第51話 異世界人、それは人を喰らうもの
あれから数えきれないほど、リゼスはシグネによって殺されかけ……否、殺されていた。体を真っ二つにされ、心臓を切り裂かれ、頭を握りつぶされ。なまじ、人狼がもたらす “死” を経験させられた彼女は、心身ともに疲弊していた。
おそらく、人類で一番、死の計系を積んだと言えるだろう。生憎、リゼスはそれを自慢しようとは思えないが。
『よく耐えました。これで、貴女の魂には私たちの力が深く刻み込まれ、混ざり合ったはずです』
「混ざり……あった……」
『そうです。貴女と私の心臓は先ほどまではただ糸でつなぎ合わせたような状態でした。そんな状態で人狼になっても力は不安定で、暴走の危険があまりにも大きかった。でも今は、完全に融合した状態となっているので、すぐに暴走ということにはならず、力を以前よりもずっと楽に使いこなせるようになるでしょう』
そういったシグネの顔がどこか苦しげに見えたリゼスは、そっと自分の胸に手をあてる。鼓動はいつも通りだった。
完全なる融合。それは、リゼスと言う存在が純粋な人間ではなくなってしまったことの証明だった。
「シグネさん、そんな顔しないでください。私が心置きなく戦えるようにしてくれたんでしょう?」
『それでも、やはり私は申し訳なく思ってしまうのですよ。私たちの戦いに貴女と貴女の大切な人たちを巻き込んでしまったことを』
「それこそ、気にしないでください。私たちは自分で戦うと選んだんですから。この愛する国を守るため、そのために戦えるなんて私は幸せ者です」
それは本心である。嚙みしめるように言葉を紡ぐリゼスに、シグネはこれ以上、罪悪感を感じるのはかえって失礼なことだと考えいたり、深く頷いた。
『ありがとう。そんな気高く美しい魂を持った貴女だからこそ、私は安心してすべてを託すことができる』
「シグネさん」
『リゼス』
リゼスの肩に手を置いたシグネはどこまでも穏やかな表情を向ける。
『君に会えてよかった。君のこれからに幸あらんことを』
その言葉と共にシグネの姿が消えていく。リゼスはぐっと涙が出るのを必死にこらえる。
「私こそ、貴女に会えてよかった」
そう呟いたその次の瞬間、目の前が真っ白になった。
次に目を開くと、そこは先ほどまでの光景ではなく、寂しい古城がまず視界に入る。そして、、その近くでシーリとリノが座って会話している光景が目に入った。リゼスは戻ってきたのかと理解すると、そっと胸に手を当てる。
もう、シグネの声も気配も聞こえない。完全に彼女が消えてしまったのだろう。出会いはどうであれ、彼女もオルガと同様でかけがえのない師匠だった。自分に力の使い方を示してくれた……尊き人。
「ありがとうございました」
そう小さくつぶやき、起き上がったリゼスは二人のもとへと向かう。二人は彼女が声をかけるよりも早く、もうシグネではないと気付いたのか、その顔に笑顔を浮かべて迎え入れた。
「リゼス、その感じだといろいろと教えてもらったみたいね」
「リノ様。ええ、彼女のおかげで次の戦いからは足を引っ張らないと思います」
「貴女が足を引っ張ったことなんて一度もありませんよ」
ふわりと笑ってそう言ったシーリに、リゼスは照れたようにはにかむ。リノはそんな二人のやり取りを見るなり、その甘ったるさに何とも言えない顔つきを浮かべる。もう何度と目の前で繰り広げられているが、こうも高頻度で見せられるとさすがのリノも甘さで胸やけを起こしてしまいそうであった。
「とてもいい顔つきになりましたね」
シーリがリゼスの頬を愛おし気に撫でる。その手つきはまさに恋人にするように柔らかく。それを受けるリゼスもまた、果てしないほどの愛おしさに満ちたような笑みを浮かべている。
今にキスの一つでもしそうな雰囲気になってくる。さすがにそこを黙って見守るのはリノはできそうになかったので、ゴホンとこれ見よがしに咳払いをする。そうすれば、二人の世界へと入っていた彼女たちは飛び上がって距離をとる。
「まったく、そういうのは二人きりの時にしてくれるかしら?」
「え、あ、えっと……」
「申し訳ありません。そうですね、二人きりの時に楽しむとします」
「――シーリ様!? な、何を言っているんですかっ!?」
リゼスが顔を真っ赤にして抗議するもシーリは涼しい表情でいる。リノはまったくとあきれ顔で額に手を当てたその時だった――血の匂いを含んだ風が吹く。
「なんだ!」
