第17話 騎士がすることか?



 振り下ろした戦斧を二人は剣を交差させ受け止める。

 ガギィィィィィィンッ!

 凄まじいその衝撃に二人の顔が大きく歪む。腕がしびれるほどの重たい一撃だ。もし、この一撃を一人で受け止めようものならば抵抗もできずにそのまま剣ごと真っ二つに切り裂かれていただろう。


「リゼス!」

「はい!」


 同時に力を込めて戦斧を押し返す。大男が軽くよろめいて後退する。シーリは地面を踏み抜いて彼の懐へ飛び込むと、すばやく剣を振り上げる。


「――ちぃッ!」


 大男はすぐさま戦斧でその一撃を防ぐ。その隙を突くようにリゼスが飛び上がって彼の脳天目掛けて剣を振り下ろす。死角からの完璧な一撃だったが、彼はまるで予期していたかのように顔を向けると、まずシーリを力任せに弾き飛ばし、流れるような動きで戦斧を盾のように構えてその一撃を防ぐ。

 耳をつんざくような鉄同士の甲高い音が響く。リゼスは確実にとらえたと思っていた一撃をやすやすと防がれてしまったことに、驚愕する。そしてすぐさま、その衝撃を利用して背後へと飛んで距離を取った彼女は剣を構えなおす。


 強敵だ。肌を焼くほどの殺気にまるで飢えた熊でも目の前にしているかのような圧迫感。この状態が長く続けば心の面で負けてしまいそうだった。


「ほぉ、なかなかの一撃。くそったれな騎士団にもまだ、こんな奴がいたのか」


 大男は戦斧の具合を確かめると、リゼスを見た。


「お前、名前は」

「……リゼス」

「俺の名はガヌト。リゼス、お前はなぜ騎士になった」


 突然の問いに軽く目を見開いたリゼスは静かに答える。


「人々を守るため。そして、人喰いをこの世から根絶やしにするため」


 ガヌトはシーリを一瞥すると、リゼスへと再び目を向ける。その瞳には明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。


「人々を守る……ふっ、こんな畜生共に守られるなんて、人々とやらはかわいそうだな」

「……お前」


 リゼスの剣を握る手に力が篭る。


「騎士をバカにするのもいい加減にしろよ」


 静かに怒りを吐き出したリゼスは、駆け出すと、上段から剣を振り下ろす。ガヌトはそれを容易く防ぐと、振り向きざまに背後から襲い掛かっていたシーリの剣を蹴り飛ばす。

 リゼスは着地と同時に思い切り踏み込み、剣を横なぎに払う。さすがに避けられないだろうと思われた一撃だったが――ガヌトの表情は変わらなかった。


「はぁぁぁぁぁぁッ!」

「なっ」


 雄たけびと共にガヌトは全身から魔力を放出させ、その衝撃波でリゼスの体を弾き飛ばす。突風のような衝撃にリゼスは中空で体勢を立て直しながら着地する。

 二人がかりだというのに全く隙の無い攻防を見せるガヌトに、リゼスは舌を鳴らす。彼女の隣に戻ったシーリも渋い表情である。


「ガヌト・コンレス……高額な懸賞金がかけられているだけありますね」


 ガヌト・コンレス。彼は多くの騎士を殺し略奪を繰り返すことから、かなりの額の懸賞金がかけられている。その強さは折り紙付きで、討伐に出向いた多くの騎士が殺されている。

 まさか、こんな大物がいるとは知らなかったリゼスは、クレンに嵌められたかとも一瞬考える。だが、すぐに今はそんなことを考えている場合ではないと、戦いに集中する。


「リゼス、水属性の小瓶は使えますか?」


 シーリの視線がリゼスの腰につけられた瓶へと向く。リゼスは静かに頷くと、青色の液体が入った小瓶を手に取る。


「3秒、時間をください」

「わかりました」


 パリンと瓶を剣の刃へと叩き付ける。それと同時にシーリは風の魔力を剣に流して駆け出す。ひゅうと風がリゼスの頬をなぜる。

 瓶から流れた青色の液体がまるで意思を持つかのようにぬるりと剣を覆う。リゼスは胸の内で数を数えるとシーリの後に続いた。


「はっ」


 風の魔力を纏わせその鋭さを何倍にもした刃がガヌトへと迫る。彼は、戦斧を盾のように構えるとそれを受け止めようとするが、武器が触れた次の瞬間、凄まじいほどの突風が彼の巨体を吹き飛ばした。


「ぐぉっ!?」


 木の葉のように彼の巨体が浮かび上がる。どうにかして体勢を立て直そうとしているようだが、その隙を逃すほど二人は甘くない。


「リゼス! 飛びなさい!」

「――!」


 その声が聞こえたかと思った瞬間、リゼスの心臓がドクリと大きく跳ね、炎のような熱が全身へ流れる。それは力となり、彼女の体を活性化させる。

 体が軽い。まるで、彼女の指示を聞くことが史上の喜びだと言わんばかりに。リゼスは口元に笑みを浮かべると、その手に力を込め、飛び上がった。同時にシーリが風の魔力を操ってリゼスの体をより高くへと飛ばす。


