第10話 風の刃で



「……くっ」


 人喰いを引き付け森の最奥までやって来ていたシーリ。だが、その途中で人喰いの猛攻もあってその体には少なくはない傷が刻まれ、鎧にもいくつもの爪痕が刻み込まれている。体が引き裂かれていないのは幸運とも言えるだろう。

 とは言っても、かなりの疲労が体を襲っており、魔法を連発したために魔力もかなり少なくなってきていて立っているのもかなりつらくなってきた。だが、ここで諦めてしまえばシーリの命は容易く目の前の人喰いに食い殺されるのは明白だ。


『グルルルルルゥ……ッ』


 なかなか捉えられぬシーリに、人喰いはガチガチと歯を鳴らし、唸り声を上げる。その様は非常に恐ろしく、常人であればその迫力に耐えきれず意識を失っていたに違いない。


「……どうやらここで決着をつける必要がありそうですね」


 剣を構える。ルビーの瞳を持った人喰いを相手にしたことは何度かある。が、ソレはいずれも信頼ができてかつ技術の伴った騎士たちが一緒にであった。それに、基本的に人喰いの単身討伐は禁止されている。それは人喰いという存在が人間よりもずっと強く恐ろしい存在であるから。

 だが、これは自分の未熟が招いた状況だ。自分がもっと強ければあの時、部隊を立て直し対処できたのかもしれない。もし自分がもっと強ければあれだけの犠牲を生まずに済んだかもしれない。

 そんなたくさんの後悔が湧き出てくる。が、すぐにシーリは頭を振ってそれを弾き飛ばすと人喰いをまっすぐに見据えた。


『グルァァァアアアアアアッ!』


 大木のような腕に鋭い爪により繰り出された斬撃がシーリめがけて降り注ぐ。それを、彼女は軽く剣を構えて滑らせるようにいなすと、そのまま一歩踏み込んで肩口を切り裂かんと剣を振るう。が、鋼のように硬い毛皮は切り裂くことは叶わない。


「やはり、魔力を込めないと傷すらつけられないか」


 背後へと飛んで距離を取ったシーリは一人ごちる。そして、柄に少量の魔力を込めてそれを刀身へと流す。そうすれば、刃は淡い輝きを持つ。

 踏み込み、輝く刀身を突き出すように振るう。そうすれば魔力の篭った刃はあっさりと人喰いの左肩を切り裂き黒い煙のような血が噴き出し、人喰いの体が数歩後退する。


『グガァァァァアアアッ!』


 痛みに声をあげた人喰いはルビー色の瞳を怒りに滾らせ、その咢でかみ砕いてやらんと迫る。シーリは冷静に横に動いてスレスレで躱す。髪をなびかせるほどの強い風が通り過ぎる。と、その伸びきった頚椎目掛けてシーリは剣を振り下ろした。

 首を斬り落とすつもりで振るったそれは肉こそ切り裂いたものの、刀身の魔力が少ないためかその骨を切り裂くことはできず、硬い感触にシーリは早々に諦めて剣を引き抜いて距離を取る。


『グルゥゥゥゥゥッ』


 首に刻まれた傷口を片手で抑えながら、人喰いは歯茎が見えるほどのに歯を向いて睨む。


「ふぅ……」


 静かに息を吐く。傍から見れば、シーリが優勢だと誰もが思うだろう。が、実際彼女は劣勢である。一振り一振りに、もう残り少ない魔力をそれなりに込めている。その消耗は激しくそう何度もできるものではない。今だって、あの一撃で首を落として終わらせるつもりだったのだ。

 普段であればこんな短期決戦を仕掛けようとは思わなかっただろう。だが、調査任務の成果が思ったように出ないために無理に索敵魔法を使ったために魔力がもう残り少なくない。


「本当に私はまだ未熟だ」


 連続して襲い掛かる人喰いのかぎ爪を最小限の動きで躱しながら、シーリは吐き捨てる。全部、全部自分の弱さが招いたこの結果には本当に吐き気がする。


 だが戦闘中にそんなことに考えをしていたのがいけなかったようだ。


『――グラァァァッ!』


 かぎ爪の攻撃をよけた次の瞬間、人喰いは大きく身を振って尻尾で薙ぎ払う。シーリは咄嗟にその動きに反応しようとしたが、ここで魔力切れの症状である眩暈が襲った。


「……っ!」


 目前まで迫るは大蛇のようにうねる尻尾。

 直撃すれば骨はあっけなく粉々に砕けるだろう。腕は確実に犠牲になるだろうがしかたないだろう。


 シーリが咄嗟に両腕をクロスさせて防御しようとしたその時――声が響いた。


「シーリ様に何してんだぁぁぁぁぁああああああッ!」


 寸でのところで間に飛び込んだリゼスはあらかじめ、水の魔力を充填した剣を振ってその一撃を弾き飛ばす。と同時に踏み込んで人喰いの両膝をその鋭い刃で斬りつけた。


『グラァァァッ!?』


 胸を大きく切り裂かれた人喰いは鮮血を町き散らしながら後退。そして、怒りに狂ったような恐ろしい唸り声を上げながら、乱入者であるリゼスを睨みつける。すぐにでも目の前の忌々しい人間を殺しにかかろうとするが、傷口に付着した水の魔力が傷口を抉り続けるために人喰いは動けないようだ。

