだろう。男は立ち上がると、空を見上げる。


「さてと、魔女を殺す前にあの古城をぶっ潰すか。でなければ、イライラして喰うものも喰えないからな」


 ニヤリと笑った男はふわりと宙に浮かぶと、遠くに見える古城へと向かうのだった。








 オルガが目を覚ますと、そこは草原だった。彼女はその草原がかつて自分の大切な人たちが生きていたころの時代の草原だとすぐに気づくだろう。

 泣きたくなるような懐かしい温かさとニオイ。ずっと、ずっと焦がれていた場所にオルガは訝し気に思いつつもその空間に身を委ねていた。


「なぜ、ここに……いや、私は死んだのか……」

「――オルガ」


 不意に声をかけられる。その声にオルガは限界まで目を見開くとその目に涙を浮かべ、振り向く。そこには、一人の美しいドレスを身に纏った美しい女性が立っていた。その姿にオルガは言葉にならない声を漏らす。

 女性は優しく微笑みながらオルガの元へとやって来ると、その頭を優しく撫でた。


「久しぶりですね。まったく、貴女は本当に頑張り屋さんなのだから。昔のサボり癖は一体どこに置いて来てしまったのかしら?」

「は、はは……本当だな。あの頃はこの草原で居眠りしてはお姫様に怒られてたな」

「もうっ、これでも私は王女なんだけどなぁ」


 コロコロと笑った女性はオルガの隣に腰を下ろすと、そっと肩に頭をもたれかけた。オルガは優しく目を細めるとさりげなく肩を下げて彼女がもたれかかりやすいようにする。


「そのさりげないところは変わらないわね」

「貴女にだけですよ。お姫様」


 オルガの言葉に女性の顔がサッと赤く染まっていく。が、すぐに悲し気な色へと変わっていく。


「本当に、本当に貴女にはいろいろと苦労をかけてしまいましたね。長い時を貴女に戦わせてしまった。私は王女失格ですね……」

「なにをいっているのか。貴女のために戦えるなんて私としては至上の喜び。それよりも……私はあの異世界人を殺すことができませんでした……」


 グッと歯を噛みしめたオルガ。そう、最後に憶えているのは笑って飛び去って行く悪魔。傷は与えたかもしれないが、それでも殺すことができなかった。女性はどこまでも優しく微笑むと、そっと言い聞かせるように口を開く。


「大丈夫、あれはやがて死ぬでしょう。よく、命を燃やし戦ってくれました。私は、貴女のことを心から誇りに思いますよ炎の騎士オルガ」

「……ッ! ありがとう、ございます……っ」


 ポタポタとオルガの瞳からとめどなく涙が零れ落ちる。女性はそれを優しく拭うと、そっとその体を抱きしめた。焦がれていた柔らかさにオルガは縋るように彼女の体を強く抱きしめ返す。


「ずっと辛かった。たとえ、仲間のためだと言っても殺すのだっていやだった。貴女に会えなかったのもつらかったんだ!」

「ええ、とてもつらったでしょう。よく、頑張ってくれました」


 子どものように泣き声上げるオルガの背中を優しく叩きながら、女性はあやすように「頑張りましたね」と何度も告げる。


「ずっと、ずっと貴女に会いたかった! こうして、こうして抱きしめて欲しかった!」

「ええ、私も同じ気持ちです。ずっと、貴女に会いたかった、こうして抱きしめたかった」


 女性はオルガの頬に手を当てて、囁くように名前を呼ぶ。


「こうして、貴女の名前を呼びたかった。オルガ、私のオルガ。これからはずっと一緒よ。みんなあちらで待っている」


 その言葉と共に女性の背後に複数の人影がこちらに手を振っているのをオルガは目にする。それはずっと会いたくてたまらなかった人たち。


「ああ、そうか……私は帰ってこれたんだな」


 心残りが一つあったが、オルガにできることはもう祈ることだけである。


「リゼス、すまない。お前につらいことを押し付けてしまった愚かな私を許してくれ」


 オルガは女性と共に立ち上がると、そのまま仲間たちの待つ光の場所へと向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る