04 下町の友人
少年はつい、言われるままに〈麻袋〉亭の定番料理を思い浮かべそうになった。だが今日、彼はここに食事にきたのではない。食事をしないというつもりでもなかったが、あくまでもそれは予定のついで。
「送ります」
「え?」
「あの、ご迷惑でなければ」
なかなかここで「迷惑だ」とは言えないだろうが、とにかく親切の押し売りにならぬよう、ザックは気遣った。
「迷惑だなんて。むしろ私がお願いすることなのに」
チャルナはすまなさそうだった。
「え?」
「遅くなるときは、信頼できる人に送ってもらうといいよって、ユファスが言うんです」
「ユファスが?」
「そう。自分は仕事だけどザックに頼んでみたらって」
「はあ」
むしろユファスはザックに頼んできたのだが――。
どうやら料理人の若者は、本当にチャルナを心配し、なおかつ本当に、ザックを応援してくれているようだ。
「有難い話じゃないか」
彼らのやり取りを聞きつけた亭主が調理場から言った。
「ちょっとだけ待ちな、町憲兵の坊や。いま、お前さんの飯を持ち帰り用に包んでやるから、うちの新しい看板娘を無事に送り届けてやってくれ」
「そ、そんな」
それこそ迷惑ではないのかとザック少年は慌てたが、亭主はちゃちゃっと炒め物を作り、奥方は握り飯を作って、さっと彼に差し出した。
「代金は要らないよ」
「まさか。そんな訳にはいかないです」
「こっちがお願いするんだから、いいのさ」
「駄目です。そういうのを受けたら、こっぴどく叱られます」
「賄賂を差し出すと言う訳でもないんだし。だいたい、黙っていればいいことだろ」
「駄目です」
ザックは固辞した。
「ご親切は有難いですが、そういう一歩が
「真面目だねえ」
奥方は笑った。
「それなら仕方ない、ちゃんと料金をもらうよ」
「立派だな。ますます安心して、任せられるな」
亭主も笑った。チャルナは感心したような顔をしている。
当たり前のことを言っただけ、それも相手によっては「こっちの気持ちを無駄にするのか」と怒られかねないところであるのに、とザックは顔を赤くした。
「偉いですねえ」
裏口から外に出ると、しみじみとした調子でチャルナは言った。
「私なら、ご飯くらいどうってことないと思っちゃうなあ」
「町憲兵ってのは、融通が利かないくらいがいいんです」
ザックは言った。
「先輩の受け売りですけど」
ラウセアが言っていたことだ。ラウセアは、トルーディから教わったと言う。トルーディも、誰かから教わったのだろうか。
こうした気質が受け継がれるアーレイド町憲兵隊だからこそ、一度大きな失態があっても、そのまま崩れることをしなかったと言える。
残念なことに、賄賂を容認するどころか要求するような町憲兵も皆無ではなかったが、それが隊全体にはびこることは決してなかった。
余所の酷い町憲兵を知る人間は、ここの町憲兵が立派だと言う。生憎と当のアーレイドでは大して評価が高くないのだが「この状態が当然」であることが理想だ。「賄賂を受け取らない町憲兵は立派だ」と思われるようでは、つまり賄賂がまかり通っているということになり、まだまだなのである。
ザックは、受け売りだと前置きをしながら、そんな話をした。チャルナはひたすら感心している。
「すごいですねえ」
偉いなあ、とまた言われた。
どうにもチャルナから丁寧語が取れない。それには彼が、こんな話ばかりしているという理由もあった。
もっと気軽な話をすればいいのだが、思い浮かばない。
思いつくのは、仕事関連の真面目な話題ばかりだ。
しかし傍から見れば、ふたりは仲良く歩いている若い恋人同士とでも見えるだろう。
細い月の下、ザックにとってチャルナは、
「――ようよう、ずいぶんと仲がよさそうじゃないか、おふたりさん。ええ?」
〈麻袋〉亭を離れ、少し歩いたあとである。背後から、はやすような声がかけられた。ザックはぎくりとする。