 リゼスの背中を見上げたシーリが「リゼス……」と困惑した様子で名前を呼ぶ。ピクリとその声に反応したリゼスは振り向くと、片膝をついてまっすぐにシーリを見つめた。


「シーリ様、大丈夫ですか」

「リゼス……ええ、大丈夫です。魔力切れを起こしてはいますが問題ありません。ですがなぜ、ここに……」

「リノ様に言われて来ました。全員撤退の準備を始めています」

「そうでしたか……」


 少しだけホッとしたようにシーリは息を吐く。だがすぐに、申し訳なさそうに顔を暗くする。


「申し訳ありません、貴女に来てもらって」

「何言っているんですか。私の方こそ申し訳ありません。強い騎士ではなく私なんかが来てしまって」


 本当だったら、あの場にいた者中で一番行くべき人はリノだったはずだろう。だが、拠点防衛の要である彼女はうかつに動くことはできないし、シーリ以外でほかの騎士をまとめることができるもの副隊長である彼女しかいない。 

 だから、こんな自分がと苦笑を浮かべるリゼスに、シーリはぶんぶんと首を振って見せた。


「違います。私は貴女が来てくれてとても嬉しい。貴女ほど、心強い味方はいませんよ」

「……買いかぶり過ぎですよ。でも」


 ゆっくりと立ち上がったリゼスは腰のベルトから風のように渦巻く魔力の入った小瓶を取り出し、肩越しに振り向くと、フッと勝気な笑みを見せた。


「貴女が期待してくれるなら、私は期待に応えられるように全力を尽くすだけです」


 その言葉と同時にリゼスは剣に小瓶を叩き付けた。パリンと簡単に割れた瓶から魔力が流れだし、ソレはリゼスの剣に巻き付くと、ゴゥゴゥと風の唸るような音をあげた。

 風の魔力が剣に完全に付与されたのを確認すると、リゼスは人喰い目掛けて駆け出す。


「はぁっ!」


 全てを切り裂く風を纏った剣が人喰いを真っ二つにせんと迫る。人喰いは咄嗟に両腕をクロスして防ごうとするが、風の刃は鋼よりも固い毛皮をあっさりと切り裂き、その肉と骨を断ち切る。


『ゴラァァァアアアアアッ!?』


 人喰いの両腕が宙を舞い、放物線を描きながら地面へと落下する。だが、それを見送っている暇はない。リゼスはもう一歩踏み込むと、そのままぐるりと回転するように横なぎに払う。

 これで倒す。と、リゼスは思っていたが、そう相手は甘くないようだ。人喰いはトンと軽く大地を蹴って背後へと飛んで躱す。


「そう簡単にはいかせてくれないか」


 剣を構えたリゼスは言葉を零す。ここまで走ってきたというのにまだまだ心臓は余裕だ。ちらりと背後で休んでいるであろうシーリへと視線を移したリゼスは驚愕の表情を浮かべた。


「シーリ様!? なぜ、立ち上がって」


 いつの間にか剣を取って歩み寄る彼女へと困惑の言葉を投げていた。リゼスは魔力切れというものを起こしたことが無いのでどれほどつらいモノかはわからないが、今にも倒れてしまいそうなほど真っ青な表情の彼女が戦いに参加できるとは思えなかった。


「大丈夫です」

「顔を真っ青にして何を言っているんですか! 倒せる自信はありませんが、私が時間を稼ぎますからシーリ様はもう少し休んでいてください」

「心配しなくても大丈夫ですよ。久々に魔力切れを起こしたので少し体が驚いているだけですから。それに――」


 ドキリとするほどの強い眼差しがリゼスを射抜く。


「私は何よりも貴女と一緒に戦いたい。これで死ぬことになっても、貴女と戦えるのならば本望なんですよリゼス。だから、バカな私のわがままを聞いてくれますか?」


 にこりと微笑む彼女に、リゼスはグッと唇を引き結ぶ。そしてフッと表情を緩めた。


「……ずるいですね。そんな言い方されたら何も言えないじゃないですか」

「感謝します」


 顔を見合わせ小さく笑い合った二人は武器を構え、人喰いへと顔を向けた。そんな二人の顔には先ほどまで浮かんでいた柔らかな空気は消えていた。


「ルビーの人喰いは魔力による攻撃でなければ傷をつけることすらできません。私は魔力がもうありませんから、有効打を与えることができませんし倒すこともできません。なので、私が人喰いの動きを牽制しますので、任せてもいいですか?」


 前を見据えながら紡がれた言葉にはありありと信頼の色が浮かんでいる。

 ああ、この人は自分の命を託してくれている。それが聞かずとも伝わったリゼスは剣の柄を力いっぱい握り締める。と、その気持ちに呼応するように剣に充填された風の魔力がゴウと音を立てる。


「任せてください。この剣で必ずやシーリ様の期待に応えてみせます」

「では――」


 その言葉と同時にシーリの姿が消えた。そう思った次の瞬間には人喰いの眼前へと迫り、両手で剣を振り上げているところであった。

 ガゴンッ!