 ガヌトよりも少し高く飛んだリゼスは両手で剣を握り締める。水の魔力が激しい光を放つ。


「ハァァァァアアアアアアアアッ!」


 大きく振り下ろされた一撃を、ガヌトは戦斧で防ぐ。激しく衝突し火花が飛び散る。リゼスは腕に一層の力を込めてそのまま振り抜いた。中空で踏ん張ることもできないガヌトはその勢いを防ぐことはできず、凄まじい速度で地面へと叩き付けられる。


「がはっ!」


 小規模のクレーターを作り上げたガヌトの口から血が吐き出される。おそらく背骨の一部を損傷したのだろう。だがすぐに立ち上がる。そんな彼の体にはは水の魔力によってもたらされた無数の切り傷が刻まれ、ボタボタと血が流れていた。


「はっ、これはなかなかの一撃だ」


 ペッと地面に血を吐いたガヌトは、音もなく着地したリゼスを見た。リゼスは気を引き締めたまま水を纏った剣を上段に構えて警戒する。


「リゼスといったな。お前、まだ騎士になったばかりか」

「……だからどうした」

「いや、なに――随分と嫌な顔をしながら人を斬るもんだと思ってな」


 リゼスは顔を顰める。と、ガヌトはフッと鼻で笑う。


「人を斬るたびにそんなんじゃあ、騎士に向いてないな。早めに諦めて雑用係にでもなったらどうだ」


 バカにするようなその言葉に、リゼスよりも先にシーリが眉を顰めた。気付いたリゼスは少しだけ嬉しく思いつつ、剣を握り締める。


「私は騎士だ。確かに実力も覚悟も足りないのかもしれない。……だけどそれでも、シーリ様が私を騎士だと言ってくれた」

 

 そうだ、騎士だ。こんな自分を騎士と認めてくれる人がいる。人々を守るために戦っていいと言ってくれた。


「だから、私は戦う。たとえどんなことを言われようと!」


 大地を蹴り、斬りかかる。ガヌトは鋭いその一撃を転がって躱す。と、その瞬間を狙ったように、足に風の魔力を纏ったシーリがハヤブサのように接近する。そして背中目掛けて剣が振り下ろす。


「くっ」


 咄嗟に戦斧で受けと止めようと腕をあげるが、それよりも早く、シーリの一撃は彼の手首から先を斬り落とす。真っ赤な鮮血と共に戦斧を握った右手首が転がる。


「――ぐぅぅぅぅぅッ!」


 ガヌトは痛みに大きく顔歪めながらすぐさま立ち上がって、二人から距離を取る。だが、そうさせてくれるほど二人は甘くない。

 まず、リゼスが後を追って右肩から先を一撃のもとに斬り落とす。そして、シーリはよろめく彼の左足を滑り込むように斬り落とす。


「――っ!」


 声にならない声をあげて、ガヌトは立っていられずその場に転倒する。だくだくと切り口から大量の鮮血が川のように流れ、あっという間に血の海が出来上がっていく。

 痛みに苦しみながら、ガヌトは左腕と右足を使ってどうにかして距離を取ろうと試みる。すでに致命傷で、あとは死を待つばかりであるが、生存本能が許さない。


「往生際が悪いですね」


 冷徹な声と共に、シーリは彼の右太ももへと剣を突き刺し地面へと磔にする。骨をも切り裂かれたそれに彼は劈くような悲鳴を上げる。リゼスは彼女の容赦ないそれに秘かに戦慄していた。

 だがすぐに、なぜ、シーリがそのような行動をとったのかすぐにわかることとなるだろう。


「あれだけ多くの人を殺していながら、いざ自分が死ぬとなったら逃げるとは」


 その声には強い悲しみと怒りの色が篭っていた。


「貴方たちは人喰いと同じだ。人を食いものとする獣だ」

「……はっ。それを言ったらお前らも変わらんな」

「なんだと」


 シーリの瞳が氷のように温度を失う。その迫力はすさまじい。だが、ガヌトも盗賊といえど歴戦の猛者であった。そんなもん怖くないと言うような風で噛みつくように言い放つ。


「ならば、俺が死んだ後、洞窟の中を見るといい。あれを見て、人々を守るためにというのであれば、お前らも俺たちと変わらないだろうなぁっ!」

「貴様!」


 シーリが怒りをあらわにしたその瞬間、ガヌトの胸に剣が突き立てられる。彼は一瞬大きく目を見開くと、すぐにその命を閉ざす。その顔は蔑むような笑みを浮かべ、その視線は剣突き刺したリゼスを半ば睨むように。


