第13話 貴女は私のもの


 あれから数分後、やっと落ち着いたリゼスだったが、依然として彼女に抱きしめられたままでいた。何度か離れようとしたが、彼女が許してくれなかったのだ。

 離れることを諦めたリゼスは彼女の暖かさに身を落としながら、そっと表情を伺い見る。すると、彼女もこちらを見ていたようでバチリと視線が絡む。


「リゼス」

「――っ!」


 リゼスの心臓が大きく跳ねる。ただ名前を呼ばれ微笑まれただけでこの威力。リゼスは自分でも顔が赤くなっていくのが分かった。このままでは確実に自分の心臓は違った意味で限界を迎えてしまう。

 リゼスは気を取り直すように軽く咳払いをすると、真剣な表情で見つめる。やはりこのままではだめだ。そう思い口を開く。


「シーリ様、お願いがあります」

「なんでしょう。殺してほしい以外の願いだったら聞きますよ」


 リゼスの言いたかったことを予想していたようで、あっさりと切り伏せられてしまう。だが、ここで引くとはできない。


「ですが……私は化け物です。確かに、貴女は私を人喰いではないと言ってくれましたが、この力がいつ発動するかわからないんです。もし、それで守らなければいけない人々を傷つけたら……」

「そうですね……」


 顎に手を当ててシーリは小さく唸る。リゼスは暗い表情で俯く。

 そうだ。結局のところ、暴走してしまっては意味がない。なんとなくであるが、また同じようにペンダントを心臓へと突き刺せば獣の姿になることはできるような気はする。が、それをしたところで正気を保っていられるかと聞かれれば、リゼスは自信を持ってノーと言えるだろう。

 もし暴走して人を襲ってしまったら。もし暴走して大切な存在を傷つけてしまったら。そうなってしまうぐらいならやはり死んだ方がいいはずだ。


「……一つだけ、確実とは言えませんが暴走しない方法があります。むしろもしかしたら、その力をコントロールできるかもしれません」

「え……?」


 顔を上げシーリを見る。だが、希望的な言葉な割に彼女の表情がどこか苦し気に歪んでいることにリゼスは気付く。


「私の一族には代々伝わる魔法があります。その名前は隷印セルシオンと呼ばれるものです」

「セルシオン……いったいどんな効果があるのですか?」

「相手を隷属させる魔法です。隷属された相手は絶対に逆らうことができなくなります。それはおそらくあの姿の時も同じとなるでしょう」


 グッと息を呑む。彼女が言いづらそうにしていた理由はこれだったかと納得する。同時に彼女の一族がそういった魔法を伝えていることにも驚いた。

 リゼスはシーリと彼の父であり団長であるライズしか知らないがそれでも、彼女の一族が他人をそういった風に扱うことがどうしても想像できなかったからだ。そんな考えを読んだであろうシーリは自嘲する。


「そうです、これは忌むべき魔法として伝えら、ヴァレニアス家でも禁術としています。倫理に反すると……ですが、これを使えば貴女は騎士として戦えるはずです。それほどに、この魔法は効力が強いのです」


 噛みしめるように言うシーリはどこまでも苦し気だ。それだけで、彼女の心が今の言葉にどれだけ心を軋ませているかが分かってしまう。


「シーリ様……」

「失望しましたよね。貴女が騎士になりたいという思いを利用しているようなものです。本来であればきっと、私は貴女を戦いから遠ざけるべきなのに、私の奴隷となってまで戦えと言っているのですから」


 力なく笑う彼女にリゼスの心臓がズキリと痛む。

 本当にこの人は人々を守りたいんだとわかる。そこに手段なんて選んでられないほどに。だからだろう。彼女の隣で戦いたいと思ってしまう。たとえどんな姿になり果てようと彼女と一緒ならば騎士として……人としていられると希望を持ってしまう。


「……シーリ様」


 拳を強く握りしめ、リゼスは暫し考え込んだ後、重たい口を開く。


「……シーリ様、お願いがあります。それを叶えてくれるならば私は貴女の下僕となり貴女と共に人喰い共を殺すことを誓います」

「その願いとは?」


 シーリのアクアブルーの瞳がリゼスのグレーの瞳を見据える。


「私がもし人を喰らう畜生となってしまったその時は――私を殺してください」

「リゼス……」

「もし殺されるなら、私は貴女に殺されたい」


 シーリはグッと苦し気に顔を歪める。リゼスはまっすぐに彼女を見つめる。もし、それを約束してくれるならば彼女はこの命が尽きるまでシーリと共に人々を守り続けるつもりだ。


「……わかりました。もし、貴女が人喰いとなり果てたその時は――必ず私が貴女を殺します」


 力強い口調。信頼するには十分すぎるほどにまっすぐな眼差し。ならば、不安を感じる必要ない。リゼスは安堵に目を細める。


「ならば、迷いはありません。私は貴女のものとなります」


 二人は小さく笑い合う。そしてすぐに真剣な表情で頷き合った。







 静かに風が吹いている。静寂が包む森の中、緊張した面持ちの二人が向かい合う。


「では、今から印を貴女の体に付けます」

「はい」


 そう言いながら、シーリは人差し指の腹を軽くナイフで傷つける。リゼスは彼女の指から流れる血にドキリとしながらシャツのボタンをいくつか外して胸元を晒す。そこには幼き日に負った大きな傷跡がある。

