第15話 それは至福の時である



「シーリ様、任務に行くというのはいったい……」


 騎士たちへの挨拶と衝撃の一言を放った後、シーリはいったん、驚くリゼスを連れてシーリの自室へとやって来ていた。

 ベッドに腰かけた彼女へと、リゼスは困惑に満ちた声と表情で問いかける。慌てるのも無理はない。リゼス自身、そんな話のかけらすら聞いていなかったのだから。

 だが、当のシーリは平然とした様子でその口元に小さく微笑を携えている。


「はい、騎士たちが貴女のことを快く思わないことは予想していました。なので、手っ取り早く実力を認めてもらうには任務に行って成果をあげてもらった方がいいと思いまして」

「ですが……そんな簡単に成果なんて」


 不安げに瞳を揺らすリゼス。シーリは安心させるように頷くと、


「できますよ。なんたって、貴女は私のリゼスなんですから」


 そう告げる。その声色に迷いの色は一切ない。


「そんな……私なんて……」


 信頼しきった力強い眼差しに、リゼスは何とも言えない表情を浮かべた。

 信頼してくれるのは嬉しい。任務に行くのも嫌というわけではない。騎士となった以上、人々のために命を賭すことは当然であるからだ。

 だが、ちゃんと自分の実力を発揮することができるのか。そう考えながらリゼスはそっとペンダントに手を添える。


「それに、私たち騎士は人喰いばかりを相手にするというわけではありません。盗賊などの人間を相手取ることも多くあります。リゼスは人を傷つける経験はないと思ったので、今のうちに経験しておいた方がいいと思いまして」


 そう言葉を続けたシーリの目に一瞬、苦し気な色が浮かぶ。

 その様子から、リゼスは彼女が“これは不本意なのだ”と思っているような感じとるだろう。なぜなら少し考えれば結局、人を相手にして人を傷つけるないし、殺すことに慣れろと言っているようなものなのだから。

 少し考えればそれは自分を守るために必要なことなのだわかる。リゼスはあの時、初めて人を斬った感覚を思い出す。動物とは違ったそれはとても嫌な感覚として残っていた。


 おそらく、その感覚を忘れることは一生できない。

 

「……捕まえる、ではだめなのでしょうか」


 気付けばそんな言葉が口をついて出ていた。すると、シーリはアクアブルーの瞳を一瞬曇らせると、「そうですね」と言葉を続けた。


「今回の者は懸賞金がかかっています。通常、懸賞金がかかった者は手練れが多い。そのため、下手に手加減をしていればそれは自分の首を絞める結果となります」

「……殺すほうが簡単だ、ということなのですね」

「言ってしまえばそうなってしまいますね。実際、捕縛しようとしてその隙を突かれ死んでいった騎士は多くいます」


 だから、躊躇せず殺す。でなければ死ぬのはこちらになるから。暗にそう言われたような気がしたリゼスは、視線を下げる。


「リゼス、貴女がどうしようと私は貴女を責めることはしません。ただ、約束してください」


 まっすぐな剣のような視線がリゼスを射抜く。


「絶対に私以外の者には殺されないと」

「――っ!」

「貴女が死ぬのは貴女が化け物となって私に殺される。それ以外は絶対に許しません」


 まるで、心臓に杭でも撃ち込まれたような衝撃が走る。ジクリと胸に刻まれた隷印セルシオンが熱を持ったのか酷く熱い。

 従わなければいけない。使命感にも似たそれは魔法が発動したということなのだろう。リゼスは大きく息を吸うと、ゆっくりと真剣に頷く。


「わかりました」

「約束ですからね」


 シーリは笑顔を浮かべる。その笑みはまるで春の日差しのような温かさで、リゼスの胸にじわりと穏やかな温度を持った春風が吹き抜けていったような気がした。







「では、私はそろそろ自分の部屋に戻ろうと思います。シーリ様、これからも精一杯、頑張りますのでよろしくお願いします」


 二人で過ごすこと数時間。いろいろとシーリから騎士のことを聞いているとあっという間に過ぎていく時間に、リゼスは寂しさを感じつつもあまり長居しても迷惑だろうと判断し出ていこうとしたその時、シーリが不思議そうに首をかしげた。


