第46話 また、失った
「お父様」
ライズのいる部屋へとやってきたシーリは、彼の眠るベッドの傍に膝をつき、そっと彼の手を握る。静かに呼吸をする彼はだれがどう見ても、もう長くないことは明らかなほどその生命力は弱まっていた。
手を握ったからこそ、余計にそのはかなさを感じ取っていたシーリの表情が暗く落ち込んでいく。だがそれでも、すぐに気丈にふるまうように笑みを浮かべた。
「お父様」
「……」
ライズが返事を返すことはない。ただ静かな呼吸音が響くだけだ。
部屋の隅っこでリノとともにシーリを見守っていたリゼスはぐっと口を引き結ぶ。
「この前、初めて任務に行きました。私たちがいつもいた場所と違った環境での戦いは少し戸惑いましたが、無事に私たちの実力を認めてもらえました」
そういってほほ笑む彼女の横顔は痛々しい。
その時だった、閉じられていたライズの瞼がゆっくりと開かれる。そして、かすかに口を動かして、「シーリ」と弱弱しく名前を呼ぶ。
「――! お父様!」
「シーリ、そこ、に……いるのか」
そういった彼は顔こそ、シーリに向けているものの、その瞳は彼女を見てはいない。彼の視力がなくなったと理解するのに時間はかからなかった。シーリは強く彼の手を握り締めると、今にも泣きそうな顔で祈るようにその手を額に当てた。
「はい、ここにいます。ここにいますよ」
「そう、か……すまない、もう……あまり、見えないし、聞こえないんだ……」
シーリがグッと唇をかみしめる。わずかに震える手から、彼女の動揺を感じ取ったであろうライズは口元で小さく笑みを作る。
「すま、なかった。お前には、いろいろと苦労を、かけてしまったな……俺は、本当に、ダメな父親だ」
「そんなことありません。貴方はだれよりも尊敬のできる大切なお父様です!」
「ふっ……本当に、お前は、できすぎた子だ。アイツに……お前のかあさんにそっくりだ」
穏やかな表情でライズはシーリがいる方向を見つめる。
「シーリ、お前はもっと自由に生きろ。今までいろいろと我慢させてしまった、からな。それに、お前には頼もしい友達がいるから、な」
「お父様……ッ」
シーリの瞳から涙が零れ落ちる
「……近くに、リノはいるか」
「いるわ」
扉近くにいたリノがライズのもとへと歩み寄る。そして、その肩に手を置いた。ライズは安心したように力を抜き、リノがいる方向へと顔を向けた。
「リノ、お前にもいろいろと、迷惑をかけたな」
「本当よ。貴方に振り回されっぱなしだったわ」
軽い調子で返すリノ。二人は小さく笑いあう。
「あれなんか、酷かったわね。ほら、人喰いを捕まえようとしたとき」
「ああ、あれか。あの時の俺はどうかしていた、ようだな……」
「本当よ。体中に生肉括り付けて森の中を走り回るなんて。でも、私もあの時はすごいって思ってたから結局お互いも、周りも変だったのよ」
その時の情景を思い出した二人は声を出して笑う。シーリはそんな二人のやり取りを眺めながら、年齢にとらわれない、友達のような気やすい関係だったなと考える。
「もっと、お前たちともっともっと、いたかったな……」
ライズが暗い声でこぼす。リノは一瞬、痛ましげに顔をゆがめるも、すぐに笑みを浮かべて彼の肩を強く叩く。
「大丈夫よ、私はまだいけないけれど、あっちにはみんなが待っているから」
その言葉にライズは安堵するように「そう、だったな」と呟く。
「お前は、ずっと、遅く来いよ」
「言われなくても。みんなのもとに行くときは嫌っていうほどのお土産を持っていくわ」
「リノ……世話になったな」
「それは私のセリフよ。あの時、貴方が拾ってくれたから今の私がいる――本当にありがとう」
慈しみに満ちた笑みを落としたリノは、その後、二言一言会話を交わした。そして、話し終えるとライズがリゼスを呼んだ。
リゼスは恐る恐る彼の近くに寄り、そっと彼の腕に手を触れた。
「リゼス、お前にはいろいろと辛い思いをさせてしまった。本当に、すまなかった。俺は団長失格だな」
「――! 何を言っているんですか! 貴方は素晴らしい人だ。人々を守るために、ただひたすらにそれだけのために行動してくれていた! 私は幸せです、貴方のような団長のいる騎士団に入ることができて……私は……私は」
彼が人々を守りたいと強く思っていることは知っている。そのために、様々なことをしてくれていることを知っている。だから、この騎士団で頑張っていこうと思ったのだ。彼らとならば、たとえ戦うことが許されなくても、人々を守る一員としていられるのではないのかと。
