第14話 言えるわけがない
団長室を後にした二人に会話はない。シーリは心配そうに隣を歩くリゼスの様子を伺う。
騎士になったのでてっきり嬉しさに飛び跳ねているかと思えば、その表情は暗く深刻そうにしている。嬉しくなかったのだろうかとシーリは不安を覚える。
「シーリ様」
「どうしましたか?」
平然を装って聞き返す。その次の瞬間、シーリは自分の不安が杞憂だったことを悟るだろう。
「私、とうとう騎士になったんですね」
噛みしめるようにそう言ったリゼスの瞳はキラキラと輝き、それに比例するように口調も明るい。シーリは安堵の表情を浮かべると「そうですよ」と言った。
「やっと、やっと私も戦えるんだ……!」
「ええ、これからは一緒に人々を守りましょう」
「はいっ!」
グッとこぶしを握ってリゼスは何度も「騎士になれた」と呟く。その様子にシーリは頬を緩める。まだ出会って間もないが、シーリはリゼスが騎士となることを強く夢見ていることは分かる。そして、自分の力で掴み取った。
きっと彼女は誰よりも素晴らしい騎士になる。その隣で一緒に戦う。シーリはその未来を夢想して喜びで胸を満たす。
しばらく廊下を歩いていると、シーリはリゼスの足元がどこかおぼつかないことに気が付くだろう。まるで、眠気に誘われる幼子のような足取りにシーリは声をかけた。
「……とりあえず、今日はもう休みましょう」
「はい。リノ様に帰ってきたことを報告したかったのですが……」
そう言いながらリゼスは疲労の浮かんだ様子で歩く。その目はトロンと閉じかけており、そのままにしていたら適当なところで座り込んで眠ってしまいそうなほどに、彼女の意識は朦朧とし始めていた。
無理もない。いろいろあり過ぎたのに大した休憩もできなかったのだ。シーリはあの状況で眠ってリゼスに運ばせてしまったことを思い出し、心底申し訳なさそうに眉尻を下げ、リゼスの手をそっと握った。
「報告ならば体調を整えてからでもきっと、リノは許してくれますよ。むしろ、今の状態で行ったら余計に心配をかけてしまうかもしれません」
「そう、ですね……すみ、ません。急になんか眠くなってきて」
「とにかく部屋に行きましょう。歩けますか?」
コクリと頷く彼女に、シーリは小さな子どもみたいだなと思いつつ、その手を引いて部屋へと向かうのだった。
シーリは自室へと到着するなり、もう殆ど夢の世界へと旅立っているリゼスをベッドへと導く。そうすれば、リゼスはそこがベッドだと気付くなり、するするとシーツへもぐりこみそのまま規則正しい寝息を立てる。
ちなみに手は握られたままである。シーリはベッドの縁に腰を下ろし疲れ切った表情で眠る彼女を見つめる。その目はどこまでも優しさに満ちている。
「ふふ」
幼子のような寝顔のリゼスの髪を梳くように撫でながら、シーリはほんのりと口角を上げる。その表情は父であるライズすら見たことがないほどの愛おしさに満ちている。
ぽかぽかと温かいものがシーリの胸の内を流れる。それは家族に対して抱くものに似ているような気がするがどこかが決定的に違う気もする。この不思議な感情はなんなのだろうか。
まだ出会って間もない彼女にどうして、こんな強い思いを抱いてしまうのだろう。シーリはそれが不思議で仕方がなかった。
「でも、悪くありませんね」
さらりと柔らかい髪が指の間をすり抜けていく。リゼスの寝顔が緩む。その様子はまるで、撫でてもらうことを喜んでいるかのように見えたシーリの胸がドクリと跳ねる。
「リゼス」
名を呼べば、返事は帰ってこないが、代わりにリゼスの表情が一層穏やかになっていく。その反応にどうしようもないほどの感情に満たされていく。それが何なのかはわからない。わからないが心地はよかった。
「リゼス、これからはずっと私と一緒ですからね」
耳元に口を寄せそう言葉を零す。そうするだけでシーリの胸はこれ以上ないほどの愛おしさに包まれていくのだった。
「んぅ……?」
リゼスの瞼が震え、ゆっくりとその瞼が開かれる。まだ微睡の中にいる彼女は、ぼんやりと窓から差し込む月明かりを見て、今の時間が夜だということをなんとなく理解する。
