第50話 思い出の場所を壊させはしない


 シグネの指導により、たった数時間で二人は急激に実力を上げることに成功していた。その代わり、体力はほぼ底をついてしまい、しばらく動くことはできないが。

 リノに関しては完全な魔力切れで眠ってしまっている。普通の人よりもずっと魔力のある彼女がああなるなんてと、シーリは地面に横たわりながら彼女を見ていた。


『よく頑張りましたね。私の理想には少し遠いですが、それでもそれだけの力があれば異世界人と戦うことも可能でしょう』


 二人よりもずっとハードな動きをしていたにもかかわらず、けろりとして爽やかに笑うシグネに、シーリは体力無しのお化けだと同時に思う。

 シーリは彼女に稽古をつけてもらって改めて、彼女の力量の高さに感嘆していた。こちらの剣など全く通用しなくて、まるで子どもを相手しているのかと思わせるほどにすべて受け流され、攻撃はまるで豪雨のように激烈で反撃すら許さない。それでいて、魔法に関してもリノと同格かそれ以上の物を披露してみせる。

 だからこそ、不安に思う。それだけの実力を持った相手でも異世界人とやらは倒せない存在なのかと。そして、そんな存在に果たして自分たちは戦えるのかと。


「異世界人はどれほど強いのですか」


 シーリは体力回復を促進させる薬を混ぜた飲み物を飲みながら問う。


『ものすごく強いです。それはもう、私なんて軽く一捻りでしたね。何度死にかけたことか』

「そんな相手に……私たちの今の実力で勝てるのでしょうか」

『難しいでしょうね。でも、大丈夫です――倒せる程度に弱っているはずですから』


 その言葉には確かな自信を感じる。彼女は信じているのだ、オルガが倒せなくても異世界人を死の淵まで追い込んでいることを。その絶大な信頼にシーリは彼女の瞳にリゼスがいつも自分を見ているときと同じ輝きを見た気がした。


「シグネさんはオルガさんのことをとても信頼しているのですね」

『そりゃあもちろん。あの方は世界で一番尊敬する人ですから。あの方の背中を追いかけて追い越すことが私の生きがいだったと言ってもいい』


 噛みしめるようにそう答えるその姿はリゼスそのものだ。


『だから、あの方が国のために死ぬと言った時、私も迷わず同じ道を行こうと思った。まぁ、その結果、隊長には私の後始末なんてことをさせてしまいましたがね……』


 ヘラリと笑うシグネ。シーリは僅かに視線を一瞬下に向けると、よろよろと立ち上がってなんとか姿勢を正して深く頭を下げた。


「ですが、貴女がいてくれたから、私はリゼスと出会えた。ありがとうございます」


 人喰いという存在が憎いことに変わりはない。それの正体がどれほど悲しい人たちであっても、そこまで割り切れるほどにシーリの心は育ってはいない。だがそれでも、彼女は感謝の言葉を贈る。それがなければ、世界で一番愛おしい人に出会うことはできなかったから。


『そう言って貰えて心が救われます。ですが、やはり……このすべてが終われば私は潔く消えなけばいけません』


 シグネはシーリの本心が分かっているように、一瞬だけ苦し気に口元を歪めると、すぐにふわりと微笑を浮かべる。


『さてと、体力は戻りましたか?』


 一転して爽やかな笑顔を向ける。シーリは彼女の意図を感じとり、フッと口角を上げると気力を絞り出し、その腰に収めて剣の柄を握り締めた。







 お互いに向き合って剣を構える。シーリはシグネの構えを見ながら、やはり違うと、今日何度も思っていること胸の内で呟く。正直に言えば、強くなるためとはいえ、リゼスなのにその中身は別人であるという状況はあまりよく思っていない。


『申し訳ありません。ですが終わればリゼスに戻りますから。今、中で彼女にも私から伝えられることを伝えていますので、もう少しだけお願いします』

「……何も言っていないのによくわかりますね。魔法ですか?」

『ふふ、違いますよ。言葉にせずとも貴女の顔に書いてありましたから』


 わかりやすいと暗に言われたシーリの頬が僅かに赤く染まる。シグネはそんな彼女を見てカラカラと笑う。そして、すぐに真剣な眼差しを向ける。そこに先ほどまでの親しみの色はなく、ただただ戦う人間の表情と闘志の色。それもやはり、リゼスが見せるものとは全く異なるものだった。