 生き物を斬りつけたとは思えない打撃音が轟く。喉元を直撃した衝撃に耐えきれず人喰いは天を仰ぎながらくぐもった声を漏らす。だが、彼女の攻撃はこの程度では終わらない。

 一歩踏み込み飛び上がると、そのまま人喰いの脳天目掛けて剣を振り下ろす。やはり鋼鉄よりも固い毛皮を切り裂くことはできない。が、それでも脳を揺らすほどの一撃に人喰いは耐えきれずその場に膝をつく。


「リゼス!」

「はいっ!」


 着地と同時にバックステップで距離取るシーリ。そして、入れ違うようにリゼスが飛び出す。


「死ねぇぇぇぇぇぇ!」


 全てを切り裂くほどの鋭い風を纏った剣を振り下ろす。首を斬り落とすつもりで振り下ろされたそれを、人喰いは何とか転がるようにして躱すと、立ち上がって歯茎を剥き出しにして怒りをあらわにした。

 目標を惜しくも捉えることのできなかった風の刃は硬く乾いた大地を砕き、その破片が雨のように降り注ぐ。ゆっくりと地面に刺さった剣を引き抜いたリゼスは落ち着きながらも闘志に燃えた目を人喰いへと向ける。


『グルゥゥゥゥラァァァァアアアアアアアアッ!』


 鼓膜を劈くほどの咆哮が轟く。リゼスはそれを受けながらも平然と剣を構える。これが常人であれば鼓膜が破れ下手をすれば意識を失っていただろう。だが、リゼスは事前に剣が纏った風の魔力を操作して風の膜を作ってその咆哮の効果を半減させているため、うるさくとも鼓膜が破れることはなかった。


「次は殺す。……シーリ様、すみませんもう一度チャンスをもらってもいいですか」

「ええ、構いませんよ」

 

 ニヤリと笑ってシーリが駆け出す。そして、目にも止まらぬ速さで剣を低く振るって足払いを仕掛ける。躱す間もなく人喰いの体勢が大きく崩れる。と、シーリは流れるような動きでポケットから獣除けで使われる香辛料と砂を混ぜて作られた粉を人喰いの両眼へとかけた。


『ゴァァァァァァッ!?』


 たとえ獣と言えど失明するほどの威力を持ったそれを真っ向から受けた人喰いが悲鳴とも取れる声をあげる。やたらめったらに振るわれるかぎ爪を躱しながらシーリはリゼスへと視線を送る。


「ハァァァァァッ!」


 風の魔力を操り天高く飛び上がったリゼスは重力に任せ落下しながら剣を大きく振りかぶる。狙うは頚椎。その頸を斬り落とす。


「今度こそ!」


 人喰いの手前で風の魔力で速度を上げると同時に剣を振り下ろす。


『ゴ、ア……ッ』


 極限まで研ぎ澄まされた風の刃が鋼鉄よりも強固な毛皮を切り裂き、その肉も骨をも切り裂いていく。抵抗などほとんどなく、人喰いの頭部がゆっくりとずれるように地面へと落下する。

 風の魔力を使いながら少し距離を取ってリゼスが着地をすると、少し遅れて頭部を失った人喰いの体が地面へと倒れる。ズシンという音が響いて砂埃が舞う。リゼスは暫し警戒した様子で剣を構えていたが、人喰いが完全に絶命したと判断するとフッと力を抜いた。


「……やはり、見込んだ通りだ」


 後ろで一部始終を見ていたシーリは確信の篭った言葉を零す。彼女であれば必ず人喰いを倒すと思っていた。そして、それは今現実となった。どうしようもないほどの高揚感がシーリを包む。

 彼女とならば人喰いをこの世から根絶することができる。それほどまでに、彼女は素晴らしい戦いを見せてくれた。


「リゼス、お疲れ――」


 賞賛の言葉を贈ろうとしたその時、シーリは嫌な気配を感じて咄嗟に振り向く。すると、森の奥から一人の男が手を叩きながらこちらへと近づいてきているところであった。


「いやぁ、まさかあの人喰いが倒されるとは思ってなかったよ」


 親しみを込めたような笑みを浮かべたその男は、ぞっとするほど冷たい目でシーリとリゼスの二人を見たのだった。


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