第3話 天才剣士のお気に入り


 実験を終えた次の日、リゼスの朝はいつも通りだった。

 飽きもせず再生される悪夢にうなされて最悪な気分で目を覚まし、ぼんやりと朝食を終えて今日の当番を確認する。そして、気合を入れて部屋を出て――


「リゼス、おはようございます」


 扉を開けるとそこには、眩いほどの笑顔を携えたシーリが立っていた。

 リゼスはまるで、時間が止まったようにその場に停止。目の前に立つ人物を凝視する。そして、目を擦ってもう一度目の前の存在を確認する。


――夢ではなかった。


 彼女は騎士であり、多くの任務を抱え忙しい人のはず。なのに、どうしてこうして目の前にいるのか。全くわからない状況にリゼスは口をパクパクとさせて言葉を発することができなかった。



 しばらく動けなかった彼女ではあったが、挨拶は返さなければという妙な使命感に駆られ、ぎこちなく「おはようございます」と返す。そうすれば、シーリはこれまた眩しい笑顔で応える。

 一体全体、何がどうなったらこんな状況に陥るのか。リゼスは笑顔を向けられるという事実に緊張しながら遠慮がちに問う。


「……えっと、どうしてここに」

「貴女に会いたかったから、ではだめですか?」


 伺うような視線に、リゼスは思わず咳き込む。

 その言い方はまるで恋人に会いに来た人のようだったから。恋愛には疎いが、そう言ったことに敏感なお年頃であるリゼスは赤くなった顔を隠すように顔を逸らす。


「な、なにを言っているのですか」

「ふふ。実は、昨日リゼスと剣を交えてから、貴女のことばかり考えるようになってしまって」

「なっ」


 恥ずかしげもなく次々と投げ込まれる爆弾に、リゼスはまだ早朝で誰もいなくてよかったと心から思った。こんなところを他人に見られればどんな噂が流れるかわかったものではない。同じ雑用係では騒ぎにはなりつつも、そこまで大事にはならないだろう。

 だがもし仮に、騎士に見られてしまえば大事になるのは間違いない。なんせ、目の前の彼女はこの騎士団で団長の次に騎士たちの憧れを受ける人なのだから。


 にこにことしているシーリが何を考えているのか、リゼスには全くわからない。が、それでも何か理由があって来たに違いない。よくわからない理由ではなく、ちゃんとした理由があるはずだろう。


「……本当の目的は何ですか」


 真面目に問いかければ、シーリは笑みを引っ込めて真剣な表情へと変えて「はい」と一拍置いてから答えた。


「貴女方の一日の仕事を見に来ました」

「私たち、ですか……?」

「ええ、私たち騎士の日々の生活をサポートしてくれる貴女たちが普段、何をしているのか私はちゃんと知らないと思いまして。丁度、働き過ぎだから休めと言われたのでいい機会だと思いまして」


 それでは休日にならないのではないのだろうか。という言葉をそっと飲み込んだリゼスは、小さく息を吐く。

 断る理由もなければ権利もない。彼女たちがこちらの仕事を知りたいというのであれば、つまらないかもしれないが見てもらった方がいい。もしかしたら、これがきっかけで雑用係がもう少し働きやすくなるようになるかもしれない。


「では、面白いかはわかりませんが、よろしくお願いします」

「はいっ」


 




 まず最初にやってきたのは、今日の当番でもある洗濯場だ。山積みになった洗濯物を、朝早くから当番となった雑用係がせっせと洗っている。シーリはその光景に暫し驚いていたが、すぐに何かを考えるように眉を顰めて眺め続ける。


「まぁ、見てのとおりですがここの洗い場では数人の雑用係が早朝から騎士団の汚れ物を洗います。正直一日で終わらない日もあります」

「……いつもこの少人数で行っているのですか? この量を」

「はい」


 今日ここの当番は全員で5人。実は言うと多い方だ。酷い日だと、2人でこの倍はある量を洗わなければいけないときもある。その時は早くほかの当番を終えた雑用係が手伝ったりすることはある。が、いかんせんここに限らず、すべての業務において雑用係の人数が圧倒的に足りない。

