第42話 がらりと変わった生活
窓から差し込む光に眩しさを感じながら、シーリは外を歩く王国の騎士たちを眺めていた。王国の騎士団から支給される純白の鎧には王国の紋章が刻まれている。シーリは部屋の隅に置いた彼らと同じ支給された鎧をちらりと見る。
自分の鎧があるからいらないと言ったのに……おそらく、あの鎧を付けることはないだろう。
再び、ぼんやりと窓の外を眺める。その瞳には何の感情も浮かんでいない。
騎士団が襲撃されてから2週間。たまたま通りかかった王国騎士団の協力もあって、聖騎士団の人間は全員、捕縛または討伐することができた。が、騎士団の被害はすさまじく、団長は一命を取り留めたが一生寝たきりで余命はわずか。騎士団にいた人間のほとんどが死んでしまいあのまま騎士団を運営していくことは困難となった――実質、ヴァレニアス騎士団は崩壊したのだ。
そして、行く当てもなくなってしまったシーリたちを王国騎士団の団長が保護。そのまま、王国騎士団に吸収される形でシーリと生き残った人間たちは王国騎士団の一員となったのである。
コンコンとノックの音が響く。
「シーリ」
「……リノ、なにかありましたか」
淡々とした無機質なシーリの声にリノは一瞬、キュッと唇を引き締める。が、すぐに安心させるような微笑を浮かべ部屋へと入る。そしてそのまま、ベッドで規則正しい寝息を立てるリゼスへと近づき、そっとその頬を撫でた。そのダークブルーの瞳は不安に揺れている。
「リゼスはまだ目を覚まさないのね」
その言葉に、シーリの目が暗く澱んでいく。
「ええ、人喰い研究者の話では、おそらく通常の人喰い同様に急激な進化に体を慣らすための休眠期間だと。そのうち目を覚ますということではありますが……」
2週間も眠り続けている彼女が心配で仕方がない。シーリは何もしてあげることのできない自分に嫌悪する。どうにかしてあげたい。そして、また目を覚ましてほしい。また、あの笑顔を見せてほしい。
震えるほど強くこぶしを握り締め、俯くシーリを見たリノは痛まし気に顔を歪める。ライズは再起不能、生まれ育った騎士団は壊滅、加えて大切なリゼスも昏睡状態。彼女はあまりにも大切なものを傷つけられ過ぎた。今、少しでも刺激を与えてしまえば簡単に彼女の心は砕けてしまうだろう。それほどまでに危うい状況。
だがきっと、そんな彼女の心を救えるのはリゼスだけだ。リノはリゼスの寝顔を見下ろす。そして胸の中で“早く起きてよ”と願った。でないと、本当にシーリ・ヴァレニアスという人間が壊れてしまう。
「それで、リノ。なにか、用があったのではありませんか?」
近くの椅子に力なく腰を下ろしたシーリがそう切り出すと、リノは「あぁ、そうだった」と言って言葉を続けた。
「団長さんがね、シーリと話したいってさ。まぁ、話す内容なんてあのくそったれ騎士団の話でしょうけどね」
「そう、ですか……すぐにいきます。リノ、リゼスのことを見てあげてください」
「ええ、まかせて」
小さく笑みを浮かべたシーリは頷き部屋を出ていく。残されたリノはリゼスの眠るベッドに腰を下ろす。そして、そっと眠る彼女の手を握る。
温かくしなやかな手ではあるが、剣だこのできた掌から彼女の絶え間ない努力がうかがえる。ずっと彼女のことを見ていた。騎士を志望していながらも雑用係として働くことになってしまった彼女を。
最初はかわいそうな子だと思ってみていた。そして、すぐに騎士からの扱いに耐えられずに辞めていくのだろうと。けれど、彼女は違った。たとえ、自分の望んだ役割でなくとも彼女は必死に働いていた。それが、人を守るための礎の一つになると信じて。
その姿に強く心惹かれたのだ。騎士ではなかったが、誰よりも騎士としての心を持った彼女に。
「ねぇ、リゼス。私はずっと、貴女に騎士になって欲しかった。そうすれば、変わってしまったあの騎士団を立て直せると思っていたから」
そう零したリノは言葉を続ける。
「もともとね、あの騎士団は今ほどひどい場所ではなかったの。ある、大きな戦いが起こるまでは王国騎士団にだって引けを取らないぐらい、強くて気高き騎士たちがたくさんいたの。でも……みんな死んでしまった」
エメラルド色の瞳を持った人喰いに多くの騎士が殺された。シーリの母もそのとき死に、ライズの右腕とも言われていた最強の騎士もその時、仲間を守るために死んだ。あまりにも多くの人が死んだ。あの時の凄惨な光景とライズの獣のような慟哭をリノは今でも昨日のことのように思い出す。
