第20話 これはズルじゃない


「おらぁっ!」


 ライズの大ぶりの大剣が人狼へと迫る。人狼は爪で逸らすようにそれを防ぐと、彼へと突っ込みその咢を開いて噛みつかんとする。人間など容易く切り裂く牙が迫る。それを、彼はバク転で躱す。


『グルルゥ……!』

「ふっ、なかなかやるな」


 人狼は歯茎を見せ小さく唸り声を上げる。今にも飛び掛かっていきそうだったが――


『グルァァァッ!?』

「なんだ」


 突然、人狼がその場に膝をつく。すると、その体から蒸気のように煙が噴き出す。ライズは一瞬、爆発でもするのかと身構えるがどうやらそうではないようだ。


「……時間切れというやつだな」


 彼がそう呟いて大剣を下ろすとほぼ同時に、煙が晴れる。と、そこには心臓を抑え荒い呼吸をするリゼスが座り込んでいた。


「はぁ……はぁ……っ」

「リゼス!」


 リゼスの姿を認めるや、シーリは彼女の元へと駆け寄る。


「シーリ、さま……」

「リゼスッ大丈夫ですか!?」


 グッと強く胸を抑えるリゼスの手を見ながら、シーリはその顔に強い動揺を浮かべ、そっと、彼女の手に自分の手を添える。その手の握る強さにリゼスは安心させるように力なく微笑を浮かべると「大丈夫です」と答えた。

 その弱々しい声に、シーリはグッと口を引き結ぶ。


「人狼の力はかなり消耗するようだな」

「団長……」


 ゆるゆるとリゼスは顔を上げ、ライズを仰ぎ見る。心臓が激しく鼓動を打ち、骨の髄を叩くような痛みが全身に響き、酷い倦怠感が体を包んでいる。気を抜けばそのまま気を失ってしまいそうだった。

 

「……話すのは後にして、少し休憩をした方がよさそうだな」


 そう言って彼はクルリと二人に背を向ける。


「1時間後、またここに来る。リゼスはここでしっかり休むように」

「……わかり、ました」


 そう小さく返事をするので精一杯だった。ライズはそれには何も言わずそのまま訓練場を後にする。


「リゼス」


 気遣うような優しい声で名前を呼んだシーリはリゼスの手を強く握りしめる。そうすると、全身に駆け巡る痛みが徐々にではあるが薄れていくような気がしたリゼスは倒れ込むように、彼女の体に自分の体をうずめた。

 申し訳なさはあったが、どこまでも心地よかった。

 

「すみません、暫く……こうさせてください」


 シーリの香りが鼻腔を埋め尽くす。それだけで、ドクドクと激しく脈打つ心臓が落ち着きを取り戻していく。その心地よさに身を預けながら、リゼスはぽつぽつと話し始めた。


「シーリ様の声、聞こえてました。でも、自分の意志で動くことは全くできませんでした」


 彼女の声は確かに聞こえていた。が、どんなに自分で動こうとしてもまるで重たい水の中に放り込まれてしまったかのように動くことはできず、ただただ目の前に映る景色を映像のように見ていることしかできなかった。

 

「やはり……あの力は恐ろしいです……」


 凄まじい力。ライズが相手だったから何とかなったものの、あれがそこいらの騎士だった場合、あの人狼はたいして苦戦することなく殺してしまうことだろう。その力は確かに人喰いと戦う上で戦力となるであろう。だが、それはやはり制御できてなければ話にもならない。


「でも、よくわかったんです。人喰いをこの世から残らずぶっ殺すには……やはり、あの力は必要です」


 人間だけの力ではいずれ限界がやってくるだろう。それは、幼き日に見せつけられた圧倒的な光景と、騎士たちの日々を見ていれば自然とその考えは持ってしまう。


 静かに話を聞いていたシーリは重々しく頷く。それが答えだった。シーリも同じ考えを抱いているということの。


「そうですね」


 そう言ったシーリの表情は硬い。こんな力、使ってほしくないと強く思う。なのに、彼女はあの力が必要だと誰よりも理解してしまったのだ。

 ライズはかつては王国で騎士を務めており、そこで多くの人喰いを屠った人物でその実力は王国最強の一人とも言われている。たとえ彼が手加減していたとはいえ、あそこまで戦えれば戦場では十分すぎるほどの戦力として数えることができるだろう。

