02 秘密の帳面
アーレイドの街は治安がいい。
と、言われている。
ザックはずっとアーレイドに住んでいるから、余所との違いがよく判らないのだ。
だが聞くところによると、酷いところでは昼間だろうと大通りだろうとかまわず殺しが起きたり、最初はふたりの喧嘩だったものがいつの間にかこれといった理由もなく街区を上げての暴動になっていたり、そんなことがあるらしい。
確かにそれに比べたら、アーレイドは平和だ。
夜でも街灯のある大通りならば、女性がひとりで歩いていてもあまり襲われない。あくまでも「あまり」であって危険が全くないとは言わないが、治安の悪いところならば「確実に」襲われる。それよりはましということだ。
喧嘩もよくあるが、基本的に人々はそれをとめようという方向に動く。酒場などでは煽って賭けごとなどがはじまったりするが、誰かしらが町憲兵を呼びにくる。喧嘩で死人が出るというようなことも、あまりない。やはり「あまり」だが。
大都市ではどこでもはびこっている幻惑草の類も、見られない。摂取することで快楽を得る薬物草は多くの街で厳しく禁じられているが、その法の目は多くの街でかいくぐられるものだ。ここでも皆無という訳にはいかなかったものの、ウリエやオーアンといった、少量で死人が出るほどの危険なものは入ってきていなかった。
その件についてはトルーディが大いに活躍をしたという話だが、ザックは詳しいことを知らなかった。
「うん、それはね」
晴れた青空の下を歩きながら、ラウセアは少し笑った。
「秘密の帳面、というものがあって」
「ひ、秘密ですか」
ザックはごくりと生唾を飲み込んだ。違う違うと先輩は笑う。
「『秘密』というのは、身内で通じるちょっとした冗談みたいなものです。最重要機密というようなことじゃない」
「何だ」
緊張をする必要はなかったらしい。もっとも、当然だ。機密について気軽に街なかで話すはずもない。
「はじまりは二十年ほど前」
ラウセアは、そう切り出した。
「最初は、信頼できる人がくれた、一枚の紙でした。その紙には幻惑草の取り引きに関わると思われる人物や団体の名称がいろいろと書かれていたんです」
「へええ」
「疑り深いビウェルだから、頭から信じ込むということはなかったけれど、その情報の八割は合っていましたよ」
「残りの二割は?」
「幻惑草とは関係ない、犯罪集団でした」
「じゃあ、ある意味では全部合ってたんですか」
「まあね」
そうとも言える、とラウセア。
「と言っても、全部の関係者を全員しょっ引いた訳ではありません。余所で捕まったという話だけが伝わってきてアーレイドにやってこなかった人物もいるし、隊商のなかでも隊商主だけが悪徳だった、ということもあったから」
こうした場合、ラウセアを含む多くの町憲兵は、「その項目は終わった」と考えた。だがトルーディは、捕まった人間が強制収容所の刑期を終えたあとの動向やら、隊商主以外の人間が本当に裏ごとに関わっていなかったかやら、いくらか「やりすぎだ」と思われるくらいに追跡調査をした。
隊内でも賛否両論あったのだが、彼は気にしなかった。文句があるなら制服を脱いで個人的にやると言い、噂では彼の嫌いな魔術師まで雇ったのだとか。当時、彼の相棒だったラウセアも、ことの真偽は知らなかった。どれだけ問い詰めても、教えてくれなかったのだと言う。
「もっとも、その理由のひとつはやがて判りました。――町憲兵隊長が公開指名手配された事件、君は若いから知らないかもしれませんね」
「あ、聞いたことはあります」
こともあろうに町憲兵隊長たる人物が、賄賂を受け取って犯罪を見逃し、それどころか積極的に荷担していたのだとか。その事件はアーレイド中に衝撃を走らせ、町憲兵隊の信頼を失墜させたが、捕縛、裁判、全ての経緯を詳細に公開したことや、町憲兵への罰則、査定を強化したことなどで、いくらかは取り戻せた。あの頃はつらかった、とラウセアは呟いた。
「いまでこそ君みたいに若い人たちが町憲兵になろうと頑張ってくれるけれど、新兵希望者がひとりもいなかった年もあったんです」
「そ、そりゃ……何て言うか、すごかったですね」
当時を知らない若者としては、目をしばたたくしかない。
「もとからビウェルは自分のやってることを説明しない人間だけれど、当時はなおさら、隊のなかでつまびらかにできなかった訳です。彼も当時の隊長のことを最初は疑っていなかったから、それだけじゃないんだろうけれど……」
ラウセアは呟いて、首を振った。その様子は、いまだにトルーディが彼に明かしていないことがあるということを示していた。
「まあ、とにかくビウェルは、一枚の紙にあった情報を帳面に書き写して、追って判った事実を全部そこに書き記していました。結局のところ彼の判断は正しくて、その情報によって未然に防がれた犯罪も多いし、逮捕された犯罪者はけっこういるんです」
「へええ」
ザックはまた言った。
「すごいですねえ」
「執念、と言うんでしょうね。言ったように賛否両論だし、私とはいくらか価値観が違うところもあるけれど、尊敬できる人だというのは本当ですよ」
ラウセアとトルーディがやり合っているのは、ザックも見たことがある。大先輩と大々先輩の険悪な雰囲気に彼はおののいたものだが、ほかの熟練町憲兵によると、いつものことであるのだとか。
いまの台詞によれば、本気で喧嘩できるほど信頼がある、ということになりそうだ。
「その帳面は、いまでは資料室に公開されています。と、言うか、いまだに更新は続いています。冊数もだいぶ増えていますし、まだ増えるでしょう」
一度見ておくといいですよ、と話は締められた。
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