「ん? リゼスはこれから私と一緒に過ごすんですよ?」

「……はい?」


 予想外の言葉に目を瞬かせる。


「えっと、それはもう少しここにいてもいいと、いうことでしょうか……?」

「いえ、違いますよ。リゼスはこれから私と同じ部屋で過ごしてもらいます」

「えっ、なぜ――」


 そう言いかけて、リゼスは自分の状況を理解する。


「貴女に“もし”のことがあれば私が対処します。そのために一緒にいる必要がありますから」

「……理由は分かりましたが、迷惑ではありませんか?」


 おずおずと不安げにシーリの顔色をうかがう。と、シーリは小さく首を横に振ってみせる。


「迷惑だなんてとんでもない。私は役得だと思っていますよ」

「なっ!?」


 するりとシーリの手がリゼスの頬に触れる。その温かさにリゼスの頬が一瞬にして赤く染まっていく。それを見た彼女はクスリと目を細めると噛みしめるように言葉を紡いだ。


「私は貴女と一緒にいたいんです。それも、朝から晩までずっと」

「っ!」


 砂糖菓子のように甘い言葉。その声はあっという間に心を掴んで離さない。リゼスはバクバクと早鐘を打つ自分の心臓に“他意はないはずだ”と必死に言い聞かせる。


 本当にこの人はずるい人だ。そんなことを言われれば“もしかして”という思いを違いを起こしてしまいそうになる。どんなにそうじゃないと言い聞かせてもいずれ本当に勘違いしてしまいそうだ。


「リゼスは私といるのは……嫌ですか?」


 寂し気にきゅっと眉を寄せ、シーリは顔を近づける。アクアブルーの瞳はいつ見ても綺麗で、まるで宝石のようだ。そして、近づいたことによって彼女の淡い花のような優しい香りが鼻腔を掠めていく。

 リゼスは咄嗟に視線を逸らしながら、「そ、そんなことは……っ」ともごもごと言葉を漏らす。それはあまりにも小さい。とは言っても、至近距離位にいる彼女に聞こえないはずがなく――


「ならば問題ありませんね」


 パッと表情を咲かせるシーリに、リゼスはグッと口を引き結ぶ。


「うぐ……っ」


 もうリゼスは何も言えなかった。そしてその後、彼女と同じベッドで寝るという事態に直面した時、今と似たようなやり取りを交わすのだった。









 任務までまだ日にちがあるということで、リゼスはシーリと共に訓練場へとやって来ていた。早朝ということもあり、訓練場に人はおらず、からりとした空気と静謐が満ちていた。


 リゼスはグーっと体を伸ばす。自室のベッドとは比べ物にならないほどに柔らかいベッドで眠ったおかげか体の調子がいい。加えて、隣に人がいたからか、はたまたシーリだったからか、いつもであれば嫌というほど見る悪夢を見ることもなかった。こんなに快適な眠りは一体何年ぶりだろうか。

 

「疲れは取れましたか?」

「はい。ばっちりです」

「それはよかった」


 窓から差し込む日差しを浴びながら軽く肩を回すシーリは穏やかに微笑む。銀髪が日差しでキラキラと輝く。ただそこにいるだけなのに、まるで絵画ぼような美しさにリゼスは直視するのがなんだか恐れ多くて、それとなく視線を逸らす。

 おはようからおやすみまで彼女と一緒というのは、存外心臓が持たなそうだ。恐れ多くて恋愛感情はないと言い張りたいリゼスでも思わず恋心を抱きそうなほどに、彼女は魅力的だった。


「はぁ……これから大変だ」

「何か言いました?」


 こちらに顔を向ける彼女に、リゼスは「いえ、何も言ってませんよ」と返して胸の内で小さく息を吐く。

 とにかく、せっかくこんな自分と一緒にいてくれるのだから迷惑をかけないようにしないと。そう決意を新たにすると、訓練用の片手剣を手に取った。




「では、とりあず軽く打ち合いましょうか。心臓に少しでも違和感があれば終了で」

「わかりました」


 向き合い、互いに剣を構える。今日はシーリが直々に剣を見てくれるのだ。ほかの騎士が知れば血涙を流さんばかりの状況。リゼスはグッと柄を握り締める。

 そういえば、悪夢を見なかったおかげか、いつも少し重たく感じる胸がなんだか軽いような気がする。


 不思議に思いつつも気を取り直して、静かに深呼吸をする。そうすれば、戦えるぞと言うように心臓がトクリトクリと脈打ち体温を上げる。


「行きます」


 ふっと脱力するように膝を折ってリゼスは駆け出す。そして、息を吐くと同時に両手で握り締めた剣を振り下ろす。捻りの加えられたそれは直撃すれば訓練用の剣といえどただでは済まない。

 鋭く重たいその一撃をシーリは受け止める。かなりの衝撃が走り抜けたのだろう。踏ん張った両足が地面にひびを刻む。

 だがそれだけであった。リゼスはあっさりと受け止められてしまったそれに舌を鳴らしそうになりながら、もう一度剣を振り下ろした。

 キィィィィンッ!