それから騎士団は変わってしまった。あの日に、ライズは多くの大事なものを失ってしまったんだ。だから、人を守るためならばと徐々に手段を選ばなくなっていた。おそらく、あのまま今の生活を続けていれば、いずれ彼は聖騎士団と同じ考えを持つようになっていただろう。
「大好きなあの場所が、クソみたいになっていくのは耐えられなかった。シーリは何とかしようとしていたけれど、自分の父親にそこまで強く出ることもできなかった……だから、貴女のようにまっすぐな人が騎士になってくれればきっと、きっと、何か変わると思ってたの……」
ポタリと一粒の雫がリノの瞳から零れ落ち、それはリゼスの頬に落ちて流れていく。
「ごめんね。こんなに辛い目に遭わせるつもりはなかったの……ただ、貴女には騎士としてただ活躍してほしかった……それだけなの」
人を守らんとする彼女にただ剣を振るっていてほしかった。信頼できる人が少なくなってしまった大切な友達であるシーリの良き相棒となってほしかった。そのために、いろいろと手をまわしたのに、結局多くのものを失ってしまった。
「リゼス、貴女のことは絶対に守るから……だから、早く目を覚まして。シーリを笑顔にできるのは貴女だけだから」
リノの願いが静寂に吸い込まれていく。その時、わずかではあるがリゼスの瞼が震えた。
団長室へとシーリが入ると、机に向かっていた男こと団長のミクスは顔を上げ、温和に「呼び出してすまない」と彼女を迎えた。
「ここでの暮らしはどうだ?」
「皆さんよくしてくれるので特に問題はありません」
「そうか、よかった。何か困ったことがあればすぐに相談してくれ。君は俺の大切な親友の子だ。君に何かあれば、俺はアイツに顔向けできない」
ハハハ、と乾いた笑いを浮かべる彼に、シーリは曖昧に笑って返し、静かに深く頭を下げた。
「父の治療や私たちを受け入れてくれたりと、本当にいろいろとありがとうございます」
「いいんだ。言ったろ。君は……いや、君たちはアイツにとって命よりも大切な存在だ。それに、逆の立場だったらアイツは必ず俺の大切な仲間たちを助けてくれるってわかってるからな」
「父が一度だけ、貴方のことを話していました。強い人だと」
ミクスが大きく目を見開く。
「アイツ、そんなことを言っていたのか。まったく……逆だよ。俺は弱くてアイツのほうがずっと強かった。本当であれば、この席にはアイツが座っていたはずなんだからな」
「そうなんですか?」
「あぁ、俺とアイツは一緒にこの王国騎士団でお互いに切磋琢磨しながら一緒にいたんだ。そして、最後の試験でアイツは俺にこの席を譲るためにわざと負けたのさ」
意外だった。シーリの知るライズという人間は、決して戦いで手を抜かない。それがどんな相手であろうと。手を抜くことがこれ以上ないほどの侮辱だと知っているから。
「まぁ、それはアイツが王国を出ていくつもりだったからってわかっていたから、俺も何も言わなかったけどな」
フッと懐かしそうに目を細める。その眼差しから、シーリは二人は本当に仲が良かったのだろうとわかるだろう。知らない父を知れて、シーリの心が徐々に穏やかさを取り戻していく。
だが、そんな穏やかな時間は終わりだというように、ミクスがコホンと軽く咳ばらいををした。その眼には先ほどまで浮かんでいた懐かしむような色はなかった。
「さて、呼び出した理由を話そうか」
「はい」
「次の討伐任務に君とリノを参加させる。リゼスがまだ目を覚ましていない段階で、一時的といえど離れるのは嫌かと思うが、そろそろ君たちの実力を騎士団で示してもらわないと騎士たちが不満を持ち始めているんだ」
ここに来てからずっと、ミクスが配慮をしてくれたおかげでリゼスの傍にいることができた。だが、騎士である人間がそう長く任務に出ずに騎士団に籠っていることなどできない。それに、シーリ達はいうなれば拾われた身である。
そう遠からずうちに、この話が出ることはわかっていた。シーリはぐっとこぶしを握る。
「リゼスが目を覚ました時に私がいなければ、何かあったときに対処できないかと。せめて、リノを彼女の傍にいさせてください」
「そのあたりは問題ない。君たちがいない間は、チャオンが見てくれることになっている」
