第52話 それは一時に過ぎない
突風が吹き荒れ、その中心でリゼスは叫ぶ。その叫びを聞きながら、コンゴウは大きく顔をしかめた。
「まさか、まだいたのか。人間を捨てたやつが……!」
コンゴウは手に魔力を込めて、その突風の渦に向かって魔法を放つも大量の魔力で構成されたその渦はあっさりと彼の魔法をすべて弾いてしまう。その間にもリゼスの体は人狼のものへと変わっていき、やがて渦が晴れていくと同時にそこには人ならざる戦士が立っていた。
『ハァァァァ……』
口の隙間から白い息を吐いた人狼はエメラルド色に輝く瞳を、コンゴウへと向ける。そこに明確な殺意を感じ取った彼は「哀れだな」と鼻で笑った。
「なんだ、もうほとんど理性なんて残っていないじゃないか。まったく、お前たち騎士ってやつは頭のおかしい奴らの集まりだな。国なんてくだらないものを守るために嬉々として人間である自分を捨てるのだから」
ゆらりと尻尾を揺らした人狼は静かに彼を見据える。その背後でリノは鬼の形相と言えるほどの顔をして、彼を睨む。が、肩越しに振り向いた人狼の目がどこまでも澄んでいることに気が付くと、お返しだと言わんばかりに「アナタのほうが哀れだわ」と鼻で笑った。
「きっとアナタは理解できない。愛する存在のためならば、どんなことだってしてみせる人間の強さを」
「強さ、だと? ふん、それこそ理解できないな。強さとは自分のために使うものだろう。しかも、愛する存在のためだと? くだらないな」
ハッと花で笑い飛ばす彼に、リノは心底哀れだといった表情を向ける。アレに何を言ったところできっと通じることはない。考え方が根本的に違うのだから。故に、リノはアレと分かり合う気なんてもともとなかったが、心の底から分かり合うことはできないと彼女は理解する。
『オマエは、寂しい奴だ』
「……なんだと?」
『愛することも愛されたこともないのだろう。だから、そんなことが言える。コンゴウ、お前はこの世界にいてはいけない』
鋭い牙をむき出しにして戦闘態勢をとるリゼスは、ゆっくりと歯の隙間から息を吐くと、
『だから、今ここでお前を殺す』
その言葉と同時に人狼はコンゴウへと飛び掛かる。その勢いは人間の時とはかけ離れており、彼は咄嗟に魔法で弾き飛ばして防ごうとするも、それよりも早く、人狼の鋭いかぎ爪が彼の右腕を斬り飛ばした。真っ赤な鮮血と共に右腕が宙を舞って地面へと落ちる。
「――グァァァァッ!?」
傷口を押さえながら彼はすぐさま背後へと飛んで逃げようとするも、人狼は許さない。着地と同時にもう一度地面を蹴って追いかけると、そのまま彼の腹へと手を突き刺して地面へと押し倒す。痛みにうめく彼はどうにかしてその腕を引き抜こうとするも、岩のようにびくともせず、苦しめと言わんばかりにその手で彼の内臓をぐちゃくぐちゃにかき混ぜていく。
想像を絶する痛み。今まで、苦しめる側であり、反撃なんて受けたことのない彼にとって、その痛みはあまりにも激烈であった。
「ああぁぁぁぁあああああああッ!」
『痛いだろう? だがな、お前が苦しめ殺してきた人たちはもっと苦しんだ。もっと痛かったんだ! この程度で終われると思うなよ!』
顔を近づけ、間近でそうあふれる怒りを隠さずに言ったリゼスの言葉にコンゴウは必死に抜け出そうとする。
『お前は
「黙れェッ! お前らは俺たちに淘汰される存在だ! そんなお前らが神にも等しい俺たちに殺されるのは当然のことなんだよ! むしろ喜ぶべきだろうがァ!」
そう叫んだ彼は痛みなど忘れたかのように高らかに笑った。その醜悪に満ちた笑みがエメラルド色の瞳に映っている。リゼスは怒りを通り越して悲しみすら感じてきていた。どうしてそこまで傲慢でいられるのか、どうしてそこまで誰かを傷つけることに痛みを感じないのか。
こんな、こんなおぞましい存在に
『ここですべて終わらせる。……ごめんね、みんな、すごく遅くなったけどこれで終わらせるから』
シグネはもう片方の手を振り上げ――一撃のもとに彼の首を切り落とす。
「――か、あ……ッ」
ごろりとコンゴウの頭が地面を転がる。それはしばらく、シグネを憎悪の表情で睨んでいたが、やがてゆっくりと命の灯が消えていく、最後にはその瞳から光が消える。