 そのため、リゼスが誰よりも自分の持ち場を終わらせ、周りの手伝いをすることが多かったりする。


「あれ、リゼス? 今日は洗濯?」

「そうだよ、ごめんね遅くなって」

「いや、大丈夫だけど……その人は……まさか」


 洗濯をしていた少年がリゼスの隣に立つシーリを見た瞬間、少年はまるで怪物でも見たかのように大きく目を見開き洗濯物を落とす。驚く理由はわかるとリゼスは胸の中で頷く。

 少年がその名を口に出そうとしたとき、シーリは自分の口に人差し指を当てる。その可愛らしい仕草に少年の頬が赤らむ。


「私のことは気にしないでください。今日は非番で、貴女方が普段何をしているのか見に来ただけですから」

「えっ、えっ、え……?」


 助けを求めるように少年がリゼスを見る。気付けば、ほかの雑用係も動揺の色を浮かべて二人を見ている。リゼスはどうしたもんかと、胸の中でため息を吐く。


「その方の言う通り、気にせずいつも通り仕事をしよう」


 その一言で少年たちは渋々と言った様子で洗濯を再開する。これ以上時間を無駄にはできないという判断である。リゼスはチラリと隣を一瞥すると、腕をまくって手近な洗濯物を手に取ってゴウン、ゴウン、と不穏な音を立てる魔道具である洗浄機の中へといれる。そして、それがいっぱいになると、入りきらないものは水場で手洗いをする。


「洗浄機の終了を待たないのですか?」

「ここの洗浄機は正直言って、壊れかけもいいところです。優秀な魔具ではありますが、あまり働かせ続けてしまうとオーバーヒートを起こして数日使えなくなってしまうんです。だから、汚れの強いモノは道具に任せて、手洗いで何とかなりそうなものはこうするんです」

「そうなのですね……洗浄機が新しくなったら、貴女方の負担はどの程度軽くなりますか?」


 ゴシゴシと洗濯板を使いながら、リゼスは軽く上を向いて考える。

 この騎士団の洗浄機は何十年も前に作られた物ではあるが、頑固な泥汚れもあっという間に落とす力がある。なので、もしこれが新しくなるなり、古いものが一台でも増えればここの環境はかなり改善されるだろう。

 そう思い、考えたままを伝えれば、シーリは相槌を打ちながら真剣な表情でほかの雑用係を見回す。まさか、本当に検討してくれるのかとリゼスは期待してすぐにその考えを振り払う。騎士団は人喰いを殺すためにあるのだから、こんな末端の存在など気にも留めないだろう。

 それを、リゼスは悪いことだとは思わない。が、疲労困憊の仲間たちを見ると、たまにでいい、少しでいいから気にかけて欲しいと感じないと言えばうそになるだろう。


「後は、ここで困っていることは何かありますか?」

「そうですね……洗浄機が少し曲者だというのが一番ですが、それ以外にもう少しいい石鹸を使えればと思う時はあります。市場で何度か見たことがありますが、今の石鹸はここで現在使っている物よりも安く、汚れを落とす力が強いそうです」


 話しながら手早く衣服を洗っていくリゼス。その速度はほかの雑用係とは比べ物にならないほどに早く、一つ、二つ、と洗濯物の山を次々に攻略していく。この調子であれば数時間もせずに終わってしまうだろう。

 シーリは彼女の手際の良さに関心ながら、その頭の中には彼女から教えてもらったここの環境のことと改善するためにはどうすればいいかという考えで埋まっていた。





 時刻は午後3時過ぎ。

 洗濯を終えたリゼスは早足で、訓練場へと向かっていた。


「もう、仕事は終わったのでは?」

「そうですね、私の担当は終わりました。ですが、おそらく訓練場の方は終わってないでしょう」

「その手伝いに行くということですね。いつもこうなのですか?」


 肩越しに振り向けば、シーリはリゼスの行いに感心しているような、だがどこかムッとしたような表情を浮かべている。その意味がいまいちわからなかったリゼスはあっけらかんと答える。


「そうですね。時間が空けば、終わってないところに手伝いに行きます。だって、早く終わった方が私たちも別の仕事に手を回すことができますし、仕事が遅いと怒られませんから」

「そうですか……」

「シーリ様は、どうして私たちの仕事を見たいと思ったのですか」


 早足で歩きながら、リゼスは僅かに不信化を乗せた口調で問う。

 確かに、彼女はみんなが憧れる人だ。誰に対しても優しく公平で不正は絶対に許さない。だが、それでも気高き騎士様がこんな自分たちに興味を持つということ自体が不思議で仕方がない。

 まぁきっと、ただの興味本位とかそんな理由なのだろう。


 だが、帰ってきた答えは違った。


「先ほども言いましたが、貴女方の仕事内容に興味があったのと……いつも、私たちの日々の生活をサポートしてくれるのことを知りたいと思ったからです」

「大切な……仲間達……」


 まさかそんな言葉をもらえるとは思ってなかったリゼスは、戸惑いながらその言葉を噛みしめる。ずっと、自分たちは騎士団で働いていようと心のどこかでは、騎士団の一因ではないんじゃないかと思う人間は多い。実際、リゼス自身もそう感じたことがないと言えばうそになる。

