03 線引きは難しい

 少年町憲兵は困惑した。

 城の料理人にして元軍兵が彼を訪ねて詰め所にやってきた、というだけでも困惑の種であるが、話があるなどと言われればなおさらだ。

 毎日〈麻袋〉亭に行っていることを何か言われるのだろうか。

 もしかしたら、チャルナが困っているからやめろとか、そういう。

 別にザック少年は、給仕娘が困るようなことを何もしていない。料理を注文して、食べて、機会があればチャルナと話して、もちろんきちんと代金を払って帰るだけだ。

 だが、毎日くるなんて気持ち悪いだとか、そんなふうに思われているのではないか。そうした不安は恋する少年特有のもので、仕方がないとも言える。

 しかも、ラウセアの同席まで求められた。

 ザックとしては戦々恐々というところである。

「それで、お話とは?」

 ラウセアが水を向けた。

「とある、ひとりのお嬢さんがいます」

 ユファスはまず、そんな言い方をした。

「ザック町憲兵がよくご存知ですけれど」

 ぎくり、と少年は身を固くする。やはり、チャルナの話だ。

「アーレイドは治安がよいと聞いていますが、女性に対する犯罪件数はどういった感じですか」

 次にユファスが尋ねてきたのはそこで、ザックは目眩がするかと思った。

 もしや彼がチャルナに何かするとでも思われているのだろうか?

「そうですね……」

 ラウセアは怪訝な顔をしながら、過去数月の犯罪件数、ここ数年のそれ、生憎と低下はしていないが横ばいであるというような話をした。

「そうか。それならエディスンよりずっと少ないですね」

「エディスン?」

 ラウセアが首を傾げれば、ユファスは自分が北からきたのだと話した。

「ああ、そうですか。道理で」

 熟練町憲兵は納得したという顔をした。

「アーレイドで若い軍兵が不測の事態で退役を余儀なくされた、というような話は聞かなかったですから」

「……調べました?」

「失礼ながら、少しだけ」

「いえ、まあ、別に僕はかまいませんが」

 年長者ふたり――とユファスとラウセアをまとめるよりザックとユファスが同年代とするのが自然ではあるが――のやり取りに、少年は目をしばたたいていた。

 ラウセアは何も、ユファスに何かしらの容疑をかけた訳ではない。ただ、元軍兵というのはアーレイドの軍兵だろうか、と疑問に思っただけだった。

 だが若い退役兵などはいない。訓練がきつくなって辞めた者は、普通、自分が元兵士だとは言いふらさないものだ。辞めた理由を問われて、きつかったからと答えるのでは、自慢にならない。

 もっともあのときはユファスが名乗ったのではなくバールがばらしたのであったが、彼が余所の兵士だったのではとラウセアは考えていて、このときに得心した、ということであった。

「トルスがエディスンから連れてきたというのがあなただったんですね」

「そう言えば料理長をご存知なんでしたね」

 ユファスはうなずいて認め、ザックは自分だけ話に入れない疎外感めいたものを覚えた。その辺りのことは、彼はちっとも知らない。

「もっともエディスンとは人口も違いますし、一概に数で比較はできませんが」

 エディスンより人口の少ないアーレイドの方が犯罪件数が多ければ目も当てられないということだろう。これはザックにも判った。

「何か気にかかることがあるのですか?」

「ええ、あるお嬢さんのことなんですが」

 ユファスはまた言い、ザックはどきどきする。

「ラウセアさんもご記憶かな。僕が関わったひったくり事件の財布の持ち主、チャルナという娘さん」

「チャルナ嬢ですか。覚えています」

「彼女はいま、食事処で働いているんですが――彼女の近くをうろついている男がいるようなんです」

 ユファスは言い、ラウセアはわずかに眉をひそめた。ザックはまたしても身を固くする。

「うろついている、とは」

「最初は、彼が彼女を好いて、でも打ち明けられなくているのかな、というようなことを思いました。いまでも、絶対に違うとは言えないんですが」

 そこでユファスはザックを見た。少年の心臓は大きく跳ね上がった。

「あの! 俺は何も、危なく思われるほどうろついてなんか」

「ザックに、少し彼女のことを気をつけておいてもらえたらと」

 思い切ってザックが叫びかけた反論と、ユファスの提案がぶつかった。え?――と三人が三人とも瞬きをする。

「……ああ、成程」

 両者の主張を最初に把握したのは、さすがの熟年者だった。

「ザックはチャルナ嬢の勤める食事処に通っている、と。その動機は彼自身がいちばんよく知るが、他者に類推が簡単なものであり、ユファス殿もお気づきだ。だが、彼が町憲兵である以上はおかしな真似はするまいという信頼、及び、どうせならザックの恋を応援してくれようと、〈兎を仕留めた狐を捕まえる〉ことをお考えになった」

