第19話 ぼろぼろになっても


「おらよっ!」


 勇ましい掛け声とともに振り下ろされた剣を何とかスレスレで躱す。そして、続くように襲い掛かる二人の騎士からの猛攻を後ずさるように避けたリゼス。そんな彼女の体はいくつもの打撲痕が刻まれ、頭からは一筋の血が流れていた。

 どうにか呼吸を整え、騎士たちの動きに警戒する。最初の不意打ちでもらった脇腹の一撃がズキズキと痛む。服をめくればきっととんでもない色の痣ができているだろう。


「はっ、やっぱり騎士になったって言っても所詮は雑用上がりだな。てんで基礎がなってねぇ」

「ほんとだな。そんなんじゃ盗賊だって殺せねぇよ」


 がははとバカにしたように笑う彼らに、リゼスはただ剣を強く握りしめていた。

 確かに彼らの言う通りだ。最初の不意打ちは予想代ではあったが、どうせ雑用係の時のように、ある程度手を抜いて攻撃されるから大丈夫だろうと思っていたために遠慮なく撃ち込まれる一撃を躱さなかった。その結果、痛みで思うように動けず、その後の攻撃を躱すのに精一杯だった。

 一つの油断が命取りとなる。それは、剣を教えてくれた師匠から耳にタコができるほどに言われていた。それなのに、そんなことを失念してしまうとは。


 これじゃあ、師匠に会った時に叱られるなと考えながら、リゼスはどうしたものかと考える。

 相手は三人。普段からつるんでいるからか、連係攻撃はかなり鋭く、躱すのも一苦労だ。さすがは、騎士様と言うべきなのか。リゼスは左足のかかとを軽く上げていつでも動ける体制を整えた。

 静かに深呼吸を繰り返す。そうすれば、体を走り抜けていたズキズキと突き刺すような痛みはゆっくりとではあるが引いていく。数度深呼吸をすればその痛みは完全になくなっていた。


 動かないリゼスを恐怖に委縮していると勘違いしたのか、騎士たちはニヤリと笑う。


「へへっ、ほんと大したことないな爆弾持ち」

「ああ、そんなんじゃあ俺たちに迷惑をかけるだけだ。とっととやめちまえよ!」


 三人の騎士が一斉に斬りかかる。リゼスはまず、一番早かった上段からの振り下ろしへとあえて突っ込む。そして、軽く膝を折ってかいくぐると、そのままその騎士の下あごへと剣の柄でアッパーを繰り出す。


「ぐぁっ!?」


 脳震盪を起こすには十分すぎる勢いに、白目をむいた騎士の体が大きくのけ反る。リゼスは二人の騎士が同時に放った薙ぎ払い攻撃を飛んで躱す。


「なっ!?」

「ウソだろ!?」


 二人が驚愕の声を漏らす。リゼスは近くに着地すると同時にかかとで地面を削るように方向転換する。そして、右側に立っていた騎士の腹部へと剣の柄を軽く突き刺す。


「ぐえっ」


 潰れたカエルのようなうめき声を漏らし、男が地面に倒れる。リゼスはそれを一瞥すると、呆気に取られている騎士へと接近、先ほどの騎士と同じように剣の柄を腹部へと突き刺す。その衝撃に騎士は口から透明な液体を吐き出すと、激しく咳き込みながら両膝をつく。


「ゴホッゴホッ……てめぇ……!」


 上目に睨む騎士をリゼスは冷たく見下ろす。

 本当に最近がっかりすることばかりだ。せっかく、憧れの人の近くで騎士となることを許されたのに、周りがこんな奴らばかりだと思うと気が滅入ってしまう。

 

