第45話 偉大な人だった、憧れの人だった


 冷たい空気が充満する石造りの牢屋の中で、シーリは壁に背を預けて、何をするでもなく牢屋の外を静かににらみ続けていた。

 あれからどのくらいたったのか。シーリはこんな場所に閉じ込められてしまった自分の愚かさを呪っていた。リゼスがまだ目を覚まさないというのに……一秒でも長く彼女の傍にいなければいけないのに。

 骨が浮き出そうなほど握り締めた拳がわずかに震える。本気を出せば、シーリの力があれば鉄の格子など容易く破ることはできる。だが、そんなことをしてしまえば本当にこの騎士団から追い出されてしまう。それは避けたかった。


「お願いだから、脱獄だけはやめてね」

「……しませんよ。考えはしましたが」


 隣の牢屋から疲れたようなリノの言葉に、シーリはむくれて返す。


「平気ですか」

「元気とは言い難いわね。なんせ、魔力を吸い取る腕輪なんて着けられたらね」


 はぁと大息を吐いたリノは自分の腕につけられたそれを見る。まるで、罪人がつけるような武骨な鉄の腕輪には特殊な金属が使われており、身に着けた人間の魔力を常に外へと放出する仕組みとなっている。幸い、回復量のほうがわずかに多いので魔力欠乏症になるということはないが、常に魔力が低い状態であるために、体調は最悪だった。


「リゼスは大丈夫でしょうか」

「わからない。でも、なにも報告がないということはまだ眠ったままなのかもね」

「……」


 シーリは顔を俯かせる。

 リゼスにはチャオンが付いてくれてはいるが、正直に言ってしまうとシーリは彼女を信じてはいない。なんせ、出会って間もないのだから。これも、父が信用するミクスが選んだ人物であり、人喰いの扱いに長けている人物だから仕方なく任せているだけに過ぎない。


「リゼス」


 目覚めた時に自分のことを一番に見て欲しい。そして、誰よりも先に彼女を抱きしめたい。その思いを胸にシーリはただひたすらにここから出ることを考える。

 だが、考えたところで何もできないことに彼女は苛立ちを募らせていく。


「……すみませんでした。私があの時黙っていれば――」

「バカ、何言ってんの。あそこで我慢してたら私が先にあのクソ男に殴りかかってたわよ」


 壁に寄り掛かりながらリノは噛みしめるように言葉を続ける。


「それに、大切な仲間をバカにされて黙っているようなら、私は貴女のこともぶん殴ってたわ」

「リノ……」

「だから、最後の結果がどうであれあの時の貴女の行いは正しかった。ほかの人が間違いだと言っても、私は正しいと言い続ける」


 まっすぐな言葉が胸に響く。シーリは目を瞬かせると、すっと強張っていた表情を和らげ、


「リノ、ありがとうございます」


 と言った。





 しばらくすると、牢屋に数人の人間たちがやって来る。俯いていた二人が顔を上げ確認すると、そこにはボロボロに傷ついたシトロと取り巻き、そして険しい表情で腕を組むミクスの姿があった。

 シトロたちはしきりにミクスの後ろを気にしている。誰かが立っているようだ。が、リノとシーリたちからはその後ろに立っている人物の正体を見ることはできない。

 なにかあったのだろうか、そう思って何も言わないミクスを見上げると、


「シーリ、リノ。二人を牢から出す」


 彼は静かにそう二人に告げた。意味が分からない二人は「え?」と同時に疑問の声を漏らす。


「……俺は当初、お前たちがシトロに理由もなく暴力を振るって任務を妨害したと聞いていた。故に、反逆行為ということで罰を与えたというわけだが……おい、シトロ」

「ひっ」

「真実を説明しろ」


 ぎろりと冷たい目と声にシトロはびくりと肩を跳ねさせると、ぽつぽつと話し始めた。


「俺が、シーリたちの実力を、認めず……リゼスのことをバカに、して、シーリたちが先に暴力を振るってくるように仕向けて、団長には虚偽の、報告をしました」

「……はぁ、まったく」


 大息を吐いた彼は額に手を当てる。その仕草に、シトロと取り巻きたちがこれでもかとビクついてみせる。無理もない、団長である彼の信頼を裏切ったのだ、騎士団を追放されてもおかしくはない出来事だろう。