「女連れたあ、生意気じゃんか。これからお楽しみって訳か?」
「ばっ、ば、ば、馬鹿なことを言うなっ」
ザックは真っ赤になって叫ぶと、振り返った。
「俺は、女性のひとり歩きが危ないから、送り届けるだけ!」
「へええ?」
そこには、にやにやと笑っているひとりの少年がいた。
「いつの間に、そんな洒落た言い訳を覚えたんだよ、ザック?」
「言い訳じゃないっ、本当のことっ」
ザックは両の拳を握り締めた。
「からかうのはよせよな、エイル!」
抗議をすれば、明るめの茶色い髪をした下町の友人はけらけらと笑った。
「お友だち?」
「ああ、うん、エイルって言うんです。こっちはチャルナ」
「よろしく、チャルナ。あ、これは『こいつをよろしく』ってことな」
「エイルっ」
「あはは。私こそよろしく、ザックにもあなたにも」
少女は笑って手を差し出した。エイルは自然に、それを握り返す。そう言えば、自分はチャルナと握手もしていない、とザックは落胆した。
「んで? ザックお前、まだ減給されてないの?」
「されてないよ、生憎だけど」
「どうして減給なんて。ザックは立派な町憲兵さんよ」
チャルナが首をかしげれば、エイルはにやりとする。
「そりゃ、一見したとこは真面目だけどな。こいつみたいな鈍いのはいまに絶対、大失敗をやらかすからさ」
「確かに俺は鋭敏とは言えないよ」
ザックは肩をすくめた。
「でもその分、一生懸命やってるんだからな」
「そうだな、悪かった」
さらりと謝罪の台詞がきたことに、ザックは目をしばたたいた。いつものエイルなら「一生懸命やってりゃいいってもんじゃないぜ」などと容赦なく言ってくるのに。
「何だって?」
「女の子の前で本当のことを言って悪かった、ってんだよ」
「エイルっ」
やはり友人は全開だ。ザックは頭を抱えそうになる。
「ところで、ザック」
しかしエイルはそれ以上は年上の友人をからかわず、不意に顔をしかめた。
「いいところで会った。話がある」
「話だって?」
今日は、そう言われるのは二度目だ。
「あいつ、何とかしろ。あの呆け老人」
「……誰?」
「あのクソ爺町憲兵だよっ」
エイルは叫び、ザックは目をしばたたく。
「まさかと思うけど」
少年町憲兵は頭をかいた。
「トルーディのこと?」
「ほかにいるか?」
ふん、とエイルは鼻を鳴らす。彼らのような十代の少年、それもエイルのように口が悪ければ、ラウセアぐらいでも「爺」と言いかねない。しかし公正な観点から「老町憲兵」と言われてもおかしくないのは、ビウェル・トルーディくらいである。
「彼ほど、呆けと縁遠い人もいないけど」
誰もが怖れるトルーディを呆け老人呼ばわりとは、下町の勢いならではである。
「なら、時代錯誤爺だ。いまどき、これくらいの時間に出歩いてたからって何だ? 夜におうちにいなかったら、みんな不良少年だってか?」
「あー、成程」
トルーディの言いそうなことは、何となく見当がついた。ガキはふらふら出歩くな、帰って寝てろ、とでも言ったのではないか。
「青少年が夜の盛り場で悪い影響を受けることのないように……と考えるのは、何もトルーディだけじゃないと思うけど」
「お前だって青少年だろうが。偉そうに言うなよな」
「偉ぶった訳じゃないよ。一般的な話じゃないか」
「俺くらいの年齢の奴なら、ほかにもいたぜ? 何で俺にばっか言うんだよ、あいつ」
「たまたま、目についたんじゃないの?」
或いは、とザックは思った。
(エイルは小柄なせいか、下手すると未成年に見えるし)
これを口にすると「俺が小さいんじゃなくてお前がでかいだけだ」と返ってくることは目に見えているので、ザックは心のなかで思うにとどめた。
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