「あの人喰い研究をしている人ですか……」
チャオン・ガレット。王国騎士団において、人喰いの研究をしている人物だ。彼女の発明によって、多くの騎士たちが命を救われていたりと多くの功績を持っている。確かに、人喰いのスペシャリストともされる彼女であれば、何かあったときに対処はできるだろう。
わかっていても、シーリはその顔に難色を示す。単純に信用できないのだ。たとえ、ほかの人間が信用していたとしても。それが、彼女が信頼する理由にはならない。
無言でいる彼女をしばし見守っていた彼はやがて、小さく息を吐く。
「言い方を変えよう。シーリ、これは決定事項だ。この騎士団にいたいのであれば力を示せ。お前たちが、人喰い共を殺せる存在だと信頼を勝ち取ってみせろ」
有無を言わさぬ言葉。彼の言うとおりだ。いうなれば、今の状態はただのお荷物。そんなものをいつまでも置いておくことをできないなんて、考えるまでもない。
「……わかりました」
「いろいろと思うところはあるだろうが、ここで実力を示せばある程度、過ごしやすくなるだろう」
「……とにかく、実力を示せばいいのですね。わかりました」
そう言い残してシーリは部屋を後にするのだった。
「……というわけで、任務に行くことになりました」
「まぁ、そうよね」
部屋へと戻ったシーリはリノへとミクスに言われたことを話すと、リノは両腕を組んでそう答えた。
「私たちは拾われの身だもの。いつまでも、客人扱いはできないってことでしょ。ここにいたければ、実力を示して、ふさわしいことを証明しろと……まぁ、騎士団らしいと言えばらしいわ」
「そうですね。リゼスが起きていれば、喜んで任務に行きますが……彼女をここに残すのはかなり不安です……」
「確かに、不安ね。でも、この調子だとまだ目を覚ますには時間がかかりそうよ。なんなら、その間に急いで任務を終わらせて帰ってくればいい」
そう勇気づければ、シーリは小さく微笑み頷く
そんなとき、ノックオンが響いた。
二人が顔を見わせ扉の方へと視線を向ける。すると声がかかる。
「すみません、団長に言われてきました。チャオン・ガレットです」
リノが頷いて扉を開ける。恐る恐ると言った感じに覗き込んだチャオンはシーリが迎え入れると、激しく恐縮しながら入ってくる。
「ええっと、お二人が任務に行くということで、私がその間、リゼスさんを、見ていることになりました」
おどおどとした様子の彼女は、研究者とはいえ騎士でもあるはずなのに、そう言った風には見えない。本当に彼女に任せてよいものなのだろうか。二人は不安をありありとその顔に写せば、チャオンは察したように手に持っている彼女の研究資料と思しき分厚い冊子を抱きしめる。
「もし、なにかあっても、なんとか、します。騎士団も、リゼスさんも守ってみせますので、安心して任務に行ってください」
その言葉はぎこちないものの、不思議と信頼を抱かせる不思議な強さがあった。
「軽く見た感じですと、まだ魔力が安定していません。おそらく、お二人が任務から帰って来るまで目を覚ますことはないでしょう」
「貴女、魔力が見えるの?」
リノが問いかける。魔力が見える人間はかなり稀有な存在だ。高い魔力を有していてかつ、高い魔法の技術が必要となってくるからだ。実際、リノは自分とニコリア以外で魔力が見える人間は知らない。故に、それだけでチャオンの実力が分かってしまう。
チャオンはリノがそう察するだろうとわかって、今の言い方をしたのだ。それが分かってしまったリノはあからさまに嫌そうに顔を歪ませる。
「なにか、あれば、対処します。決して、リゼスさんは傷つけません。なんせ、貴重な存在ですから」
そう小さく呟くように言った彼女の目には、明らかな好奇心の色が浮かんでいる。彼女にとって、
そんな彼女に何かあれば、チャオンは絶望に打ちひしがれるだろう。それだけは絶対に避けたい。故に、彼女の安全は何よりも最優先とする。
「そうです、彼女は何よりも大切な存在。ええ、ええ、安心してください。どんなものが来ようと、彼女は必ず守ってみせますよ」
まるで自分に言い聞かせるような彼女の言葉に、二人は不安を覚えながらも、彼女にリゼスのことを任せるのだった。
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