02 知らせたくないのならば

「いらっしゃい!」

 元気のよいチャルナの声に、何となく釣られて入り口を見やった。すると、若い男がふたり連れで入ってくるところだった。

(チャルナ目当ての新客かな)

 そう思ったのは、ふたりがチャルナを見て、ぼそぼそと何か言い合っているように見えたからだ。あれが新しい給仕らしい、なかなか可愛いじゃないか、などと言っているのだろうか。大した顔じゃない、かもしれないが、それは個人の好みだ。

 何であれ、新しい店員の顔だけ見て帰る客というのもいない。現状、少女の失敗と店の売り上げは相殺で済んでいるか、或いは後者が勝っているかというところのようだ。

(あれ?)

 そこでユファスは、はたと気づく。

(片方は……彼じゃないか?)

(僕が、シンガだと思っている人物)

 港の倉庫の傍で、それほどはっきりと顔を見た訳ではない。話をした訳でも、その後に会った訳でもない。記憶は曖昧だが、そのときの若者と似ているように思った。

 そのときの人物であると仮定すれば、やはりそれはシンガ青年で、チャルナを慕っていると考えるのが自然だった。少なくとも、ユファスの知るところによれば。

 ユファスは、何となくちらちらとシンガ――としておこう――とその連れを見た。彼らは周囲に聞こえぬよう気遣う風情で顔を突き合わせながら小声で話し、やはりチャルナを見ているようだった。

(何だろう?)

(……気にかかる)

 男たちの様子は、可愛い娘の品定めをしたりだとか、片方が片方をからかったりだとか、若者にありがちなそうした気軽な雰囲気を見せていなかった。

 まるで何やら、人に聞かれては困る、悪い相談をしているように。

 どこか、胸がざわついた。

 だが――。

(考えすぎだろう)

 彼は思った。

 チャルナはシンガのことを知らないようだ。ということは、シンガはザック以上の奥手で、彼女に自分の名を名乗ることすらしていない。深刻に、友人に相談でもしているのではないかと。

 そんなふうに思った。

「はい、ユファス。お待たせ……あたっ」

「ちょ、チャルナ」

 とっさに元軍兵は立ち上がり、踵を返そうとしてバランスを崩し、卓にぶつかった少女を支えた。

「有難う……あっ、ごめん、料理!」

 卓が大きく揺れたために、炒麺の半量近くが皿から逃げ出し、卓上を襲撃していた。

「か、片づけるね。それから、すぐに新しいのを」

 卓はきれいに拭かれているのだから皿に入れ直して食べても問題ない、とまだ料理人気質より軍兵気質の強いユファスは思うが、さすがに給仕娘はそう言わず、慌てている。

「いいよ、この半分だけで」

 手を振りながら、ユファスは座る。

「よくないわよ、ちっとも」

「いや実は、朝の残りを片づけさせられたから、そんなに腹は減ってないんだ」

 「朝の陣」のあとは特に賄い飯を作らないが、少量の余りものを料理人の腹で処理することも珍しくない。

 下町の料理屋と違って料理人たちは賃金を充分もらっているのだから、余りもので食費を浮かすなどということは考えなくてもいい。ただ、余ったからと言ってぽんぽん捨てるという行為を料理長は好まず、その気質は彼の元で働く料理人たちにも移っていた。

 彼らの職場の性質上、不足させる訳にはいかないから、どうしたっていくらかは余ってしまう。だが一定量を超えるときは、彼らは自主的にそのまま自身の飯にする。

「そうなの? そう言えば、今日はほかの人、見ないもんね」

 下厨房の面子は、ここでは顔が知られている。ほかの店員たちと親しげに話をしている彼らは、新人の給仕娘にもすぐ覚えられていた。

「違う店に行ったのかと思ってたけど。でもそれなら何で、ユファスはわざわざ?」

「ああ、ちょっと用事があったものだから」

 これは本当だった。チャルナに会いにきたのをごまかしているのではない。彼は、会いにきたならば会いにきたと言う。

「用事って?」

「うん、ちょっとね」

 これはごまかした。チャルナはうっかり者だが、鈍い訳ではない。ユファスが明答を避けたことに気づいたようだった。そう、と相槌だけを打つ。

「とにかく、半分だけでいいにしても駄目にしても、この卓はきれいにするね。悪いんだけど、席を移ってくれる?」

「ああ」

 判った、と言ってユファスは皿を持ち上げた。混雑する時間帯ではないからすぐ隣も空いているが、何となく彼はきょろきょろとした。

 と、目が合う。

 先ほどの男たちだ。

 別におかしなことではない。ほかの客だって、何が起きたのかと彼の卓を見ていただろう。ユファスが考えているようにチャルナのことを気にかけているなら、おかしな男が彼女に絡んでいないかと案じることも有り得る。或いは、ユファスが彼女と親しげに話したり、事故とは言え抱きとめるような形になったりしたことに妬いたのかも。

 しかし彼らの様子は、少女が無事で安心したという感じでもなく、ユファスを恋敵と睨むでもなかった。ぱっと目を逸らし、見ていたことなどなかったようにふるまったのだ。

 別にそれほど不自然ではない。

 少女を気にしていたことを知らせたくないのならば。

「ねえ、チャルナ」

「ん?」

「ザックはいつも、何時頃にくる?」

「そうね、夕刻前か、夜の混雑時のあと、閉店前かな」

「店が終わるのは何時?」

「お客さんの様子を見ながらだけど、だいたい十刻前後ね」

「今日は、チャルナは何刻まで?」

「十刻よ」

「判った」

「……何が?」

「何でもない」

 答えにならない答えを返し、ユファスは少し、考えた。

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