第18話 人を守るもの



 むせ返るほどの血の海が広がっていた。


 盗賊と思われる人間、鎧を着た見覚えのある人間。その誰もが、血の海となった地面に臥せってピクリとも動かない。誰がどう見ても生きていないとわかる。

 その光景は、リゼスの脳裏に幼き日の思い出させる。ゾクリと背筋に嫌な寒さが走り抜け、胸の傷跡がジクリと痛む。心臓の鼓動が僅かに早まっていく。


「なんてことを……っ」


 シーリが歯を食いしばる。握り締めた拳は怒りに震えていた。気付いたリゼスがハッと目を開く。


「シーリ様、これは……」

「毒霧です……拠点を攻める際に使う魔法の一種です」


 そう言ったシーリの瞳には強い怒りの色が浮かんでいる。リゼスはその剣幕にキュッと口をつぐむ。


「盗賊が、使ったということですか……?」

「違う。このニオイは騎士団で使用している物です。この独特なニオイは間違いない」

「え、じゃあ……」


 嫌な考えに戦慄する。嘘だと思いたかったが、シーリの鋭い気迫が答え合わせであった。


「なんて、なんておぞましいことを……っ」


 ギリリと歯ぎしりしながら、シーリは血の海へと近づく。そして、騎士たち一人一人の生死を確認していく。そして、わかりきっていたが、誰も生きていないことを確認すると、一度深く息を吐いてからゆっくりと振り向いた。

 その表情は悲しみに大きく歪んでいた。今にも泣きそうなそれに、リゼスは気付けばシーリの手を握っていた。


「シーリ様」

「申し訳ありません。私の方がダメでしたね」


 力なく笑うシーリに、リゼスが握る手に力を込めたその時――


「なんでここにいるんだ。お前たちは外の見張りだろう」


 背後から声がかかる。二人が振り向くとそこには、クレンと班員の男たちが立っていた。シーリの瞳に一層の鋭さが浮かぶ。


 そして、ゆっくりと口を開く。


「これは……貴方たちがやったのですか」

「これは? とはなんだ」


 おどけたような口調でクレンが聞き返す。仲間の死体を前にそんな態度を取る彼らに、リゼスは眉間に皺を寄せ睨む。


「ふざけないでください。毒霧を使いましたね? それも、仲間がいる場所で! それは、禁止されているはずです!」


 厳しい口調でそう言えば、クレンたちは顔を見合わせる。


「何言ってるんだ。確かに毒霧は使ったが、俺たちはちゃーんと安全確認をしたうえで使ったんだがなぁ」

「使うことを彼らは知っていたのですか」

「さぁ? おい、誰か伝えたか?」


 クレンがほかの騎士に顔を向ける。彼らは顔を見合わせ首を横に振る。その態度に、リゼスは今にも飛び掛かりそうなほどの顔つきで彼らを睨んだ。


「貴方たちは、騎士としての自覚がないのですか!」

「おっ、珍しく騎士団長の娘様が怒ってんな。なんだよ、連係ミスで死ぬなんてしょっちゅうあるだろ」


 両手を広げクレンが言えば、騎士たちはクスクスと笑い声を零す。


「最近の騎士はみーんな、報酬目当てで勝手な行動ばっかり、俺も難儀しているんだよ。団長の娘様と違って人望がまだないもんでね」


 ははは、と笑うクレン。リゼスは腰の剣に手をかける。

 こいつらは騎士ではない。なぜこいつらは仲間が死んでいるのにそうやって笑っていられるのか。リゼスは湧き上がる怒りを抑えるのに必死だった。でなければ、怒りに任せて目の前の男たちに剣を突き刺していただろう。

