第5話 騎士団の頂点に


 シーリが雑用係の仕事を見学してから数日後、リゼスはなぜか団長に呼び出され、とぼとぼと廊下を歩いていた。

 そんな彼女の顔は、周りの人間が哀れに思ってしまうほどに青ざめていた。無理もない、何の説明もなく突然、騎士に“明日、団長のところに行くように”と言われれば、まず思うのはなにか失態を侵してしまったのではないか、だ。

 心当たりという心当たりと言えば、毎日のように無断で訓練用の木剣を勝手に使って素振りをしたぐらいだろうか。明確に禁止されていないとはいえ、団長がダメと言えばそれがすべてだ。


「はぁ」


 大息を吐く。

 いったい、何を言われるのか。嫌だ嫌だと思っていても足は止まらない。気付けば団長の居る部屋の扉の前にたどり着き、ビクビクと見上げた彼女の顔には強い緊張の色が浮かび、その背中には嫌な汗が流れていた。

 叶うならばこのままクルリと回って何事もなかったように帰りたかったが、そうもいかない。


 大きく深呼吸し、リゼスは扉をノックする。と、扉の向こうから「入っていいぞ」という男性の声が聞こえてくる。

 もう一度、大きく深呼吸した彼女は扉を開き中へと足を踏み入れた。


「遅れて申し訳ありません」


 そう言ってお辞儀をし、顔を上げたリゼスは目の前にいる人物を見る。

 服の上からでもわかるほどに鍛え抜かれた大きな体、岩のようにごつごつとした大きなその手にはいくつもの傷跡が刻まれ、見るものを萎縮させるいかつい顔にもいくつかの傷跡がある。おそらく、全身のいたるところに傷跡人々を守った証が刻まれていると容易に想像できる風貌の彼は、手に持っていたペンを置いて二っと笑みを浮かべた。


 彼はライズ・ヴァレニアス――この騎士団の団長で、多くの人喰いを倒してきた実力者にして、シーリの父親だ。


「時間通りだ。すまないな、いきなり呼び立ててしまって」

「いえ……それで、要件というのは」

「ああ、実は君たちの仕事をシーリから聞いてな。どうやら、かなり苦労しているようだ、と。大まかな話は聞いているが、君からも話を聞かせてくれないか? 今すぐに全て改善するとは約束できないが、改善できるものはすぐにどうにかしよう」


 予想外の言葉にリゼスは大きく目を見開く。

 まさか、あの時話したことをわざわざ団長に話してくれたということなのだろうか。その優しさに胸を熱くしながら、リゼスはこのチャンスを逃さんと力強く頷く。


「はい。まず、洗濯をもっと効率よくできるように洗浄機の魔具を修理または旧式でも構いませんので新たに追加をしていただければと思います」

「ふむ、シーリも同じことを言っていたな。では、ほかには?」

「洗濯と掃除のときに使う道具をもう少しいい物に変えてもらいたいと思います。最近では今のよりも安く洗浄力が高いそうですから」

「ふむ、確かに君たちが使う道具に関しては長く同じものを使い続けていたからな、これを機にいくつか変えられるか確認してみよう」

「ありがとうございます!」


 深く頭を下げるリゼスに、ライズは優し気な目を向ける。そこには先ほどまでの団長としての厳しい色はいくらか薄れている。


「ほかにあるか?」

「……騎士団で使う武具に関して、修理修繕に関しては私たちではなく、正規の鍛冶屋に依頼すべきだと思います」


 意を決して告げたその言葉に彼は首をかしげる。その目には再び鋭い色が浮かぶ。


「ん? 騎士の武具の修理などを君たちがしているのか?」

「はい。よく、騎士たちから直しておけと言われることがあります。正直、命を預ける大切なものを私たち如きに任せるのはあまりいいこととは思えないと、意見をさせていただくことをお許しください」


 そう言って頭を下げれば、彼は顎に手を当てて神妙な顔つきで小さく唸り声を上げる。

 やはり、雑用係ごときが団長に意見をいうなんて図々しかっただろうか。だが、次の彼の言葉によってリゼスの考えは違ったとわかる。


「それは、おかしいな。騎士たちには武具に何らかの不具合があった場合は騎士団に所属している鍛冶屋かここで王国の認定を受けた鍛冶師に依頼するように指示を出しているはずだ。……ちなみに、武具の修理はどうしている? 心得のある者がいるのか?」

「はい。本人は齧った程度と言っていますが、素人目に見ても素晴らしい腕の持ち主が一人います。任された物は全て彼が直しています。それによって、彼の負担がかなり増しています」


 夜遅くまで、騎士の武具を直す少年の姿を思い浮かべる。騎士がわざわざ任せるということはそれなりの腕を持っているということだろう。だが、腕がよくても彼しかいないのだ。負担は増える一方でこのままでは疲労で倒れてしまうだろう。