「君のような人間が、騎士として人々のために戦ってくれることを本当にうれしく思うよ」
彼の言葉にリゼスは今にも泣きそうな表情で唇をかみしめて必死にこらえる。
「リゼス、これからも騎士として人々を守ってくれ」
とうとう、耐え切れずにリゼスの瞳から涙が零れ落ちる。彼女は何度も頷くと、「はい」と声を震わせた。
「この命尽きるまで、私は騎士として人々を守り続けます」
「それを聞けて、安心した……君にならば、シーリを、私の命よりも大切な娘を任せられる」
「え……?」
ライズの瞳がまっすぐにリゼスを見つめる。その眼には確かな光が宿っており、彼が彼女の姿をしっかりととらえていることは明白だ。死ぬ手前の人間とは思えないほどに力強い眼差しに、リゼスの心臓がどくりと波打つ。
「シーリのことを頼んだ」
「え、あ、それって……」
「もし、君があの子のことを嫌いでなければ、隣で支えてやってくれ」
ふわりとそう微笑んだのち、リゼスは感じ取るだろう。彼の命が急速に消えていくことに。それはまるで、もうこの世に未練はないというようだ。
「団長」
リゼスは一歩下がると、深く頭を下げた。
その後、粛々とライズの葬儀が執り行われ、それから1か月後、身の回りのことが落ち着いたところで、リゼスはリノのもとへとやってきていた。
「すみません、急に……」
「いいのよ。シーリのことでしょ?」
「はい」
差し出された紅茶の入ったカップのふちを指でなぞりながら、リゼスは沈痛な面持ちで頷く。向かいの席に座るリノは同意するようにそのその表情を暗くさせて、紅茶を一口口に含む。
葬儀が終わってから、簡単なものではあるが任務に行くようになった。本当に簡単なものであるので何かあるというわけではなかったが、リゼスはシーリの様子を心配していたのだ。
「そうね……本人は普通にふるまっているつもりでしょうけど、見てるこっちが苦しくなるぐらいの落ち込みようだもんね」
「何度か、それとなく休んでくださいと伝えたのですが」
「どーせ “平気” とか言って聞かないんでしょ」
リノの呆れ口調にリゼスは曖昧に笑って返す。が、すぐにシュンと表情を暗くさせてしまう。
「まるで、自分の気持ちをごまかすように連日任務を入れていて……しかも、一人で行ってしまうんです。しかも、人喰いと戦うような危険な任務にも一人で出ているようで……」
カップを持つ手に力がこもる。何度も、一緒に行くことを申し出ても彼女は頑として首を縦に振ることはなく、気づけば一人で任務に出てしまい、帰ってくるのも深夜や朝方で、最近ではめっきり会話するチャンスすらリゼスは得ることができなかった。
「確かに、私もあの子に用があってもいないことが多いからね」
「心配なんです。このままではきっと倒れてしまう」
リノは小さくうなって顎に手を当てて考える。シーリの頑固さはよく知っている。言葉で言ったところで彼女が止まるとは思えない。やるからには少し無理やりやらなければいけないだろう。
ちらりと不意にリノが視線を動かしたとき、テーブルの隅に追いやっていた一枚の用紙に目が留まる。それは、近々王国で行われる百年祭の日時が書かれている。
それを見た瞬間、リノはこれだと思った。
「よし、これで行きましょ。ちょーっと強引に行くけど、まぁ許してくれるでしょ」
「リノ様、何をするつもりなのですか?」
「んー? 大丈夫、シーリを休ませるためだから」
にやりと笑ってその紙を手に取ったリノに、リゼスは首を傾げるのだった。
シーリが剣を振るう。それは、サファイア色の瞳を持った人喰いの首をやすやすと切り落とし、小さくうめき声をあげたそれの体が地面へと倒れる。その死体を見下ろした彼女は剣についた血を振り払うと、静かに剣を鞘へと納める。
「……」
空を仰ぐ。その顔には疲労が濃く浮かんでいる。
ずきずきとこめかみが痛む。極度の疲労と寝不足によって引き起こされたものである。シーリは腰に下げた袋から痛み止めの効果がる丸薬を何粒か取り出すとそれを口へと放り込み、乱暴にかみ砕く。
ガリっという音と共に口の中に広がる苦みに顔をしかめる。効果は抜群だが、この苦みだけは何度味わおうとも慣れることはない。
「……人喰いをすべて倒さなければ」