「……まだ言うことがあるだろ」


 シトロたちが一歩前に出る。そして、その場に両手両膝をついて頭を下げた。


「すまなかった。どうしても、認めたくなかったんだ、強いお前たちに俺たちの居場所を奪われるのは我慢ならなかったんだ」


 フルフルと彼たちの体が震えている。シーリとリノの二人は呆気に取られてしまう。ミクスは彼らを一瞥すると、二人の牢屋の扉を開いた。


 二人が恐る恐る牢屋から出た次の瞬間、ミクスの背後にいた人物が二人の元へと飛び込みそのまま二人を抱きしめた。


「シーリ様! リノ様!」


 彼女たちを抱きしめたのはリゼスだった。二人は彼女だと理解するのに一瞬時間を要するも、理解するなりきつく抱きしめ返す。


「リゼス!」

「リゼス!」


 二人に名前を呼ばれたリゼスが嬉しそうに破顔する。二人はそんな彼女の体温を確認するように強く強く抱いた。


「リゼス、どうしてここに」

「目が覚めた時に二人がいなくて、チャオンさんに牢屋に入れられと聞いて……」


 チラリと鋭い目をシトロたちへと向ける。その目にはまだ強い怒りが浮かんでいることに気付いたシーリは彼女がこの状況を作ったのだろうと気付いて、そっと感謝の念を込めて頭を撫でる。そうすれば、怒りの色を一瞬にしてひっこめたリゼスが嬉しそうに目を細める。


 暫く二人が見つめ合っていると、ミクスがゴホンと軽く咳払いをした。その瞬間、弾かれるように二人は顔を背ける。


「とりあえず、こいつらは暫く牢屋で頭を冷やさせる。お前たちはもう部屋に戻って構わない」


 その言葉を合図にリノは一刻も早くここから離れたかったのだろう、さっさと「了解」と言って階段を上がっていく。シーリもリゼスの手を引いて階段へと向かう。


「リゼス、今日のことは後日にまた話を聞くかもしれんからな」

「わかりました」

「うむ」




 部屋に戻る途中、先を歩いていたリノが振り返る。


「ごめん、ちょっと今日はもうしんどくてこれ以上立ってられそうにないわ。先に部屋に戻らせてもらうわね」

「リノ様、大丈夫ですか?」


 子犬のような表情で伺うリゼスに、リノは安心させるようにそっと彼女の頭を一撫でする。


「ごめんね、せっかく私たちを出してくれたのに、大してお礼も言わずに」

「いえ、気にしないでください。私が勝手にやったことなのですから」

「本当にありがとう。魔力が戻ったら、ちゃんとお礼を言うから。それまでは、シーリのこと見ててあげてね」


 そう言ってリノはリゼスの耳元に口を寄せると、


「貴女が眠っている間、シーリはずっと貴女のことを心配してたから安心させてあげて」

「えっ、あ、はいっ」


 リノは部屋へと消えていく。残された二人は顔を見合わせる。シーリは目を細める。


「とりあえず、部屋に戻りましょうか」

「はい!」




 部屋に入るなり、シーリはリゼスの肩に手をかけ振り向かせると同時に抱き寄せた。


「――わっ、シ、シーリ様!?」

「リゼス、リゼス……リゼスッ」


 まるで、そこに存在していることを確認するように彼女は何度も名を呼ぶ。そのどこか不安げな声にリゼスの心臓がドクリと波打つ。

 ああ、彼女はここまで自分を想ってくれている。それが、手に取るようにわかったからこそ、体温は上がって気付けば応えるように強く抱きしめ、彼女の名を嚙みしめるように呼ぶ。


「シーリ様、ご心配おかけしました」

「リゼス、よかった、本当に目を覚ましてくれてよかった……ッ」


 噛みしめるように紡がれる言葉からひしひしとシーリの思いが感じ取れる。それがどうしようもなく嬉しくて、リゼスはその体温に委ねた。

 このまま時間が止まってしまえばいいのにと思ってしまうほどに、幸せだった。



 しばらく抱き合っていると、やっと安心のできたシーリがリゼスの額に自身の額を当てて、至近距離でそのグレーの瞳を見つめる。吐息が交差するほどに間近な距離にリゼスはドギマギしてしまうものの、すぐに気を取り直してそのアクアブルーの瞳を見つめ返す。


「リゼス」

「はい」

「ありがとうございました。私たちのために」


 それが、シトロたちのことを言っているのは考えるまでもない。リゼスは小さく首を横に振って「私は何もしていません」と答えた。


「すべてはチャオンさんが、私が戦える場面を整えてくれたおかげです。それがなければ今頃、私も牢屋に入れられていたでしょうから」


 そう、すべては彼女のおかげだ。彼女があの場所を整えてくれなければ、リゼスは何も考えずに彼らに殴りかかっていたのだ。そうなれば、シーリたちを牢から出すどころか、自分も牢屋に入れられ、最悪ここを追い出されていたかもしれない。