――殺すか。


 そんな考えが、不意に頭をよぎる。リゼスはその考えに同意するように剣を振り上げる。が、すぐにハッとしたように剣を下げると、サッと踵を返す。


「では、失礼します」

「――なっ、おい! 待て! 俺たちにこんなことしてただで済むと思うなよ!」


 背中にそんな怒号を聞きながら、リゼスは足早に訓練場を後にした。






「リゼス? 訓練場にいたのでは?」


 廊下を歩いていると、向かいからシーリがやってくる。彼女はリゼスに気付くなり首をかしげる。


「シーリ様……いえ、人がたくさんいたので今日はやめておこうかなと思いまして……」

「そうでしたか」


 そう答えたシーリが鎧を身に纏っていることに気付いたリぜスは不思議そうに問う。


「任務に行くのですか?」

「いえ、違いますよ。リゼス、いま時間は大丈夫ですか?」

「ええ、特にやることはないので」

「そうでしたか。なら、秘密の訓練場に行きましょうか」

「え? ひ、秘密の訓練場ですか?」


 突然そんなことを言われ、リゼスは目を瞬かせる。秘密の訓練場なんて、聞いたことがなかったからだ。

 にこりと笑うシーリは、リゼスの手を引いて歩き出す。その表情がほんの少しだけ苦しそうに気づいたリゼスは彼女の手をそっと握り返す。


「秘密、といってもヴァレニアス家だけが使うと言うだけですけどね」

「そんなところに、私が行ってもいいんですか?」

「ええ、リゼスは特別です」


 歩きながらそう答えたシーリの口調は硬い。


「……いい機会ですから、人狼の力の実験をしようと思います」

「……っ! そ、そうですか」


 だから、人目に付かない場所に行くのか。リゼスは納得する。


「私の支配下でどこまで動けるか。……嫌でしょうけどね」


 困り笑いを浮かべる彼女にリゼスは何も言わなかった。






 秘密の訓練場。そこは、騎士団の地下にあった。

 普段は施錠されている扉の奥にある階段を降り、長い廊下を歩いたその先にソレはあった。

 見た目は普通の訓練場で、汚れ一つない。だが、他とは違ってシンと冷たい空気が充満している。それがなんとなく、濃密な魔力ではないかと思ったリゼスはごくりと息を呑んだ。ここまで濃い魔力を感じ取ったのは初めてだったからだ。

 どうしてこんなに魔力が、と思っていると、シーリはその考えを読んだように口を開く。


「ここの空間にはかつて騎士団ができた時に、泉の魔女と呼ばれる魔法使いが作った物だそうです。あまりにも強い彼女の魔力は長い時が経っても魔力は衰えることなく、むしろより高まっている影響らしいですよ」

「すごいですね……」


 おもむろに壁に触れてみる。触れた指先が凍り付きそうなほど冷たい。でも、どこか暖かさせ感じさせるそれは紛れもなく魔力であった。

 リゼスは感嘆の息を漏らす。通常、魔力というのはやがて消えてしまうものだ。確かに物質に染みこんでしまうことはあるだろうが、ソレはもう魔力とは呼ばずただの汚れだ。が、目の前のそれは違う。深く素材と結びつきその素材すら魔道具のようなものへと変えているのだ。

 掃除が入ったような形跡がないのに綺麗な理由はおそらく、充満している魔力がすべてを侵食して自分の一部へと置き換えているからだろう。魔力の便利さに思わず舌を巻いてしまう。


「育ての魔法使いに聞いたことがあるんです。あまりにも強い魔力は周囲や物質を侵食して取り込むと。魔法使いはそうやって魔道具などを作ると言っていました。ここも似たようなものなのでしょうか」


 そう言ってシーリへと視線を向けたその時――


「ああ、そうだ。ここは泉の底と呼ばれる魔道具の中だ」

「えっ」

「お父様……」


 顔を向けるとそこには、鎧を着たライズが立っていた。彼は口元に笑みを浮かべたまま、シーリを見る。リゼスはどうして彼がここにという視線で二人を交互に見やる。


「お父様、急に呼び出して申し訳ありません」

「いや、気にするな。俺も、リゼスの力は早めに確認しようと思っていたからな」


 そう言った彼はリゼスへと顔を向ける。肉食獣のような鋭い視線にリゼスはドキリとする。


「リゼス、これから貴女には人狼になってもらいます。内容としては、人狼となった時に暴走してしまわないか、私の指示に従うことができるかの二つを確認します」


 リゼスの体が強張る。確かにいつかこの日が来るとは思っていたが、思ったよりもずっと早いそれに緊張してしまうのも無理はない。

 人狼になったらどうなってしまうのか。もしかしたら理性を失って本当に暴走してしまうかもしれない。そう考えてライズがここにいる理由を理解する。何かあった時に自分を殺すために彼はここにいるのだと。

 たとえ、暴走したとしてもシーリ以外の人間に殺される気はなくとも、ドクリと心臓が跳ねる。掌にジワリと汗がにじむ。


「リゼス、これは必要なことだ。お前が戦場でその力を使った時に敵どもじゃなく、仲間や人々を殺してしまったら嫌だろう?」


 言い聞かせるようにゆっくりと穏やかな口調で彼は話す。頭で彼の言うう通りだと、わかってはいる。だがそれでも、やはり恐怖と不安は尽きない。


「リゼス」

「シーリ、さま……」

「何かあっても私がどうにかします。だから、私を信じてください」


 その言葉は力強い。この人の言葉ならば信じる。この人ならばきっと大丈夫。そんな勇気を与えてくれる。リゼスは大きく深呼吸を繰り返し、


「――やります」


 と頷いた。






 訓練場の中央に立ったリゼス。その手にはエメラルド色に輝くペンダントが握り締められている。その少し離れた正面には二人が立っている。


「リゼス、暴れたかったら思い切り暴れてもいい。この訓練場は、たとえエメラルド級の人喰いが大暴れしたところで壊れるほどやわな場所ではないからな」


 ライズは勇気づけるようにそう言ってくれるが、リゼスの心は全く晴れない。暴れたらよくて瀕死、悪ければ殺されるではないかと考えているからだ。


「リゼス。準備は大丈夫ですか?」


 大きく息を吸う。心臓がトクリトクリと規則正しい音を立てている。


「はい。大丈夫です」


 シーリはゆっくりと頷き、


「――リゼス、人狼となり私に従いなさい」


 その魔法を発動させた。


 ドクリと胸に刻まれた印が赤く光る。リゼスは手に握り締めたペンダントを強く握りしめると、まるで、操り人形が糸で操られるかの如く、腕をあげて、何の躊躇もなくそれを自分の胸へと突き立てた。