ここはどこだろう。自分の部屋ではないようだ。似ているようで自室とは違う模様の天井を見上げながらリゼスはどうしてここにいるのかと考えたその時――
「んん……」
「――っ!」
何かの声が聞こえて反射的に顔を向ける。すると、そこにはシーリの寝顔があった。あまりの出来事にリゼスは目を見開いたまま硬直してしまう。
本当に一体何が起きているのか。彼女の記憶にあるのは団長室の出来事だ。その後は急に眠気がやって来て正直何をしていたのか思い出せない。
そこまで考えて、リゼスは自分がどこかで眠ってしまったのではという考えにたどり着くだろう。そして、シーリがここまで運んでくれたのかもしれないとも。
その考えに行きついてしまえば、リゼスは彼女が起きたら謝らなければと心に決めた。
「シーリ様」
囁くようにその名を呟く。
すると、眠っていながらも聞こえたのかシーリの寝顔が緩む。その瞬間、心臓がドキリと波打ち、フッと顔が赤く染まる。
みんなが憧れる天才剣士。美しい容姿に常に騎士たちの戦闘に立つその姿はまるで神話に出てくる戦女神のように神々しく、リゼスは騎士になったら彼女のようになりたいとも思っていた。そしてそんな人が、自分なんかにこうも無防備な姿を晒してくれることにほんの少しだけ優越感を感じてしまう。
だが同時に、やはり彼女もかなり疲れているんだと考える。あの日、帰り際に眠ってしまった時を思い出す。仲間がやってきたらすぐに起きてしまったが、それだけ疲れていたということだったはずだ。
「シーリ様、本当にありがとうございます。私なんかにこうもよくしてくれて」
彼女に出会わなければ、彼女の目に留まらなければきっと騎士にはなれなかった。それに自分の中に潜む力の正体にも気付くことができなかった。いや、もしかしたら、不意にその力が出てきて本当の人喰いへとなり果てていたのかもしれない。
そう考えるとやはり、リゼスは自分がとてつもないほどの幸運に恵まれていることを自覚する。
「私はたくさんの人と幸運に囲まれているんだな」
フッと言葉を零す。すると、シーリの瞼がゆっくりと開かれる。リゼスはしまったと思ったがどうやら、夢うつつの状態のようだ。いつものキリリとした眼差しは影を潜め、年齢よりも少し幼さの浮かんだ目でリゼスを見上げる。
「リゼス? もう、朝ですか……?」
「いいえ、まだですよ」
少し舌足らずに聞いてくる彼女にリゼスは笑みを浮かべながら答える。と、シーリはぐりぐりとリゼスの首筋に頭を擦りつける。まるで、猫がマーキングするようなそれはくすぐったい。
「リゼス」
「はい」
「もうすこしだけ、ねむらせて、ください」
「大丈夫ですよ」
「どこかに、いっちゃ、嫌ですからね」
「わかっています」
心の奥に染み込むほどに優しい声。シーリはその声に安心したように瞼を閉じる。すると、数秒もせずにまた規則正しい寝息が聞こえてくる。
「本当に、貴女という人は」
リゼスは、うざったそうに彼女の顔にかかった美しい銀髪をそっと退かす。その指先は繊細なガラス細工に触れるかの如く丁寧に。
次の日、二人はリノの元へと訪れていた。リノは二人がやってくると、その目に涙を浮かべ、二人の体を強く抱きしめ、二人が生きていることを確かめるように「おかえり」と噛みしめるように言った。
「リノ様、報告が遅くなってすみませんでした」
「リノ、私もすみませんでした」
同時そう言う彼女たちに、リノは一瞬面食らったようにした後、「まったく」と息を吐いて言葉を続けた。
「なーに謝ってんのよ。私がおかえりと言ったんだからまずはただいまと言いなさい」
震える彼女の声色から心配をかけてしまったと二人が項垂れると、リノはそう言って二っと笑う。
二人は顔を見合わせる。
「ただいま戻りました」
「ただいま戻りました」
そう同時に二人が破顔する。リノはそんな二人をもう一度強く抱きしめた。
「……そんなことがあったのね」
感動の再会を果たした後、シーリはあの日の出来事をまずリゼスの出来事抜きで話をした。神妙な顔で聞いていたリノは両腕を組んで苦虫を噛み潰したように口元を歪める。
シーリがチラリとリゼスを一瞥する。その視線は、あの力を話すか否かを任せると言っているようだ。リゼスはコクリと頷くとリノへと顔を戻す。