 シーリはチラリとリゼスを一瞥すると、クレンたちへ非難の視線を向ける。


「なんだ? ここで俺を断罪するか? だけど、お前にそんな権限はないだろ? なんたって、この任務の隊長は俺だからな」


 ふんと凄むように言った彼は言葉を続ける。


「隊長命令だ――シーリ、リゼスを連れて帰れ」

「なっ! あんたはは何を言って――」


 剣を握り締めるリゼスの肩を掴み制する。リゼスが咄嗟に顔を向ければ、シーリの顔はゾッとするほどに無表情だった。


「わかりました。では、先に失礼します」

「おぉ、ご苦労さん。ああそうだ、外で死んでるガヌト・コンレスの死体は俺たちが持ち帰るから」


 サッと踵を返し、リゼスの手を引くシーリの背中にクレンは声をかける。その声に、シーリは何も答えずにその場を後にするのだった。


 無言の帰り道。リゼスはシーリに手を引かれながら、声をかけることもできなかった。









「シーリ様……」


 自室に到着するなり、シーリはその場に立ち止まる。リゼスは心配になりその背中に声をかける。が、彼女は微動だにせずジッと佇んでいた。

 繋がれた手が微かに震えている。リゼスは口を開きかけては閉じるを繰り返していた。


「失望しましたか」

「え?」

「騎士なんてこんなもんですよ」

「シーリ様……」


 吐き捨てるように言ったシーリ。リゼスは握られた手に視線を落とす。


「団長に話しましょう。あれは酷すぎる! 許してはおけません!」

「……話したところで変わりませんよ」


 その声には諦めが滲んでいる。


「だって、団長なら……」

「ええ、お父様はそんなこと絶対に許しません。ですが、できないんですよ」


 やっと振り向いたシーリ。その顔は、先ほど見たものと同様にゾッとするほど無表情だった。


「この騎士団には隊長となれるほどの素質を持った人が少ないんです。一人減るだけで支障が出てしまうほどに」

「だから、言ったところでなにもならないということですか」

「そうです。あんな人でも人々を守るために必要なんですよ。ガッカリですよね、貴女の憧れる騎士はここにいないのですから」


 力なく笑う彼女。リゼスはそっと空いた手を伸ばして抱きしめる。


「いますよ。私の憧れは貴女です」

「……」


 額を合わせ至近距離からシーリの瞳を覗き込む。


「貴女は誰よりも強く、誰よりも人を守りたいと戦う。そんな貴女は私が想像する理想の騎士そのものです。そんな貴女だからこそ、私は自分の心臓を貴女に預けた」


 噛みしめるように言葉を紡ぎ続ける。


「正直に話すとシーリ様に聞いて少しがっかりしたところはあります。でも、それでも貴女がいればこの騎士団はよくなる。どこまでできるかわかりませんが、私もお手伝いします」

「……リゼス、ありがとう」


 ふわりと花開くような笑み。リゼスも釣られるように二っと白い歯を見せた。





「そうだリゼス」


 机に向かって報告書を作成していたシーリは思い出したように振り向いた。紅茶の準備をしようとしていたリゼスは「どうかしましたか?」と首をかしげた。


「ちょっとこっちに来てくれますか?」

「? いいですけど」


 近くに寄る。と、シーリはフッと微笑み――リゼスの手を引いて自分の膝の上に座らせた。


「えっ、ちょ、シーリ様っ!? な、なにをして……っ」


 そのまま腰に腕を回され、リゼスはシーリに抱きかかえられるような状態となる。突然のことにリゼスは抜け出そうとするが、そうするよりも早く、シーリの唇が耳元に寄せられ「動かないで」と牽制されてしまう。

 その声があまりにも魅惑的過ぎて、ゾクリとした何かが全身を走り抜けていく。


「リゼス、このままでいてください」

「うう……っ、ど、どうして突然……」

「任務の時、帰ったら貴女を抱きしめると約束しましたから」


 ギュッと強く抱きしめながら、シーリは耳元で話す。その声にいちいち体が反応してしまう。


「あ、あのシーリ様」

「なんですか?」

「その、耳元で、話すのは……少し、くすぐったいです……」


 そう言ってうつむいたリゼスの耳は真っ赤である。シーリは笑みを深めると、その首筋に顔をうずめる。


「シーリ様ッ」

「ふっ」

「い、息も吹きかけないでくださいっ」


 身を固くして耐えるリゼス。シーリはなんだか楽しくなってしまい、そのまま彼女が気絶寸前に追い込まれるまで耳元で他愛もない話を続けるのだった。







 任務を終えてから数日後。

 結局、クレンは騎士たちが死んだことは連係ミスによる事故ということで報告したようだった。シーリは無駄だとは言っていたが、団長には報告はしたそうだ。と、言ってもやはり連係ミスのため、お咎めなしで終わってしまったとのこと。


「はぁ……」


 悔しい思いを抱えつつリゼスは一人、ぼんやりと訓練場で剣を握ったまま何をするでもなくただ立っていた。

 いったいどうすれば、この騎士団はよくなるのだろうか。シーリに聞いたところ、数年前はもっと多くの騎士たちがおり、連係ミスなんていう事故が起こることはなかったそうだ。


「やっぱり、騎士が増えるのが一番なのかな」


 騎士が多く入れば、それだけ優秀な人も増えるはずだ。そうすれば、きっと今の状態を改善できるはずだ。そこまで考えてリゼスは諦めるように首を振った。

 騎士として大成したければきっと、ここよりももっと大きな騎士団に人はいくだろう。

 考えれば考えるほど、マイナス方面へと向いてしまう。リゼスははぁと大息を吐く。


「おい、なんでお前がこんなところにいるんだよ」


 剣を軽く持ち上げたりをしていると、背後から声がかかる。振り向くと、そこには三人の青年騎士が腕を組んでリゼスを睨みつけていた。

 ああ、嫌な予感がする。最近は常に隣にシーリがいたので睨まれはするも声をかけてくる騎士はいなかった。ただたまたま急用が入ってシーリがいないのを見かけてわざわざ声をかけてきたのだろう。