 だからこそ、シーリの胸が痛む。人間として戦いたいであろう彼女にこれから、その力を使って戦うことを命じなければいけないのだから。


 ――私が彼女をこの世界へと引きずり込んでしまった。

 シーリの胸に浮かぶ罪悪感。あのまま、雑用係でいたら考えてしまう。そうすれば、少なくとも彼女の力が発現することはなかったのではないのだろうかと。


「シーリ様」


 ぐるぐるとした考えにシーリが口を引き結んでいると、リゼスが顔を上げる。その顔は酷く強張っていたが、その瞳に強い意志を感じ取ったシーリは目を見開く。


「必ず、あの力を使いこなせるようにしてみせます。だから、私の手をずっと握っていてください。私の名前をずっと呼んでください」


 あの声が聞こえていれば、彼女の温度さえわかればきっと化け物へとなり果てることはないはずだ。根拠はないが確信はあった。


「リゼス。私は絶対に手を放しません。何度でも貴女の名前を呼び続けます」


 ふわりと笑みを浮かべる彼女にリゼスは安堵の色で彼女を見つめた。






 一時間後、ライズが戻ってくる。休んでいたリゼスは気付くなり、シーリから離れ背筋を伸ばして彼を見た。その顔色はいくらか改善しており、グレー色の瞳にも力が宿っている。


「体はどうだ?」

「少し休んだおかげでかなり良くなりました」

「そうか」


 じろりとライズの鋭い視線がリゼスの足から頭を見る。まるで、肉食獣でも前にしているかのような迫力は何度見ても慣れることはなさそうだ。


「少し戦ってみた感想だが、人喰いでいうならば魔法を使えないルビーと同等というところだろう。身体能力に加えてパワーはかなり高い。サファイアならば集団が相手でもなんら問題なく戦えるだろう。だが、持久力はそこまでなさそうだな。もう一度、人狼になれと言われたら、今なれるか?」


 そう訊かれ、リゼスは自分の胸に手を当てる。心臓の痛みは治まっているが……


「多分、もうしばらく休まないとできないと思います」

「そうか」


 ライズはスッと目を細める。


「……とりあえず、戦闘能力は把握した。シーリ、人狼の力はしっかりとその力を確認したうえで使うように。まぁ、シーリにならばこんなことを言わなくともわかるだろうがな」


 そう彼はフッと表情を崩す。とりあえず、使える力と判断されたようだ。リゼスは不安げながらも僅かに安どの色を祖顔に浮かべた。


「シーリ、確か次の任務に行く予定といっていたな」

「はい」

「そうか、気を付けていけよ。まぁ、お前ら二人とリノなら全く問題はなさそうだが」


 かかかと笑った彼に、二人は苦笑を浮かべた。





「じゃあ、説明したことの確認をするわ」


 数日後の任務当日。隊長であるリノはメンバーである数名の騎士たちに今回の説明をしていた。そして、少し遅れてリゼスとシーリの二人もやってくる。


「内容は前に言った通り、盗賊の根城の調査。……ということになっているけれど、そのあたりはもうすでに私の部下が済ませているわ。今回の目的は盗賊の討伐よ」


 自信たっぷりに彼女は騎士たちに告げる。その大半がリノを慕っており実力の高い者たちだ。それ故だろう、全体的な人数は少なくも、前回のクレンの時のように浮ついた空気は一切なく、士気はかなり高そうである。


「調べた情報によると、廃村が拠点にされているみたいね。といっても住むのに使える民家はほとんど残ってないみたいで、現状住むことが可能と思われる三つ。そこを襲撃するわ」


 そう言いながら廃村の全体図が書かれたそれに、リノは三つの赤丸を書き加えていく。


「手前の二つの家にはおそらく下っ端、見張りの役目も担っている奴が8人ほどいるみたい。そして、一番大きな家にはリーダーとその側近が住んでるみたい。人数はおそらく5人以上」


 リノはゆっくりと全員を見回す。そして、シーリとリゼスの二人がちゃんと参加していることを確認すると、ポケットから一枚の写真を出した。


 そこには、いかにも盗賊という風貌のいかつい男が映っている。


「リーダーはわかっている。ガイル・ゴーゲス。王国騎士の隊長クラスを何人も殺した手練れよ」

「まさか、あの痛みを贈るものペインターって言われてる……」

「え、でも、ガイルといったら王国騎士に捕まったんじゃ?」


 騎士の一人が怯えたような声を漏らす。


「そうよ。王国騎士が一度は捕まえたんだけどね、見事脱走されたみたい。それで、各騎士団に捜索依頼が出ていたんだけど……たまたま、私と部下が任務帰りに潜伏先を見つけたの」


 にこりと企むような笑みを浮かべた彼女は、写真に写ったガイルを指でトントンと叩く。


「すぐ襲撃できるように周囲には逃げられないように結界も張ってある。それに、ガイルを相手取るのはそこにいるリゼスとシーリの二人よ。それ以外は手下の排除と、万が一民間人が捕らわれていたらその救出」


 えっと騎士たちが僅かにざわめき、視線を向ける。シーリには彼女ならばという信頼の色、リゼスにはこいつが? という懐疑の色。リゼスは当然だと思いながら口を引き結ぶ。リノはそんな騎士たちの反応とリゼスの表情にニヤリと笑みを深める。