「リゼス……!」

「すみ、ません……騎士を、バカにされるのが……我慢、できなくて……っ」


 剣から手を放したリゼスはそっとあとずさり、項垂れる。弾かれるように振り向いたシーリは剣を鞘へとしまうと、そっとリゼスの体を抱きしめた。


「謝る必要はありません。貴女がやらずとも、私が同じことをしていました」


 シーリの瞳に影が差す。

 人を殺させてしまった。人を傷つけることに強い苦しみを感じる彼女に人を殺させてしまった。いずれはやってくるものではあっただろうが、それでも、もう少し騎士として慣れてから、だと考えていた。そうすることのできなかった自分のふがいなさに、シーリは静かに「苦しかったですよね」と口にする。

 リゼスは抱きしめられたまま、無言で頷く。その体が微かに震えていることに気付いたシーリはグッと口を引き結ぶ。


「しばらくその感覚は消えないと思います。私が初めての時は暫く震えが止まりませんでした」

「シーリ様も、ですか……?」

「ええ、意外でした? 私もそこら辺の人間と変わりませんからね。怖いものは怖いです」


 少し軽い調子でそう言えば、リゼスは顔を上げる。その表情は僅かに明るい。

 人を殺してしまった。ただ人を斬ってしまった時とは全く違う感覚。この感覚はきっと暫く消えない。いや、永遠に消えないのかもしれない。だが、シーリに抱きしめられている間、リゼスの苦しみが少し和らぐような気がした。


「シーリ様」

「どうしました?」

「任務から帰ったら……また、こうして抱きしめてください」


 リゼスの耳が真っ赤に染まっていく。とんでもないお願いをしていると自覚しているが、そうでもしないと任務に集中できなくなってしまう。

 そろそろと顔色を伺う。呆れられていると思っていたが、リゼスの予想に反してシーリは微笑を浮かべていた。それを真正面から見てしまったリゼスは、その美しさに思わず呆けてしまう。


「ええ、もちろん喜んで」








「……洞窟に行きますか?」


 ガヌトの死体を確認していたシーリに、リゼスは洞窟に目をやりながら聞いた。あれからそれなりの時間が経っているはずなのに、洞窟からは誰も出てこず、裏手に回ったクレンたちも戻ってこない。

 シーリは彼の手から何かを取ると、立ち上がる。


「そうですね。あの中がどうなっているのか調査しましょう。リゼス、これを付けておいてください」


 手渡されたものを受け取り確認すると、それは銀色のシンプルな指輪だった。


「これは?」

「毒消しの指輪です。洞窟の中に罠があるかもしれませんから」

「それなら、シーリ様がこれを使った方がいいのでは」

「大丈夫です。私も同じ効果の物を持っていますから」


 そう言って籠手を外して指にはめているそれを見せてくれる。リゼスと同じようなシンプルなものだ。


「毒が一番厄介ですからね。対策は常にとっています。まぁ、そう言った効果のある物は高価なのでなかなか難しいところではありますが」


 だから、幸運ですね、と付け加えたシーリは洞窟へと向かう。リゼスは指輪を付けると、小走りで彼女の後を追った。



 洞窟へ入る手前、リゼスはなにかを感じてすんと鼻を鳴らした。その行動に気付いたシーリが振り向く。


「リゼス? どうかしました?」

「いや、なんか……嫌な臭いがしたと言いますか……」


 うっすらとしか分からなかったリゼスは、神経を集中させそのニオイの正体を探る。濃い鉄のようなニオイに混じるように嗅いだことのない。近い表現をするならば甘いお香のようなニオイだった。思ったままを伝えれば、シーリの表情がみるみるうちに険しくなっていく。


「……そうですか」


 洞窟の奥を見ながらシーリは静かに言う。


「リゼス、ここで待っていても構いませんよ」

「え?」


 リゼスは目を瞬かせる。そして、すぐに彼女が自分のことを気遣っていると考え、首を横に振る。


「平気です。シーリ様が近くにいてくれれば、大丈夫ですから」


 そう、彼女がいれば多分、何が起こっても平気だ。そんな確信にも似たものを感じる。シーリは少し心配そうではあったが、フッと瞳を細め頷く。


「わかりました。では行きましょう」



 二人は洞窟へと足を踏み入れる。思ったより中は広く暗闇で光る鉱石が設置されているためか、辺りを確認できるぐらいには明るい。奥に進めば進むほど、初めに嗅いだニオイがどんどん強くなっていく。リゼスは、きょろきょろと辺りを警戒しながら、シーリの後に続く。


「大丈夫ですか?」

「はい」


 慎重にもう暫く歩くと、開けた場所へと出る。前を歩いていたシーリが立ち止まり、小さく息を呑む。


「……これは」


 シーリの背中から顔を出したリゼスは――目の前の光景に言葉を失った。


 そこには、多くの人間が倒れていた……否、死んでいた。


 埃臭ささに混ざって鉄のニオイと甘いお香のようなニオイが鼻を突く。吐き気を催すほどに邪悪なニオイだった。


「なに……これ……」


 鉄のニオイの正体が、人間の血のニオイだと気付いた瞬間、リゼスの心臓がドクリと波打った。

 

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