それを見届けたリゼスはゆっくりと息を吐くとともにその姿を人へと戻す。短時間とはいえ、もう心臓がかなり弱っている彼女にとって、それはかなりの苦痛を伴う。だがそれでも、その表情はどこまでも晴れやかであった。
「やり、ました。見ていてくれましたか」
それは紛れもなく、リゼスの中に残った彼女の言葉であった。やっと、ずっと願い続けていたことがかなった。とても、とても長い時間がかかってしまったがやっと……リゼスは自分の胸に手を当てながら安堵の息を吐く。
だがすぐに、ハッとして踵を返してシーリの元へと駆け寄る。
「リノ様! シーリ様は、シーリ様は無事ですか!」
リノに抱えられたシーリ。その顔に生気は宿っているものの、それはとても弱々しく今にも消えてしまいそうに見えたリゼスはその顔に絶望を浮かべる。もし、彼女が死んでしまったらきっと、生きてはいけない。
「リゼス、とりあえずは大丈夫。かなり危なかったけど、とりあえずは大丈夫よ」
「ほ、本当ですか……? でも、あんまり顔色が……ッ」
そこまで言ったリゼスの目から涙が零れ落ちそうになる。たとえ、信頼できる人が大丈夫だと言ってくれても、シーリの顔色や、真っ赤に染まった腹部を見てしまえば信じきることはできなくなってしまう。リノはシーリの顔を一瞥すると「そうよね」と呟く。
「致命傷となるところはなんとか治したから死ぬことはないわ。でも、やっぱり流した血が多いからちゃんとした治療は受けさせなければいけないわ」
そう言うと、リノはシーリを抱えたまま立ち上がる。
「とにかく一度帰りましょう。応援は呼んであるから、その人たちにそこの死体は回収してもらいましょう」
「はい。リノ様、私がシーリ様を運びます」
「いいわよ。今まさに戦い終えたのに。疲れてるでしょ」
「確かに疲れてはいますが、私が運びたいんです」
そう言ったリゼスは蕩けるような甘い笑みを浮かべる。それを真正面から見てしまったリノは、彼女の普段とは全く違ったその表情に思わずドキリとしてしまう。それほどまでに、今の彼女の笑みは魔性の魅力を秘めていた。
だが、すぐにぶんぶんと頭を振って甘い感情を吹き飛ばすと、そっとシーリをリゼスへと預ける。受け取ったリゼスは今にも泣きそうな顔でシーリの額に自分の額を当てる。
三人がその場を後にする。
訪れる静寂。
だが、そこに転がった死体から黒い煙が立ち込め、その静寂を飲み込もうとしていた。
三日後。リゼスはシーリの眠るベッドの横で、彼女が目覚めるのを待っていた。あれからすぐに、治癒魔法のエキスパートである騎士たちが総出でシーリの治療にあたり、肉体的にはほぼ完治と言ったまでに回復した。
だが、リノが応急処置の際にシーリの魔力を大量に使ったため、魔力が枯渇してしまっているらしく、ある程度回復するまでは目を覚ますことはないとのことであった。
「シーリ様」
シーリの手を握ったリゼスは声を震わせながら、愛しき人の名前を零す。だが、返事はない。ただ、静かな呼吸音が聞こえるだけだ。
「早く目を覚ましてください。私、あの異世界人を倒したんです」
まるで、異世界人がいなくなったことを知ったかのように、王国近くをうろついていた人喰いたちはぱったりと姿を消し、ほかの地域でも存在の痕跡すら見つけられないという。リゼスはきっと、安心して彼らの世界へと旅立って行ったのだと思っている。
もしそうであれば、もう戦いなんて必要ない。誰かが傷つき、かつて国のために戦った彼らが守るべき人々を襲って苦しむこともなくなる。幸せへの道筋が見えてきているのだ。でも、リゼスにとって隣に彼女がいなければたとえ道が見えていたとしても幸せにたどり着くことはできないだろう。
「シーリ様、これできっと、私はずっと貴女の傍にいられるでしょう。だから、早く目を覚ましてください」
キュッと少しだけ力を込めてリゼスは微笑を浮かべる。彼女と共に年を取ることができたら、ソレはどれほど幸福なことだろうか。これからの未来を彼女と共に歩み、笑い合うことができたら、それはどれほど幸せなことなのだろうか。
考えるだけで自然と口角が上がってしまう。リゼスの体が、細胞が彼女との未来を思い描き歓喜の声をあげている。
「シーリ様」