「……え?」

「お見通しですか」

 さすがです、とユファスが苦笑するのに、ザックはまたも疎外感を覚えた。

 先ほどと違って今度は彼自身も話題のなかに入っているのに、流れが理解できない。

「仕事に私情を挟むべきではない。ですが町憲兵も人の子ですから、街の人を全員公正に気にかけることは難しい。友人知人に何かあれば、普段よりも真剣になるのは、仕方のないことと言えますね」

 理想としては何においても同じ熱意を持つべきですが、とは加わった。

「ただし、いまのお話だけでザックの勤務時間を彼女の警護に割くことは困難です。かと言って時間外であれば、私も命令はできません。彼の判断に任せるしか」

「そうですね。判ります」

 実は、とユファスは続けた。

「彼女の今日の上がりは遅いので、何となく気になったんです。それなら僕が送ったりすればいいんですけど、その時間はまだ仕事中で」

「だ、そうですよ、ザック」

「頼めるかな?」

「え、ええと」

 ザックは必死で考えた。

 つまりザックは、時間外とは言え、ラウセア公認でチャルナのもとを訪れることができ、なおかつユファスはザックを信頼してくれている上、彼女のことを友人以上には考えていないと――そんな感じだろうか。

「ザック?」

「あの、ええと、俺は」

 どう答えたらよいものか。少年は焦った。

「もう少し、ユファス殿と話をするといい。その上で君が判断するように。おそらく危険なことはないと思うが、決めたらどちらにせよ、私に言いなさい」

 ラウセアが助け船を出してくれた。

「わ、判りました」

 彼はうなずいた。

「もう少し、聞かせてください」

 ――などという話のあと、ザックが〈麻袋〉亭を訪れたのは、十刻近くだった。夜番であればまだ自由が利かないが、今日は少し遅めという程度だ。

 制服を着ていくべきかどうか散々迷った末、私服にした。

 町憲兵は、業務時間外であってもある程度の権限を持つ。だが、帯剣は時間内のみだ。個人で剣を持つことは町憲兵でなくても可能だが、街なかで振るうことは禁止。時間外なら、町憲兵も同じ。制服を着る以上は勤務時間ということで権限は増えるが、届け出が要ることもあれば、制服姿で店内をうろついたりして店の雰囲気を悪くすることも避けたかった。

 だいたい今日は、私事と仕事、どっちつかずだ。

 ユファスは本当に心配するのとザックを焚きつけるのと、その二点からこれを提案したのだろう。ラウセアもおそらく、似たようなものだ。

 もっとも、先輩が「万一のことがあっては」と考えていることは判った。かと言って事件性が確定していないのに町憲兵が出しゃばれば、逆に問題になることもある。

 事件は未然に防ぐことが理想だが、未然に防がれた事件は事件ではなく、町憲兵が横暴に権力を振りかざしただけと見られることも有り得るのだ。「灰色でも黒と見ておく」か「濃くても灰色ならば黒ではない」か、その線引きは難しい。

 ラウセアでさえ、迷うのだ。ザック少年がその決断をできるようになるまで、先輩と同じように、二十年はかかることだろう。

「――おや」

 〈麻袋〉亭のおかみさんが、制服を脱いだ少年町憲兵に目をとめた。

「惜しかったね」

「はい?」

 ザックは目をしばたたく。

「チャルナだろう? 今日は早めに客足が途絶えたんで、もう上がっていいと言ったところさ」

「あ、ザック。今日は遅かったですね」

 ちょうどそのタイミングで、給仕用の前掛けを外したチャルナが姿を見せた。

「いつもお仕事、お疲れ様です」

 にこっと笑うチャルナに、ザックはどきどきする。大したことないです、などともごもごと答えた。

「もう帰るところ?」

「ええ。でも注文が決まってるなら、最後の一仕事」

 少女は屈託のない笑顔を見せた。

「お決まりですか?」

 注文は、君――などという台詞が、冗談でも本気でも発することができるなら、苦労しない。

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