第4話 憧れの存在と一緒に
次の日も、シーリはリゼスの元へとやって来ていた。
「リゼス、おはようございます。今日もご一緒してもいいですか?」
「お、おはようございます……えっと、今日もおやすみなんですか……?」
驚きのあまり、顔を引きつらせるリゼス。
まさか、あんな醜態を晒しておきながらその次の日にまた会うことになるなんて、なんという拷問だろうか。だが、目の前の彼女はまったく気にしていないのか、その表情は昨日と同じ穏やかな微笑みを携えている。
「はい、しばらくお休みを貰えましたから。今日はどこに?」
「今日の担当は清掃なので、訓練場に行きます」
「清掃ですか、やはりそれもかなり大変なのですか?」
リゼスが歩き出すと、シーリは隣を歩きながら聞く。当然のごとく隣を歩く彼女に、リゼスの心臓がドキリと波打つ、そして、無意識に辺りに視線を巡らせ誰かに見られていないかと確認してしまう自分に少しだけ嫌悪する。
「そうですね、訓練場の汚れが少なければすぐに終わることもあります。ただ、汚れ一つ落とすのもかなり大変なので、ほとんど一日使ってやっとって感じですね」
「それも、人手があればなんとかなりそうですか?」
「ええ、まぁ。後はぜいたくを言うと、リノ様の魔法薬を正式に使わせてもらえれば環境はもっと良くなると思います」
一蹴されてしまうような願望を伝える。リゼス自身、戦うために発明された物を掃除なんてものに使うなんて、ほかの騎士が聞いたら激怒しそうだとわかってはいる。だからきっとあまりいい反応はもらえないだろうと考える。
だが予想と違って、シーリはそんなリゼスの願いを真剣な表情で聞き、「そうですか」と呟いて頷く。その反応に思わず期待してしまいそうになる。が、すぐに心の中で首を振って“期待するな”と自分に釘を刺しておく。
それっきり、目的地に着くまで二人の間に会話はなかった。
訓練場へと到着すると、そこには数人の雑用係と騎士たちが何か話しているようだった。リゼスはその光景と騎士の顔を見るや、なんとなく嫌な予感がした。
彼らがこちらに声をかける理由なんてだいたい決まっている。すると、一人の女性騎士がこちらに気付く。そして、リゼスの隣にシーリがいることにも気付くと、ばつが悪そうにほかの騎士に声をかけて早々に立ち去っていく。
「さっさとやっておけよ」
最後に壮年の男性騎士が大きな布袋を持った少年を恫喝すると、踵を返し去って行く。その時、男性騎士はシーリに鋭い一瞥を加えて。
「なにがあったの」
去って行った彼らを一瞥したリゼスは厳しい口調でそう問いかけ、布袋を抱えた少年とそのほかの雑用係たちを見回す。彼らはリゼスとは視線を合わせようとはせず俯いている。その様子からいつものように意地悪な騎士たちに何か言われたのだろうと、リゼスは確信する。
それに、シーリがいる手前、そんなことを話すのははばかれるのだろう。僅かに眉を顰めているシーリのことを、彼らはちらちらと盗み見ている。
もう少し早く来ていれば、彼らの代わりに自分が代わりに騎士の相手をできたのにとリゼスは拳を握り締めると、布袋を持った少年へと視線を移す。
「……仕事を始めよう。ルキウ、それしまってきな」
「う、うん」
シーリの方を気にしながら、ルキウと呼ばれた少年はコクコクと何度も頷いて駆け足でその場を後にする。リゼスは、彼らが質問をする前に掃除用具を手に取ると、歩き出す。
「なにがあったのでしょうか」
こそりとシーリが聞く。リゼスは気まずそうに眉尻を下げて答える。
「なんということはありません。たまにああして私たちに頼みごとをしてくれるんですよ」
「……そうですか」
深くは聞いてこないということはぐらかされたとわかっているのだろう。僅かに悲しげに微笑む彼女に、リゼスは罪悪感を感じて気まずくなってしまう。だが仕方ないと言える。はぐらかさすしかなかったのだから。
きっと、シーリに騎士たちの普段の行動を話せばきっと行動してくれるだろう。だが、それをしてもその後にやってくるのはほかの騎士からの報復だ。ゆえに、リゼスは今は言うべきでないと口を閉ざす。
リゼスは近くの大きな汚れのついた壁に近づくと、洗剤のついた雑巾で手早く汚れを掃除していく。運がいいことにしつこい汚れではないのか、汚れはあっけなく落ちていく。
シーリは斜め後ろから掃除の様子を見学。つぎつぎと落ちていく汚れに感心したように息を漏らす。
「すごいですね」
「一年もやっていれば慣れますよ。最初のころは全然綺麗にできなくて、先輩にいつも手伝ってもらっていました」
懐かしさに目を細める。その横顔にシーリの表情にも優しさが浮かぶ。
「良き先輩なのですね」
「はい。右も左もわからない私やほかの子たちに、いろいろなことを教えてくれました。……まぁ、三か月前にここを去ってしまいましたが」
「そうですか……」
シーリの表情に影が差す。それを見たリゼスは少しだけ嬉しかった。尊敬できるあの人が去ったことを少しでも悲しんでくれる人がほかにもいてくれたということに。
騎士になれず、雑用係としてでしか騎士団に入ることは叶わず。その時ばかりは悲しみに打ちひしがれていた。そんな時にその人はリゼスに雑用係というものが騎士たちにとってどういった存在なのか、そしてどう役に立つのかを教えてくれたのだ。
――確かに、直接人喰いを殺すことはできない。だけど、私たちが騎士をサポートすることによって、騎士たちは人喰いを殺すことに集中できる。これは考えようによっては私たちも人喰いを殺すための糧になってるってことだろう?