「騎士になったので訓練に」


 できるだけ簡潔に答えれば騎士たちはあからさまにムッとした表情を浮かべる。


「お前、騎士になったからってちょっといい気になってないか? お前みたいなやつが俺たちと同格だと思うなよ」

「ったく、団長もシーリさんもなんでこんな奴を騎士なんかにしたのか」

「なぁお前さ、なんで騎士になったわけ? 爆弾持ちのくせによ」


 侮蔑の色を向けながら、青年騎士の一人が問う。リゼスは平然とした様子で何も答えない。その態度に騎士たちはそろって顔を顰める。

 雑用係の時であれば彼らは戦ってくれているのだからと自分に言い聞かせることができたが、騎士という立場になれたからには言いなりにはなりたくなかった。だが、問題を起こせばシーリに迷惑が掛かってしまう。


「……失礼します」


 どうせ、訓練のやる気がうまく起きなかった。書類庫にでも行って人喰いの知識の勉強でもしようと思い、立ち去ろうとすると、その道を騎士たちが塞ぐ。

 なんだか、最近同じようなことされたなと思いつつ騎士たちを見る。


「おいおい、まだ話が終わってないだろ」

「そうだなっ」


 騎士の一人が足を振り上げる。つま先がリゼスの腹部に直撃。鋭い痛みが体を走り抜け、吐き気がやってくる。


「――っ!」


 何とか口元を抑え、耐えながら後ずさる。と、騎士たちは楽しそうに大口を開けて笑った。


「っぶ、はははは! なんだよ、こんなのも躱せねぇのかよ」

「さっすがは爆弾持ち。騎士なんかになってねぇで大人しく雑用係でいればいいものを」


 ズキズキと腹部が痛む。


「なぁ? いいこと思いついたぜ」


 一人の騎士が訓練用の剣を手に取る。と、ほかの二人は何をしようとしているのか勘付いたようだ。ニヤリと笑みを向ける。リゼスも嫌な予感がしていた。そしてそれは見事的中するようで――


「おい爆弾持ち。今から俺たちが訓練を付けてやるよ。感謝しろよ」


 全員が武器を構える。リゼスはまずいと、咄嗟に武器を構えようとするが、一人の騎士が懐から小石を取り出しリゼスの目に当てる。


「ぐっ」


 見事命中したそれはリゼスの視界を一瞬奪う。その次の瞬間、騎士たちはいっせいに彼女へと襲い掛かった。









「あれ、リゼスと一緒じゃないの?」


 シーリが廊下を歩いていると、たまたま彼女を見かけたリノは声をかけた。神妙な顔つきだったシーリは顔を向けると「ええ」と言葉を続けた。


「少し団長のところに行っていたので、リゼスは訓練場にいると思いますよ」

「団長のところ?」

「ええ、実は先日の任務で事故がありまして」


 その言葉でリノは誰のことか察したようで顔を顰め「ああ、アイツね」と言った。


「ほんとっ、早く追い出してくれないかしらね」

「ですが、きっと下手に追い出しても……」


 そこでシーリは言い淀む。言葉に出すのもはばかれるそれに、リノも思い切り顔を顰めその名前を口に出すことはしない。


「まぁ確かに、あそこに行かれたらマズいわね」

「はい」

「ねぇ、もしかしてなんだけど……あの時、貴女を襲った連中を引き連れた男って」

「わかりません。ただ、怪しいとは思っています。私のことが邪魔だと言っていましたし」


 もし想像している組織であれば、いずれはリゼスの話さなければいけないだろう。そしたらきっと、もっと騎士という存在にがっかりするかもしれない。


「まだ、リゼスには話してないのね」

「ええ、今回の任務で、この騎士団の状態を改めて確認してしまいましたからね……あれについてはもう少し黙っていようと思います」

「ふぅん。でも、あの子は強い子よ。もし話すなら早めの方がいいわ。あの子ももう、他人事ではないでしょうしね」


 シーリは重々しく頷く。

 高い技術を見れらている。加えて、あの男はリゼスが変身したところを見ている。おそらく早めに殺しておくか自分たちの方へと引き込もうとしてくるだろう。


「わかっています」


 シーリは深いため息をつく。


「あら、溜息なんて珍しい。それだけ、クレンの任務が嫌だったのね」

「……もっと違うものにしておけばと後悔しています。せっかく、リゼスに早く騎士になれてもらって手っ取り早く戦果を挙げてもらおうと思ったのに」


 ムッと口を尖らせるシーリの珍しい態度にリノはカラカラと笑う。


「なら、今度ある私の任務に着いて来てよ」

「どういったものです?」

「盗賊の拠点捜索。といってももう見つけてあるやつでね。貴女たちには一番おいしい斬りこみを任せたいんだけど」


 ニヤリと笑うリノに、シーリは軽く目を見開き。


「いいですね。ぜひ、参加させてください」


 フッと笑った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る