 手伝いたくとも、何も知らないずぶの素人では足手まといにしかならない。だから、彼が少しでも休めるようにとリゼスが代わりに掃除などの仕事を受け持つことがある。

 彼を思っているためか、自然と鋭くなる視線。その視線に射抜かれながら、顔を片手で覆った彼は「まったく」と言葉を零す。


「まさか、そんなことが起きているとは知らなかった。すまないが、そういったことをしている騎士の名前を教えて欲しい。この後で構わないから、件の彼とやらをここに呼んで欲しい。相応の報酬を渡そう」

「ありがとうございます。……それで、もし聞いていただけるのであればお願いしたいことがあります」

「なんだ、言ってみなさい」

「もしその彼が望めば、彼に鍛冶師としての道を与えてはくれないでしょうか? 彼は、武具を扱うのがとても好きなんです。どんなに疲れていても、武具に触るときの彼はどこまでも楽しそうなんです。そんな彼が鍛冶師となれば必ずや、人喰いの殲滅に多大なる貢献を果たすと思います」


 こぶしを握り締め、リゼスは力強く宣言する。

 そうだ、彼は絶対に鍛冶師になるべきだ。そうすれば、きっと人喰いをぶっ殺すための素晴らしい武具を作ってくれるはずだ。普段の仕事ぶりを見れば誰だって思う。それに、彼が武具を修理している時、彼は心から幸せそうなのだ。


「……ふむ、わかった。検討しておこう」

「ありがとうございます!」


 その後も、リゼスは自分たちの仕事で改善の余地がありそうなものは思いつく限りすべて彼へと伝えた。彼はその度に頷き時折質問を交えながら真剣に聞き続けた。





 一通りの話が終わると、ふっとライズの表情が優し気に緩む。


「シーリの言う通りだ。君は、他人思いで、よく周りを見ることができる子のようだ」

「へっ!?」


 思わず素っ頓狂な声をあげる。が、彼はまるで子どもを見守る父のように優し気な眼差しでリゼスを見る。


「騎士団に限らず、集団で生活することにおいてお互いがお互いのことをよく知っておくことはとても重要だ。だが、悲しいことに最近の団員たちは周りの者と協力をしようとする思いが弱い。ゆえに最近では連携を取れば簡単に打ち取れる状況において、功績をあげようと単独行動する者が多く、そのせいで人喰いを逃がす事態が多く発生している」

「なっ」


 それはただの雑用係に話していい内容とは到底思えないものであった。人喰いを逃がしたなんて重大なことをそんな世間話でもするかのように。思わず絶句していると、ライズは問う。


「君は、人喰いが憎いか?」

「もちろん憎いに決まっています」


 間髪入れずに答えるリゼスの瞳には確かな憎悪が宿り、その声には煮えたぎるような怒りの色がちらついている。彼はテーブルの上で手を組みながらジッとリゼスを見据える。その視線は肉食獣を前にしているような威圧感があった。


「私は村を焼かれ親も知り合いも残らず殺された。そんなことをされれば憎むのは当然です」

「そうだな。では、今の話を聞いて君は騎士に憎しみを抱くか?」

「――っ!」


 じろりと探るような視線。リゼスの心臓がドクリと跳ねる。

 今の話を聞いて、正直憎いとまではいかずとも思うところはあった。騎士は人喰いというクソどもから人々を守るために存在している。そこに名誉と報酬という名のおまけがついてくるだけ。決して英雄になりたいがために務めるものではない。


「……思うところはあります。でも、私はそんな騎士にでも自分たちに思いを託す他ないんです」


 長い沈黙の後、リゼスは胸に手を当てながら絞り出すようにそう答えた。

 この心臓がある限り、リゼスは戦えない。たとえ、短時間ではあるが戦えると伝えたところで、人はそれを戦力とはみなさない。ゆえに戦うことは許されない。だから、リゼスは思いを託したのだ、たとえそれが褒められた人間でなくとも。


「……そうか。では、君が理想とする騎士とはどういったものかな?」

「人のため世界のために戦う者。それが私の理想とする騎士です」


 彼は瞳を細める。そこにどういった感情がこもっているのか、リゼスは分からなかった。ただ、彼に見られていると心の奥まで見透かされてしまいそうな気分に陥り背筋が冷たくなっていく。

 だが、やはり親子ということか。その澄んだアクアブルーの瞳はシーリと同じでまっすぐだ。


「いろいろ聞かせてくれてありがとう。もし、今後も何かあったらこうして呼び出すかもしれないが許してくれ」

「こちらこそ、私のような末端の言葉を聞いていただきありがとうございました」







 団長室を後にし、少し歩いたところでリゼスは緊張を吐き出した。


「はぁぁぁ……緊張した」


 まるで自分よりも何倍も大きな肉食獣でも目の前にいるかのような迫力であった。いまだに心臓がドクドクと音を立てている。収まれ収まれと深呼吸を繰り返していると――


「リゼス」


 ハッと顔を向ける。と、そこにはシーリが立っていた。だが、その装いは最近見ていたラフな物ではなく銀色に輝く鎧を身に纏い、腰には剣を下げていた。

 そのいでたちは思わず息を忘れて見入ってしまうほどの一種の神々しさを持っている。彼女であればそこいらの人喰いなんて敵ではないと言うような迫力もある。


「シーリ様、これから任務ですか?」

「ええ、近場の森に人喰いが出たとありまして」


 人喰いという言葉に思わず胸にさざ波が立つ。きっと、シーリならば大丈夫だろうと思えるがそれでも、ちりちりと心臓に違和感が走り抜けていく。


「……どうか、お気をつけて」

「はい」


 やっと絞り出した言葉にシーリはふわりと笑みを浮かべて去って行く。リゼスは彼女が無事に帰ってきますようにと願いながら戻ろうと思って踵を返したその時、彼女は漠然とした不穏な気配を感じ取った。