「いい機会だから、新人さんには頑張ってもらおうと思ってね。リゼス、貴女なら倒せるでしょう?」


 有無を言わさない言葉がリゼスの心臓を打ち抜いていく。

 不安はある。王国騎士の隊長格を何人も殺したという話が本当であれば、相手はそれなりの強敵ととなりうるだろう。だが、人間にいちいち手間取っているようでは人喰いを殺すことはできない。

 それに、これは周りに実力を知らしめるチャンスだ。前回はうまくいかなかったが、今回は彼女がここまでお膳立てをしてくれているのだ。これを逃さない手はない。それに、リゼスが彼女の期待に応えたかった。


 リゼスはシーリをちらりと見る。シーリはそのアクアブルーの瞳をフッと優し気に細めると目線だけで頷く。


「必ず期待に応えてみせます。私が騎士団で騎士として認めてもらえるように」


 ブンっと深く頭を下げるリゼス。リノとシーリ以外の騎士たちはそんな彼女に戸惑いの色を浮かべながら近くの者と顔を見合わせる。

 不安と懐疑と戸惑い。そんな様々な色が混じった空気が辺りに充満してきたところで、リノは空気を換えるように軽く手を叩いて全員の視線を集めた。


「よしっ、作戦会議は終了! 各自準備したら、30分後に正門前に集合!」

「了解!」


 先ほどまでの空気がウソだったかのように、騎士たちが一斉に動き出す。彼らは去り際にリゼスを一瞥するも声をかけることはなかった。リゼスは騎士たちの切り替えの早さに改めて凄いと思いつつ自分も準備をすべきだと考えていると、リノが声をかけた。


「どう? 貴女たちのために用意した最高の舞台は? まぁ、初陣じゃないってところはちょっと不満だけど」


 腰に手を当ててリノはそう言いながら、気まずそうに視線を逸らすシーリを見る。


「むっ、申し訳ありません。まさか、リノがこんな案件を抱えていると知らなかったもので」

「だからって、あのクソ野郎の任務に行かなくたって……」


 珍しい言葉遣いに隣で聞いていたリゼスは驚きを浮かべる。それに気付いたリノはフッと小さく笑う。


「私ね、アイツ嫌いなの。対した実力もないくせに手柄を取るのはうまい。それに、自分の派閥以外の人間は仲間とも思ってない」


 忌々し気に吐き捨てる彼女に同意するように、シーリの表情も険しくなる。


「聞いてるわよ、この間の任務のことは。本当に腹が立つ……」


 グッと唇をかみしめるリノ。あの時に参加していた騎士の中に、彼女と仲が良かった者が数人いることを知っているシーリはその表情を一層暗くする。


「まぁ、この借りはいつかきっちり返すわ。だからそのためにも、リゼス、貴女はとっとと戦果を挙げて隊長になりなさい」

「えっ」

「隊長が増えれば団長もあんな馬鹿を使わなくなる。そうなれば、騎士団は変わっていく」


 確信を持ったその物言いに、リゼスは目を瞬かせる。自分なんか一人で変えられるのだろうかと不安に思う。だがそれと同時に、騎士団を変えようとしている彼女たちの力になりたいとリゼスは強く思う。


「リゼス、貴女にはとても期待しているの。だから、早く強くなってね」


 ポンと肩を叩くリノに、リゼスはぎこちない動きで頷く。そして、ふと思ったことを問いかけた。


「が、頑張ります。……リノ様、一つ聞いてもいいですか?」

「ん? どうしたの?」

「どうして、今回は調査任務なのでしょうか。討伐目的で行くならば最初から討伐任務にはしないのですか?」


 なんとなしにそう訊くと、リノはまるで子供が悪戯を企むようにニヤリとする。


「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたわね。リゼスなら疑問を持つと思っていたわ。実はね、討伐任務に切り替えると王国騎士にそれを取られちゃうからなの」

「取られる……とは?」

「今回の盗賊は王国騎士が逃がしてしまった。まぁ、いうなれば王国の獲物なの。そうなると、基本的に見つけた場合は王国に報告する義務がある。そうなると、情報提供料っていうやっすい報酬でせっかく集めた情報を全部渡さないといけない」


 そこまで言って、リゼスはなんとなく察する。


「だから、調査任務のままにしておくの。討伐にすると見つけたってバレちゃうから調査という形にして、そのまま野放しにするのは危険だからということで討伐任務へと移行する。そうすれば、報酬はたくさんもらえるし、騎士団の評判も上がる」


 うんうんと頷く彼女にリゼスは、騎士団もいろいろとあるんだなと苦笑を浮かべるのだった。



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