「それでもです。貴女が私たちのために剣を振るってくれた。それがどうしようもなく嬉しいのです」


 甘さを含んだ声と笑みにリゼスは思わず息を呑む。どこまでも甘いそれが心にトクリトクリと溜まっていく。


「怪我はしませんでしたか?」

「はい、大丈夫です」

「そうですか……本当に……強くなりましたね」


 キュッと手を握られる。

 確かに、少し前であれば勝てなかったかもしれない。それほどの実力を持った相手であったはずだが特に苦戦もせずに勝てた。だがそれは、きっと……


「貴女のためだからです。貴女のためならば、私はなんだってできます」


 それは比喩でも何でもない。リゼスはシーリのための戦いであればどんなものが相手であろうと負けることはないだろう。それほどまでに、彼女のことを思うとリゼスの体から自分の物とは思えないほどの力が湧いてくるのだ。


 そうそれは、まるで魔法にでもかけられたかのように。


「リゼス……本当に貴女という人は」


 心の底から安堵したような笑みを浮かべたシーリはもう一度、リゼスを強く抱きしめた。







「では、体に異常はないのですね」

「ええ、ああ、まぁ、そうですね……」


 サラサラとリゼスの髪を梳くように撫でるシーリ。その膝の上に座らせられたリゼスはカチカチと体を硬くしてぎこちなく答える。

 そうなってしまうのも無理もない、先ほどの近距離で見つめ合うであればよくあることなので、慣れはしないものの何とか耐えることができた。だが、今の状況はあまりにも申し訳なく羞恥心でいっぱいになってしまう。


「あ、あのシーリ様」

「なんですか?」


 楽しそうな声にリゼスはキュッと口を引き結んだ後、おそるおそる口を開く。


「この体勢、やめませんか? その……あまりにも申し訳ないと言いますか……正直恥ずかしいと言いますか……」

「んー、もう少しだけ。迷惑ですか?」

「うぐ……そ、そういう言い方は本当にずるいと思います」


 耳元で吐き出すように囁かれるそれに、リゼスの顔は真っ赤に染まっていく。このままでは心臓が破裂してしまいそうだ。だが、それがわかっているであろうシーリが彼女を放すことはなかった。






 しばらくして、やっと解放されたリゼスはシーリから現状を聞いていた。事前に、チャオンより大まかには聞いていたが、それでも彼女から改めて聞かされると、リゼスはその表情を険しくさせる。


「団長……」


 彼もリゼスのことを騎士として呼んでくれた一人だった。そして、必死に騎士団を立て直そうとするその姿に、誰よりも強い光を持ったその心に憧れを抱いていた。

 それをすべて壊してしまったんだ。自分という存在が。


「わたしが……わたしが……ッ」

「――違う!」


 リゼスの両肩を掴んだシーリは叫ぶ。その声にビクリとリゼスは彼女を見る。アクアブルーの瞳をいっぱいに開いた彼女はフルフルと首を振って言葉を続ける。


「貴女のせいじゃない。むしろ、私はお礼を言いたかった――リゼス、お父様を救ってくれてありがとう」

「……ッ! な、なぜ……貴女は、私に……私は! 確かにこの手で……!」


 人狼の姿とはいえ、その感触はありありと残っている。思い出せば手が震えて息が苦しくなる。


「リゼス、貴女のせいではない」


 噛みしめるようにそう言った彼女はふわりと笑みを浮かべる。


「私は感謝しているんです」

「え……?」


 パチリと目を見開きリゼスはシーリを見た。


 彼女の表情はどこまでも穏やかだった。そのことにどうしようもなく胸が締め付けられる。


「ありがとう。あの時、私の願いを聞いてくれて――お父様を人に戻してくれて」

「そんなっ、私は……」


 そこまで言いかけて止める。これ以上、罪の意識を持ち続ければシーリは喜ばないだろう。そう悟ったリゼスはグッと言葉を飲み込むと、深く頭を下げた。



 その時だった、部屋にドアを叩く音が響く。その激しさにシーリは訝しみながら扉を開くと、そこには悲愴の表情を浮かべたミクスが立っていた。それを前にしたシーリは凍り付く。


「シーリ、ライズが……!」


 その言葉を聞くや否や、シーリは弾かれるように部屋を出ていく。呆気に取られていたリゼスは立ち上がって彼の元へと向かう。


「団長、一体何が」

「……ライズが危篤なんだ」

「えっ」


 その言葉は槍のように彼女の心臓へと突き刺さった。

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