 だから、団長の娘でありみんなの憧れの的である彼女からそう言われて、リゼスは自分たちの存在が認められたかのような気がした。


「……本来であれば、皆さんの前に立って伝えるべきなのでしょうが、まず貴女に言わせてほしい――リゼス、いつもありがとう。私たち騎士のために日々の生活を支えてくれて」


 ギュッとリゼスの両手を包み込むように両手で握って持ち上げたシーリは微笑む。その笑みはあまりにもまっすぐで眩しくて、ツンと鼻の奥が痛むと同時に涙が目にたまって視界が歪む。

 泣いてしまいそうだ。極稀に騎士から彼女のような言葉をもらったことはある。だが、その言葉よりもずっとずっと彼女から貰った言葉は胸に温かく響いてくる。それはおそらく、彼女が心の底からその言葉を言ってくれたからであろう。


「貴女方がいてくれたからこそ、私たちは人喰いを殺すことに集中できる。本当にありがとう」


 その言葉でもう我慢の限界だった。ぽたりと落ちた雫は頬を伝って床へと落ちていた。






 その日の夜、リゼスは自室のベッドで枕に顔をうずめて、言葉にならないうめき声のようなものを漏らしながら足をバタバタとさせていた。


「うぁぁぁぁぁ……やってしまった……」


 まさか、嬉しさのあまりに泣いた挙句、逃げ出してしまうなんて。そのおかげで、手伝いにも行けなかった。

 リゼスは自分のやってしまった失態があまりにも恥ずかしくて、穴があったら頭から突っ込んでしまいたいぐらいであった。思い出しただけでも全身が羞恥心で体が熱を持って悶えそうになる。


「あぁぁぁ……次会ったらどんな顔すればいいんだ」


 忙しい彼女のことだ。今日みたいなことはもうないだろう。きっと会うこともない。そう思うとそれはそれで少し寂しい気もした。

 思い出すは、雑用係の仕事風景を真剣な表情で見つめる彼女の横顔。その瞬間、ぶわりと顔が熱くなってリゼスはまた声にならない声をあげてベッドの上でゴロゴロと転げまわった。


「……はぁ、こんな感じ、初めてだ」


 感じたことのない胸の暖かさ。初めてのそれに戸惑いつつも、どうしてだか手放したいとは思わない。それが、少し不可思議で思わず口元に笑みが浮かぶ。


「シーリ様」


 ポツリと名前を零す。そうするだけで、またほんのりと胸の奥が温かくなる。それがなくならいようにと、無意識に胸に両手を当てたリゼスはそのまま、眠りへと落ちていった。







 時刻を同じくしてシーリは自室にて、窓から差し込む幻想的な星空を眺めながら、今日の出来事を思い浮かべていた。その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。

 

 今まで、リゼスたちが普段何をしているのか、なんとなく知ってはいたつもりであった。大変だろうとは思っていたが、あれほどだとは思ってもいなかった。

 もともとの人数が少ないのに、彼女たちがやらなければいけないことはあまりにも多い。確かにやることは単純なのかもしれない。だが、それでもあれはあまりにも酷い。


「これでは……次期騎士団長なんて夢のまた夢だな」


 そう呟く彼女の横顔には静かな怒りが浮かぶ。

 忙しい父の手伝いになればと、この騎士団をよくしようと行動してきていたが、今までリゼスたちへと目が向くことは正直無かった。本来であれば真っ先に目を向けなければいけなかったのに。

 もっと早く気づけていれば普段ああして頑張ってくれている彼女たちに少しでも快適に仕事をしてもらえるように環境を整えられたのに。


「……とにかく、後悔をするよりも行動をすべきだ」


 思いい経てば早い。シーリは引き出しから紙の束を取り出すと、サラサラとペンを走らせる。


「まずは、彼女たちの今の劣悪な環境を少しでも改善しなければ。ならば、現在使用している魔具の点検又は新調の提案と……」


 シーリは脳裏に、恥ずかしさに顔を真っ赤にして涙を流すリゼスが浮かぶ。


「また、喜んでくれるだろうか」


 そう呟いたシーリはクスリと小さく笑って呟く。


「リゼス」


 その名前はシーリの胸に日差しが差し込んだような温かみをもたらした。



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