あの考えは今ではリゼスにとって心の支えとなっていた。たとえ、戦えなくとも戦う人たちのために頑張れば、それはヤツラを根絶させるために自分も戦えているのだと。
そんな憧れの人も、一部の騎士たちによる日常的な暴力や暴言などの酷い扱いに耐えきれず、この騎士団を去って行った。
そのため、現在はリゼスが彼女の代わりとまではいかないが、新人には仕事を教え、騎士からの逃げ方も教え、時には自分が防波堤となって騎士からの暴力も酷い言葉も受けた。
だがそうしても、毎年多くの雑用係が入って来ては、耐えきれずに辞めていってしまっていた。
「あの人から学べたことはとても多く、感謝してもしきれません。だから、ここを去って行ったことが本当に惜しい……」
掃除をする手に力が入る。その後は無言で、シーリは彼女が掃除を終えるまでただじっと見つめているのだった。
訓練場の掃除が予想よりもずっと早く終わったリゼス。丁度昼時ということもあり、食堂へと向かおうと足を向けて固まった。そして、隣で不思議そうに首をかしげるシーリを見つめる。
「どうしました?」
「いえ、その私はこれから昼食に行こうと思うのですが……」
やんわりと“ここからは別行動で”と、意を込めてシーリを見る。が、どうやらその思いは届かなかったらしい。何事もないように彼女は爽やかな笑顔を向ける。
「では、ご一緒してもいいですか?」
「え……? あ、いや……構いませんが」
そう答えるしかない。
この人はこちらが断れないとわかって聞いているのだろうかと考えてしまう。が、その心の奥にはこの人と一緒にいられることに対し、嬉しく思ってしまう自分がいるのも事実であった。
「よかった。では行きましょう」
「え、あ、ちょ……っ」
シーリに手を引かれリゼスは戸惑いの声をあげる。が、目の前の背中は振り向くことなく軽い足取りで食堂へと向かっていく。
そんなにお腹が空いていたのかと、リゼスの表情が僅かに柔らむ。
だが、それもつかの間――食堂につくなり、リゼスの表情は再び強張ることとなる。
時刻は丁度昼時。と、なれば食堂には多くの騎士や雑用係でにぎわっていた。中央に
リゼスはしまったと心の中で思いながらその視線からそっと逃げるように、隅っこの小さな机に集まって不安げな視線を向ける雑用係の少年少女へと目を向ける。すると、彼らはサッと視線を逸らす。
まぁ、そうだろう。彼らに迷惑をかけるつもりは毛頭ないリゼスは胸の中で大きくため息を吐いて、何もないように丁度空いている隅の机へと向かおうとしたときだった。
「リゼス、あちらが開いていますよ」
そう言ってシーリが指さす先は、窓際の二人席。まるで、誰かのために開けているように空席のそこが誰のためかなんて考えるまでもない――騎士たちがシーリのために開けているのだ。
リゼスは頬を引きつらせ「あそこですか……?」と零す。
別に食堂は自由席ではある。が、そこには暗黙のルールと言うべきか身分差別というべきものが存在している。
それは、雑用係は決して中央の席に座ってはならない。常に端の席を使わなければいけないと言うものである。それを証明するように端に設置された机や椅子は中央に設置されている物よりも明らかに古びている。
以前にそれを知らなかった新人雑用係が騎士たちが座る席についてしまい、たまたま虫の居所が悪かった騎士に見つかって半殺しにされたという話もあるくらいだ。
もちろん、そんな雑用係と一部の騎士だけが知っているルールをシーリは知らない。
「リゼス?」
「……なんでもありません」
仕方ない。窓際以外に空いているのは雑用係用のボロ机だけ。さすがに、次期騎士団長様をそんな席に座らせるわけにはいかない。リゼスが窓際に行くよりももっとひどい目に逢うだろう。
今日何度目かのため息を胸の中で吐き出したリゼスは渋々頷き、
「ぜひ、あそこで食べましょう」
そうして、リゼスは緊張と周りからの嫉妬や妬みの視線に晒されながらシーリと食事を開始する。
もちろん、味は全く分からなかった。