「申し訳なかったわね。リゼスからあの話を聞いた時、もっと早くシーリに伝えるべきだった。貴女を送り出した時もそう。もっといろいろと渡しておくべきだった……リゼス、ごめんなさい」
「リノ様っ、頭をあげてください」
深く頭を下げる彼女に、リゼスは両手を振って狼狽える。
「本来であれば、すぐに伝えることを私が躊躇してしまったせいです。それに、あの時はああなるとは誰も想像していなかったはずです。そんな中で貴女はほかの騎士を差し置いて私を選んでくれた」
キュッと、リゼスはリノの右手を両手で包むように握り締める。
「そのおかげで、私は騎士になれたんです」
リノはグッと息を呑む。
考えずとも、リゼスが感謝をしていることが手に取るようにわかる。これ以上、彼女に対して負い目を感じているとそれこそ悪いような気がしたリノはフッと息を吐くと同時に頷く。
「そっか、騎士になれたのね。おめでとう」
噛みしめるようなその言葉にリゼスは太陽のような笑みを浮かべた後、何か思い出したように口をつぐむ。リノは不思議に思い首をかしげる。
「どうかした?」
「いえ……その……」
キュッと眉を寄せたリゼスはリノを見る。だがその眼差しには強い迷いが浮かんでいる。
リゼスは考えていた。彼女に自分の力のことを話すか否かを。気持ちだけで考えるならば、話したかった。隠し事なんてしたくなかったから。だが、話した後に彼女に軽蔑されるかもしれないと思ってしまうと……どうしても言えなかった。
ずっと、優しくしてくれた。いろいろなことを教えてくれた。大切な人である彼女に軽蔑されたくない、嫌われたくない。その思い故にリゼスはどうしても言い出せなかった。
「リゼス」
すると、何か勘付いたようにリノは、リゼスの頭にポンと軽く手を置いた。
「何か言いづらいことがあるみたいね。今、無理して言わなくてもいいわよ」
「リノ様……もうしわけ、ありません」
リノの視線がシーリへと向けられる。その瞳には僅かに鋭さが浮かんでおり、“お前は知っているのか”と言いたげだ。シーリはその視線に小さく頷く。
その差に少しだけ、嫉妬の気持ちを感じながらも、リノは“私は二人より年上だしな、二人が仲良くなって欲しいとも思ってるし”と自分を納得させる。
「貴女が話したくなった時に話してくれればいいから」
その優しさにリゼスは「ありがとうございます」と頷くのだった。
リノと別れた後、シーリは早速、リゼスを騎士たちに紹介した。
微妙な反応をする者、不満気な表情を浮かべる者とで別れた。基本的に新しい騎士がやってくるのは年に数回ある試験に合格し騎士団に迎え入れられた場合とほかの騎士団から異動してくる場合がほとんどだ。
そのどちらにも該当せず。しかも、騎士のほとんどがリゼスの事情を知っているのだから、反応が様々なになってしまうのも無理はないだろう。
「シーリさん、ソイツは確か心臓が弱かったはずですが」
一人の青年騎士が手をあげて問う。すると、周りの騎士たちも同意するように頷く。
「ええ、確かに。ですが、前回の任務において、彼女は果敢に戦い私の命を救ってくれました」
淡々として語られる答えに、騎士たちは互いに顔を見合わせ小さくざわめく。彼らの表情には一様にして沈痛の色を浮かんでいる。
「たとえ、団長が認めるほど腕が立つと言っても、戦闘時に足を引っ張られたら困ります」
「そうです。そんな不安要素を持った奴と一緒には戦えない」
「元の雑用係へと戻すべきだ!」
はっきりとした意見に、シーリの隣に立つリゼスは唇を噛みしめる。
その反応は当然だ。リゼスだって逆の立場であればそう思っていた可能性があったかもしれない。騎士の仕事は命がけだ。あらゆるリスクを排除して、人々を守ると同時に自分自身も守らなければいけない。
「そうですね。皆さんの言う通りです。なので、リゼスの力を知ってもらうために――次回の盗賊討伐任務にリゼスを連れていきます」
その言葉に騎士たちとリゼスが驚きの声をあげた。
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