 早く終わらせてリゼスに戻す。そう考えればシーリの体に燃えるような気力が湧き上がる。


「……行きます」

『どうぞ』


 シーリは一息のもとに距離を詰める。瞬間移動とも見間違うほどの速度にシグネは満足そうに笑みを浮かべながら、シーリの振るった剣を軽く受け止める。

 ガチンという音が響き、シーリは両手で剣を握り締めながらそのまま力任せに押し倒そうとするが、シグネの腕はまるで岩のように硬く動くことはない。


『いい力です。魔力をもっと腕に込めて筋力を高めてください』


 その言葉に従ってシーリは魔力を腕に込める。そうすれば少しずつではあるが彼女の剣を押すことができるが、すぐにそれは停止しシグネが半歩踏み出して剣を弾く。そのまま、彼女はシーリの体を真っ二つにせんと横なぎに払う。

 ゆったりとしていながらも人体を切り裂くなど容易と言いたげな剣が襲い来る。シーリはバク転の要領で体を逸らしてその一撃を躱すと、そのまま剣を蹴り飛ばさんとするが、それはあっさりと躱されてしまう。


「本当に強いですね」

『私がこうして動けるのはリゼスの体がしっかりと鍛えられているからです。そうでなければ、今のを避けることはできませんでした。……とはいっても、やはり長期戦は困難なようですね』


 シグネはそう言って胸に手を当てる。人狼の力が体に馴染んできているおかげか、心臓は以前よりもずっと丈夫にはなっているが、やはり激しい動きやもともと少ない魔力を使って魔法を行使すればその負担によって心臓は悲鳴を上げる。

 実際、シグネは今の身体でそう長く剣を振るうことはできない。それは、魔法を使って無理やり身体能力を強化しているからという理由もあったからだ。


「身体強化魔法。それも少ない魔力で……」

『使うところにだけ魔力を流していますからね、それでもかなり制限して使っていますよ。でなければ、この体はすぐに動けなくなってしまいますから』


 簡単そうに言っているが、魔法を使う人間であればそれがいかに高度な技術かがわかる。魔力の操作は大まかに魔法を発動するなどの使い方であればそう難しいものではない。が、特定の量で特定の場所にとなると途端に難易度が跳ねあがる。それを戦闘中にしてしまうのだから、目の前のシグネは剣術だけでなく魔法にもかなりの技術を有しているということを証明していた。


『貴女はとても素質があります。私が少し教えただけで細かい魔力操作を会得している。そんな貴女にならば、この技を授けても大丈夫そうだ』


 そう言うと同時に、シグネを起点に凄まじいまでの魔力の渦が巻き起こる。それは強風を巻き起こし、辺りの温度を急激に下げていく。このままここに立っていれば体が凍り付いてしまうだろう。



 凄まじい魔力だ、とんでもない大魔法を使う気だ。と、思うと同時にシーリは訝しむ。たとえ、強力な魔法の知識を有していたとしても、燃料となる魔力がなければ発動はできない。それどころか、魔力切れによって良くて気絶、最悪その命を失う危険だったあるのだから。

 それを容易に想像できたからこそ、シーリはその顔に憤激の色を浮かべて剣を握り締める。


『心配ありませんよ。これは、人狼の力で魔力を生み出しているだけですから。リゼスには一切、危険はありません』


 だから、心置きなくこの技を受けるように。そう言った彼女は剣を高く掲げる。そんな彼女はいつの間にか氷の鎧を纏っていた。空気すら凍り付かせるほどの冷気を纏った彼女は薄く微笑み、


『魂まで凍り付かないように必死に逃げなさい。そして、覚えなさい。この技はきっと貴女の助けになるから』


 そう静かに言ってシーリへと斬りかかった。それと同時に骨の髄まで凍り付かせるような冷気が彼女の身体へと叩き付けられる。


「……ふっ、この程度では私の魂の炎は凍り付きませんよ!」


 不敵な笑みを浮かべたシーリは剣にありったけの魔力を流し込み、その一撃を受け止めるべく振るった。







 薄暗い空間。リゼスはそこにジッと佇んでいた。

 先ほど、自分の中にいるシグネにいろいろと教えてもらったことを考える。

 人喰いの正体、世界を脅かす異世界人という存在。そして、大切な師匠であり家族であるオルガのこと。自分の世界ががらりと変わったような気がした。今まで憎しみを抱いていたそれはかつて、この国を守るために戦った誇り高き人たちだったのだから。