 それを見たシーリは悲し気に眉を顰める。


「どうせなら、ここの上にお願いします」


 きっと印を刻むだけだから心臓がよくなったりすることはないだろう。それでもなんとなく強くなれるような気がしたリゼスはその場所に願う。神妙な面持ちでシーリは「わかりました」と頷くと、具合を確かめるように傷ついていない方の手でそっとその傷後に触れる。

 少しだけヒヤリとした滑らかな感触にリゼスの肩がピクリと跳ねる。


「すみません。すぐ終わらせますから」

「はい」


 安心させるように微笑んだシーリは真剣な表情へと変えて、その傷跡を見下ろす。人に見せびらかしたことのないそこをまじまじと見つめられるのはなんだか恥ずかしい。うっすらと頬を紅潮させるリゼスは“何を考えているんだ”と自分を叱咤した。


 シーリが静かに深呼吸をする。それに釣られるようにリゼスも気付けば彼女と同じリズムで深呼吸をしていた。そのことに気付いたシーリはクスリと笑う。


「では、行きます」


 血の付いた人差し指が傷口の上を滑る。少しくすぐったいそれに身をよじりそうになるを必死に我慢する。

 するすると赤いラインが絵が描かれるとそれはヴァレニアス家の紋章だった。それを描き終えると、シーリはおもむろにそこに顔を近づけ――


「逃げないでくださいね」

「へっ……!?」


 その言葉と共にシーリは紋章を刻んだそこへと口づけを落とす。柔らかいその感触にリゼスは状況を理解するのに暫し時間がかかった。そして、驚く間もなく彼女の顔が離れた次の瞬間、


「――ぐっ!」


 針で突き刺されたような鋭い痛みが傷口を起点に全身へと広がっていく。あまりの激痛に思わずその場にうずくまってしまう。シーリは苦しげな表情でリゼスの手を強く握る。それはまるで“耐えてくれ”と言っているように。

 だから、リゼスは耐える。それに少し考えれば心臓の痛みなんていつものことじゃないか。そう考えれば痛みも耐えられそうだ。


「ぐ、う……ッ」


 しばらく痛みに耐えていると、次第にそれは薄れていく。やっと動けるようになると、リゼスは顔を上げてシーリを見る。そして、小さく笑った。胸に刻まれた印がトクリとうっすらと赤く光る。


「これで、私は貴女のものになったということですかね」

「……はい」


 どこか息苦しそうにしているシーリを見つめながら、リゼスは“本当に優しい人だ”と胸の内で零す。

 最終的には自分が望んだことなのに、彼女はまるで自分が悪いかのように苦しむ。どうすれば、その苦しみを和らげられるのだろうか。

 リゼスとしては今、無性に気分がよかった。魔法の影響なのか、騎士としての一歩をまた踏みしめることができた喜びによるおかげかなのか。


 どうしようもないほどの幸福感にも似たこの気持ちをどうすれば彼女に伝わるか考える。


「シーリ様」

「はい」

「私、変に思ってしまうかもしれませんが……私今、とっても幸せな気分です」

「……ッ」


 喜んでくれるかなと思った言葉は、どうやらシーリをより一層苦しめる結果になってしまったようだ。キュッと眉を顰めて視線を逸らす彼女にリゼスは少し寂しさを覚える。

 だかリゼスは気付かない。彼女が視線を逸らした理由はリゼスの屈託ない笑顔に彼女は生きていて感じたことのない感情を感じてしまったためだと。


 少しだけ気まずい空気が二人の間に流れたその時、遠くの方で呼ぶ声が聞こえる。二人が同時に顔を見合わせる。


「もしかしたら騎士団の人間が探しに来てくれたのかもしれませんね」

「とりあえず、帰りましょうか」

「そうですね。さすがに、もうへとへとです」


 そう言いながらシーリはリゼスの肩に頭を乗せる。ふわりと香る甘い香りと汗の香りにリゼスの鼓動が早まる。慌てそうになりながらそっと視線を動かすと――


「ね、寝てる」

「すぅ、すぅ……」


 規則正しい寝息。戦いの後とは思えないほどに穏やかな寝顔。リゼスはその表情に思わず頬が緩む。と同時にこの顔を誰にも見せたくないなとも思ってしまう。

 だからかもしれない。リゼスはそっとシーリの体を抱き上げる。そして、誰にも彼女の表情が見えないように胸元に顔をうずめてもらうようにすると、声のする方へと向かった。








 無事、騎士団へと戻った次の日。まだ少し疲れの残った体で、リゼスとシーリは団長室へ呼び出されていた。

 シーリは森で起こった出来事を包み隠さず話した。突如として人喰いが現れ騎士たちを殺したこと、なんとかリゼスと共に討伐した後、謎の男がやって来て殺されそうになったこと。そして、それリゼスが獣の姿となって助けてくれたこと。