「ぐっ」

 

 鋭い痛みが一瞬、心臓に走り抜ける。

 次の瞬間、リゼスは人間とは思えない咆哮を上げる。凄まじい風が彼女を起点に吹き荒れ、訓練場の地面に爪で抉ったような傷を刻む。が、その傷は訓練場に満ちた魔力によって一瞬で何もなかったように修復される。


「グゥッゥゥウウウウオオオオオオオオオオオッ!」


 その獣のような声に、シーリは苦し気に顔を顰める。ライズはその表情を横目で見ながら、いつでも飛び出せるように臨戦態勢を取る。


「初めての時もあんな感じか」

「はい。倒れていた盗賊はあの風でバラバラに切り刻まれました。不用意に近づけば私の鎧でも防ぐのは難しいと思います」

「そうか……そろそろ変身が終わるか」


 風がゆっくりと収まっていく。


 そこに立っていたのは一人の少女ではない。


 一体の人狼だ。


『グルルルゥゥゥゥゥ』


 ゆらりと尻尾を揺らした人狼はギロリとサファイアのように輝きを放つ瞳を二人へと向ける。その迫力にライズは「ほぉ」と息を漏らす。


「これが、人狼か……確かにパッと見ただけじゃあ、サファイア級の人喰いだと思うな。……よし、シーリ、試しにアイツに俺を攻撃するように命令してみろ」

「えっ!?」


 シーリが驚くのをよそに、ライズは静かに人狼を見据える。


「アイツ、理性があるんだよ。お前の命令を待っている」


 そう言われ、シーリが人狼を見る。そうすれば、サファイア色の瞳ジッとシーリを見つめている。宝石のような輝きを放つそこから感情は読み取れないはずなのに、シーリは確かに彼女が自分の命令を待っていると理解する。


「リゼス!」

『――!』


 ピンと立った人狼の耳が大きく反応する。シーリは息を吐きながら言葉に魔力を込める。


「ライズ・ヴァレニアスを攻撃しなさい!」


 命令が下された。


『――グォォォォオオオオオオオオオオッ!』


 まるで、楔が解き離れたかのように、人狼はすさまじい速度でライズ目掛けて突っ込む。


「はっ、こりゃあ歯ごたえがありそうだなっ!」


 獰猛な肉食獣のように口を歪め笑う彼は、背中に担いだ大剣を抜いて駆けだす。


 お互いが振るった爪と大剣が激しく衝突し突風と火花が舞う。

 ライズは軽く力を抜いて大剣を引くと同時に一歩踏み出し、人狼の腹を真っ二つにせんと大剣を横なぎに払う。人狼はそれを飛んで躱すとそのまま彼の頭部目掛けて踵落としを放つ。


「おっと」


 片足で背後へと飛んで躱す。対象を捉えられなかったその一撃は地面を砕いてこぶし大の破片が彼目掛けて飛んでくる。大剣を盾のように構えてそれらを防ぐ。


『グォォォォォンッ!』


 人狼が駆け出しライズへと接近する。両手を大きく振り上げクロスするように彼へと振り下ろす。当然大剣で受け止めるが、その衝撃は凄まじく踵で地面を削りながら彼の体は大きく後退する。

 ジンジンと衝撃でしびれる腕を見ながら、彼はその口元にニヤリと笑みを浮かべる。そんな彼の視線の先の地面には小さな緑色の魔力がちらついている。


「最高だ。このパワー、とんでもない奴だ」

『……』

「っふ、追撃してこないか。本当に厄介な奴だ。俺が仕掛けた魔法を見破ったか。そのまま突っ込んできたら風の鎖で縛りつけてやったところを」


 そう言った彼は実に楽しそうである。シーリは二人の戦いをハラハラとしながら見守る。万が一が起こっても、誰よりも強い彼が負けるとは思っていない。怖いのは彼女が殺されてしまうかもしれないという未来にである。

 彼女を殺すのは自分の役目だ。もし、彼が殺すような飛び込んで阻止するつもりだ。


「リゼス、お願いですから暴走だけはしないでください」


 ただ静かに、シーリはそう願いながら、凄まじいほどの戦闘を見守るのだった。

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