『リゼス』

「……シグネさん。私、なんて言ったらいいのか……私は、貴女たちの仲間を」

『いいのですよ。むしろ私たちは感謝していますから』


 その言葉はまっすぐだ。リゼスはこれ以上、罪悪感を感じるのは彼女への冒涜だと感じ、「ありがとう」と言うとそれ以上は口に出すのをやめる。


『さて、異世界人を倒すため、貴女にいろいろと教えないといけないのですが、まずは人狼の力を掌握してもらわないといけませんね。今のまま次に力を使えば――貴女は死んでしまいますから』

「なっ」


 さらりと放たれたその一言に思わず絶句してしまう。


『ああでも、大丈夫ですよ。ここで特訓すれば、貴女は完全に人狼の力を使いこなせるようになります』


 そこまで言って一息置いたシグネは「だから」と言葉を続ける。


『死ぬつもりで、剣を振るうように』


 その言葉と共にシグネはリゼスへと一振りの剣を放り投げる。それは、いつも使っている物ではなくどこか古めかしくも緻密で豪華な装飾が施された剣であった。オルガが持っていた物に少し似ているような気がする。


『ソレハ、ワタシガツカッテイタモノデス』


 獣の唸るような声にハッと顔を上げると、そこにはエメラルド色の瞳を持った人狼が立っていた。それはまさに、あの日、村を襲った……リゼスはその正体がシグネだとわかっていていても背筋に嫌な感覚が走り抜け、体が硬直してしまう。

 でも同時に理解してしまう。目の前のそれが、今まで自分が変身していた姿そのものなのだと。そして、それが、完全なる理性を持っているということも。


『コノナカデアレバ、リセイヲタモテマスカラ。サテ、ケンヲヌケ、リゼス』


 その声に従ってリゼスは剣を構える。緊張で口の中がからからに乾いて、心臓がドクドクと音を立てている。ごくりと生唾を呑めば、人狼は攻撃態勢を取る。そこに明確な殺意を感じとったリゼスは今にも逃げ出したいほどの恐怖に包まれてしまう。

 だが、その恐怖を嗅ぎ取ったように人狼は冷たい声で言った。


『ニゲルナヨ。マモリタイヒトガイルンダロウ』

「――っ!」


 目にも止まらぬ速度で目前へと迫った人狼が、その鋭いかぎ爪を振り下ろす。なんとか咄嗟に反応し剣で受け止めるリゼスだったが、その剛腕の威力を完全に防ぐことはできず、その体はあっさりと吹っ飛ばされ地面をバウンドする。


「がは……ッ」


 ベキリと肋骨が数本折れたような音が体に響き、鋭い痛みが襲い来る。だが、その痛みを気にしている時間を彼女は与えてくれない。軽く飛び上がって再び接近した人狼は巨大な咢を開いて彼女の身体へと噛みつく。

 そして、そのまま持ち上げるとぶんぶんとリゼスを振り回し地面へと叩き付ける。内臓が潰れ、大量の血液をその口から吐き出すリゼス。だが、その手にはしっかりと剣が握り締められている。


『ヨクタエタ。コノクウカンデハ、シヌコトハナイ。キズモスグニカイフクスル』

「げほっ、がはっ……ッは、はぁっ……」


 何とか立ち上がりリゼスは剣を構える。だが、傷が回復するとはいえ痛みは続いているため、立っているのもやっとだというような状態であった。


 それでも、その瞳から闘志が消えることはない。リゼスは力いっぱいに剣を握り締めながら、叫ぶ。


「ッォォォォォオオオオオオオオ!」


 人狼へと斬りかかる。その攻撃は鋭く、これが普通のエメラルドの人喰いであればその攻撃を躱すことはできなかっただろう。だが、彼女の前に立つソレはただのケモノではない。

 ガキン!

 いとも簡単にその渾身の一撃は防がれ、お返しだと言わんばかりにその腹部へと蹴りを叩き込む。


「――ガッ!」


 せっかく修復された内臓が残らず粉々にはじけ飛ぶ。口から血と粉々になった臓物を吐き出しながら、リゼスはキッと人狼を睨みつけると一歩踏み込み、その剣を人狼の心臓へと突き刺す。そのまま、倒れるように横へと引き裂くと人狼は感心したような声を漏らした。


『タイチョウガソダテタダケアル。スバラシイ。デモ、マダタリナイ。モット、モットケンヲフレ。コノチカラヲモット――ソノミニキザメ』


 人狼がリゼスの右肩へと食らいつく。


 その瞬間、彼女は思い出す――幼き日、こうして体を食いちぎられ死の淵に追いやられたことを。


 ブチリという音を立ててリゼスの右上半身が地面を転がる。たまらず立っていられず両膝をつく彼女は目の前で高らかに咆哮を上げるその姿に心の底から恐怖した。

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