「……そう、だったのか。男のことについては調査しておこう。おそらく、リゼスが前日に見かけたという怪し気な二人組と確実に関係しているだろう」


 机の上で両手を組んでいたライズは重々しいため息を吐く。人喰いに騎士を殺されたというだけで頭が痛いのに、無視してはいけない問題がいくつも重なっているのだから頭痛は一層強い。


「シーリ、お前はリゼスに禁術を使った。それは間違いないんだな」


 ギロリと家族に向けるものとは思えないほどに厳しい眼差し。自分に向いていないにもかかわらずリゼスはすくみ上りそうになった。が、当の本人は堂々としている。


「はい。リゼスとは彼女が人喰いになり果てた時私が殺すという契約の下で」

「リゼス、それは間違いないな?」

「はい」


 勢い良く頷く。ライズは眉間を軽く揉む。


「本来であれば、禁術を使った時点でシーリ、お前は勘当だ。騎士団からも追放となることを承知の上で使ったんだな?」

「え……っ!?」


 リゼスはシーリとライズの顔を交互に見る。そんなとんでもない魔法を使わせてしまったことに罪悪感を感じざるを得ない。だがそれでも、シーリの表情は変わらず堂々としている。


「はい。それでも、私はリゼスと共に人々を守りたいと思ったので。もし追放されれば二人で旅をしながら人々を守ろうと思っています」

「シーリ様……」


 チラリとシーリの視線が向く。少しだけ申し訳なさそうにする彼女に、リゼスは本当にこの人は優しすぎると思った。どうして、そうやって自分より他人を優先するんだ、と。


「……シーリ、お前はこの騎士団になくてはならない存在だ。そう簡単に追放なんてできない。だから俺は団長として、リゼスを殺すこともやぶさかではないと考えている」


 ぎろりと射殺すような眼差しと殺気が向けられる。不思議と恐怖はない。ただ、そうだろうなという納得があったからであろう。普通に考えれば化け物なんて活用するよりも殺した方が危険は少ない。


「それはたとえお父様と言えど私が許しません」


 その視線を遮るようにシーリが前に出る。その背中はどこまでも広く、どこまでも頼もしい。


「リゼスはもう私のものです。絶対に殺させない。もしそれでもというのなら、私はお父様を倒します」


 きっぱりと言い切られたその言葉にリゼスは口を引き結ぶ。そこまでしてくれるのか、そうまでして自分と戦いたいと言ってくれるのかと胸が熱くなる。と、同時に自分という存在のせいで二人の関係に亀裂が入ってしまうんじゃないかと不安を感じてしまう。


 しばしの間、ライズとシーリの二人はにらみ合いとも取れるほどに見つめ合っていた。そして、やがて根負けしたようにライズはため息を吐く。


「……はぁ、まったくその強情なところは誰に似たんだろうな。……シーリ、リゼスのことについてはお前に一任する。その力、仮に人狼とするが、それをうまく操ってみせろ。そして、人々を守れ」


 そう告げた後、ライズは少し体を傾けてシーリの後ろにいるリゼスを見る。その眼差しに先ほどまで浮かんでいた剣呑な色はない。ただ、その奥にはまだ警戒の色が浮かんでいる。


「すまなかったな。嫌な話をして」

「い、いえ……普通に考えれば誰でもその考えに行きつくと思いますから」

「恐らく、その力は多くの人間に恐怖を与えるだろう。だから、使いどころはしっかりと考えるんだ。自分と人々を守るためにも」

「はい」


 リゼスの返事にライズは満足げに息を吐く。


「リゼス、君にはこれから騎士として働いてもらう」

「え……?」


 リゼスは目を瞬かせる。


「シーリの下で騎士の基本を学び、人々を守れ。人狼としての力を団員に明かすかは二人の判断に任せる」

「え、あ、それって」

「話は以上だ。二人とも戻っていい」


 呆気に取られているリゼスの手を引いて、シーリは「失礼します」と言って部屋を後にする。




 二人がいなくなると、ライズは椅子の背もたれに体を預け、天井を仰ぐ。


「まったく、問題っていうのはどうしてまとめて起こるんだ」


 思わずそう愚痴をこぼしてしまう。

 最近、騎士団を抜けるものが多いとは感じていた。そして、そういった人間たちが新たに騎士団を立ち上げたという噂も聞いている。もしかしたらその人間たちによるものなのかと考え、ライズは何度目かのため息を吐く。


 だが一番の問題は、リゼスだろう。話に聞いただけなので今でも少し信じがたいが、あのシーリが禁術まで使ったと言ったのだから真実に違いないのだろう。

 この歴史の中で人に化ける人喰いなんて聞いたことがない。禁術と言えど、それで本当に制御可能となるのか……仮称として、彼が幼いころに祖父から聞かされたお伽噺に出てくる人類を救う獣であった人狼という名を付けたが。果たして彼女がその存在になってくれるのか。


「……いろいろと調べないといけないみたいだな」


 机の端に置いてある写真へと目を向ける。そこには幼いシーリの隣には女性が立っている。その女性を愛おし気にライズは見つめる。


「まったく、お前にそっくりだよ」


 そう彼は小さく笑い声を零すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る