名前を呼ぶ声に確かな熱が宿る。リゼスはそっと、彼女の手の甲に口付けを落としたその時、扉のノック音が聞こえ、弾かれるように振り向いた。
「リゼス、今ちょっといい?」
「リノ様?」
リゼスはシーリから離れるのを一瞬だけ躊躇したが、すぐに立ち上がって扉を開く。すると、そこにはどこか浮かない表情のリノが立っていた。その顔を見て何か良くないことが起こったとリゼスが勘付くには十分。
「シーリは?」
「まだ眠ったままです」
「まぁ、あの子は魔力が多いからね。回復にはもう少しかかるでしょうね……」
リゼスは後ろ手に扉を閉めると、「何かあったのですか」と問いかけた。浮かない表情はシーリが原因ではないともうわかっているから。
「……あの異世界人の死体回収に行った騎士たちの死体が古城の前で発見されたわ」
「……は?」
リゼスの顔から表情が抜け落ちる。その変わりようにリノは小さく息を呑む。だがすぐに、そうなって当然だろうと考えると、僅かに視線を下に向けたまま話す。
「あの日すぐに、騎士たちが来てくれたんだけど、その騎士たちが帰ってこなくってね。団長がほかの騎士に捜索に行かせたら……」
「アイツの死体は?」
「……なかったそうよ。しかも、古城の周辺にはおぞましい魔力が漂っていたって」
リゼスの顔から完全に感情が抜け落ちる。それはまるで、人形のように無機質で冷たい。目から光が消え、代わりにエメラルド色の憎悪の炎が燃え始める。
まだ、アイツは生きている。それも、人の命を奪って生きながらえている。リゼスは今すぐにでもここを飛び出してソイツを探し出してやりたい衝動に駆られる。自分がしっかり殺しきらなかったせいで、ほかの人が死んだ。自分のせいで、関係のない人が死んでしまった。その事実が確実に彼女の心をずたずたに引き裂いていく。
少しでも幸せの道筋が見えていたと思っていた自分がほとほと嫌になる。ギリリと握った拳から一筋の赤い血が流れ落ちる。
「リゼス」
「申し訳、ありませんでした。あの時……私がきっちり殺していれば……!」
歯の隙間から吐き出すように紡がれる言葉からは深い憎悪に塗りつぶされている。リノはその声にグッと言葉を詰まらせると、そっとリゼスの拳を取ってその傷を癒す。
「リゼス、バカなことは考えないでよ。アレを相手にするときは絶対に私も一緒に行く。絶対に貴方一人では行かせないから」
「……リノ様。いえ、これはもう私の戦いです。私があの時殺し損ねたせいでこんな事態が起こってしまった。私が、私が……」
「リゼス」
ぴしゃりと言葉を遮って真剣な声が響く。リゼスはハッと目を見開くと、リノは今にも泣きそうな顔でそっと、リゼスの頬に手を伸ばす。そして、コツンと額を合わせ至近距離からエメラルドがかったグレー色の瞳を覗き込んだ。
「リゼス、貴女だけのせいじゃない。あの時、私は何もできなかった」
「そんなことは、リノ様はシーリ様を助けてくれた!」
「でも、貴女を手伝うことはできなかった。だから、次は必ず貴女と一緒に戦う。ねぇ、約束して」
ストンと胸に落ちていくような落ち着いた声が響く。それはまるで、幼子に言い聞かせるかのような優しい声だった。
「一人で戦わないと。貴女には私とシーリがいる。戦える時は必ず一緒に戦うから。だから、一人でなんて絶対に考えないで」
「リノ様……」
まっすぐなダークブルーの澄んだ瞳が困惑した表情のリゼスを鏡のように映している。リゼスはもう、 “一人で戦う” という考えを捨てることにした。そうだ、自分には大切な人がいる。その人たちが一人で戦うことをリゼスが許さないように、彼女たちも自分が一人で戦うことを許してはくれない。
「リノ様、ありがとうございます。私は、幸せ者です。シーリ様やリノ様のように優しい人に出会えて」
「ふふっ、私も幸せよ。貴女のような人と出会えて」
二っとリノが子どものような笑みを見せる。
――その時だった、外から爆発音のようなものが轟く。
「なに!?」
サッと二人が窓の外へと顔を向ける。と、そこには極大の炎でできた柱がいくつも立っていた。
それは世界が恐怖へと落ちていく瞬間であった。
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