 振り下ろされた剣は軽く弾かれてしまう。シーリは両腕を上げた状態でいるリゼスの鳩尾目掛けてレイピアのように剣の切っ先を突き出す。


「ぐ……っ!」


 咄嗟に上体を逸らして何とか回避する。風圧が鼻さきを掠め、リゼスの喉から悲鳴が出そうになった。直撃していれば呼吸困難に陥り勝負はついていただろう。


「躱しましたか」

「まだ、終わらせたくはありませんからねっ!」


 そう言いながらリゼスはバク転してそのまま、シーリの剣を手から蹴り飛ばそうと試みる。だがその考えは読まれていたらしく、逆に脛に柄頭を叩き込まれる。


「――いっ!?」


 襲い掛かる激痛にリゼスは両腕に力を込めるとすぐさま距離を取る。


「いてて……」


 加減してくれたのか、幸いにも折れていないようだ。とはいっても激痛は続いている。おそらく真っ赤になっているだろうなと脛をさすっていたリゼスは、獣のような反応速度で眼前へと迫ってくるシーリの一撃を転がるように躱す。そしてすぐさま体勢を立て直し、地面を軽く蹴ってシーリの背部目掛けて剣を振り下ろす。

 銀色の刃がゴゥと音を立てて空気を切り裂く。鋭い牙が迫る。シーリは地面を踏みしめる軸足に力を込めると、素早く体を回転させ剣で弾くとその一撃の軌道をギリギリのところで逸らす。


「これも防ぐんですか……」

「いい攻撃でした。さすがに少しヒヤリとしましたよ」


 どこか楽し気に応えたシーリは距離をって剣を構えなおす。リゼスも今の一撃にかなり賭けていたのであえて追撃はせず、その場にとどまり剣を構えなおした。


「やはり、貴女との打ち合いは楽しいですね」

「奇遇ですね。私も剣を振るうことがこんなに楽しいことだなんて思いもしませんでした」


 嘘偽りのない本心だった。今まで、剣を振るって楽しいと思ったことなんてなかった。ただ、憎き人喰い共を殺すため、騎士となって人々を守るためという思いしかなかった。むしろ苦しみさえ感じていた時もあった。

 なのに、彼女と共に剣を振るう時間はどこまでも心地よい。あの時、任務で盗賊と戦った時も彼女がいてくれたから冷静に戦えた。もしいなければ、あの感触の悪さに囚われ剣閃が鈍っていただろう。


 もっともっと、一緒に剣を振るいたい。その思いに呼応するように、心臓の調子がいい。まるで、心臓に突き刺さった爆弾が無くなってしまったかのようだ。一定のリズムを刻む鼓動は変わらず痛みもない。呼吸は常に整っている。これならばいつまでも戦い続けることができるだろう。


 そう認識してしまえばリゼスは考えるよりも早く、両腕に力を込めてその銀色の刃でシーリへと襲い掛かった。


「セェェェアアアアアアッ!」


 間合いへと入る半歩手前で思い切り踏み込み、速度を上げる。軸足が地面を砕く。その一撃をシーリは咄嗟に受け止めようとするが、その意に反するように彼女の体は地面を転がってその刃を交わす。

 そして、その反応は正しかったと彼女の刃が砕いた地面を見て思うだろう。もし、受け止めようとすればただの訓練用の剣なんて真っ二つになっていたに違いない。

 ゾクリと、シーリの背筋にうすら寒い何かが落ちる。それは、強烈な闘気だ。どこが発生源なんて考えるまでもない。


「……ッ」


 軽く打ち合うなんてもう二人の頭から消え去っていた。

 もっともっと、打ち合いたい。シーリの口元に小さく笑みが浮かぶ。それはいつも浮かべているものではなく、彼女が戦う者だと知らしめるほどに獰猛な笑み。


「やはり、貴女は最高だ」


 腕を下げて剣を構える。対して、リゼスは点を切るかのように、高々と腕を上げて剣を構えていた。


 二人の呼吸のリズムがシンクロする。


 二人はほぼ同時に踏み出し――


「はぁぁぁぁッ!」

「セェェェイッ!」


 剣がぶつかり合い、凄まじいまでの衝撃音が訓練場に響いた。








「……え、なにあれ」


 いつも通り、誰もいない時間を狙って訓練場へとやって来ていた騎士である一人の少女は扉の隙間から、中の様子を伺うなりそんな言葉を零した。

 二人のうち一人がシーリだということは、あの素晴らしい剣技を見れば顔を見ずともわかる。が、問題はそれを相手しているもう一人のほうである。


「シーリさんと互角なんて……」


 少女の頭に数名の騎士が浮かぶ。その誰もが隊長クラスである。が、彼らではないようだ。彼女はよく見ようと目を凝らした次の瞬間、驚愕の声を漏らした。


「うそ、まさか……」


 見覚えのある人物。だがそれは、少女からすると信じられない人物であった。


「騎士になったって……本当だったの」


 先日、シーリが任務に出ていない騎士に紹介したという噂は聞いていた。が、少女は正直疑っていた。なぜなら、彼女が知るその人物は戦えないから。

 だが、目の前に繰り広げられる信じられないそれはなんなのだろうか。同一人物なのか。自問する少女は静かに後ずさると、そのままその場を後にするのだった。

 

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