突風が吹き荒れ、三人がそこに目を向けると古城の前に、一人の男が立っていた。その男は胸から大量の血を流しながらも、ニタニタと魂に氷水でもかけているかのようにぞっとする笑みを携えていた。
ロイヤルパープルの瞳。リゼスが知っているのは宝石のように輝いているものだったが、目の前の男が持っているその瞳は泥沼のようにくすんでいた。見ているだけでむかむかするそれは、ずっと見ていると嫌悪で吐きそうになる。
「ほぉ、強い魔力を感じてきてみたが、あのくそ魔女に匹敵しそうなほどにうまそうな奴がいるじゃないか」
空気すら湿りそうなほどに陰鬱とした声でそう言った男は、リノを見る。その目つきはまるで腹ペコの雨に濡れた獣のようで、彼が食料的な意味でリノを喰らおうとしていることは明白だった。それを、ダイレクトに感じてしまったリノがその顔に強い恐怖を浮かべる。本能的に命の危機を悟ったからである。
「ククク、いいぞいいぞ。その顔、恐怖に慄いた食料の顔こそ、この世で一番美しいと言える」
ダラダラと胸から流れる大量の血液が男の足元に血だまりを作っている。その量は人間ならばとっくのとうに失血死してもおかしくないほどである。三人は彼が人ならざる者であり、オルガたちの言っていた存在だろうと考える。
「アナタは誰ですか」
リノをかばうように二人が剣を抜き構える。シーリの鋭い目に男はすっと目を細め、二人を交互に見たのち、小さく肩を震わせて笑った。
「誰だ? だと? おいおい、本当に俺様のことがわからないのか? この目を見てもか?」
自分の目を指さし男に、三人は一瞬きょとんとしてしまう。その反応を見て男はこれでもかと盛大に多い気を吐くと天を仰いだ。
「うっそだろ、たった百年そこらで俺たちのことが忘れられちまうのかよ……じゃあ、もう一度、この生ぬるい世界に教えてやらねぇとな」
「――まずい!」
ロイヤルパープルの瞳がギラリと怪しくきらめく。その瞬間、背筋にナイフでも突き立てられたかのような嫌な気配を感じたシーリが剣をしまって二人の首根っこをつかんで離脱しようと試みる。
その次の瞬間、男の背後にいくつもの魔力で構築された剣が現れ、背を向けていたシーリのその背中にそれが襲い掛かる。肩越しに振り向きそれを確認した彼女はすぐさま二人を突き飛ばす。
グサリ!
鎧を貫いてその剣がシーリの体を貫く。真っ赤な鮮血が彼女の体から吹き出し、そのまま崩れるように地面へと倒れ、その後ピクリとも動かなくなってしまう。
「シーリ、さま……?」
青ざめた表情でリゼスがその名を呼ぶが、彼女が答えることはない。心臓が激しく脈打ち、体がしびれたように動かない。それが、恐怖によるものだと気付くのにそう時間はかからなかった。リノも同様のようで、呼吸も忘れて地面に倒れるシーリを見つめる。
早く、助けに行かなければいけないのに、体が動かない。あの強い人が瞬きのうちに殺されてしまった。誰よりも強いあの人が。
――愛しき人が死んだ……?
頭を埋め尽くすその恐ろしい予想が余計に恐怖を掻き立てる。背筋が粟立って全身を寒気が貫く。
「はははは! あっけないな。たったそれだけで死ぬとは!」
男が高笑いをする。そして、恐怖にすくむ二人をにやりと嘗め回すように見る。
「そういえば、言っていなかったな。俺の名前はコンゴウ。この世界とは別のところからやってきた異世界人だ」
コンゴウと名乗った彼はさも楽しそうに笑うと、シーリのもとへと近づく。
「さて、こいつの魔力じゃ、腹の足しにはならねぇが今はそうも言ってられねぇ」
そういって手を伸ばした彼は、寸でのところで手を止め――その場から離れる。
次の瞬間、シーリをかばうようにして立ちふさがるは剣を構えたリゼスだ。その瞳は憎悪と恐怖が入り混じっており、もはや狂気とも呼べるような形相で彼をにらみつける。その顔に、コンゴウはオルガの面影を見てハッと鼻で笑い飛ばした。
「なんだよ、まだいたのかよ過去の残りカスがよぉ」
「殺す……殺す……コロス。お前はずたずたに引き裂いて殺す。この世界に来てしまったことを後悔させてから殺す!」
吠えるようにそう言ったリゼスが剣を振り上げコンゴウへと斬りかかる。
「リノ様! シーリ様をお願いします!」
「わかったわ!」
恐怖の鎖を引きちぎったリノはシーリへと駆け寄り、彼女を抱えて安全なところまで下がると、彼女の口元に顔を近づける。
「シーリ、お願いだから生きていてよ……!」
こんなあっけない終わり方など認めない。そう願うと。リノの頬にかすかではあったが風が当たるのを感じた。それは間違いなく、彼女が生きている証拠であった。リノは今にも泣きそうな顔で歯をかみしめると、すぐさま大量の魔力を使って彼女に最上級クラスの回復魔法を行使する。