夜間の見張り以外はほとんどが眠りにつく深夜。
なんだかいつも以上に疲労感を感じながら、リゼスは騎士団にある鍛冶場へとやって来ていた。日中、そこには専任の鍛冶師たちがおり、騎士たちの武器や防具の修理などを行っている。
深夜ということもありそこには誰もいないはずだったが――
カーン、カーン。
鉄を叩く音と、わずかではあるが熱気が肌に触れている。リゼスは眉を顰めると、鍛冶場の中へと足を踏み入れる。
すると、火のたかれた窯の前でこちらに背を向けた一人の少年がハンマーを振り上げているところであった。まるで機械のようにまっすぐにそれを振り下ろされ、鉄同士のぶつかった音が余韻を残して消えていく。
「いつ聞いても綺麗な音だね」
リゼスがそう声をかけると、少年の両肩がびくりと大きく跳ねる。そして、恐る恐ると言った感じで振り向いた彼――ルキウは、相手がリゼスだと確認するとホッと胸をなでおろした。
「リゼスか……驚かさないでよ」
「ごめんごめん。本当は終わるまで待ってようと思っていたんだけど、待ってたら朝が来ちゃいそうで」
「まぁ、ね……それより、こんな時間に? 何か用があったの?」
彼の問いにリゼスは眉を顰めながら腕を組む。
「こんな夜中に眠りもせずに、押し付けられた仕事をしている君を叱りに来たって言ったら?」
威圧感を込めて言えば、ルキウはばつが悪そうに俯く。
鍛冶の心得がある彼はよく騎士たちに武具の修繕を頼まれることがあった。もちろん、それは雑用係の仕事ではないし、鍛冶師でもないので日中に鍛冶場を使うことはできない。
ゆえに彼は夜中にこっそり、鍛冶場で修繕を行っていた。
「君が頑張り屋なのは知ってる。でも、それで潰れちゃ意味がない」
夜中にこんなことをしていれば当然睡眠時間は削られ、疲労も溜まっていく。リゼスはそこを心配していた。似たようなことをして過労で倒れたり、病気となって騎士団を去っていた者を知っているから。
よくルキウを見てみれば、その目の下には隈ができている。
「まぁ、私は武具をいじったりはできないからそれを手伝うことはできないけれど、ほかのことだったら何でも手伝うから、言ってよ」
「でも……それじゃリゼスの負担が」
「いいんだよ、どうせ体力は有り余ってるし、雑用係の仕事ぐらいじゃ心臓はうんともすんとも言わないからさ」
おどけた調子で返せば、ルキウはぎこちなく笑みを見せる。そんな彼の肩に手を置く。
「ね?」
「リゼス……ありがとう」
ふわりと安堵の息を彼は吐き出す。リゼスはフッと目を細めると、彼の隣に腰を下ろし彼の修繕した鎧を見る。
ピカピカに綺麗に磨かれたそれはまるで新品のようだ。
「本当にすごいね。新品みたい」
「そんなことないよ。もともと鎧が綺麗だったんだ」
そう彼は謙遜するが、リゼスはこの鎧がボロボロだったのを知っている。それもほんの数日前、それをあっという間に直してしまう彼の技量は相当の物だろう。
「確か、村に鍛冶場があるんだっけ?」
「うん。親父も鍛冶師で、僕も将来は鍛冶師になるって思ってたんだけどさ……」
くしゃりと表情を歪めたルキウははた目から見たら今にも泣きそうに見えるだろう。
「村が人喰いに襲われて殆ど死んで、村はめちゃくちゃにされた……だから、僕はとにかくお金を稼ぐためにここに来るしかなかった」
「ルキウ……」
その言葉には強い悲しみと怒りがあった。
「雑用係の仕事は結構大変だけど、これをしている間は大変でも頑張ろうと思うんだ」
それは本心だろう。鎧を見下ろす穏やかな表情が物語っている。それを見てしまうと、リゼスは彼にこれをやめろとは余計に言えなくなってしまう。
「いつか、夢は叶うよルキウが諦めない限り」
「うん、諦めないよ。リゼスも、諦めないでね」
二人は顔を見合わせ小さく笑い声を零す。
そんな二人を月と星々が優しく照らしていた。
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