第3章
01 それ以上ではない
あのうっかり娘が無事〈麻袋〉亭に雇われたと判ったのは、ユファスが再び店を訪れた、その翌日のことだった。
亭主が言うには、まず見習いという形で様子を見るのだとか。
バールはチャルナの仕事ぶりについて公正に話しただろう。それと同時に、試しでいいから一日二日雇ってやれないかとでも持ちかけたのではないだろうか。ユファスはそう思っていた。
と言うのも、〈麻袋〉亭の人手は充分であるようだったし、余分な人員を雇えるほど大儲けをしている店でもないからだ。
ともあれ、バールは上手に話をしたのだろう。亭主は二日間だけ少女の様子を見ること、これも確約ではなく、とんでもない失態をやらかしたらその場で解雇も有り得るが、二日のあとは改めて話し合いをすることなどを決めて、少女に簡単な仕事を与えた。
そのおかげでユファスもザックも、あの次の日に〈麻袋〉へ行けばチャルナの様子を知ることができた。
チャルナはそれなりの失敗を――やはり――やらかしたようだが、慣れない内は誰だってやるものだ、と〈麻袋〉亭主は寛大だった。〈白い河〉の主人が狭量だった訳でもないが、とにかくそれから、青年料理人見習いが思ったよりも長いこと、少女の勤めは続いた。
「長い、ってほどじゃないだろ」
バールは笑った。
「三日だぜ」
「まあ、そうなんだけどね」
ユファスには「半刻とかからずにクビを宣告される娘」という印象があるのだが、それは極端な印象だったと言えるだろう。現実的にチャルナは、ユファスに水をかける前に何日か、それとも何月か、或いはもっと長く、〈白い河〉亭に勤めていたはずなのだ。
失態ばかりだったとしても、〈白い河〉亭主も、〈麻袋〉亭主同様「慣れるまで使ってみよう」と思っていたかもしれない。そうして様子を見た結果が――あれだったのかも。
チャルナの運命はこんなふうに職場を転々とすることか、はたまたいずれは落ち着いた働きぶりを見せるようになるのか、それを知るは神ばかり。
ただユファスは、街へ行くたびに〈麻袋〉亭を訪ね、今日も少女がクビになっていないことを知るのだった。
「へえ……それじゃ」
結局、無事に一旬近くが経つ。少女は〈麻袋〉亭に雇われたままだった。
「ザックはあれから、毎日?」
「ええ。熱心で親切な町憲兵さん」
にこにことチャルナは言った。
「通りすがりの私が職に就けるかどうかを心配してくれただけでも充分なのに。毎日様子を見にきてくれるなんて、すごい。ああいう人が街を守ってくれてると思うと、安心よね」
感謝しないと、などと彼女は笑む。
「うん、そうだね」
ユファスは同意したが、ザックが毎日〈麻袋〉亭に通うのは、何も「アーレイド市民が貧困にあえぐことがないように」と気遣っているためではないと判っている。
正直、ユファスも最初はかの町憲兵を見て「まだ新任だろうに頑張るな。いや、新任だからこそかな」などと思ったのだが、既に事情は知れた。
少年町憲兵はあの日、ほかでもないチャルナの様子を見るために北街区までやってきていたのであり、ついてきたのも「アーレイド市民が」心配だったのではなく「チャルナが」心配だったから。もちろん、ここにやってくる理由も同じ。
(バールがシンガの恋敵を作りたいなら)
(僕はお役ご免かな)
シンガ青年がチャルナに恋をしている、という仮定を続けたまま、ユファスはそう考えた。
(……いや、そんなこともないか)
バールの望みはバールの周囲で「面白いこと」が起きることなのだから、この展開で満足するはずがない。それどころか、ますます面白くなりそうだとユファスを舞台に押し上げるだろう。
何より、こうして〈麻袋〉亭を紹介したことが証だ。
もちろん、ここはバールが親切にしてもらった場所だからチャルナも雇ってくれるか、少なくとも門前払いはしないで話を聞いてくれると思ったせいもあるだろう。
だがこの店は、彼ら下厨房の料理人たちの行きつけなのである。
バールはあわよくば、ここでチャルナを巡る三人の男――ユファスは別に、巡っていないのだが――を見て楽しむつもりなのだ。
これは何も、ユファスが穿ちすぎているのではない。バール自身がそう言った。
どうあれ結局はユファスもザックも、チャルナが「昨日も無事に勤め上げ、まだクビになっていない」ことを確かめるように、店を訪れていた。
ユファスの頻度はザックほどではないが、これまでは同僚に連れられて数軒の店を代わる代わる訪れていたところをこの店一辺倒になっている。チャルナ嬢は少なくとも常連をふたり増やした、ということになった。
「そう言えば」
ふとユファスは呟く。
「シンガは?」
「え?」
「ええと、僕とザック以外に、最近この店によくやってくるようになった若い人はいない?」
「判らないわ。私自身が、最近だもの」
チャルナは肩をすくめた。それもそうだ、とユファスは思う。少女が入ってから増えた人物など、以前を知らない当の少女に判るはずもない。
「いるよ」
しかしそこで、通りかかった別の給仕がにやりとした。
「新しい娘が入った、となると、それだけで売り上げが伸びるもんだ」
「若い男の客が増えた?」
「増えた増えた」
ユファスより少し年上の給仕は笑う。
「一度きり、ってのも多いがね。あんたと町憲兵君のほかにも、二、三人は顔馴染みが増えたよ」
「へえ」
確かにチャルナは可愛いし、誰とでも屈託なく話すし、新人だと判っていればちょっとした注文間違いなどは笑って許されるどころか、慌てて謝る姿がまた「可愛い」と思われることもある。
「若いのだけじゃない。おっさんにも彼女はなかなか人気が」
「へえ、それはまた」
ザックにもシンガにも、競争相手が多いようだ。
(まあ、シンガのことは僕の思い違いかもしれないけど)
刀屋に行って確認をしてきた訳でもない。ユファスに判っているのは、あの親父さんは自分の息子が〈白い河〉亭の女の子に懸想していると考えていたこと、親父さんと似ている若者が、チャルナと話していたユファスを睨んでいたように見えたこと、それだけだ。
ユファスとしては特に人の恋心を面白がるつもりはなく、ザック町憲兵の恋敵がひとり減る――と言うより、最初からいないのであれば、それはそれでいいんじゃないかと思っていた。
もちろん、自分はチャルナを巡る恋愛関係の輪のなかにはいないと考えている。
こうして少女を訪れるのは、妹を引き取ろうと頑張るチャルナに自分と弟を重ね合わせていることが大きい。あとは単純に、どうにも人を心配させる娘であるということもある。
だがそれ以上ではない。少なくとも当人は、そのつもりだった。
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