 なんだか嫌な予感がする。こう言ったときの勘というのは不思議な物かよく当たるようで――辺りを見回す。と、廊下の奥、二人の人影を見つける。それらはこちらを見ていた。

 ああ、そういうことか。リゼスは納得するとその人影の元へと重たい足を運ぶ。その面持ちはいくらかの堅さが浮かんでいる。


「よぉ爆弾持ち。最近随分と調子に乗っているみたいだな」

「少し面貸せよ」


 人気のない場所へとやってきた彼らは、嫌みったらしい笑みを浮かべる。そして、いつの日にかあった青年騎士が腕を組みリゼスを見下ろす。その隣に立つもう一人の青年騎士も侮蔑の視線を向けながら頷く。


「なんでお前がごときがシーリ隊長と一緒にいるんだ」


 今にも噛みついてきそうな勢いでもう一人の青年騎士が言った。リゼスは「さぁ」と言ってわざとらしく首をかしげる。と、彼らは一様にイラつきを隠しもせずに見下ろす。

 いずれ、この場面がやってくるとは思っていた。ただの雑用係ごときがみんなの憧れの的である彼女と一週間近く一緒に行動していたのだから。当然、彼女を狙っている騎士はいい思いをしないだろう。

 リゼスとしては、そんなくだらないことをしている暇があるなら、一秒でも多く鍛錬を積んで、一匹でも多くの人喰い共をぶっ殺してほしいとしか思えない。まぁ、そんなことを口にしてしまえば後にやってくるのは騎士たちに半殺しにされるのがオチだろうから、リゼスはわざわざ口に出すことはない。


「お前は、あの人がどれだけすごい人かわかっているのか? 次期騎士団長候補の一人だぞ。そんな相手にお前のような汚い雑用係が隣に立つなんておこがましいと思わないのか!」


 リゼス以外の雑用係が向けられれば萎縮してしまうほどの、怒気を青年騎士は放つ。その隣でもう一人はうんうんと頷く。


「一体、何を話したか知らないが、お前、俺たちのことを話していないだろうな」

「いえ、特に何も」


 目的はそれか。

 彼らはリゼスがシーリに普段の彼らの素行を告げ口したのではないかと警戒していたのだ。本当にくだらないことに時間を使う人間たちだ、と心の中で吐き捨てる。

 一度考えてしまえば、怒りがふつふつと湧き上がる。こんなやつらに人喰いをぶっ殺してほしいという願いを託すしかないことと、こんなやつらに歯向かうことのできない弱い自分に。

 それは無意識に表情として出ていたらしく、二人の青年騎士は侮蔑の篭った眼差しを向ける。


「なんだ、その目は」

「おい、こいつちょっとシーリ隊長と一緒にいたからって言い気になっているみたいだな」

「ああ、そうだな。これは少し


 二人は顔を見合わせると、下卑た笑みを浮かべ、青年騎士の一人が足を上げ――リゼスの腹部を思い切り蹴飛ばした。突然の衝撃に避けることもできなかった彼女の体は壁にたたきつけられ崩れ落ちると、ゴホゴホと激しく咳き込んだ。

 リゼスが顔を上げ二人を見上げる。彼らはニヤリと笑みを深めると、執拗に彼女へと暴力を振るった。


 それは一人の少女には到底耐えらないというようなひどいものだった。


 肩、背中、腹部、と服に隠れる部分を彼らは執拗に殴る蹴るの暴行を加える。最初のうちはうめき声をあげていたリゼスだが、次第にその力もなくなり、彼らが満足してその場を後にする頃には一歩も動けないほどであった。


「くっそ……ぼこすか蹴りやがって……」


 何とか体を動かし壁に背を預けたリゼスは吐き捨てるように言葉を零す。こうした暴力を受けるのよくあることだった。ズキズキとろお骨が痛む。もしかしたらヒビの一つでも入っているのかもしれない。

 本来であれば治療室送りレベルのケガであるが、リゼスは人よりも治癒能力が高いのか、しばらくしていれば問題なく動けるぐらいには回復するだろう。


「……悔しいな」


 そう呟くリゼスの瞳から一筋の涙が零れる。あんな人たちに希望を託さなければいけないということに、怒りを通り越して悲しみすら覚える。


「この心臓さえ、心臓さえ平気なら……っ」


 悔し涙を流すリゼスは気付かない、その姿を見ている人物がいることに。

 

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