ゆらりと歩き出すその姿はまるで、幽鬼のよう。この姿を一般人が見れば彼女がまとう空気の恐ろしさに逃げ出していただろう。
そんな彼女の悲憤の気配を嗅ぎつけたように、数体の人喰いが茂みから姿を現す。ルビーが2体とサファイアが7体。たとえ、ベテラン騎士といえど一人で相手取るにはなかなかに厳しい状況だ。普通の思考であれば逃げの選択肢をとるべきだろう。
だが、今のシーリは普通ではなかった。普段は見せないような獰猛な笑みを浮かべて剣を引き抜いた彼女は「ああ、よかった」とこぼす。
「探しに行かなくて済む」
まず、サファイアの人喰いが7体、同時に襲い掛かる。シーリは迎え撃つように駆け出すと次々と人喰い共の首を切り落としていく。その技術はすさまじいが、彼女の剣筋をよく知る人物が見れば、その異様さに気づいていただろう。
彼女が地面に足をつけると同時に、7体の頭部を失った人喰いの体が地面へと崩れ落ちる。ルビーの人喰いの2体は一瞬、躊躇するようなしぐさを見せたが、彼女を前にしてその行動は悪手以外の何物でもなかった。
次の瞬間、人喰いの首が二つ、宙を舞う。音もなく命を刈り取られた人喰いは状況も理解できないといった表情でその頭部が地面へと落ちる。それに数拍遅れて体が倒れる。
冷めきった目で地面に倒れている人喰いの死体を見下ろす。まだだ、この程度の数を倒したところで無数にいる人喰いを絶滅させるには程遠い。
「もっと、もっと倒さなければ……私が終わらせるんだ。こんなこんなひどい世界は……!」
人喰いがいなければ、きっと家族は今も生きていた。
人喰いがいなければ、人々はもっと簡単に安寧の日々を手に入れていた。
人喰いがいなければ……
「リゼスがこんな人生を歩むことなんてなかった……ッ」
脳裏に浮かぶ大切な彼女の笑顔。彼女の笑顔を見るだけで、シーリの心はこれ以上ないほどの温かさで満たされる。それは、かつて父が母に感じていた物と全く同じ温かさだろうと思っている。
だからこそ、そんな大切な存在の人生が人喰いなんていう存在に傷つけられ、その傷口さえも抉られていることが我慢ならない。もし、過去に飛べる力があれば、彼女のためにこの剣を死ぬ気で振るって守れたのにと考えない日はない。
だが、時を操るような技術はこの世にはない。それは絶対に叶うことのない願望。
だから、今を進むことしかできない彼女は必死に戦う。一日でも早く、この戦いを終わらせるために。一日でも早く、リゼスが心穏やかに、なんの脅威にも晒されることなく平穏を楽しめるように。
「……少し、無理をし過ぎたか」
痛み止めを飲んでも収まらない頭痛。ハァと息を吐き出して誤魔化そうとシーリが額に手を当てた時だった、背後に人の気配を感じ彼女は弾かれるように振り向く。
そこに立っていたのは、不機嫌そうに腕を組むリノであった。シーリは知り合いだったことに少しほっとしながら痛みに歪みそうになる顔を同にしかして取り繕う。
だが、長年一緒にいる彼女にはお見通しである。
「ひっどい顔ねぇ」
「リノ、どうしてここに」
フンと軽く鼻を鳴らしたリノは軽く視線を泳がせる。
「リゼスが貴女のことを心配していたから様子を見に来たのよ」
その一言にシーリはばつが悪そうに視線を逸らす。その態度に、リノはこれでもかと大息を吐く。
「まったく、貴女はいつもそうね。一人で全部やろうとする。そんなことをして満足するのは貴女だけよ、周りはたまったもんじゃないわ」
「……そうだとしても、私は我慢できないんです。だって、大切な人のために何かしたいと思うのは、人間として当然のことでしょう?」
ふわりと細められたアクアブルーの瞳にとてつもないほどの熱を見てしまった、リノは何ともいえないといったように顔を顰める。
「全く、貴女って人は……」
今日何度目かわからないため息をついたリノはシーリへと掌を向ける。そこに魔力の気配を感じたシーリが警戒した様子を浮かべる。
「リノ?」
「でもね今回は、リゼスの肩を持つとするわ」
ふわりとそよ風のような魔力がシーリの頬を撫でた次の瞬間、彼女は耐えられないような眠気と共に地面へと崩れ落ちる。
「リノ……なに、を……!」
「リゼスを心配させた罰よ。せいぜい、ゆっくり休みなさい」
その言葉のすぐ後に、シーリの意識はプツリと途切れた。
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