「リゼス!」
目にもとまらぬ速さで彼を切りつけながら、背後から聞こえる力強いリノの声にリゼスは一瞬だけその瞳に歓喜の色浮かべると、自分の肉体の限界を超えて剣を振るい続けた。
コンゴウは最初のほうこそ余裕を浮かべてその斬撃を交わすなり、逸らすなりしていたが、その速度が際限なく高まっていることに気が付くとその顔から余裕が消えていく。
「死ね! 死ね! シネ! お前のせいであらゆる人が傷つき倒れていった! お前のせいで愛する者同士が引き裂かれていった! 答えろ! なぜ! なぜおまえらはこの世界を壊そうとしたんだァッ!」
横なぎに振るわれた一撃を防ごうとした彼だったが、その威力に耐えられず吹っ飛ばされ地面を転がる。リゼスは大地を踏み砕く勢いで踏み込んで彼を追いかけ、その首筋へと剣を突き付けた。
リゼスはあの時代の当事者ではない。だがそれでも、一つになった彼女の心臓がすべて教えてくれた。奴らのせいで多くの人が嘆き悲しみ、怒りに囚われていったことを。多くの人が愛するものを失い、愛するもののために散っていったことを。
故にリゼスは決めていた。もし、異世界人とやらに会ったらどうしてそんなことができるのかと聞いてみたいと。
だが、返ってきたことはあまりにもあっけなく、あまりにも、あまりにも無意味な答えだった。
「はっ、何故だと? そんなもん、ただ、殺して喰えば楽しいからに決まってんだろうが」
「……なんだと?」
にやりと笑う彼にリゼスはその顔から感情が抜け落ちていく。
「異世界人はな、どうしてこの世界にやってきたと思う? それはな、ここがどの世界よりも平和ボケした奴らが多かったからだ。俺たちはな、あらゆる世界を破壊して回る破壊者だ。平和な奴らをぶっ殺して恐怖へと突き落とすことが俺たちの生きがいなのさ!」
彼はさもそれが当然のように言うと、リゼスが突き付けた剣の刃をつかみ、そのまま彼女ごと放り投げると、静かに立ち上がる。地面へと着地したリゼスは、気づくだろう――切り付けた彼の体には、胸の傷以外何もないことに。
なぜだ。何度も肉を斬った感触はあったのに。なぜ、傷がない。そんな考えを読んだらしいコンゴウは「その程度じゃあ意味がない」と嘲ると言葉をつづけた。
「まったく、焦って損したぜ。それ、ただの剣だろ? なら、それじゃあ俺に傷はつけられない。あの忌々しい炎女が持っていた剣ならば話は別だがな、まぁあれはアイツと一緒に消えたがな!」
「消えたって……」
「そのまんまだよ。あの女が死んだと同時に消えたのさ」
吐き捨てるように告げられた言葉に、リゼスは無意識にペンダントを握り締める。奴がここにいる時点で分かっていた。だがそれでも、受け入れるのには時間を要する。だが、今は受け入れている時間はないし、泣いている時間もない。
「さて、俺を殺す可能性のあった奴は死んだ。これで、心おきなくこの世界をぶっ壊せるってもんだよ」
「……させない。この素晴らしく愛おしい世界を壊させるものかッ!」
心臓がどくどくと怒りに震える。それは、自分のものなのか、まだかすかに残った彼女のものなのかはわからない。だがそれでもいい、彼女と自分は一つなのだから。この燃えるような怒りだって一緒だ。
「その顔、本当に忌々しい炎女にそっくりだ」
「当然だろう。私はあの人の弟子だ。あの人の魂を受け継ぎし者なのだから!」
不敵に笑うリゼスにコンゴウは忌々しそうに大きく顔をゆがませる。
「はっ、面白れぇ。なら、相手をしてやろう小娘。言っておくが、俺に挑むんだ――それは死ぬことよりも恐ろしいと教えてやろう」
「望むころだ。お前も覚悟しろ、この世界に手を出したことが人生最大の間違いであったと思うだろうからなぁっ!」
コンゴウは両手に魔力を込めていくつもの種類の魔法を背後へと展開する。その一つ一つが街一つを破壊するなど容易いといったような大魔法ばかり、まさに絶望が目の前にあると思ってもいいほどだった。
対してリゼスは剣を下げて胸のペンダントを引きちぎり握り締める。その灰色の瞳の奥はめらめらとエメラルド色の炎によって揺れている。
「我の名はリゼス! この時代に生きる騎士にして――」
ペンダントを高く掲げる。
「お前の心臓に牙を突き立てる者だ!」
その言葉と共に彼女は自分の胸へと、そのペンダントを突き立てた。
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